第八話:The Silent Shadow

 帝都の中心、重厚な魔導ガラスに囲まれた執務室。  冷たい静寂のなか、ただ電子端末のかすかな駆動音が空気を震わせていた。

 ──突如、けたたましい警告音が鳴り響く。

 ヘルメス卿は瞬時に視線を端末へ移した。  赤く点滅する緊急通知の文字列。その下に浮かび上がるのは、特別監視対象コード──「V-ZERO1」。

「……ヴェルティリッシュ?」

 彼女は端末に手をかざし、瞬時に情報を読み込んだ。  表示されたのは、ヴェルティリッシュの魔力波動の異常増大。過去の記録を遥かに超える、未曾有の数値。

「これは……」

 ヘルメス卿はすぐに専用回線を開き、特別研究所へのアクセスを指示。  同時に、ファウスト団長への緊急招集が送られた。

「特別コードA7発令。対象を即時研究所へ搬送せよ」

 彼女の声は、平素と変わらぬ冷静さを保っていた。だが、その瞳の奥には確かな緊張が宿っていた。

 数時間後、帝都地下にある特別研究所──魔導制御施設第六層。  ヴェルティリッシュは診断装置に横たわり、無数の魔導管と制御術式の帯に繋がれていた。

 透明な隔壁越しに、白衣を着た一人の女性が端末を操作する。

 帝国科学騎士団団長、クラリッサ・ファウスト。  才気と理論を武器に帝国の魔導制御を担う科学者であり、ヘルメス卿の信頼も厚い人物だ。

「……これは、異常な数値です。通常の生体魔力量を十倍以上上回っています。しかも、暴走の兆候がない」

「暴走しないどころか、本人はほとんど自覚もないだろう」

 隔壁の向こうで応じたヘルメス卿の声音は、どこか沈んでいた。

「これは……厄災の封印が、揺らぎ始めたと見るべきね」

 ファウストが一瞬だけ眉をひそめた。 「封印由来と断定されますか?」

「現時点で他の要因は考えにくい。あるいは、“あれ”そのものに変化が起きた可能性もある」

 ファウストは無言で頷き、端末を閉じた。 「制御術式の強化を?」

「ええ。ただし、出力は極限まで絞る。新しいアルカネイルが完成するまで、魔法の使用は制限するしかない」

「……了解しました。新型ユニットの開発に取りかかります」

 ヘルメス卿はヴェルティリッシュの眠るカプセルに目を向ける。その姿は、まるで凍結された兵器のように静かだった。


 数日後、術式の再構成を終えたヴェルティリッシュは、帝国騎士団本部の訓練場に立っていた。

 夕暮れに染まる空の下、広々とした魔導試験区域に、重苦しい沈黙が漂っている。

 ヘルメス卿は立ったまま、端末越しにヴェルティリッシュを見つめた。 「最大出力で、魔法を放て。……炎属性だ」

 ヴェルティリッシュは一瞬だけ瞬きをし、無言のまま頷いた。  彼女の右手──アルカネイルの掌に赤い魔法陣が展開される。

 だが、次の瞬間。

 放たれたのは、掌からふわりと揺らめく程度の小さな火球だった。

 まるで、子供が手慰みに放った魔法のように。

 ヴェルティリッシュは腕を見下ろし、魔法陣の揺らぎを見つめる。

「……術式、過剰抑制」

「やはり強めすぎたわね」

 ヘルメス卿はひとつ息をつき、端末を閉じた。

「新型アルカネイルが完成するまで、魔法の使用は禁止。任務は肉弾戦のみで対応すること。よいわね」

「了解しました」

 その声は、感情を持たない兵士のそれだった。だが、彼女の瞳は、わずかに揺れていた。


 そのころ、ヴァルドニア帝国 魔法科学研究所──。

 監視室の魔力波形観測装置が鋭く警告音を鳴らした。

「異常魔力反応を検出。ノルヴェリカ帝国領内、発信源は……帝都騎士団本部付近です」

 報告を受けた研究所所長は、顔をしかめながら指を鳴らした。 「……連絡を。大総統に即時報告を」

 それから数分後、赤い軍服に身を包んだ男──ヴィルヘルム・アイゼンフェルド大総統が研究所内のモニター越しに現れる。

「帝都で、か。フェンリッヒの報告と、符号するな」

「この波形、通常の術式ではありません。何らかの魔力制御が行われた痕跡もあります」

「つまり、抑え込まれたというわけか」

 ヴィルヘルムは瞳を細め、沈黙のまま数秒間思案した。

「ルディガーに命じろ。帝国騎士団本部の情報を探らせろ。次の段階に入る前に、手を打つ」


 ──その日の夜、帝都の薄暗い宿舎の一室。

 ルディガーは端末越しに命令を受け取ると、すぐに身支度を整え、外套を羽織った。

 月の光も届かぬ路地裏を抜け、彼は帝国騎士団本部へと忍び寄る。

 かつて得た内部構造の図面をもとに、彼は静かに裏口から施設の管理エリアへ侵入した。

 端末を起動し、魔力の残滓を分析する。

「……やはりだ。この波形、あの女の魔力に違いない」

 波形は急激に膨張したのち、急速に収束していた。制御術式の介入があった痕跡。

 そして──さらに異常な現象。

「魔力の……空打ち?」

 ルディガーの眉がわずかに動く。

 抑え込まれた魔力が、解放されずに虚空へと消失している。

「これは……制御の限界か、あるいは……」

 彼はすぐに端末を操作し、観測結果と魔力波形の解析データを大総統へと転送した。

「ヴェルティリッシュ……やはり、今が好機だ」


 ──翌朝。ヴァルドニア帝国 軍事司令中枢塔。

 ヴィルヘルム・アイゼンフェルドは、ルディガーから送られてきた報告を静かに読み終えると、玉座のような高背の椅子に身を沈めた。

「抑制術式による魔力の空打ち……そして、あの波形。この一連の変動が奴の“反応”によるものならば……やはり、彼女が鍵だ」

 執務室の片隅で控えていた軍務官が一歩前へ出る。

「大総統、捕獲作戦を始動いたしますか?」

「ああ。最優先で進めろ」

 ヴィルヘルムの瞳が鋭く光を宿す。

「ヴェルティリッシュの奪取は、すべての計画の起点となる。彼女の確保なくして、この戦いに勝利はない」

「はっ」

「ルディガーには引き続き、内部動向の監視と連絡線の確保を任せる。実働部隊の編成はフェンリッヒに指示せよ」

 大総統の声には迷いがなかった。

 この瞬間、ノルヴェリカ帝国への直接的な侵入作戦が、水面下で静かに動き出したのだった。

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