第4話

「おじちゃん、起きて!アンナ様起きた!」


一番年少の村の子がソファで眠る彼に駆け寄る。


「ねっ…起きて!起きて!」


「あ?あぁ…どうした?それと…まだお兄ちゃんにしといてくれ…。」


気怠るそうに起き上がると、その人は駆け寄った村の子の頭をくしゃりとなでる。


「あっ…あの…。」


声を掛けると、その人は私の方に向き直りにっこりと笑う。


「あぁ、目が覚めましたか。びっくりしましたよ。山道を歩いていて、子どもたちの声が聞こえたと思ったら空から貴方が振ってきて…。女神様の登場にはいささかおてんばすぎかとは思いましたが…この教会のシスターだと皆が口々に言うので、簡単な応急処置だけはして、運んだわけです。ケガはどうですか?痛みはありませんか?」


にっこりと笑う青年は、ソファから身を起こしただけでも分かるくらいの長身で、優しそうな顔立ちだった。


「あ、えと…ありがとうございました…。痛みは、まだ少しありますが、自然と治っていくでしょうから…ほんとにご迷惑をおかけして…。」


「それはいけない、ちょっと手を貸していただけますか?」


「え…あっ…はい。」


その人が手を差し出して、私がそこに右手を置く。ぽうっ…と光が揺らめく。


「えっ…。」


「事情がありまして、完治はできないんですが、少しは楽になるかと。これを機会にもう少しおてんばも治るといいですね。」


いたずらっぽく笑うその人が、一瞬だけ、懐かしいあの人に見える。なに…これ…。


「なっ…あ…ありがとうございました!ご迷惑をおかけして申し訳ありませんっ…。それでは、失礼しますっ…。」


思わず後ずさって、身をひるがえして、また振り返ってお辞儀する。くるくる回りすぎて、どこを見ているのか分からなくなってしまった…。

身体の痛みは…ほぼ無くなっていた。

その場を辞そうと歩き出すと、後ろから声がかかる。


「あぁ、スカートまでは直せませんでしたから、お部屋に戻るまで、後ろ、気をつけてくださいね。」


「えっ…やっ…わぁ…ご丁寧にどうも!」


よく見えないけれど、スカートの後ろの方が縦に裂けているようだった…血も少しついているのに、傷がないのは、この人が治してくれたからなのかもしれない。裂けた部分を隠すようにして、部屋を出た。


なんなの、なんなの…?!

言い方は穏やかなのに全体的にすっごい失礼じゃない?!確かに迷惑かけたけど、お世話になったけど、もっとなんかこう…言い方ってもんがあると思うの!

それに、それに、あれ…あの、あの、あれは…私とおんなじ…。






「驚いた…。驚かないんだな…。」


「なぁに?おじちゃん、なぞなぞ?」


「ん?あぁ…お兄ちゃん、な。こっちの話だ。」






「…それは、アンナ様がいけないのでは…?」


「…わかってる…そうなの…ちょっと…動揺してしまって…痛っ…。」


「あぁ、ほら私がやりますって…。お裁縫、あんまり得意じゃないんでしょう?」


部屋で着替えて、裂けたスカートをつくろおうとし始めたところで、ニコルがやってきた。私の座る椅子の近くに自分も椅子を持ってきて座っている。


「だっ…大丈夫。私が破いちゃったんだから、自分で直すわ…。毎回ニコルにやってもらってたら、いつまでたっても苦手なままだもの…。痛っ…。」


「そんなにぶすぶす指してたら、そのうちスカートが赤の水玉模様になっちゃいますよ。貸してください。」


確かに…それは、困る。

まぁ、どちらにしても洗濯は必要なのだけど…。


「…ありがと。ごめんね…。」


「ごめんね、の使い所が間違ってますね。まずはこんなになるまで無茶したことを猛省してください。」


「猛省って…。」


ニコルは私の2つ上で、いつの間にか教会に住むようになって、世話係をしてくれている。もうそろそろ世話係なんて必要のない年齢でなくてはいけないのだけれど、面倒見がいいことと、教会の中で私に一番遠慮なく接してくれる大事な存在なので、私も離れがたくてつい頼ってしまう。

姉のようだとも、友達のようだとも思うけど、それだけで言い表すのはなんだかしっくり来なくて…ニコルはニコルだと思っている。


「迷惑かけるのは大いにに結構ですが、心配かけるのは最低限にしてくださいよ?」


「はぁい…。」


「次スカート裂いたら、裂けた部分取っ払って、ミニスカートにしますからね。」


「え、それ可愛いじゃない!私、常々思ってたのよ、シスターの服はなんでこんなに長くて重くて動きにくいのって…。」


「ア、ン、ナ、様…?」


じとっ…という効果音が似合いそうな目でニコルがこちらを見ている。こういう時のニコルはここからしばらくお小言が続くことが多い…。


「…すみません…。」


「まったく…人助けもほどほどにしてください。もともとシスターのお召し物があの形なのは、貴方のように飛んだりはねたり助けたりするお仕事ではないからです。」


「わかってる…けど…。」


「人のために、と動けるアンナ様はすごいと思います。その献身はきっと女神様にも届きます。でも、貴方がケガしたり危ない目に遭ったりすることで肝を冷したり、やりたいようにさせたことを後悔することになる人もいることをお忘れなく!司教様だってお嘆きになりますよ?」


「…ごめんなさい…。」


司教様はこんな私を引き取って、実の娘同然に育ててくれている。あの時ディアに連れてこられただけの、見ず知らずの子どもだったのに。当然のようにシスターの修行も勉強もさせてくれ、シスターになってからも変わらず教会に置いてくれている。置いてくれているからこそ、私は皆からアンナ様と呼ばれて大事にしてもらっている。そして、私がこんな感じでも笑って見守ってくれているのだ。

司教様に、その選択が過ちであったと悔やませるのは…避けたい。



「来世のために…徳を積みたいアンナ様のお気持ちは充分に聞かせてもらいました。それについて、私もできる限り助力したいと思ってはいます。でも!まず!今世を大事になさってください。来世は今世を生きてこそでしょう?」


「今世…かぁ…。」


今世については、あまり多くを望んでいないのは事実であったりもする…。

血のつながった家族は全て流行り病で亡くし、司教様に引き取られてから何不自由なく暮らしてはいるけど、司教様の実の息子で、大好きだった義兄にい様も、修行のため今は遠くへ旅立ったきりだ。司教様は私をそばに置いてくださっているけど、私が大好きな人は、皆、私のそばから去っていってしまう…。私の側を去った、命の恩人との約束に縋るしかないこの境遇に、何を期待すれば良いのだろう…。



「シスターとはいえ、この国では結婚だって出来るんです。年頃になればそういった御縁の話もあるでしょう。というか、そろそろそういうお年頃でしょう?!…なのに、いつまでも野山を駆けずり回って人助けをしていては、命がいくつあっても足りな……聞いてますか?!アンナ様!」


「聞こえてるよぉ…ニコル。」


ニコルの言うことはもっともだ。

それは、わかる。

ディアだって、まずは祈り、生きてこそ、天国に行けると言っていた。

だから、生きている。だからこそ、生きている間にたくさんの人の役に立ちたいと思うことは、いけないことなんだろうか…。自分のことをかえりみている余裕はあんまりない。


「まったく…貴方のその不思議の力だって、ご自分のことは癒せないのですから、無茶をしないでくださいよ?」


「うん…。」


私には、不思議な力がある。いつから使えるようになったんだっけ…?ほんの数年前、私がシスターになって少し経ったある日だった。

転んでしまった子を助け起こしてあやしている時に、急に光がぽうっ…と現れてその子の擦り傷を治してしまっていた。

その後も、大きなケガは無理だけれど日常のそこかしこにある小さなケガなら治すことが出来る。ただし、自分には使えないし、使いすぎると自分が寝込むほど疲れる。


義兄にい様がなかなかお戻りにならないことと、この不思議の力の発現で、司教様は少し心配性になった気がする。過保護というか…ニコルが私専属の世話係になったのも、そういえばこの頃だった。お目付け役…という意味合いもあるのかもしれない…。


ニコルは立ち上がると芝居がかったような動きで、続ける。


「他人を助けて癒やして、癒やして助けて、徳を積んで、疲れ切って寝込んで…それを私が看病して、なんと私まで徳を積むことができる…なんて一石二鳥……。」


「ニコル…?」


「…なんて言うとでも思いますかっ?!その看病中の、心労や不安たるや!!徳なんかいらないから、こんなことやめてくれって思うほどですよっ?!そうだ、一度こっちがわにまわってみます?そのために一回瀕死になるくらい、軽〜い気持ちでやってみますが?!」


はぁはぁ…と肩で息をするほどにまくし立てるニコルに、私は今回のケガの大きさが相当なものだったと悟る。

それをここまで治すことが出来るなんて、あの人の不思議の力はまた別物なのかもしれない。そういえば、お名前も聞いていなかった。


「心配…かけてごめんね?ニコル…。」


「わかればいいんです。猛省してください。」



「はい…。」


別に悪いことはしてないのだけれど、しばらくは大人しくしてよう、と思うくらいにはニコルの顔が…険しい。



「そろそろ夕餉ゆうげになるようですよ。スカートは繕いましたけど、洗濯が必要でしょうから、別のに着替えて支度をしてください。」


「これじゃ、だめ?」


「それは、馬の世話や、遠乗りのためにヒース様のお下がりを仕立て直したものでしょう?いくらヒース様からのお下がりでも、そんな作業着では、お食事には向きません。」


ヒース様とは義兄にい様のことだ。


「ダメかな…私これ気に入ってるんだけど。」


「お祈りもされるんですよ?よろしいんですか?シスター・アンナ?」


「良くないです…わかりました。着替えてまいります。」


ニコルがそう呼ぶ時は、言う通りにした方がいい事が多い。特に、シスターとして、この教会の神職、もしくは司教様の娘としての振る舞いを求められる何かがこのあと待ち受けている…。お客様とかなのかな…もったいぶらずに教えてくれればいいのに…。





「アンナっ?!もう起きて大丈夫なのかい?」


司教様…養父とう様が席を立って私の方に駆け寄る。


「えぇ、養父とう様。もうケガも治っていますし、スカートも繕ってもらいましたから…。ごめんなさい…心配かけて…。」


「本当に…もう少し自分を大事にすることも忘れないようにしておくれ…。高い木から落ちたと聞いた時は…心臓がとまるかと…お務めを投げうっておまえのもとに行こうとしたら、無事でいるからと、他の神職に諌められて…もう気が気じゃなかったよ…。」


養父とうさま…。ごめんなさい。」


「司教様、お客人の前です。どうかお席に…アンナ様も。」


いつも夕餉を囲む、他のみんなに促されて席につく。1.2.3.…あれ、1人多くない…?



「もうすっかりお元気そうですね。スカートも直りました?」


「なっ…あっ…なんで…貴方が…ここに…?」


「アンナ様!失礼ですよ、お客様に向かって。命の恩人でしょう?」


ニコルが耳元で私を制す。


「だっ…て…。」


失礼なのはどっちよ…さっきからスカート、スカートって!


「アンナを助けてくださった、フリッツ様だよ。今日のお礼と、今後のために夕餉に招待したんだ。」


司教様とうさまが微笑む。

…今後って…?


「フリッツ様は修行の身で旅をされているそうだ。これからしばらくこちらに滞在していただくからね。」



「えぇ…えぇ!?」


「アンナ様、はしたないです。」


ニコルがまた耳元で言う。

だって…だって…!!


「アンナ様、よろしくお願いしますね!」


にっこりと笑う青年は、表と裏の顔を持ち合わせている…そんな気がする。


「は…はい…。こちらこそ…。」



私、この方…すごく苦手かも…。命の恩人なのだけど…とても、恩知らずかも知れないけど…。

どうしよう…これから…どうしろというの…?!

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