11 邂逅

 煙草の煙の薄膜が揺れる中、男は一口、ウイスキーを口に含み、低く囁くように言った。

「あなたが探しているモノは、全て先に処分完了して、あなたはもうなにも手に入れることはできませんよ」

 その声には、敗北を悟らせる確信があった。男はジャケットの内ポケットから、封筒を取り出した。中から出されたのは、千利がこれまで尋問してきた五人の写真だった。

 千利は、その写真が目の前に並べられた瞬間、演じるのをやめた。相手は全てを知っていると悟ったからだった。イラつきからか、冷や汗のかわりに、乾いた質問が口をついた。

「どうしてわかった?」

 本当は他に聞くべきことがあったかもしれなかった。誰が情報を流し、どこまで処分されたのか、そして“敵”の正体は──

 だが、千利の中で、見破られたという事実が、無意識にプライドを刺激していた。男は穏やかな笑みを浮かべて言った。

「あなたと私は同類。故にわかりやすいのかもしれませんね」

 その言葉の中に、軽蔑はなく、あったのは、静かな観察者のまなざしだった。男はグラスを置き、少し視線を落としてから、再び口を開いた。

「私の予想より、あなた方『組織』がここに来るのが早かった。もう少し早かったら、私がバイヤーを始末する前に、あなたがたどり着いていたかもしれなかった……

 あなたが、もう少し、この業界にいて、経験を積めば、私に勝てていたかもしれませんね」

 男の声は穏やかだったが、そこには鋭い刃が潜んでいた。千利は舌打ちをした。

「随分、皮肉だな……」

 男はニヤリと笑った。

「ふふ……皮肉ですよ」

 それから、少し顔を上げて言った。

「けれど、経験を積んだあなたと、いつか、勝負したい、と思っているのは本心ですよ」

 千利は返す言葉を失った。ただ、その目を逸らさずに男を見据えた。男はゆっくりと席を立ち、軽く手を上げて言った。

「では、また──」

 それだけを残し、音の波に溶けるようにしてクラブの奥へと歩き去っていった。千利はその背を、黙って見送った。

 淡い照明の中、男のシルエットが遠ざかっていった。男が去り、クラブの熱気と喧騒が千利の周りに戻ってくるのを感じた。そんな雰囲気に安堵する自分に、千利は嫌気がさした。

 次は、必ず勝つ。大切なものを守るために。そのために、自分はもっと深く潜らなければならない。

 千利の目は、闇の奥を見据えていた。



 クラブの扉が背後で閉まると、夜の空気が一気に肌を撫でた。その男―夜燈紡はポケットから携帯を取り出し、通話アプリを開いた。番号を押す指に焦りはない。数コールのあと、相手が出た。

「──無事、完了した」

 静かな声で、夜燈はそう伝えた。だがその中には、確かな満足がにじんでいた。電話の向こうの男は、少し間を置いてから応えた。

「了解。……それにしても、なにか嬉しいこと、ありました?」

 夜燈はわずかに口元を緩め、クラブのネオンの反射がガラスに映る中、囁くように言った。

「ふふ……そうかもしれないな。若い才能というのは、私の人生の彩りを明るくしてくれるものだよ」

 電話口の男はわずかに戸惑いを含んだ声で言った。

「……よくわかりませんが。私は嫌な予感がしますよ。この案件、無事終わることを祈ります」

 夜燈は足を止め、月のかけらのような街灯を見上げた。

「楽しくなりそうだよ」

 低く、愉快そうな声でそう言い残し、夜燈は通話を切った。

 ビルの隙間から吹き抜ける夜風が、彼のコートの裾を揺らした。その顔には、狩人のような静かな笑みが浮かんでいた。

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