08 読心尋問
男は、四十代前後。肌には疲労と神経質な陰りがあり、肩は硬直し、顔面の筋肉がわずかに痙攣していた。
千利は声を発さず、まず、空気を読んだ。男の呼吸のリズム。唾を飲み込む頻度。足元のわずかな揺れ。千利の能力は『言葉』や『表情』に限らない。身体の微細な反応を通して、精神の“動き”を察知し、読み解いていく。
「君は、自分がなぜここに連れてこられたか、わかっているな」
千利がようやく口を開くと、男はぴくりと身体を動かした。だが、男は沈黙していた。
「君が裏切った理由は、まだ誰も知らない。僕も、あんたのことをほとんど知らない。けれど……言わされるか、自分から言うか、それは選ばせてやる」
男の唇がかすかに動いた。だが、そのまま唇は止まり、何も言わなかった。千利は脅しは効かないと感じ、尋問の方法を変えた。
「おそらく……君には大切なものがあった。組織以上に、守りたかった何かが。違うか?」
男の肩が一瞬、ほんの一瞬だけ沈んだ。
「家族か? 恋人か? あるいは——取引相手?」
千利の声は静かだった。だが、それは確実に男の心の中心に、ひと突きで届いた。その瞬間、目隠しの下からかすかな涙の跡が流れ落ちた。
法橋が、何も言わず、微かに口元を綻ばせた。千利はゆっくりと息を吐いた。
千利の言葉に、沈黙を貫いていた男が、ついに口を開いた。
「……妹だったんだ」
くぐもった声。その語尾ににじむ怒りと、長年の苦痛の影。
「彼女は……まだ十六だった。なのに……『組織』の取引に巻き込まれて……見せしめのように、殺された。俺は……その日から、『組織』に潜入して、妹を殺したやつに復讐する、そう決めたんだ。」
男の唇が震えた。
「それから数年かけて、身分を偽って組織に近づいた。信用を得て、任務もこなした。全部、あいつらの中枢に入り込むため……そうしてようやく、妹を殺した連中の顔が見えてきたんだ。そして…」
男は唾を吐くように言葉を続けた。
「妹を殺した連中を、全員殺したのさ」
その言葉を聞いて、千利の胸の奥がわずかに軋んだ。
妹のために、この世界で生きるのは、千利も同じだった。もし、自分の妹も、『組織』の依頼に巻き込まれて、殺されたとしたら、きっとこの男と同じように復讐する、そう思うと男の言葉に、千利は一瞬だけ共鳴しそうになった。
だが、千利は、冷静に記憶を手繰り寄せた。
船上で、法橋から受け取った三枚の紙。そのうちの一枚が、この男の経歴だった。そこには、男の出身地、学歴、過去の活動歴、そして家族構成が、詳細に記されていた。そして、その家族構成には妹はいなかった。
先ほど男は経歴を偽造していたと言っていたが、『組織』…いや、法橋が、尋問対象の経歴を再調査しないはずがない。この男に妹などいない。
そして、千利の中で、もう一つ、違和感があった。その違和感を確実に理解するために、千利はもう一度、静かに男の様子を観察した。彼の声色、筋肉の動き、目の揺れ、そして何より、心臓の鼓動。そのすべてが、今の話が決して嘘ではないと訴えていた。
嘘じゃない。この男、少なくとも『そう信じている』。男は演技をしているわけでも、偽りの感情を使っているわけでもない。千利は、瞬時にそう分析した。
千利は、あえて問いかける口調を穏やかに変え、男に質問した。
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