第7話 種まきの哲学―救うものが救われる新たな地平

岡山駅の改札口を出ると、霧島さんが笑顔で出迎えてくれた。その表情は親しみと誇りに満ちていて、私たちを迎え入れる喜びが感じられた。


「先日はお世話になりました。」


「いえ、こちらこそ。お疲れ様です。今回の岡山の勉強会は、先生から全員集合のお声がかかりましたので、私も参りました。このようなケースは初めてのことで、多くの方が集まっています。」


霧島さんに案内されながら、駅前ビルの会場へ向かった。道中、彼女の丁寧な説明を聞くうちに、勉強会への期待感が少しずつ膨らんでいった。


会場に入ると、講師と参加者たちが談笑していた。その場の空気は穏やかでありながら、何か特別なことが起こる予感が漂っていた。


「いらっしゃい。」講師が明るく声をかけてくる。


「よろしくお願いいたします。」私は肩をすくめ、頭を下げて挨拶した。


その瞬間、講師は勢いよく言い放った。


「癌の特効薬は種まきだよ!救うものが救われるのだから。」


その力強い言葉は部屋全体に響き渡り、私の心に戸惑いを呼び起こした。「種まき」とは一体何を指しているのだろうか。


「すみません。『種まき』とはどういうことでしょう?また、『救うものが救われる』とはどういうことでしょう?」


私の問いに、講師は笑顔を浮かべながら答えた。


「形而上学という教えの種を他の人たちに撒いていくこと。そして神がその種を育てる。すると、種を撒いた方も受け取った方も救われる、ということだよ。」


講師の言葉は信仰と実践を通じて、救いと救われる関係が生まれるという形而上学的な考えを語っていた。その思想は、形而上学が単なる抽象論ではなく、現実に根ざした生きる知恵であることを私に示してくれた。


さらに講師は続けた。


「形而上下の両立というのは、形而上の視点で原因を探し、それを形而下の手段で実践するということです。それが回復への早道であり、鍵です。」


その言葉の一つひとつが、私の中で新たな理解を呼び起こした。「原因が形而上の領域にあるならば、どんな形而下の手法も根本的な解決には至らない。」


講師のこの言葉は、目に見える世界だけを頼りにしていては、本質には辿り着けないという教えを強く思わせた。「目に見えない領域にこそ、治癒への鍵があるのではないか。」こうした考えが私の心に静かに芽生えていった。


この岡山の学びは、単なる知識の取得や抽象的な探求ではなく、「形而上下の両立」を実際に体験する場となっていた。


そして、私はこの経験を共有し、多くの人々に新たな問いを投げかける使命を感じていた。


形而上の視点と形而下の手段の融合こそが、この学びの核心であり、私たちが向かう新たな地平を切り開く鍵となるのかもしれない——。

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