ああ!昭和は遠くなりにけり

@dontaku

第11巻


三女歌穂の素顔とその才能が次々に開花していき居ます。



ああ、遠くなる昭和の思い出たち 第11巻


淡い恋心・・・信子そして美穂と里穂そして歌穂



12月に入ると皆の忙しさはピークとなった。響子さんのクリスマス公演へのゲスト出演。そしてそれに向けての猛練習。特に里穂と歌穂のコンビはますます上手くなっていった。見守る信子と優太ママも驚くほどの上達ぶりだ。「これなら何処へ出しても恥ずかしくないわ!」優太ママにそう言われてお互いに見つめ合って嬉しそうに笑う里穂と歌穂。

一方、遥香さんは夕方から夜にかけて響子さんのお宅で練習に励んでいた。多忙を極める響子さんのスケジュールに合わせて移動先まで尋ねて行った。そのために臨時のマネージャー香澄さんがお世話をすることになった。新人のマネージャーさんで単独での勤務は初めてとのことだった。そのせいか直ぐに遥香さんと香澄さんは仲良しになった。地方公演には2人で出かけ、響子さんの公演前の練習時間に2人で演奏の練習に励んだ。そんな間、遥香さんは学校を休んで泊りがけで練習に臨んでいた。そして遥香さんの努力とコンクール第1位の実力は音楽プロデューサーさんの目に留まり香澄さん立会いの下に名刺を頂いた。話の内容からこのプロデューサーさんは芸能プロの副社長さんとは長いお付き合いとのことだ。

プロデューサーさんたちと談笑していると普段着に着替えた響子さんも加わった。

「あら!もうスカウトされているの?」マネージャーさんからコーヒーを渡され一口口を付けてそう言って笑う響子さん。「渡辺さん、コンサートご覧になると全員をスカウトしたくなるわよ。」そう言って遥香さんを見つめた。「この子たち、ただ可愛いだけじゃあないの。」そう言って再び笑った。

丁度その頃、ピアノルームで美穂と優太君のレッスンをしていた信子の電話が鳴った。急いでピアノルームを出て電話を取ると弁護士の高木先生からだった。

歌穂の亡くなった父親の生命保険と自動車保険が降りるという。そしてその金額に驚く信子。

「そんな金額、歌穂はまだ6歳なんですよ。」と絶句する信子。取り敢えず歌穂の口座へ振り込まれるという。詳細は書類を郵送ということで電話が終わった。

信子は震える手で会計士の今泉先生に電話を入れる。

事の次第を説明して対応をお願いした。

練習を終えた優太ママがリビングにやって来た。ただならぬ様相の信子を見て「信ちゃん!どうしたの?」と駆け寄って来てくれた。

信子が事の詳細を説明すると優太ママも絶句した。

取り敢えずは子供たちには言わないでおこうと2人で約束した。


12月最初の土曜日は老人ホームでの歌謡ショーだ。今日は遥香さんが響子さんとの打ち合わせ兼練習で参加できなかったため歌穂が初めて歌を披露した。愛らしい姿と声で歌う「黒猫のタンゴ」は入居者の皆さんだけでなく、訪れた方々をも大いに魅了した。立派に遥香さんの穴を埋めてくれた歌穂がステージ裏に戻って来ると皆がハグで迎えてくれた。

午前中の老人ホームでの演奏会が終わると家へ戻りお昼ご飯だ。ご飯を済ませると美穂は結婚式場での仕事へ向かう。残った優太君、里穂、歌穂の3人は響子さんのクリスマスコンサートへ向けての練習に取り掛かった。

何時もの様に結婚式場の仕事を終え美穂が家に戻ると今度は優太君とのペアでの練習だ。そのハードスケジュールを気使う2人のママと若菜さん、伊藤さんの4人。

「出来ることならベストの状態で響子さんのステージに臨ませてあげたい。」そういう思いは4人とも同じだった。

「美穂ちゃんを、12月だけでも月曜日をお休みすることは出来ないでしょうか?」申し訳なさそうに2人のママに話を切り出す若菜さん。

「若菜さん、美穂のことを気使ってくれてありがとう。

実は私も同じことを考えているの。でも・・・。」信子の言葉を優太ママが続ける。「美穂ちゃんが“うん。”と言うかだわね。」

「うーん。」そう言って考え込む大人4人。

丁度18時となり子供たち4人がそれぞれの部屋から出てきた。

早速、夕ご飯だ。今日の夕ご飯はクラブハウスサンドウイッチだ。2人のママがせっせとパンを焼いてくれる。若菜さんと伊藤さんも何時も通りお呼ばれして一緒に頂く。ホットレモネードを若菜さんが作ってくれた。「はちみつも入っているのよ。」そう言いながら皆に振舞ってくれた。聞けば、大学時代に喫茶店でバイトをしていたのだそうで手慣れた感じの手捌きだった。皆「美味しい!」と言って大好評だった。

ローストビーフたっぷりのクラブハウスサンドウイッチに大きな口を開けて食らいつく子供たちを見る大人たちの表情は和んでいた。

夕食後のティータイムは皆でワイワイと過ごす。なんてことはない話でも子供たちはとても楽しそうだ。

ティータイムが終わると1時間ほどの練習だ。皆が各部屋へ行く時に信子が美穂を呼び止めた。

大人4人と交えて食卓に座る美穂。

「美穂、相談があるの。」そう言って美穂の月曜日の学校のお休みについて説明をする信子。一通り説明が終わると同時に美穂の目に涙がにじんだ。

「大好きな学校をお休みしたくない美穂ちゃんの気持ちは良く分かります。ただ、今回は特に響子さんのコンサートへの参加があります。今まで以上の大きな会場での参加、しかもプロの響子さんのコンサートです。特に責任感の強い美穂ちゃんだから少し休んでリラックスして、万全の体調で臨んで欲しいの。」若菜さんがマネージャーとしての意見を伝えた。

美穂は頷きながら涙声で答えた。

「皆、ありがとう。そんなに私のことを想ってくれているなんて思わなかった。実は私も正直きついなって思っていたの。今まで通りで過ごしてきたけど撮影もあったし。わかりました。月曜日はお休みします。」

4人の大人たちにフォローしてもらえる心強さに感謝する美穂だった。


翌日曜日は午前と午後の結婚式場での仕事だ。今や美穂は結婚式場になくてはならない存在になっていた。

それ故にお客様からの指名が多く式場側も断るのに一苦労だった。遥香さんに応援をと考えられたようだが遥香さんはマネージャーの香澄さんと響子さんの元へ通い詰めているため叶わなかったのだ。

それでも美穂は一生懸命ピアノを演奏し皆の期待に応えて行った。そしていつしか他の同系列店からも問い合わせが入るほどになった。実は結婚式場のフロアマネージャーさんとサブマネージャーさんからもご心配を頂いていた。

売れっ子になった嬉しい悲鳴とはいえ、美穂にとっては練習時間を削られてしまうことが最も辛いことだった様だ。

若菜さんに事情を聞きお2人とも申し訳ありませんと美穂に頭を下げてくださった。

「美穂ちゃん、ごめんなさいね。」そう言うお2人に「いえいえ。かえってお気使いを頂き申し訳ありません。」と大人の対応を見せる美穂だった。


翌月曜日、信子は3人を学校へ送って行き、その足で職員室の井上先生の元を訪れた。そして美穂の事情を説明し、今の美穂の健康状態を維持したい旨を伝えた。

井上先生は“天使の3姉妹”が大ヒットして忙しくなっているのではと陰ながら心配してくださっていたようだ。

家に戻ってそっと美穂の部屋を覗いてみると美穂は静かな寝息を立ててぐっすりと眠り込んでいて信子を安心させた。

お昼に買い物に出かけ、帰りに優太ママを乗せて家に戻てくる。2人のママは昼食の準備に取り掛かる。

すると2階から美穂が降りてきた。

「おはよう!すっかり寝坊しちゃった。」と言って笑う美穂。どうやらぐっすり眠れたようだ。

「お昼ご飯はどうする?」信子に聞かれ即座に「昨日のクラブハウスサンドイッチがまた食べたいと言うのでわずかに残っていたローストビーフを使って作ってあげた。優太ママはミルクセーキを作って美穂に勧めた。

「2人ともありがとう!」そう言って美穂はミルクセーキを一口飲んで厚みのあるクラブハウスサンドイッチにかぶりついた。その様子を見て2人のママは「美穂を無理して休ませてよかった。」とつくづく思った。

2人のママは手分けして焼きそばを作り始めた。

先ずは麺をしっかり焼いてパリパリ感を出す。一旦麺を取り出し野菜を炒める。水で溶いた片栗粉を回し入れ、火を止めて麺の上に掛ける。あんかけ焼きそばの完成だ。その匂いに誘われて美穂もおすそ分けを頂く。

久しぶりののんびりとしたお昼時に感謝する美穂だった。お昼ご飯が終わるとティータイムだ。美穂はミルクティーを頂く。話の中心はCM撮影のことだった。

すごく楽しかったと言って笑う美穂。監督さん、助監督さん他の良いスタッフさんたちにも恵まれて3姉妹は楽しく撮影に集中出来た様だ。そしてプロデューサーさんからご挨拶を受けたことも話してくれた。

「まあ!そうなの!」優太ママはわが事のように喜んでくれた。信子も微笑みながら「うん、うん。」と頷いていた。実は昨夜、既に若菜さんから報告を受けていたのだ。

「音入れはどうだった?みんな上手く弾けたのかしら?」信子はピアノ演奏の出来栄えを気にしていた。信子が気に掛けるのは里穂の経験の浅さだった。「里穂はちゃんと弾けていたかしら?」信子に聞かれ美穂は答えた。「3人ともばっちりだったよ。」

ミルクティーを飲み終えると美穂は自分のピアノ練習室へと降りて行った。それに続く様に優太ママもヴァイオリンを持って隣の里穂の練習室へと降りて行った。信子はピアノルームで自分の練習を始めた。

約1時間経って信子は3人を迎えにワゴン車で出かけて行った。そして何と!健君が初めてわが家を訪問してくれたのだ。もう、里穂は大混乱だった。まさかの健君の訪問に焦りまくっていた。広い応接間で優太君と、美穂、歌穂ともすっかり打ち解けた健君は先ず、一緒に宿題を済ませた。分からないところは美穂と優太君が丁寧に教えてくれた。「里穂ちゃんが勉強出来る理由が分かったよ。」そう言って笑う健君に「そうでしょ?」とおちゃめに答える里穂。

皆の練習を見学してもらうことにした。案内は優太ママだ。ピアノルームでの美穂と優太君のコンビの演奏を聴き、地下のレッスン室では里穂と歌穂のコンビの演奏を楽しんだ。家に来るまで里穂はポロンポロンとピアノを弾いているものと勝手に決め込んでいた様で4人の本格的な演奏に大変驚き、興味を示してくれた。そしてクリスマスの響子さんの公演にゲスト参加することを伝えると更に驚いていた。

楽しいひと時を過ごしてくれた健君を信子と里穂が車で送って行く。玄関先で再びお母さんにご挨拶をすると大変喜んでくださった。

帰りの車でも里穂は饒舌で、里穂の話をにこにこと聞いていた信子だった。そんな里穂もクリスマスソングの練習なども加わり結構タイトな練習を行っていた。1人の時は美穂に楽譜を借りて練習に励んでいた。と言うのは、老人ホームと保育園の公演では遥香さんの代わりを務めなくてはならないからだ。特に保育園では美穂が司会などでピアノを離れるために遥香さんに代わってピアノを弾かなければならないのだ。里穂がクリスマスソングをピアノで、歌穂が童謡をヴァイオリンで弾くというスタイルで臨む予定でいた。そんな様子を見ていた優太君が名乗り出てくれた。「僕がアニソンを弾くよ!」

その言葉に大喜びの3姉妹だった。


12月も慌ただしく過ぎ、美穂は精力的に結婚式場でのピアノ演奏に励んだ。年末ということもあり結婚式上の日程はすべて埋まっていた。日によっては午後2回という日も続いた。それでも美穂は疲れを見せず笑顔で演奏を続けていた。これにはフロアマネージャーさん、サブマネージャーさん、スタッフの皆さんが称賛の声を上げた。その声は総支配人さんの耳にも入り、総支配人さんはそっとスタッフに混じり視察に訪れる程だった。そんな中で、美穂はわがままを聞いていただき24日の予定は空けて頂いていた。それは響子さんのコンサートにゲスト出演をするためだった。

結婚式場の皆さんはそれを知り喜んで日程を調節してくださったのだ。


23日。今日は午前中に保育園での演奏会、午後は結婚式場での演奏という予定だった。

保育園では遥香さんの代わりに優太君と里穂、歌穂が演奏する予定だ。園長先生と保育士の皆さんに4人でご挨拶をする。やはり1年生の歌穂が気になるようでいろいろ優しい言葉を掛けてくださった。

早速4人は体育館に移動する。既に大勢のお母さま方が開演を待たれていた。そんな皆さんにご挨拶をしながらピアノの傍で準備をする。皆様方はやはり1年生の歌穂が気になるようだ。ピアノの傍には大きなクリスマスツリーがきらきらと輝いている。

美穂がマイクを持ちご挨拶と共に3人を紹介していく。紹介の度に拍手を頂く3人。挨拶が終わると美穂は入口へと向かう。里穂はピアノの前で身構える。それを見た優太君もヴァイオリンを構える。

美穂が合図を出す。2人のピアノとヴァイオリンでの「さんぽ」の演奏が始まった。何時もと違う演奏に「あらーっ!」という歓声が上がる。そんな中、ちびっ子たちが元気よく入場してくる。それに両手を振って迎える美穂。またそれに嬉しそうに答えるちびっ子たち。

整列が終わると園長先生から改めて3人の紹介があった。4人で並んでちびっ子たちにご挨拶をする。

美穂の司会で公演がスタートする。

1年生の歌穂がヴァイオリンを手にする。「わあーっ!」とお母さんたちから歓声が上がる。

歌穂のヴァイオリンから「いぬのおまわりさん」が流れるとちびっ子たちはびっくりだ。そしてお母さんたちも驚きを隠せないでいた。まさか1年生の歌穂が見事な演奏をするとは予想だにしていなかったからだ。

それは園長先生と保育士の皆さんも同様だった。

最初は驚いていたちびっ子たちも美穂の歌に合わせて歌い始めた。歌穂は連続で「大きな栗の木のしたで」を演奏していく。それを見ていた優太君と里穂は微笑んでいた。やはり歌穂は物怖じすることなく演奏が出来る様だ。幼い頃からずっと一人で弾き続けてきた歌穂。誰かに聴いてもらえる嬉しさを感じているのかもしれないと優太君は思った。

続いては優太君のアニソンの演奏だ。先ずは「アンパンマンは君だ」を弾き始めた。何時ものピアノとは違うヴァイオリンの音に皆目を輝かせて聴きっている。そしてやはり途中から大合唱となった。美穂も一緒に歌って皆楽しそうだ。そして歌穂同様に連続で「ドラえもんの歌」に入って行く。皆も大きな声で歌ってくれている。セリフの部分は優太君がヴァイオリンで音階を合わせてまるでヴァイオリンが喋っている様に演奏してくれた。これにはちびっ子たちは大喜びだ。

お母さんたちからはさすが“ヴァイオリンの貴公子”という声が上がっていた。

美穂のクリスマスのお話の後に里穂のクリスマスメドレーが始まった。姉たちに引けを取らない演奏に称賛の声が上がる。「サンタが街にやって来る~赤鼻のトナカイ~ホワイトクリスマス~ジングルベル~きよしこの夜」の連続メドレーだ。

こうして遥香さんの代わりを見事に果たした3人は温かい拍手をたくさん頂戴した。

家に戻ると明日に備えて最後の練習に励む4人。

夜になって遥香さんも合流し、久しぶりの再会に喜ぶ4人の小学生たち。明日の話で持ちきりだった。

遥香さんが明日の衣装を披露すると次々に美穂たちも衣装を披露、たちまちファッションショーに様変わりするリビング。あっけに取られて見守る優太君と若菜さん、伊藤さん、そして香澄さん。何とも賑やかな4姉妹だった。


翌24日はクリスマスイブ。さすがに皆そわそわしていた。特に歌穂は落ち着きが無かった。「早く大勢のお客さんの前で演奏したい!」と待ちきれない様子だった。朝ごはんを終えた頃に若菜さん、伊藤さん、香澄さんが到着。早速伊藤さんは全員分の衣装をワゴン車に積め込んでくれた。公演は16時からだが13時から総合練習がある。着いてお昼ご飯を頂いてから総合練習に入る様だ。

着いて直ぐに響子さんの楽屋へご挨拶に。楽屋はお祝いのお花で溢れていた。そしてその中で談笑している響子さんの姿が。衣装やヴァイオリンを運ぶ伊藤さんと香澄さんとは一旦分かれての楽屋訪問だった。

「あーら!今日はよろしくね。」そう微笑みながら一人一人に声を掛けてくださった。特に歌穂に気を配ってくださって有難いと美穂は思った。若菜さんは響子さんのマネージャーさん、現地スタッフの皆さんと打ち合わせに入っていた。

スタッフさんから楽屋へ案内される。やや広めの楽屋入り口には全員の名前が書かれた札が掲げられていた。中に入ると立派なお花が並んでいた。

「わあーっ!きれい!」4姉妹がそう言って駆け寄る。

それと入れ替わりに伊藤さんと香澄さんが響子さんの元へご挨拶に向かう。

お花は音大の学校長さん、楽器メーカーの社長さん、芸能プロの社長さん、結婚式場の総支配人さん、老人ホームのホーム長さん、保育園の園長さん、そして高原町の春子さんおの楽器店さんと音楽スクールさん、高原ホテルの支配人さんから頂いていた。さすがに響子さんの楽屋のお花の多さにはかなわないが、それでもアマチュアの美穂たちへの花輪の数にスタッフさんたちも驚いていた。その他に数件の祝電も頂いていてその人気ぶりが表れていた。

仕出し弁当を頂く合間に香澄さんのカメラで一人ずつそれぞれのお花の前で記念撮影をして楽しむ。何時も通りの賑やかな楽屋となっていた。

打ち合わせから戻って来た若菜さんから全体の流れの説明が行われた。一緒に居たスタッフさんからも注意点が述べられた。遥香さんと美穂2人はコンサートで慣れているため里穂と歌穂への注意点の説明は美穂が詳しく教えてくれた。2人は頷きながら一つ一つを確認していく。そんな姿をスタッフさんたちはにこにこと感心して見守ってくださっていた。

いよいよ通し練習が始まる。普段着姿の響子さんが5曲連続で演奏を披露する。それからゲストの紹介で5人がステージに登場する。そして響子さんとのやり取りがあって里穂と歌穂、美穂と優太君、最後に響子さんと遥香さんの各ペアでの演奏となる。そしてフィナーレを迎えると5人が再登場しお礼を言っての幕引きとなる。その手順、立ち位置などの細かい指示が出される。5人ともかなり真剣な目をして確認していた。

音合わせの最初は里穂と歌穂のコンビからだ。スタッフの皆さん方はなぜこの2人がゲストに選ばれたのか疑心暗疑でいた。遥香さん、美穂、優太君はコンクール第1位で知名度もあるがこの2人はコンクールにさえ出たことが無く全くの未知数だったからだ。

ホールに里穂が弾くピアノの音が響く。「!」スタッフさんたちの顔色が変わる。直ぐにキリっと構えた歌穂のヴァイオリンの力強い演奏が始まる。身体を動かしながら音を奏でる歌穂の姿は小さなプロの様に見えた。「おい!待てよ!何でそんなに上手なんだ!まだ8歳と6歳だぞ!」客席前列中央に座っていたディレクターさんが大声をあげる。

2人の演奏を音響室で聴いていたプロデューサーさんも思わず立ち上がりモニターに釘付けだ。

そんな様子を客席で見ていた響子さんは“してやったり!”という笑顔で、嬉しそうに2人の演奏に聴き入っていた。

「おいおい!響子ちゃん!な!何者だ?あの2人は?」そう言いながらプロデューサーさんが2階の音響室から降りてきた。それに合わせる様にディレクターさんも響子さんの元へ駆け寄って来た。

「うふふ。とんでもない子たちでしょ?2人とも美穂ちゃんの妹さん。つまり音大オーケストラのピアニスト、信子さんの娘さんたちなの。だからかしら、3人とも天才肌で、次女の里穂ちゃんはピアノを始めて2年にもならないし、三女の歌穂ちゃんは2歳の頃からヴァイオリンを弾いているの。私も最初に聴いた時は耳を疑ったわ。」お2人にそう説明する響子さんにただ「ほう!ほう!」と感心して頷くお2人だった。

ステージでは美穂と優太君の演奏の真っ最中だった。

「とても小学生の演奏とは思えん。」腕組みをして二人の演奏を聴くお2人。響子さんも全く同感だった。

『今日、この時からでもプロとして認めてあげたい!』そう思う響子さんだった。「それにしても2人のヴァイオリンって良い音過ぎるわあ!」

フロアスタッフが響子さんを呼びに来た。そろそろ二人の演奏が終わるからだ。続いて遥香さんとの共演だ。

ステージに上がり5人を褒めたたえる響子さん。ふと優太君と歌穂の持つヴァイオリンに目を遣った。

「ちょっと!あなた達!何てものを持っているの!」響子さんは驚いて大きな声をあげてしまった。周囲のスタッフさんたちがその声に驚きダッと駆け寄って来る。「こ、この子たち!とんでもないものを持っているわ!」そう言って背を低くして2人のヴァイオリンをじっくりと眺める響子さん。

「まあ、高そうなヴァイオリンだなと思いますが。」スタッフのお一人がそう話しかける。「うーん、あなたが想像している金額に0を二つ足した位かな?」そう言って笑う響子さん。「2人ともお似合いのヴァイオリンを持っているのね。大切に弾いてあげてね。」そう言って再びにっこりと笑う響子さん。

「はい、わかりました。ありがとうございます。」優太君と歌穂も元気良く返事をして笑顔を見せた。

遥香さんとのリハーサルが終わると本番までの間に一息入る。その間に着替えて、そしてメイクをして本番に臨む。

今のうちにと喉を潤し甘いおやつを頂く。香澄さんが近くの洋菓子店でショートケーキを買って来てくれていた。5人で美味しく頂く。ショートケーキだがちょっぴり大人の味がする美味しいケーキに大満足の5人だった。

お手洗いを済ませてからカーテンで仕切られたブースでドレスに着替える4人娘。里穂と歌穂の着替えを手伝う遥香さんと美穂。そして次は自分たちも着替える。遥香さんはブルーのドレス、美穂は濃紺のドレス、里穂は真紅のドレス、歌穂はピンク色のドレスと皆とてもお似合いだ。派手な衿の付いたブラウスと黒いパンツ姿の優太君は貴公子そのものだ。早速ファッションショーが始まる。そして再びドレス姿でお花の前で集合写真を撮り、一人ずつ各お花の前で写真を撮っていく。香澄さんが持っているのは最近流行りのデジタルカメラだ。その場のモニターに繋いで写真を見ることが出来る優れモノだ。そうして和んでいるとメイクさんたちが入って来られた。早速5人のメイクが行われる。その間にヘアスタイリストさんが5人の髪を整える。

プロの手によってとても可愛く仕上がった4人娘と凛々しい優太君。しばらくは待機だ。

ステージの方角からブザーの音と共に大きな拍手が聞こえる。

どうやら開幕した様で司会の女性の声に続いて響子さんの声が聞こえる。かなり距離があるせいかはっきりとは聞き取れないが始まったことは確かな様だ。

約40分後にはステージに立つことになる5人。この音楽ホールは1500人の収容能力がある。リハーサルの時にはお客さんは居なかったが実際に満員となるとどんな雰囲気になるのだろうか。それを想像するとがぜんやる気が漲ってくる5人だった。出番まで刻一刻とその時間が迫ってくる。スタッフさんが呼びに来てくださった。舞台袖の近くで優太君、歌穂、美穂、里穂、遥香さんの順に並ぶ。コンクール経験者が未経験者2人を挟む万全の体制だった。こうすれば直ぐにフォローが出来るという優太君の提案だった。このまま舞台袖まで進み合図を待つ。

響子さんと司会のお姉さんの話がゲストの話題に及んだ時、「それではご紹介します!本日のゲストはこの方々です!」この呼びかけに合わせてスタッフさんの合図が出され5人がステージへ登場する。遥香さん以外の4人が小学生であることが紹介されると会場から大きなどよめきが起こる。プロの演奏会にアマチュア、しかも小学生となるとお客さん方も戸惑ってしまう様だ。しかし3人の経歴が発表されると「おおーっ!」という声が起こり同時に拍手が。この時点では幼い2人は何かのおまけみたいな目で見られていた様だ。「響子さんのスクールの子たちかしら?」そんな囁きもあちこちから聞こえてくる。

司会のお姉さんが改めて紹介してくださった。

「それでは先ず初めに歌穂ちゃんのヴァイオリン、里穂ちゃんのピアノで「チゴイネルワイゼン」です!」

里穂と歌穂がステージ中央で並んでお辞儀をする。拍手が起こるが大多数のお客様方が「学芸会程度の演奏かな?」と思っていたに違いなかった。

すると、妹の歌穂が姉の里穂に合図を出す。これに驚くお客様方。

歌穂がヴァイオリンを顎に挟んでビシッとポーズを決める。

「えっ?」あまりにも見事なポージングに言葉を失うお客様方。

里穂の弾くグランドピアノが力強い音をホール内に響かせる。

固まった様にステージを凝視するお客様方。

歌穂の流れるようなヴァイオリンの音がお客様方の胸に飛び込んでいく。

「この2人とも天才だわ!お客さんの心を最初の一音で捉えるなんて!」舞台袖から様子を見ていた響子さんが思わず叫んだ。

8歳と6歳のコンビの演奏は続く。第1部から第2部、そして高速演奏の第3部へ突入していく。あの早い指使いと弓捌きを6歳の歌穂は難なくこなして弾いていく。そして絶妙な里穂のピアノの伴奏。2人は会場の全員を魅了している。司会者の女性も目を見開いて2人の演奏の様子に見入っていた。

「すごーい!ママの伴奏みたい!」美穂が呟く。

「美穂ちゃんもそう思う?私もそうよ。」響子さんが美穂を見て微笑んだ。傍で遥香さんと優太君も頷いていた。プロデューサーさん、ディレクターさん、音響さん、スタッフの皆さんも大満足の2人の演奏だった。

弾き終えて再びステージ中央でお辞儀をする2人にお客様方の拍手が降り注いだ。

にこにこと引き上げてくる幼い2人を響子さんは代わる代わるハグしてくださった。そして遥香さん、美穂、優太君ともハグを交わす2人。舞台袖に控えていた皆さんからもたくさんの拍手を頂いて2人はとても嬉しそうだった。その頃記者席は大騒ぎだった。

更に美穂と優太君がそれに追い打ちをかけることとなる。

次に登場したのはコンクール第1位どうしの美穂と優太君のコンビだ。

ステージ中央で一礼すると大きな拍手が沸き起こる。

美穂は何時ものルーティンでピアノにそっと手を置く。それを見届ける様にヴァイオリンを構える優太君。

優太君のアイコンタクトで美穂の演奏が始まる。

激しいピアノの音が会場内にこだまする。お客様方がビクッ!とするような反応が見られた。

直ぐに優太君のヴァイオリンが自分を主張するように会場内に鳴り響く。「二人の十八番となった『カルメン幻想曲』だ。二人の演奏に、完全に圧倒されるお客様方。

「絶妙なあの二人だけにしか出来ない間の取り方ね。」そう絶賛してくださる響子さん。二人の演奏に聴き入る妹2人にそっと囁く響子さん。

「あなた達ももう少しであの領域に行けるわよ。」

2人はそう言われて微笑み合って喜んでいた。

響子さんはマネージャーさんに「音響さんにお願いしてこの子たちの3曲をCDに焼いてもらって頂戴。」とお願いした。

次は響子さんと遥香さんのコンビの登場だ。2人は手を繋いで登場。「わあーっ!」と会場が湧く。

ステージ中央でお辞儀をすると遥香さんがピアノへ向かう。会場も遥香さんに目を向ける。プロの響子さんがアマチュアの子に伴奏を依頼するとはとても思えなかったからだ。そして紹介された曲名は「ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64」だ。会場から驚きの声が上がる。優太君も自分の十八番とあって目が真剣だった。

そして美穂は落ち着かなかった。何故なら、遥香さんのピアノ伴奏を編曲したのは美穂だからだ。

響子さんと遥香さんの演奏が始まる。さすがプロのヴァイオリニストだ。まるで優太君と歌穂へのプレゼントとも思える演奏だ。そして遥香さんの伴奏が自分の伴奏をしてくれる美穂の伴奏と少し異なることに気付く優太君。プロの響子さんに負けない位にピアノを叩く遥香さんに感心する声が上がる。「あの子、まだ高3だって。」「音大ピアノコンクール第1位って凄いのだな!」そんな囁きが聞こえてくる会場内。

30分少しある演奏時間があっという間に過ぎてしまった。響子さんの熱演にピアノの前で立ち上がって拍手を送る遥香さん。そんな遥香さんに歩み寄り片手でハグをする響子さん。そして司会者のお姉さんのマイクを借りて話し出した。

沢山の拍手を頂戴出来ましたこと嬉しく思います。今日、ピアノで伴奏にお付き合いいただいたのは音大ピアノコンクール第1位の内のお一人、遥香さんです。素晴らしい伴奏を披露してくださいました。どうもありがとう。そしてもう一人の第1位、美穂ちゃん!こっちにいらっしゃい。」そう言って美穂を呼ぶ響子さん。美穂が急ぎ足で登場するとハグをしてくださった。

「美穂ちゃん、ありがとう!皆さん、今日のピアノの伴奏の編曲をしてくれたのはこちらの美穂ちゃんです!とても心地よい伴奏をありがとう。最初、遥香さんが持参した手書きの楽譜に目を奪われました。遥香さんに聞いたところ私たちのために編曲をしてくれたとのことでした。遥香さんにピアノで弾いて貰って聴きながら自分のヴァイオリンを頭の中で弾いてみたらまあ素敵なこと!そんな訳で本日の披露となりました。皆さん、この2人に盛大な拍手をお願いします!」こうしてゲストコーナーは盛況の内に幕となった。

プロのコンサートでデビューを果たした里穂と歌穂。そして小学生とは思えない演奏を披露した美穂と優太君、プロの響子さんの伴奏を見事に務めた遥香さんとそれを支えた美穂の編曲。5人全員が大きな大輪の花を咲かせた記念すべきクリスマスイブとなった。

その後、コンサートは響子さんのクリスマスメドレーで幕を閉じた。

スタッフの皆さんたちに拍手で送られ楽屋へ戻る5人。付き添っていた若菜さんが一番興奮していた。

何時も聞かされていたデパート屋上の営業とはあまりにも違い過ぎる今日の出演に感激している様だ。まだ興奮冷めやらぬ声で「皆さんお疲れ様でした。」と言って栄養ドリンクを手渡してくれた。「ありがとう!」そう言って美味しそうに飲み干す5人。

「お花どうしましょうか?」スタッフの皆さんが外から声をかけてくださった。鉢植えの欄が6体、花束に出来るものが4体だ。だが、綺麗な飾りつけのまま運ぶこととなりワゴン車の3列目を倒して積み込むことにした。伊藤さんの案内でスタッフさんたちがワゴン車まで運んでくださった。

ただ、これで6人しか乗れなくなってしまった。そこで若菜さんと香澄さんは電車で戻ることとなった。

着替えを済ませ全員で響子さんの楽屋へご挨拶に伺った。響子さんはすごく喜んでくださりしばらく音楽談議に花が咲いた。「失礼します!」楽屋の外からスタッフさんが声を掛けてこられた。プロデューサーさんとディレクターさん、音楽ディレクターさんが楽屋へご挨拶にいらしたのだ。さっそくお3方も加わり話がさらに盛り上がった。お3方は手放しで5人の演奏を褒めてくださり、それぞれの名刺を渡してくださった。プロの皆さんに褒めていただき5人はとても嬉しかった。特に歌穂は「たくさんの人に聴いて貰えた。」と大喜びだった。「あの観衆に驚かないのかあ!」と感心するお3方だった。

するとスタッフの方が一通の大きな封筒を持ってこられた。その中身は5人が演奏した3曲が録音されたCDが入っていた。初めて見るCDに興味津々の5人。そんな5人に音楽ディレクターさんが丁寧に説明してくださった。決して手でべたべた触らないことを何度も注意喚起された。そして音を出すにはCDプレーヤーが必要だとも教えてくださった。

「そうだ、これから打ち上げパーティーやるのだけど皆さんもいらしてくださいな。」響子さんはそう言ってにっこり笑った。「みんなどうする?」若菜さんの問いに皆賛成だった。会場の場所を教えていただき若菜さんと香澄さんはタクシーでワゴン車の後を追う。会場となるお店が入っている地下駐車場へ車を停める。マネージャーさん2人の乗ったタクシーも駐車場のエントランスへとついてきた。「ヴァイオリンの番があります。」という伊藤さんにお留守番をお願いして駐車場から最上階のレストランへ向かう。先に会場に着いていたお3方がエレベーターホールにいる7人を見つけて会場内へ案内してくださった。小さなお客様に盛り上がるパーティー会場。エレガントな生ピアノの演奏が流れる中、7人にオレンジジュースが運ばれてきた。

「お料理は会場中央にございます。」ボーイさんはそう言ってお辞儀をして帰って行った。

取り敢えずオレンジジュースを頂く7人。この様な華やかな場に慣れているのはあの遥香さんとマネージャーの2人だった。7人で纏まってお料理を取りに行く。途中何度もいろんな方の声を掛けられ若菜さんが名刺交換をしていた。

「わあっ!美味しそう!」里穂が目を輝かせる。歌穂は既にお寿司を取り皿に並べている。「ねえ、遥香お姉ちゃん、このぶつぶつはなあに?」そんな歌穂を見た周囲の皆さんから「まあ!かわいいお嬢さんだこと!」という声が上がった。

「それはね、キャビアっていうの。まだ歌穂ちゃんにはお口に合わないと思うよ。」そう説明してくれる遥香さんだった。皆思い思いのものを選んで席に戻る。

そんな5人を見てお3方は思った。「何てお行儀のよい子たちなのだろう。こんなパーティー会場でも堂々としている。よほどきちんと躾が出来ているのだなあ。」

突然拍手が巻き起こった。響子さんの登場だ。品の良いプリント柄のワンピース姿の響子さんはそれぞれのテーブルを回って挨拶を交わしていった。

そして7人のテーブルにもいらしてくださった。

「みなさん!今日はありがとうございました。お陰様で楽しい演奏会になりました。本当にありがとう!」そう言って労ってくださった。そしてお3方と何やら相談をされている様だ。あまり聴かない様にと思っていた7人だがどうしても耳に入ってしまう。

どうやら今日のクリスマスコンサートをビデオ化して販売する様だ。「アマチュアの5人が出演したゲストコーナーが問題になるだろうな。」若菜さんはそう思った。

「そう言えばもうお一方いらっしゃったわね。もう帰られたのかしら?」何と響子さんは伊藤さんのことを覚えていてくださったのだ。

「いえ、伊藤は今車で待機しております。」そう答える若菜さん。『なるほど!帰ったとなると失礼に当たるんだ!』美穂と優太君にはそう理解できた。

「まあ!お仕事熱心だこと。」そう言ってボーイさんを呼んだ。「まだ仕事中の方がお一人いらっしゃるから見繕ってお弁当を拵えて持ってきてくださいな。」

「ええーっ!」7人全員が驚いた。『この気配り!一流のヴァイオリニストってさすがだわあ!』

この後、パーティー会場の皆様からのリクエストもあり1人ずつピアノを弾くこととなった。

「歌穂ちゃん、ピアノは?」響子さんに尋ねられると歌穂は「少しだけでしたら。」と答えた。

早速ピアノの元へ向かう歌穂。傍には里穂が付き添っている。「実は歌穂ちゃんはピアノを始めてまだ4か月なんです。」そう言う遥香さんの言葉に驚く響子さんとお3方。「やだ、私、無茶なこと言っちゃったかしら・・・。」心配して歌穂の方を見遣る響子さん。お3方も同様だった。

「響子さん、大丈夫ですよ。歌穂はママ仕込みでそこそこ弾けますから。ご心配なさらないでください。」そんな美穂の言葉にさらに驚く響子さん。

直ぐに歌穂の演奏が始まった。何と歌穂が弾き始めたのは「カノン」だ。何も知らない方々は「さすがに上手い!たいしたものだ!」とベタ褒めだ。

「4か月でもう『カノン』が弾けるの?弾いているのは本当に歌穂ちゃんだよね?」

ヴァイオリンだけでなくピアノも弾き熟す歌穂に再び驚かされた響子さんとお3方だった。

4人のピアノ演奏は人を呼び込む力がある。ピアノの周りには人垣が出来ていた。これには2人のマネージャーさんがびっくりだった。

そんなテーブルに2人の若い男性が訪れていた。少し身構える2人のマネージャー。しかし話しかけた相手は優太君だった。先ほどのコンサートを客席で聴いていたとのことで優太君と歌穂の演奏を褒めてくださった。そう言って名刺をそれぞれ渡してくださった。

名刺にはプロのヴァイオリニスト集団と書いてある。どうやら気があればご連絡をということの様だ。そしてお互い気が合うようでヴァイオリン談議に花が咲いた。しばらく話していると連れと思われる若い女性2人に男性2人は優太君に手を振りながら強引に連れていかれてしまった。

「いろんな方がいらっしゃって楽しいですね。」優太君はそう言って笑っていた。「優太君、困ったらウチの名前を出しても良いからね。」若菜さんと香澄さんにそう言われて何だか嬉しい優太君だった。

「若菜先輩。もう20時ですよ。もう引き揚げなければ。」時計を見てそう言う香澄さん。

3人で遥香さんら4人を迎えに行く。7人で響子さんにお礼のご挨拶をして皆さんのお見送りの言葉を頂きながらパーティー会場を後にした。

「後は帰るだけですからお2人はそのままお帰りください。」遥香さんに言われてお言葉に甘えますという2人に手を振って家へ帰る。賑やかな繁華街を抜けてクリスマスイブの夜を走る車内では全員が眠りに就いていた。


翌25日、学校は冬休みだが美穂は午前と午後の結婚式場の仕事で大忙しだ。事務所でマネージャーさんたちに若菜さんと一緒にお花のお礼を言って仕事に入った。

一方、家では里穂がお出かけの準備をしていた。

今日は健君と遊園地デートを楽しむのだ。そしてその後は健君の所属するサッカークラブでのクリスマス会にお呼ばれしていた。一応香澄さんが少し離れて付いて行く。仲良く切符を買って電車に乗り込む。そこそこ有名人ながら普通の小学生なので里穂だと気付く人は殆どいない。乗換駅でも駅員さんに「気を付けてね。」と声を掛けて頂き2人で「はい!」と元気よく返事をしていた。駅員さんはにこにこと2人を見送ってくださった。

遊園地はクリスマス一色だ。入場チケットを、お小遣いを出し合って購入。園内に入る。そこで2人を見送ると香澄さんは近くの喫茶店でパソコンを使って仕事をこなしながらものんびりと過ごす。里穂とは携帯で連絡が付くのでそれほど心配はしていなかった。

2人は仲良く手を繋いでアトラクションを楽しんでいく。残念ながらジェットコースターなどは身長制限などがあるため楽しむことは出来ないが、可愛いメリーゴーランドなどもたくさんあり2人に笑顔が途切れることは無かった。大勢のカップルや家族連れで賑わう遊園地だが里穂に気付く人は殆どいなかった。

お昼時になると園内のレストランやカフェは長蛇の列だった。ところどころに点在する屋台にも大勢の人達が並んでいた。

「困ったなあ。」健君が里穂を気使いながら呟く。

「ちょっと待って。」里穂は携帯を取り出し香澄さんに連絡する。香澄さんに“一時退場”という方法があると教えてもらい喫茶店で合流することにした。

手にスタンプを押してもらい遊園地の外へ。手を繋いで香澄さんがいる喫茶店を見つけて中へ。手を振る香澄さんを見つけてテーブルの向かい側に座った。

「ありがとうございます。助かりました。」そう言ってお礼を言う健君に「だいじょうぶ。気にしないで好きなものを選んでちょうだいね。」とメニューを渡す香澄さん。2人で仲良くメニューを見る姿が微笑ましい。注文を取りに来たアルバイトのお姉さんが里穂を見て「!」気が付いた様だ。しかし何も見なかったような表情を作り注文を聞いて戻って行った。

料理を待っている間はサッカーの話で盛り上がる2人。香澄さんが驚いたのは里穂のサッカーに関する知識だった。レッスンとかで忙しいはずなのに何時勉強したのだろうか?と不思議に思えるほどだった。

料理が運ばれてきた。健君はハンバーグセット、里穂はレディースランチ、お子様ランチのお姉さんバージョンといった感じ、をそれぞれ楽しむ。2人とも3年生にしてはナイフとフォークの使い方が上手で綺麗だ。そこで、さり気なく健君に聞いてみる香澄さん。

「健君は幼稚園までニューヨークにいたんだよ。」そう答えてくれたのは里穂だった。どうやらニューヨーク生まれのニューヨーク育ちのようだ。お父さんは外資系の会社に勤務されているそうだ。初めての日本の小学校になかなか馴染めなかったと話してくれた。

「じゃあ、また転勤で海外へ行く可能性もあるのかしら?」香澄さんはそう言って「あっ!いけない!」と思った。しかし健君から思わぬ答えが返ってきた。

「そうですね、僕は残ります。里穂ちゃんと離れたくないから!」そう言って里穂を見つめる健君。

「えっ!やだあーっ!」顔を染めて俯く里穂がとてもかわいく思える香澄さんだった。

「15時にはここへ戻って来てね。」香澄さんに手を振って遊園地に戻っていく2人。

お皿を下げに来たアルバイトのお姉さんが香澄さんに話しかけてきた。「今の子って里穂ちゃんですよね。直ぐに気づきました。普通にかわいい子なんですね。」そう言って笑顔で戻って行った。

約束の15時に2人は戻って来た。里穂は何やら大きなキャラクターのぬいぐるみを両手で抱えている。

どうやらバッティングのゲームで5球全てを打ち返ししかも全てがホームランゾーンに入るという快挙だったそうだ。それを興奮気味に話してくれる健君。すごく嬉しそうだ。しかしそれを持ったまま電車に乗ると目立ってしまう。香澄さんは2人と共に会社に戻って社有車を借りることにした。電話を掛けて車の依頼をする香澄さん。丁度2人が頼んだクリームソーダが届いたところだった。

喫茶店を出る時に先ほどの店員さんに声を掛けられる里穂。「里穂ちゃん、応援しているからね!」

そう言われてにっこりと頷く里穂だった。

タクシーに乗って会社へ向かう。車内では昨日の響子さんのコンサートの話になった。「大勢の人の前であがらないの?」健君の素朴な質問に「初めてだったけど皆さんにお聴かせしなきゃあ!と思うとそれどころじゃあなかったわ。」という屈託のない里穂の返事が帰ってきた。「健君だってプロになったら何万人のお客さんの中でプレーするんだよ。」そう言う里穂に「うん。燃えるよね。応援って本当に力を貰える。練習試合でもそう。」と笑って答える健君。

そんな会話に感心しながら、やがてタクシーは立派なビルの前で止まった。そのビルの入り口に多くの報道陣が詰めかけているのを見た香澄さんはタクシーを地下駐車場に着けてもらえるようお願した。

香澄さんは持っていた駐車サービス券を運転手さんに渡すとお礼を言って2人を連れて専用エレベーターへ向かう。社員証をかざし入り口のドアを開ける、そして再びエレベーターのボタン上部に社員証をかざすとエレベーターのボタンが押せる仕組みだ。

これに驚く2人。エレベーターを降りるとそこは総務部だった。受付でお花のお礼を言う里穂に「何て律儀なお嬢さんだ!」という声が上がる。香澄さんが車の鍵を受け取り、部屋を出る際も2人で「失礼します!」と声を揃える。そのかわいさに思わず拍手が起こるほどだった。エレベーターに向かう途中「里穂ちゃんおはよう!」と何人もの方とすれ違いその都度声を掛けられる。改めて里穂が有名人だと知る健君だった。

「おや?その男の子は?」そう言って声を掛けてきたのはスカウト部の男性だった。事情を説明する香澄さんに彼が、「興味があるようだったら真っ先に知らせてよ。じゃあ。」と言って去って行った。

「まあ!さっそくスカウトされてるわあ!」そう言って健君を見て笑う里穂。「えっ?今のそうなの?」そう言って驚く健君に「くくっ!」と笑う香澄さんだった。

健君のお母さんを迎えに行くためにマンションへ向かう。健君と里穂が一緒に迎えに行った。

しばらくして3人が裏口から出てきた。

「まあ、すみません。本当によろしいんですか?」そう言って遠慮がちに車に乗り込む健君のお母さん。

「いえいえ、ご遠慮なさらずにどうぞ。」そう言って自分の名刺を渡す香澄さん。その名刺を見て驚くお母さん。

「まあ!あの有名な芸能プロの・・・・。」

サッカークラブまでは何時も自転車で通っているという健君。足腰を鍛える意味でもあると言って笑う健君。その流れから運動会のリレーの話になった。

「里穂ちゃんすごく足が早いわよね。」お母さんが切り出した。お姉さんも早いしね。去年もそうだった。

お母さまも速くてびっくりしたもの。」そう感心するお母さん。「でも、組は違ったけどトップでバトンを渡してたわよね。」里穂が言うと「あの時は遥香お姉さんのピアノに助けられたんだよ。というか、走らされたって感じだった。」そう当時を振り返る健君。

「そうね、お2人ともとても素敵な演奏だったわ。PTAのテント席で来賓の方のお世話をしながらだったけど皆さん褒めていらしたわ。さすがコンクール1位の子たちだって。」そう里穂に話してくれるお母さん。「急だったので焦ったと言っていました。」そう補足する里穂。そうこうしているうちにサッカークラブのクラブハウスに到着した。香澄さんもお邪魔して一緒に会場となっている大会議室へ。中に入ると大勢の男の子たちと保護者の皆さんが集まって雑談をしていた。里穂と香澄さんは部屋の窓側に設けてある椅子に腰を下ろし様子を窺っていた。どうやら小学生から高校生までの男の子が所属している様で、またマネージャーらしき女の子たちは中学生か高校生の様に見受けられた。やがてクラブ長さんと監督さんたち、コーチの皆さんが入って来られた。

「おうーすっ!」体育会系特有の挨拶で皆さんを迎える少年たち。里穂と香澄さんは初めての体育会系の経験に戸惑っていた。

そして直ぐにクリスマスパーティーが始まった。

マネージャーの中高生の女の子たちの2人が里穂と香澄さんを料理のテーブルに誘いに来てくれた。

「お2人ともどうぞ・・・。えっ?」一人の女の子が固まる。もう一人の子もその女の子の表情を見て2人の顔を見つめる。

「や、やだあっ!“天使の3姉妹”の里穂ちゃんがいるうーっ!」その声を聞いて他のマネージャーの女の子たちが一斉に駆け寄ってくる。男性たちは何が何だか分かっていない様だ。遠くから皆こちらの様子を見ている。

「里穂ちゃんですよ、ね?」女の子の一人が恐る恐る里穂に尋ねる。

「は、はい。そうです。おじゃましています。」そう言ってぺこりとお辞儀をする里穂。

「きゃあっ!かわいい!」飛び跳ねて喜ぶマネージャーさんたち。コーチの一人が様子を見に来てマネージャーの一人に説明を受けている。どうやら体育系の男性はクラッシク音楽系の話題には疎い様だ。

説明を聞き、納得をしてくださったコーチさんがご挨拶をして2人をクラブ長さんたちの元へ案内してくださった。それに続くマネージャーの皆さん。何事かとその様子に釘付けの少年たち。その中の数人がやっと気付いた。「里穂ちゃんだあ!」数人の男の子がまたそれに続く。騒ぎを心配して健君親子もやって来た。

監督やコーチの半数近くは外国の方でクラブ長さんたちの日本語の説明だけでは十分に理解出来ていない様だ。あいにく今日は通訳さんたちがまだいらしていない様だった。

すると健君が英語で事態を説明しだした。それに加わるお母さん。外国人の皆さんはどうにか事態を理解してもらえたようだ。

その後、賑やかにパーティーは進んでいった。

里穂を始め、健君、コーチの皆さんが輪の中心となった。そして意外なことに香澄さんの周りには男子高校生の皆さんが集まっていた。それを横目で見た里穂はなるほどと思った。確かに芸能プロのマネージャーということもあるのかもしれないが、香澄さんは美人顔だ。普段はあまり気が付かなかったがよくよく思えば若菜さんも美人顔だと思った。男子高校生に慕われるのも納得が出来た。そんな輪に外国人コーチたちが加わった。すると香澄さんは英語で話し始めた。高校生の男子たちはびっくり顔だ。それを見た外国人監督たちが次々と輪に加わる。英語の途中からフランス語に変えて会話をしている香澄さんにびっくりの里穂。まだまだ里穂の驚きは続いた。外国人監督やコーチの出身国に合わせてドイツ語、イタリア語、スペイン語で話をしているではないか。何と!香澄さんは5か国語が話せるのだ。これには皆さんびっくりだった。そんな中、外国人の皆さんは大喜びだ。唖然とする高校生の輪の中で大いに盛り上がっていた。

一生懸命にビールを勧める外国人の皆さんに「今日、私は車で来ています。ごめんなさい。」と言いながらビール瓶を奪い取るように持ち、お酌をする香澄さんに大喜びで「カスミサン!オクユカシイデス!」と言う外国人の皆さんに高校生の男の子たちは大うけだった。

クリスマス会が始まってから30分ほどでカラオケ大会となった。皆が競って歌を披露する中、マネージャーさんの数人が里穂の元へ歌唱申込票なるものを持って来てくれた。「里穂ちゃん、何か歌って。」そう言いながら曲のタイトルが書かれた目録の様なものと一緒に置いて行ってくれた。

「里穂ちゃん、お歌は大丈夫?」まだ里穂の歌を聞いたことのない香澄さんは少し考え込んでいる里穂を見て心配そうだった。それもそのはず、里穂の歌を聴いたことがあるのは健君親子だけだったのだ。

里穂が書き入れるのを見たマネージャーさんの1人がそれを取りに来てくれた。そしてその曲名を見て驚く。

それでも見なかった素振りで司会のコーチさんに渡してくれた。コーチさんも一瞬「えっ?」といった表情を見せた。数人の歌唱の後、いよいよ里穂の番がやって来た。

大きな拍手が巻き起こる。健君親子も拍手を送ってくれていた。

カラオケからイントロが流れる。全員が耳を疑った。

小学3年生が歌う曲とは思っていなかったからだ。

「えっ?『帰ってこいよ』じゃあないんだ!」健君はそう思った。

里穂のパンチの効いた演歌が会場に流れる。「好きになった人」だ。余りの上手さ、迫力に唖然とする会場内。香澄さんは思い出した。副社長にマネージャーを依頼された時に「皆、楽器だけじゃあない。歌も上手いスーパーな子たちだ。」と言われていたのだった。

里穂の歌を聴きながらつくづく実感する香澄さんだった。会場の皆さん方は里穂の歌声で完全に里穂の虜になってしまった様だ。香澄さんも同じだった。

何故、会社の皆がこの子たちを応援するのかが分かったような気がした。「この子たちマルチすぎるわ!」

盛大な拍手の中、歌い終えた里穂の元にマネージャーさんたちが集まって来た。「里穂ちゃん、お願い!もう1曲歌って!」口々にそう言われた里穂は「帰ってこいよ」を書き込んだ。

直ぐにイントロの三味線が流れる。そして再び里穂のパンチの効いた歌声が流れる。外国人の皆さんから「エンカ!ブラボー!」という声が上がる。

まるで演歌歌手のコンサートの様相となっていた。

父兄の皆さんも唖然として見守るばかりだ。

歌い終わると皆が里穂の周りに集まって来た。

「里穂ちゃんすごいよ!すご過ぎだよ!」口々にそう言って握手責めだ。それでも里穂は嬉しそうに皆さんに応じていた。

「はーい!小学生の皆さん!19時になりましたので君たちはお開きでーす!」そう大声で叫ぶコーチの皆さん方。小学生の皆が退席していく。最後に里穂と香澄さんが並んでお辞儀をすると再び大きな拍手と歓声が巻き起こった。「今日はありがとう!」「また来てね!」「良いお年をねえ!」と口々に大きな声を出してくれ、マネージャーさんたちは両手を振って別れを惜しんでくれた。

「そう言えば、あの2人、誰と来ていたんだろう?」サッカークラブに謎が残ってしまった。


年の瀬も迫るある日、町内で餅つき大会が行われた。

子供たちにとっては生まれて初めてのお餅つきだ。

年末は31日の大晦日まで2人のママは年末コンサートで大忙しだ。大掃除の合間に里穂と歌穂は興味津々で出かけて行った。ご近所のお母さんたちがもち米をせいろで蒸かす。それを臼に移すとお父さんたちが杵を振り上げてついて行くのだ。「はいよっ!はいよっ!」そのテンポの良いリズムが絶対音感を持つ2人にはとても心地が良かった。

子供たちにつき立てのお餅が配られる。黄な粉、大根おろし、磯辺、あんこ、納豆といった種類のお餅を振舞ってくださる。もちろんご近所の皆さんたちは2人のことは知っておられるのだが特に騒ぎ立てることはなさらなかった。普通に他の子供たちと同等に接してくださった。大掃除の途中ながら美穂と優太君もやってきて一緒に餅つきを楽しんだ。4人は代わる代わる杵を持たせてもらいお餅をついた。里穂と歌穂は終始ご機嫌でお餅も各種類を頂いたほどだ。

十分楽しんで、皆さん方にお礼を言って家に戻るとガレージに遥香さんの車が停まっていた。

「ちょっとおっ!皆して何処に行っていたのよう!」

そう言いながら大掃除の手を止める遥香さんにお土産のお餅をテーブルに並べてみせる。

「わあーっ!お餅じゃないの!」遥香さんは嬉しそうに5種類のお餅を眺めていた。

「どうぞ召し上がれ。」里穂に言われて「えっ?いいの?」そう言って4人を見た。「僕たちもう頂いてきたので、それは全部遥香お姉さんへのお土産ですよ。」そう優太君に言われるや否や早速お餅に食らいつく遥香さん。「つきたては美味しいわあ!」そう言いながら食べ進めていく。美穂がお茶を入れてくれている間、里穂と歌穂は頬杖をついてひたすら食べまくる遥香さんをじっと眺めていた。

「やだ!2人とも何見ているの?」美穂の言葉に初めて自分が見られていたことに気付く遥香さん。

「遥香お姉ちゃんって子供みたいだね。」そう言う里穂に合わせて「だから、だーい好き!」と歌穂が続けて言うと「ちょっとおーっ。」とふくれっ面を見せる遥香さんに皆大笑いだ。

お茶を頂きながら午後からの大掃除の戦略を練る。

「今日中には優太君の家もやってしまいたいよね。

そして明日は遥香さんのお宅も。」そう言って意気込む4人に少し呆れ気味の遥香さんだった。

予定通り、夕方には2軒の大掃除は無事に終わった。

張り切り過ぎてややバテ気味の5人。「晩ご飯、どうしようか?」遥香さんが皆に聞く。

遥香さんと美穂はハンバーガーショップのドライブスルーにいた。皆から注文を取って代表として2人が買いに来たのだ。5人分のセットは大きな袋3つにもなる。それを受け取って代金を支払うと「遥香さん、美穂ちゃん、良いお年を。」と店員さんに声を掛けて頂いた。「ありがとうございます。良いお年を!」と笑顔でご挨拶をして家へ戻って来ると待ちきれない里穂と歌穂が玄関で待っていた。2人で大きな袋を抱えて食卓へ向かう。「わあーっ!まだ温かいよ!」そう言いながら大はしゃぎだ。子供たちだけでの食事だが賑やかで楽しいひと時だ。お喋りに花が咲く時間でもあった。


翌日は遥香さん宅の大掃除だ。迎えに来てくれた遥香さんはワゴン車に乗り換えて4人を自宅まで連れて行ってくれた。立派な洋館といった佇まいは初めて訪れる優太君、里穂、歌穂の3人を感動させた。

こんな広く立派なお家にずっと一人で居たなんて!3人はそう思った。

手に掃除道具を持って玄関までの石段を登って行く。

洋風のお洒落な玄関は重厚な扉で守られている感じだ。玄関の中に入るとすぐ左手には螺旋状になった階段が2階へと続いている。階段のすぐ右側は応接室だ。

リビングはわが家同様かなり広く立派なサイドボードと応接セット、そして何より目を弾くのは真っ白なグランドピアノだ。真っ先に駆け寄る里穂と歌穂。

「うわあーっ!素敵!」2人で白いグランドピアノをじっくりと眺めながら1周する。

「弾いても良いわよ。」遥香さんに言われて大喜びの2人。直ぐにジャンケンで順番を決める。そんな2人を眺めながら遥香さんは紅茶を入れてくれた。

一旦食卓で紅茶を頂く4人。「ごめんね。プリンスオブウエルズじゃあなくて。」そう言いながらクッキーを持ってきてくれる遥香さん。「いえ、僕はオレンジペコも大好きです。美味しいです。」優太君の言葉に驚く遥香さん。どうやら優太君は一度味わったものの味覚を覚えることが出来る様だ。皆でそれに感心しながらそれぞれの父親の話となった。

私は年末年始をニューヨークで過ごす予定だが、優太君のパパは大晦日からお正月の2日迄はダム工事もお休みとのことで帰省してくるとのことだ。

遥香さんのご両親は明日からお正月の3日まではつかの間のお休みということだ。「だから、お正月はうちに遊びに来て!」そう言って嬉しそうな様子の遥香さんだった。お正月の1日だけのお休みとなる2人のママはコンサートで多忙を極めていた。だから遥香さんのお誘いがとても嬉しかった。

お茶の時間が終わるといよいよ大掃除に取り掛かる。

「里穂と歌穂、交代でピアノを弾いて頂戴。あと、ピアノに触れる時は必ず手洗いをすること。お家と一緒だけど、お掃除で手も汚れているからね。」美穂にそう言われて洗面所に向かう歌穂。

「歌穂ちゃん、レパートリーは増えてきたわよね。」遥香さんは掃除道具を整えながら美穂に言った。

「歌穂は一度弾いた曲は忘れないみたい。」美穂がそう言うと「美穂ちゃんと一緒だね。」と言って笑う遥香さん。気が付くと優太君と里穂は応接間の掃除に取り掛かっていた。

歌穂の弾く「渚のアデリーヌ」を皮切りに、ピアノのメロディーに乗って大掃除は順調に進んでいくのだった。

小曲集を弾き続ける歌穂に改めて感心する遥香さん。

「すごいわね。まるで“小曲集の玉手箱”ね。」1度聴いたら忘れないだけでなく弾いてしまえるその才能に感心する遥香さんだった。そして応接間の掃除をしている優太君と里穂は歌穂の演奏がママそっくり!だと感心していた。歌穂は聴いた曲だけでなく演奏者の特徴迄も覚え、再現することが出来る様だ。

歌穂の弾くピアノの調べはご近所にも広がって行った。何時もの遥香さんの旋律とは違うことにピアノがあるお宅では話題となっていた。

そしてお昼も近い頃、遥香さんはお昼ご飯を食べに行こうと皆に声を掛けた。

「私、ドーナツが良い!」そう言う歌穂に「ドーナツはおやつにしようね。」とにっこり笑う遥香さんに満面の笑みで喜ぶ歌穂だった。初めてわが家に来て、初めて口にしたおやつがドーナツだった。歌穂はその味が忘れられないのだろう。

優太君の見事な誘導でワゴン車をガレージから出すと遥香さん行き付けだという洋食屋さんへ。珍しいお客さんを連れて来店した遥香さんに気さくに話しかけるお店の皆さん。さっそく個室に通される。ここなら人の目を気にすることもない。さっそく思い思いのものを注文して雑談に入る。その話題というのは、来年初頭に設立される「セブンミュージック」と言う会社についてだ。「社長は信子お姉さん、副社長は優太ママらしいんだけど、何をする会社?」遥香さんにもそれだけの情報しか伝わっていない様だ。

「皆は何時もと変わらない。」ってママが言っていたけど・・・。」と美穂もあまり詳しくは聞かされていない様だ。

そんな話をしていると料理が運ばれてきた。

なぜか皆ハンバーグステーキを頼んだのだった。

「だって、お店のポスターに“当店人気ナンバーワン!”って書いてあったから。当然頼みたくなるわよね。」そう言う美穂に嬉しそうな店員さん。

「いただきまーす!」皆で声を合わせてハンバーグステーキを頂く。食べている間は皆無言だ。それだけ美味しかったのだろう。里穂と歌穂は顔を見合わせて微笑み合って食べ続けていた。

美味しいランチの後は同じ商店街のドーナツ専門店へ向かう。商店街ではすれ違う人たちに気付かれるものの呼び止めたり、付きまとう人はいなかった。

ドーナツ店で好きなドーナツを2個ずつ選んで大きな箱に入れてもらう。店の若い店員さんたちには「がんばってくださいね。」と声を掛けて頂いた。

遥香さん宅へ戻ると一気に2階と台所、ふろ場の掃除にかかる。小学生ながらてきぱきとしている4人は次々に部屋を綺麗にしていく。お風呂場とトイレは優太君がピカピカに磨き上げる。たまに掃除をするというもののこれだけ広いと遥香さんだけでは行き届かないと優太君は思った。

15時になるとおやつタイムだ。買ってきたドーナッツの箱をテーブルの真ん中に置き、美穂が小皿に取り分ける。「いただきまあーす!」と言って自分が選んだドーナツを頂く。「美味しいね。」皆そう言いながらドーナツの味を楽しむ。チョコ、抹茶、クリームやアンドーナツと色んな味を楽しむ。半分っこし合って食べたりと大人数ならではの至福の時間だった。

おやつの後は美穂が台所、その他の4人は窓拭きだ。

2階は遥香さんと優太君、1階は里穂と歌穂が担当する。やり方を知らない歌穂に里穂がお手本を見せてくれる。洗剤を噴霧させてワイパーで拭けばそれでOKだ。呑み込みの早い歌穂はすぐに要領を覚え見る見る間に窓を噴き上げていく。窓拭きもあっという間に終わった。ただどうしても玄関ホールの吹き抜け上部にある飾り窓だけが出来なかった。それが心残りの優太君だった。

大方の掃除を終え再びリビングに集合したのはもう18時過ぎだった。もうすっかり日が暮れて冷え込んできていた。全ての窓の戸締りをしてワゴン車に乗り込む。ワゴン車が動き出すと里穂が言った。「晩ご飯どうするの?」「私まだお腹一杯だよ。」歌穂が答える。

「それじゃあインスタントラーメンにする?」美穂の一言でメニューが決まった。「ねえ、美穂お姉ちゃん。今日で市場がお休みになるって八百屋のお父さんが言っていたけど・・・。」と心配する歌穂。「歌穂ありがとう。そうだね、今日が最終の競りだったね。」という2人の会話に付いていけない遥香さんと里穂に説明する優太君。「そうか、そう言う話だったのね。」そう言って大笑いをする5人だった。

5人で途中の大型スーパーへ寄る。年末ということもありこの時間でも結構込んでいた。お正月はおせちをお願いしていると聞いてはいたが美穂と里穂は大好きな栗きんとんを作ることにした。そこで先ず瓶詰めの栗とサツマイモを購入。そして伊達巻を3本カートに入れる。

お雑煮用の小松菜を歌穂が選んでくれる。精肉コーナーで鶏もも肉を買って乾物コーナーで昆布と干しシイタケを選ぶ歌穂。後はお餅ね。さすがに年末だけあって様々なお餅が売っている。美穂は杵つきの丸餅を迷わず選び5袋をカートに入れた。「蒲鉾は?」歌穂に念押しされるように言われて慌てて売り場へ向かう。蒲鉾を紅白で買ってここでカートを追加。こちらにカレーの材料を入れていく。カートを押しながら優太君が言った。「美穂ちゃん、飲み物!」それに続く里穂。「美穂お姉ちゃん!お菓子も買って!」

サラダ用のキャベツとレタスも加わり2台のカートは上下段とも目一杯となった。

金額を気にする遥香さんを尻目にスレっとカードで会計を済ませる美穂。レジ袋では指が痛むのでみかんの空き箱を4箱頂きそれに買った物を詰めていく。それを2台のカートでワゴン車まで運ぶのだ。積み込みが終わると優太君がカートを返しに行ってくれた。

さすがに家に着くころには皆お腹が空いてきたようだ。荷物を玄関に持っていくとワゴン車を停めた遥香さんを待つ優太君。「優太君ありがとう。」そう言って微笑んでくれる遥香さんに『お姉さんぽくなったなあ!』と思う優太君だった。

手分けして1階の窓にシャッターを下ろす。これでわが家の要塞化が完了する。最後に郵便受けをチェックする優太君。すると宅配便の不在票が2枚入っていた。

台所の美穂にそれを見てもらうと1件は高原町の音楽スクールからのリンゴ、もう一件は2人のママの出張先から届けられたうどんだった。2軒とも同じ運送会社のもので優太君が連絡することになった。

皆でラーメンを頂いているとチャイムが鳴った。何時もの宅配便のお兄さんだ。りんご箱にうどんの箱を重ねて持って玄関の外に立っていた。驚く優太君を尻目に「よいしょ!」と玄関脇に置いて「まいど!来年もよろしく!」と言って帰って行った。

優太君は恐る恐る重なった箱を持ち上げようとしたが歯が立たなかった。


今日は31日、大晦日だ。久しぶりに家にいる信子と賑やかな朝食をいただく4人。お花を頂いた方々にお礼の電話をしたことを伝える美穂。それににっこり微笑む信子。そして新しい会社についての説明が行われた。信子の説明によると、5人全員が契約社員となること。出演料、報酬などは全て新会社に支払われること。ただし、心付け等は個人の収入とすること。

営業交渉は芸能プロに業務委託として一任すること。更に、今お世話になっている若菜さんと香澄さん、伊藤さんには引き続きお世話になること。などを細かく、小学生にも分かるように説明してくれた。

「つまり、私たちは何時も通りってことなのね。」と取りまとめる美穂。

「なるほど、大人の皆さんの環境が変わったということですね。」そう言って納得する優太君。

そしてお給料が貰えると喜ぶ里穂と歌穂。「無駄使いはダメよ。」と信子に優しく注意された。

「それから、大掃除ありがとう!」そう言って全員をハグして回る信子。優太君は恥ずかしそうにしていたがそれを3人娘に囃し立てられていた。

今日は信子と里穂がお買い物。もちろん年越し蕎麦と天ぷらを買うためだ。駅前のスーパーで優太ママと落ち合い、一緒に買い物をする。美穂の伝言で玉子を真っ先に仕入れる信子。パンと牛乳、そしてお蕎麦を見て回る。色々迷った末に生蕎麦を選びお総菜コーナーへ向かう。天ぷらを買うのだ。大きな海老天を一人2本として人数分の14本と大量に籠へ入れる。そして里穂のリクエストもあり太巻きとお稲荷さんも籠に入れて行った。

「そうか!今日は優太お兄ちゃんのパパが帰ってくるんだったね。」里穂は自分の事のように喜んでいた。

家に帰ると美穂と歌穂が栗きんとんを作っていた。

そして2階では私が残していったワープロを使って優太君が年賀状を作成してくれていた。

年賀状は新会社のものと個人のものをすでに印刷してあり、後は住所を記入するだけとなっていた。

新会社のものは信子が手書きでせっせと書いては投函していたが、個人の分はまだ宛名の印刷が手つかずだった。個人用のフロッピーディスクを1枚ずつ入れ替えながら宛名を印刷していく優太君。小学生が出す年賀状は殆どが同じクラスの子たちだがそれに加えて昨年出した方々も追加して印刷していった。お昼近くに宛名の印刷が終わると直ぐに優太ママが郵便局へ車を走らせてくれた。

「お昼どうしようか?」信子が4人に尋ねる。

「私、ドーナツが良い!」真っ先に歌穂が名乗りを上げた。「そうだね、ドーナツが良いわ!」里穂も賛成る。どうやら2人は遥香さんに教わったお店の味が忘れられない様だった。しかしご飯にならないと信子、美穂、優太君に却下されてしまった。

それじゃあどうしようかと全員で悩む。午後からはおせちとお刺身が届くので家を空けるわけにはいかない。それじゃあということでハンバーガーに決定した。

美穂が代表して注文を取っていく。そんな時、丁度優太ママが戻って来た。

「いやあーっ!郵便局が込んでいて車が停められなかったのよ。」そう言って冷たいお水を一気に飲み干す優太ママ。「それでなあに?」優太ママは、何か言いたそうな美穂を見つめて笑いながら言った。

優太ママのリクエストで全てが揃った。入れ替わりに信子と美穂がハンバーガーを買いに出かけて行った。

2人が戻るまで各自練習をすることにした。優太君と里穂はレッスン室へ、優太ママと歌穂はピアノルームでヴァイオリンの練習だ。優太ママは歌穂の技術力に磨きをかけるべく素早い指使いや弓の動かし方を細かく教えていく。歌穂の呑み込みは異常に速く2,3回の練習で全てクリアしていった。『歌穂ちゃんって来年の4月のコンクールはどうなるのかしら?ヴァイオリン?それともピアノ?ひょっとして両方かしら?』今から楽しみな優太ママだった。

信子と美穂が戻って来て賑やかな昼食となった。

思い思いのハンバーガーを口いっぱいにっほおばる娘たちは幸せそうな笑顔で一杯だった。

歌穂もすっかりわが家に馴染んでくれて明るく快活な娘になってくれていた。特に美穂との共通点も多く、並んで台所に立つことが多かった。

昼食も終わり、各自が練習を始めようとした頃、玄関のチャイムが鳴った。「あらーっ!お久しぶりです!」信子の声がリビングに響いた。そして内線でピアノルームにいる優太ママへ連絡して玄関のドアを開ける。

そこに立っていたのは優太君のパパだった。久しぶりの再会に喜ぶ優太ママと優太君。そんな親子3人の元へ3姉妹が集まってくる。初めての出会いとなる歌穂は少しはにかみながらもきちんとご挨拶が出来た。

可愛い3姉妹に少し戸惑いながらお土産として渡してくれたのは歌穂お気に入りの遥香さんに教えてもらった商店街のあのドーナツだった。

「どれが良いか分からなかったから全種類買ってきちゃったよ。」そう笑いながら大きな箱3つを応接テーブルの上にドーンと置く優太パパ。

「わあーっ!すごおーいっ!」真っ先に喜んで飛び跳ねる歌穂。それに里穂も続く。

「おいおい、そんなに喜んでもらっちゃあ嬉しくなっちゃうよ。」そう言って笑う優太パパ。日焼けした笑顔がダンディーなお父さんだ。そんな優太パパと優太君を見比べる美穂。顔だけでなく体格も似ていると思い何故だか安心する美穂だった。

ドーナツを食卓に移し6人でおやつタイムだ。全ての種類のドーナツが立って並んでいる。さっそく美穂が紅茶を入れ歌穂がティーカップと取り皿を並べていく。それに里穂がドーナツを取り分けていく。

「女の子がいると華やいで良いなあ。」そう言いながら3人娘の働きぶりに感心する優太パパ。

和気あいあいと言った感じでおやつタイムが始まる。

優太パパのダムの話にじっと聞き入る3人娘。余りにも自分たちの日常とかけ離れた話に強く惹かれている様だ。

「久しぶりに優太君のパパがいらしたから演奏会をしましょうよ。」信子の提案に皆賛成だった。

ピアノルームに移動して演奏の順番をジャンケンで決める4人。その結果、里穂、美穂、優太君、歌穂の順になった。そしてそれぞれがピアノで小曲を弾いていく。一人一人の技量に驚く優太パパ。「何で全員こんなに上手なんだい?」思わず優太ママと信子に尋ねる。

「ね、びっくりでしょ?この子たち上達が早すぎるくらい、ある意味天才揃いなのよ。」手放しで褒められて少しこそばゆい4人だった。

「そうなんです。天才たちが一生懸命努力をするから素晴らしい演奏が出来るんです。」信子にまでそう言われて益々照れまくる4人。

「もう4人ともプロだね。」そう言って褒めてくれる優太パパに「私もそれくらいの実力があると思うわ。」という優太ママ。それに静かに頷く信子。

「だって、この子たちヴァイオリニストの響子さんに認められてコンサートのゲストに呼ばれたくらいなんだよ。親としても誇りでしかないわ。」そう言いながら4人を見回す優太ママ。

クラッシクに疎い優太パパだったが、4人の演奏が尋常の上手さではないことは容易に理解出来た。そして「そうか!そうか!」と言って一人一人の目を順番に見つめて「うん!皆、良い目をしている!」と言って笑った。

再び4人はレッスンのためにそれぞれの部屋へ入って行った。

リビングに残った大人3人は新会社の話を始めた。

「社名は“セブンミュージック”で登記の予定です。

社長は私信子、副社長は奥様の美智子さん、ご主人には取締役になっていただきます。取締役は他に高原町の音楽教室の春子さん、そして私の父の3名です。監査役は私の夫が務めさせていただきます。

資本金につきましては500万円を予定しています。株券は一株5万円で発行します。従業員は5名です。基本給は15万円で出来高をプラスさせます。

そうして新会社の概ねの説明を終えた頃玄関のチャイムが鳴った。「きっとおせちよ。」そう言いながら優太ママがインターホンに出る。お互いに頷きながら2人のママが玄関に走る。そしておせちとお刺身を受け取り慌ただしく台所へ走って行った。2世帯分のおせちを冷蔵庫に収め再び戻って来るともう17時だ。

今日は子供たちが年末恒例の歌番組を見るのだ。時間通りに3つのレッスン室から子供たち4人が出てきてリビングに集まる。おもむろにテレビをつけて鑑賞となった。

子供たちがテレビを観ている間に新しく出来た地下のレッスン室へ優太パパを案内する2人のママ。2部屋は同じ作りで同じようなピアノが置いてある。2台とも今お世話になっている楽器メーカーさんのご厚意で頂いたと知らされ驚く優太パパ。試しにそれぞれのピアノを弾いて見せる信子。「エリーゼのために」を大人っぽく弾いて見せた。「両方とも同じ様に調律しているのよ。」そう説明する優太ママに大きく頷く優太パパ。そして改めてピアノルームへ向かう3人。

ピアノルームは先ほど入った優太パパだが、倍になった厳重なヴァイオリン収納ケースを見て驚く。特に厳重に収納されている3挺のヴァイオリンに目が釘付けとなった。「これは優太が使っているの。この小さいのは歌穂ちゃんが使っているのよ。そしてこれは歌穂ちゃんが大きくなって使うものなの。この3挺で4000万円位するのよ。」優太ママの説明に驚く優太パパ。「こ、これをあの子たちが弾いているのかい?」少し声を震わせながら2人のママに尋ねる優太パパ。そして頷く2人のママ。「そうか!こんな素晴らしい楽器を演奏出来る様になったのか!」そう感慨深げに呟く優太パパだった。

大人3人がリビングに戻ると子供たちは歌番組に夢中だ。しかも何やらメモを取っている。そして美穂に至っては白紙の五線譜に何やら音符を素早く書き込んでいる。子供たちのただならぬ光景に驚く優太パパ。

「新春の老人ホームでの新年会の披露演目の参考にしているみたい。」笑いながら説明する信子に「感心な子たちだ。」と言ってしばらく見守っていた。

歌手の皆さんの歌だけでなく、美穂が書き込んでいるのは演奏しているオーケストラの音だと優太ママに聞かされてさらに驚く優太パパ。「だからカラオケ要らずなの。しかもヴァイオリンとピアノの生音での歌唱、それはもう気持ちが良いわよ。」そう言って笑う優太ママだった。

一旦食卓に落ち着き一息入れる大人3人を尻目にテレビの鑑賞にふける4人の子供たち。

18時を回った時点で年越し蕎麦を作る2人のママ。

昆布で出汁を取り醤油、みりん、砂糖で味を調える。

大きな寸胴でお蕎麦を一気に茹でる。出汁を取る匂いに寄せられ美穂と歌穂がやって来た。4人で一気にお蕎麦を仕上げていく。見事なコンビネーションを見せつけられる優太パパ。特に決まったポジションがある訳でもないのだが要所要所を心得ているのだろう、見事な流れ作業だ。美穂は合間にオーブンで14尾の海老天を温め直している。器用に蒲鉾を切る歌穂。まるで“料理選手権”じゃないかと思えるほどの手際の良さだ。すると優太君と里穂が食卓にお箸を並べ始めた。

そして買ってきた巻き寿司とお稲荷さんをテーブル中央へドーンと並べる。それから大きなお皿にキッチンペーパーを敷き美穂へ渡す。それにこんがり焼き直した海老天を並べ重ねる美穂。それに続いて次々に出来上がる温かい“かけ蕎麦”たち。どうにか歌穂の大量の刻み葱も間に合い皆で「いただきまーす!」と言って手を合わせる。

「うーん、お蕎麦が美味しいね。」「スープのお出汁が柔らかい味だね。」皆美味しそうにお蕎麦をふうふうと言いながらすする。しかし、まだ幼い歌穂には少し難しいようだった。美穂と里穂に教わりながら一生懸命トライする姿がとても可愛らしい歌穂だった。

食事が終わると子供たちは再びテレビの前へ。しばらくは何も手に着かないようだ。

優太パパと優太ママは一旦家に帰り優太君を迎えに来ると言う。すると優太君が家で続きを見ると言うので3人で帰ることとなった。

「おやすみなさーい!良いお年を!」そうお互いに声を掛けて3人を玄関で見送る。しっかりおせちとお刺身を車に積み込み3人は帰って行った。

わが家では交代でお風呂に入るという3人娘。

結局は美穂がテレビをチェックし、里穂と歌穂が一緒に入ることとなった。美穂は歌番組終了まで頑張ると言う。信子はそんな美穂を優しく見守っていた。

こうしてわが家は何時もと変わらない大晦日を過ごし新年を迎えるのだった。


年が明けて新しい年度が始まった。元日ということもあり町は静けさに包まれていた。

皆、除夜の鐘を聞くと言って頑張って起きていたせいか朝起きてきたのは信子だけだった。信子は台所に立ち、お雑煮の準備を始めた。

しばらくすると美穂が寝ぼけ眼で降りてきた。

「明けましておめでとうございます。」とお互いに言って洗面所へ向かう。

信子はお雑煮用にお椀を並べたりで準部に忙しい。

美穂が洗面所から戻って来ると直ぐに信子の手伝いを始めてくれた。やはり2人になると作業も速い。

突然階段辺りが賑やかになった。一緒に寝ていた里穂と歌穂が起きてきたのだ。台所に顔を出し「おめでとうございます。」と元気よく新年の挨拶をする。

4人が揃ったところでお雑煮を作り始める。里穂と歌穂はおせちと自家製栗きんとんをテーブルに並べる。

小さなまな板で伊達巻と蒲鉾を切る歌穂。「里穂お姉ちゃん、伊達巻ってこれ位の厚さなら一口でいける?」と尋ねる歌穂に「何で一口で食べさせようとしているのよ!」といった他愛もないやり取りが台所の信子と美穂を大いに和ませてくれた。

4人だけのお正月だが女の子が3人いると何時も通り賑やかだ。おせち、伊達巻に手を伸ばしながら、お雑煮のお餅をぐーんと伸ばして頂く。皆、夢中になってお雑煮と格闘しているようだ。

丸いお餅は弾力もあり「のどに詰まらせないようにね。」と事あるごとに信子に言われていた。

おせちとお雑煮でお腹が一杯になるとしばしリビングで休憩となった。そこにお年玉袋を持った信子がやって来た。目ざとくお年玉袋を見つける美穂と里穂。

それに反してキョトンとしている歌穂。順番に信子に手渡されても歌穂だけ立ちすくんでいる。

「歌穂。これはね“お年玉”と言って新しい年を迎えられた子が貰うお小遣いなのよ。」そう信子に説明されて「うん。」と明るく笑う歌穂。さっそく3人で並んで座って中身の確認だ。「ねえ、いくら入ってる?」里穂が両脇の美穂と歌穂に尋ねるが「歌穂、言っちゃだめだよ。」と美穂に牽制された。それでも3人とも嬉しそうだ。特に歌穂は初めて貰ったお年玉に感激していた。「ママ、これ、貯金する!」そう言って台所の信子の元へ走って行った。「私もーっ!」と言いながら美穂と里穂も続いた。「あらまあ、3人とも感心だこと。銀行さんは4日からしか開かないからそれまで預かっておくわね。」信子は微笑みながら3人娘にそう言った。

3人娘はピアノルームへ入って行った。お正月とは言っても楽器とは離れられないのだろう。美穂のピアノに合わせて「お正月」を歌っているようだ。台所の内線モニターをONにすると中の様子が分かる。絞られたスピーカーから3人の歌声が聞こえてくる。それをBGM代わりに洗い物を済ませる信子。やがて曲は歌穂が弾く「春の海」に替わった。「歌穂は何でこの曲を知っているのだろう?」そう思って聴いていると曲の終わりに「お正月に商店街に流れているよ。」という歌穂の声が聞こえてきた。それを聞いて胸が熱くなる信子だった。

台所仕事を終えピアノルームへ顔を出す信子。直ぐに里穂に手を引かれ特等席のソファーに案内された。

ソファーに腰を下ろすと傍に居た歌穂の手をぐっと引き寄せた。「なあに?ママ。」歌穂はそう言ったが信子は黙って歌穂を抱きしめた。美穂と里穂、そして歌穂本人にも分からない信子の謎行動だった。

「あら、ごめんなさい。3人とも続けて頂戴な。」照れ笑いしながらそう言う信子だった。

3人の演奏を聴きながら信子は思った。「よくもまあ、こんなに上手に弾ける様になったものだ!」とつくづく思う信子だった。美穂はもうプロ級と言える。里穂はそんな美穂に近づきつつある。歌穂のヴァイオリンはもうプロ並みのレベルで、ピアノもレッスン歴5か月を迎え想像以上のスピードで上達しつつあった。

「ねえ、3人とも、初詣に行かない?」そう誘う信子。

「うん。行く行く!」3人とも大はしゃぎだ。

4人で信子の車に乗って近くの神社へ。さすがお正月ということもあり駐車場へ入る車が渋滞していた。

それでもそろそろ陽が落ちる時間帯でもあり徐々に渋滞も緩和していった。車の脇の歩道を大勢の参拝客の皆さんが歩いていく。3人娘は車の中からその光景を見ていた。行き交う人たちは誰も車中の美穂と里穂に気付くことなく通り過ぎていった。

陽が落ちて暗くなってきた頃、やっと駐車場に入ることが出来た。4人ではぐれないように手を繋いで参道を歩く。両側にはいろいろな屋台が並んでいる。あちこちから湯気が立ち上り美味しそうな匂いが参道に漂う。娘3人は屋台の品定めをしている様だ。「よそ見していると転ぶわよ。」時々歌穂の手を引く信子から注意喚起の言葉が飛び出す。そうしてやっと境内へたどり着いた。お参りに詳しい里穂を中心に横に並んで参拝をする。歌穂は鈴が鳴らしたかったのだが届かないため信子に抱かれて念願の鈴を鳴らすことが出来た。参拝の後はお神籤を引く。4人中、さすがに“凶”を弾いたものは居なかった。信子は“家内安全”のお札と車に付ける“交通安全”のお守り、自分を含め4人分の“学業”のお守りを頂き3人に渡した。3人は大事に持っていたバッグにしまっていた。

帰りは一筋縄ではいかなかった。3人も娘が居ると好みも千差万別だ。最初は里穂のチョコバナナ、次は歌穂のカルメ焼きチャレンジだ。自分の顔より大きなカルメ焼きを狙ったが中くらいのものに落ち着いた。

美穂は射的に挑戦だ。得意の集中力で次々に景品を落としていく。周りの子供たちの注目を浴びていた。里穂と歌穂もチャレンジする。「集中して!」という美穂のアドバイスが効いたのかこれまた見事に景品を落としていく。両手いっぱいの景品を渡された歌穂は満面の笑みだ。すかさず信子のバッグに入れる。「わあ!ありがとう!」わざとそう言って喜ぶ信子に「預けただけだよ!」といってママを睨む歌穂が可愛かった。「あっ!今のって!」射的を済ませて数歩歩いたところで数人の子供たちが気付いた様だ。だが人が多く追いかけてはこれなかった。ふと3人娘の足並みが止まった。香ばしいソースの匂い、たこ焼きだ。手際良く焼いていくお兄さんの手元に釘付けの3人娘。くるくるひっくり返されるたこ焼きたちを目で追っている。

するとたこ焼きを焼いていたお兄さんに電話がかかってきた。お兄さんは話しながら奥さんらしいお姉さんに後を任せて何処かへ行ってしまった。

お姉さんは一生懸命焼いていたがお兄さんほどの技量が無いためひっくり返す作業が追い付かず焦って涙目になっていた。それに気付いた美穂が急いで屋台の中へ入り込んだ。お姉さんは、最初は驚いていたが渡りに船とばかりに美穂にピックを渡してくれた。そして2人でたこ焼きを手際良くひっくり返していった。すると今度は里穂が駆けつけ販売用の容器を差し出すと2人は綺麗に焼き上がったたこ焼きをその中に並べて行った。「マヨネーズかけますかあっ?」里穂はお客さんにそう尋ねながらパックのたこ焼きを渡し代金を預かっていた。その様子を信子と歌穂はにこにこと眺めていた。「お嬢ちゃん達まで!感心だねえ!」そう言って皆さんが買って行ってくれる。しばらく2人で焼きまくっていると出店の周りの人だかりに気付いて慌てて駆け戻るお兄さん。お兄さんが戻って来たところで美穂と里穂はバトンタッチして出店の外へ出た。「2人ともありがとう!」お姉さんの明るいお礼の言葉が飛んできた。事態を理解したお兄さんから嬉しい言葉が贈られてきた。「お姉ちゃんたち!ありがとね!」そう言いながら手招きしてくれた。「4人いるんだね。はいこれ!」そう言ってたこ焼きを4パック、レジ袋に入れて美穂に渡してくれた。遠慮しようとした美穂だがお兄さんの「助かったよ!本当にありがとう!ほんのお礼だから皆で食べてよ!」そう言って笑ってくれた。そんなお兄さんのお言葉に甘えて4人でお礼を言ってたこ焼きを頂戴した。帰りも4人ではぐれないように手を繋ぎ参道を下って来た。車に乗るとたこ焼きのソースと青のりの匂いに包まれる。「早く食べたいね。」歌穂は無邪気にそう言って皆を笑わせた。


翌、お正月2日から信子と優太ママはお正月公演のため早朝に家を出た。その車の音で目を覚ました美穂だったがまたまどろみながら再び眠りについた。

8時にセットした目覚ましで起床。リビングの窓のシャッターを上げて冬の陽射を部屋の中に入れる。窓際に並ぶ花たちはまだまだ綺麗なままだ。毎朝恒例となっている一輪ごとの茎のチェックは美穂の楽しみでもある。鉢植えの欄は伊藤さんにお世話の仕方を教わっていたのでその通りにしていた。「来年も咲いてくれるかなあ?」という美穂の問いに「欄は花を咲かせるのに力を使うから来年はお休みすると思うよ。」と優しく教えてくださった。そんなことを想いながら教わった適量のお水をあげて綺麗な欄の花を眺めていた。

「おはようお姉ちゃん!」その声に少し驚くように振り返ると里穂と歌穂が少し眠気眼で立っていた。「おはよう!」と返すと「お顔、洗ってくるね。」と言って洗面所へ連れ立って行った。

美穂は台所に戻りお雑煮の準備にかかる。お鍋が暖まる間におせちを冷蔵庫から出し、栗きんとんのお鉢と並べてテーブルの真ん中へ並べた。そして伊達巻を切ってお皿に並べ、こちらもテーブルへ運んだ。洗面所から戻った2人に食べたいお餅の数を聞く。早く着替える様に言ってお餅を取り出して鍋で茹でる。

信子が作っていてくれたお出汁に気持ちだけの少量のお湯を足す。煮詰まって味が濃くなったのを緩和させるためだ。服を着替えて戻って来た里穂と歌穂はお箸と取り皿をテーブルに並べてくれる。「ありがとう。」とお礼を言いながら出来上がったお雑煮のお椀をそれぞれの前に並べた。最後に自分のお椀を置いて座る。

「いただきまーす!」何時もの元気な3人娘の声がリビングにまで響く。お雑煮とおせちを頂きながら里穂が気付く。「お姉ちゃん、昨日、年賀状取って来なかったわ。」そう言われて「あっ!そうだわ!皆、忘れていたね。」頷きながら答える美穂。「食事が終わったら見に行ってみようよ!」歌穂の声にうんうんと頷く2人の姉たち。「お餅をのどに詰まらせないようにね。」何時もの信子の様に妹2人に声を掛ける美穂。「うわあ!ママみたい!」と言って笑う里穂と歌穂。それに釣られて自分も笑ってしまう美穂。子供たちだけのお正月2日目だったが今年も明るい年になりそうな新春だった。

食事が終わると里穂と歌穂は玄関の新聞受けに年賀状を取りに行った。大量の年賀状を抱えて戻って来ると「2人で宛先ごとに分けて頂戴ね。」とお願いをする美穂。その間に洗い物を済ませる。その後は洗濯機を回す。一息ついてリビングのソファーに腰を下ろす。

各自宛に多数の年賀状を頂いている。一番少ない歌穂でも50通は優に超えていた。個人ごとにさらに分類していく。美穂は歌穂に教えながら一緒に分類をしていた。「お姉ちゃん!み、皆響子さんのクリスマスコンサートをニュースで見ましたって書いてあるよ!」分別を終えて年賀状を読み始めていた里穂が叫んだ。

急いで自分宛の年賀状を確かめてみる美穂と歌穂。確かに多くの年賀状にそのことが書いてある。「クリスマスコンサートのことはニュースで見て知りましたって書いてあるね。」そう驚きながら年賀状を読み進める美穂と里穂。美穂は歌穂に断って年賀状を見ていく。殆どが同じクラスや学年の子たちからだった。

「クラスの子たち全員に出しているから他のクラスの子から頂いた年賀状に返事を書こうね。」そう歌穂に言って自分の年賀状に再び目を通し始めた。

「ファンレターの返事はどうしよう?」里穂がそう言って2,3通の年賀状を美穂に見せてきた。

「何で住所を知っているのかしら?」訝しそうに美穂が答える。ファンの皆様からの年賀状は音大にも届いていると思うからそれと一緒に対応しましょう。」まるで信子のような口調で返事をくれた美穂に思わず笑ってしまう里穂と歌穂だった。「やっぱりママそっくり!」

里穂にはサッカークラブの皆さんからの年賀状が多く寄せられていた。また、歌穂には楽器メーカーの開発部のお兄さんたちから夫々賀状を頂いており、何故なのか美穂と里穂は首を傾げていた。

美穂が2人に声を掛け3人でそれぞれ返事を兼ねた年賀状をお返しすることになった。歌穂はまだ1年生のため美穂が文面を考えお手本を書いてあげた。里穂はサッカークラブの皆さんへの文面をはがきに書き込み続けていた。誰が誰だか顔も分からないからだ。そして最後の空白に小さな自分のサインを描いていった。それを見た歌穂が「私もサインが書きたい!」と言い出したので2人で考えてあげた。これはどう?こっちはいかが?と数案を歌穂に見せ選んでもらった。歌穂は喜んでサインの練習を始めた。その間にもせっせと年賀状を書いていく2人の姉。一通り書き終えたところで少し休憩することになった。エアコンの暖房が効いているせいか喉が渇く。3人はオレンジ味の炭酸飲料を取り出し、美穂がそのキャップを開けてそれぞれのグラスに注いだ。「美味しいね。」そう言いながら頂く炭酸の心地良いのど越しを楽しんでいたが歌穂はやはり苦手のようだった。

「やっぱり歌穂にはちょっと早すぎたかなあ。」そう言いながら美穂は乳酸飲料を歌穂のために作ってくれた。「ありがとう美穂お姉ちゃん。」少し申し訳なさそうにお礼を言って飲み始める歌穂を2人の姉はじっと見つめて笑っていた。「歌穂ってこうして見ているとやっぱり可愛いわね。」2人の姉はそう言ってまた笑い合った。

美穂の電話が鳴った。優太君からだ。

「あけましておめでとう。」と交代で電話に出る3人娘。優太君はパパに送られてこちらへ来ると言う。程なくして優太君と優太パパが来宅。新年のご挨拶を交わしリビングへ。そこで何と優太パパから3人娘へお年玉が!「丁寧にお礼を言いながら有り難く頂戴する3人娘に終始笑顔の優太パパだった。

「お昼ご飯はどうしましょうか?」美穂がエプロンを掛けながら2人に尋ねた。「いや、優太みたいにおせちにも飽きているのではと思ってね、一緒にハンバーガーでもと思ってご挨拶がてらに寄らせてもらったんだよ。」優太パパの言葉に素直に喜ぶ3人娘。お言葉に甘えて連れて行って貰うこととなった。

さっそくコートやジャンバーを羽織って優太君のパパの四輪駆動車の後部座席に乗り込む。

「あのう・・・申し訳ないんですが、ポストの前を通って頂けませんか?」美穂がそう言うと「あっ!年賀状だね。うちも出すから一緒に投函してあげるよ。」と嬉しい言葉が。途中のポストの前で優太君が投函してくれた。「ありがとうございます。助かりました。」と声を揃えてお礼を言う3人娘に「なあに、なあに。優太がお世話になっていることを考えればなんてことはないよ、あまり気にしないでよ。」と優しい返事をくださった。「それにしてもすごい枚数だったね。」優太君が感心した様で後ろを振り向きながら美穂に話しかけた。「そう、意外な方々からも頂いちゃって。ところで、優太君の年賀状にテレビのニュースで見ましたって書いてなかった?」美穂がそう話すと「そうそう。意外と多かった。いつ放送したんだろうね。」と優太君も認識していたようだ。

ハンバーガーショップのドライブスルーは大渋滞だった。駐車場は大型スーパーとの併設ということもあり比較的空いていた。が、車内から様子を見ると店内も大混雑であることが良く分かった。

「困ったなあ。」優太パパが呟く。「それじゃあ、うちでサンドウイッチを作りましょう。」美穂はそう言って「ちょっとスーパーへ買い出しに行ってきます。」と言って一人降りて行った。「あっ!僕も行くよ!」慌ててその後を追う優太君。美穂に追いついて二人仲良くスーパーへ入って行った。「もう!本当に仲良しなんだから!」と笑う里穂に「ほんと、ほんと。散々のろけられちゃったよ。」と言って一緒に笑う優太パパだった。「のろけってなあに?」一人不思議そうな歌穂だった。

程なく仲良しの二人が急ぎ足で戻って来た。

二人を乗せて四輪駆動車はわが家へ戻った。

うちへ帰ると美穂と里穂が台所でサンドウイッチ作りに取り掛かる。「お2人はゆっくりしていてくださいね。」と言って里穂も加わる。あっという間にやや遅めのお昼ご飯となった。大きなお皿にサンドウイッチが盛り付けられている。台所からパンが焼けたオーブンの「チン!」と音が。「わあ、クラブサンドまで?」優太君は大喜びだ。里穂が紅茶を入れてくれた。

「いただきまーす!」と何時もの元気な声が響く。

皆取り皿に思い思いのサンドウイッチを取ってほおばる。どの顔も笑顔だ。「今年も皆、明るく過ごせそうだね。」優太パパも上機嫌だった。

美味しくサンドウイッチを頂いたところで優太パパは仕事場へ戻ると言う。「ごちそうさま。今年も優太をよろしく。」と言いながら車に乗り込む優太パパを車が見えなくなるまで見送る4人。「優太君、寂しくなっちゃったね。」美穂が優太君に声を掛ける。「うん。でも僕には皆がいるから!」そう言って明るく笑う優太君だった。

家に入ると早速各自練習を始める。美穂と里穂はレッスンルームへ降りて行き、優太君と歌穂はピアノルームでヴァイオリンのレッスンだ。また何時も通りの生活が始まった。優太君は歌穂のために「ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64」を教えてくれていた。難解と思われるパートも数回の練習で克服していく歌穂の能力は完全に優太君を魅了する程だった。

一方の美穂と里穂は4月のピアノコンクールに向けての課題曲と自由曲の練習に励んでいた。久しぶりのピアノの感触が堪らない2人だった。美穂も里穂も課題曲は「カノン」とお互いに決めていた。恐らく歌穂もヴァイオリン、ピアノとも同じ「カノン」で臨むだろうと予想していた。そのため遥香さんの「カノン」を目標に練習に励んでいたのだ。

優太君との練習が終わると、歌穂はピアノの練習に入る。ピアノのレッスンは美穂が担当するので優太君と入れ替わる形だ。「うふっ!歌穂も課題曲は『カノン』なのね。」嬉しそうな美穂。3姉妹揃っての「カノン」なんて前代未聞かも知れないと思うとぞくぞくするからだ。譜面通りの演奏に徹するようにと的確に歌穂をサポートする美穂。サポートされる歌穂も美穂には絶大な信頼を置いていた。なぜなら信子と同じことをアドバイスしてくれるからだ。何だかんだと言っても信子の流派は3人にしっかりと受け継がれているのだった。そして歌穂はピアノに関しても上達が素晴らしかった。ヴァイオリン同様に数回練習しただけで直ぐにマスター出来た。「これなら3人揃って課題曲で満点が取れるかも知れないと美穂は思った。


お正月の3日目、学校は7日からだが、明日4日から美穂も結婚式場の仕事始めとなる。それに備えて今日は朝早くからレッスンルームで練習に励んでいた。

やがて私の書斎を寝城にしている優太君が起きてきた。リビングにも台所にも美穂の姿は無かった。そこで内線電話のモニターを確認すると美穂がピアノを弾いている様子が映し出された。「美穂ちゃん、気合入っているなあ。」と感心しながら洗面所へ向かう優太君。顔を洗ってリビングを覗くが美穂はまだレッスンルームにいるようだ。そこで優太君は自分も練習しようとピアノルームへ入って行った。優太君も4月のコンクールに向け始動を始めていたのだ。次の大会は事実上、歌穂との直接対決となると思っている。歌穂は美穂に似て天才肌だ。課題曲もだが自由曲に何を持ってくるのかがとても気になっていた。「チゴイネルワイゼン」をあっという間に弾き熟す技量に度肝を抜かされたからだ。単純に計算すると4月までに3曲をマスターする能力があるということだ。自ずと練習にも力が入る。

やがて里穂と歌穂がリビングに降りてきた。誰も居ないので2人でモニターをチェックする。「わあっ!もう練習している!」2人で顔を見合わせ急いで洗面所へ向かう。そして2人でレッスンルームへ入りセッションの練習を始める。「春の海」をヴァイオリンとピアノで演奏する。これが老人ホームの新年会のオープニング曲となるのだ。お互いの間を確認しながら演奏を進めていく。「歌穂、ヴァイオリンの音が何時もと違うんじゃなあい?」里穂が歌穂の持つヴァイオリンを見ながらそう尋ねた。「そう、この子は美穂お姉ちゃんが使っていたヴァイオリンなの。使ってあげないとこの子が可哀そうで、だから時々使っているの。」歌穂はそう言いながらクロスでヴァイオリンを一拭きした。「歌穂って本当にヴァイオリンを大事にするよね。優太お兄ちゃんも感心していたよ。」そう里穂に言われ少し照れてしまう可愛い歌穂。「だから今度のホームでの新年会にこの子を連れて行こうと思っているの。」そう言ってヴァイオリンを抱きしめる歌穂だった。

インターホンのランプが赤く光り、スピーカーから美穂の「朝ごはん出来たよーっ!」と呼ぶ声が聞こえた。

急いで階段を上り食卓へ向かう2人。「おはようございます。」と言いながら席に座ると丁度フレンチトーストが焼き上がり2人の取り皿に盛り付けられた。「ありがとう美穂お姉ちゃん。」美穂の着席を待ってから何時もの「いただきまーす!」の合唱だ。

茹で卵とキャベツとレタスと人参のコールスローサラダにホットミルクという朝ごはんだ。何時もながらの賑やかな食事風景が展開される。

朝食が済んだら美穂と里穂は食器などの後片付けに取り掛かる。優太君と歌穂はピアノルームでヴァイオリンの練習だ。優太君は歌穂が美穂の使っていたヴァイオリンを弾いていることに気付く。さすが歌穂、美穂が弾いていた時とは全く違う澄んだ音を鳴り響かせていた。向こうを向いてクスッと笑う優太くんをチラ見する歌穂だった。「優太お兄ちゃん!今何で笑ったの?」少しご立腹気味の歌穂に「いや、美穂ちゃんが弾いていた時と今の歌穂ちゃんの弾く音があまりにも違うので、同じヴァイオリンなのにね。いかに歌穂ちゃんが上手なのかが良く分かったんだよ。」そう言う優太君に「それ、美穂お姉ちゃんには絶対言わないでね。」と釘を刺す歌穂だった。「そうだね、ごめん、僕遠まわしで悪口言っちゃった。ごめんなさい。」と素直に謝る優太君。「ううん。私も聞かなかったことにするね。」と6歳とは思えない言葉を口にする歌穂だった。

「ところで、優太お兄ちゃん。ここのところの弓使いはどうすれば良いかなあ。」歌穂が優太君に質問する。

歌穂の質問は「ラ・カンパネラ」の一小節で高速演奏へ入る前に備える最善の弓の動かし方についてだった。「ここはね・・・。」と教えながら「ラ・カンパネラ」を弾こうとしている歌穂に感心する優太君だった。

お昼少し前に玄関のチャイムが鳴った。若菜さんと伊藤さんだ。「明けましておめでとうございます。」皆揃って玄関で新年のご挨拶をする。早速リビングへお通しすると「今年もよろしく。」とお年玉の入った福袋を一人ずつに渡してくれた。喜ぶ4人だが妙に分厚い。

優太君が中身を確かめる。何と10万円も入っているではないか!さすがに口に出せなくてだんまりを決め込んだ。3姉妹はそのまま台所にある手提げ金庫に入れて鍵を掛けた。優太君も慌てて一緒に保管してもらう。若菜さんがまだまだ元気なお花たちを見てにっこり微笑む。伊藤さんも欄の手入れはばっちりだと褒めてくれた。

さっそく、若菜さんから遥香さんを含めた5人に注意喚起の言葉が。響子さんのクリスマスコンサートの映像がニュースやワイドショーで流れ、流石に顔写真は出なかったものの“天使の3姉妹”“ヴァイオリンの貴公子”として紹介されたとのこと。そのため巷ではかなり有名人になっている様」だ。芸能プロでも出先等のガードを固めるとのことでうかつに外出しないようにとのことだった。特にフリーで出入り出来る老人ホーム、保育園での演奏会では複数の男性社員が警備に来てくださるとのことだ。結婚式場については地下駐車場からそのまま入れるので若菜さんと伊藤さんでガードしてくださると言う。「こう見えても空手2段なのよ。」と若菜さんが言うと「私は柔道3段です。」と言って笑う伊藤さん。

「実は、私は合気道2段、里穂は剣道初段なんですよ。」美穂はそう言って少し照れた。「そして、ママは合気道5段なの。」里穂が付け加えるように話した。

「まあ!そうなの!だから落ち着いているのかしらね。」若菜さんはそう言って感心していた。

「あっ!そろそろお昼にしなくっちゃあ!お2人とも何が食べたいですか?おせちも飽きたんじゃあないですか?」美穂に聞かれて「あら、ごめんなさい。何でも、あるもので大丈夫よ。」そう言う若菜さんに「遠慮しているとおせちが出てきちゃうよ。」里穂がそう言って笑う。皆もつられて笑い出す。

「それじゃあおうどんにしましょうね。歌穂お願いね。」そう言って歌穂を呼んで一緒に台所へ。

「あんなにお年玉を頂きありがとうございます。本当に頂いてよろしいんですか?」優太君が若菜さんにお礼を言いながら尋ねた。「うん、大丈夫だよ。うちの所属芸能人さんには全員に同じ金額をお渡ししているのよ。だから心配しなくても大丈夫よ。」そう言って微笑む若菜さん。「わかりました。有難く頂戴します。」優太君は嬉しそうに返事をした。その横で里穂はお手伝いで器を並べていた。

「今日は釜揚げうどんだそうです。」割り箸を並べながら里穂が報告してくれた。

台所から葱を刻むリズミカルな音が聞こえる。歌穂の見事な包丁裁きの軽快な音だ。「里穂ごめん!小さな桶を2つお願い!」“てぼ”でうどんのお湯切りをする美穂の声が飛ぶ。「美穂お姉ちゃん、お湯沸いたよ!」今度は歌穂の声が飛ぶ。

「すごーい!本物のうどん屋さんみたい。」立ち上がって台所の様子を窺う若菜さん。

里穂は麺つゆを並べていく。さらに刻んだ葱をテーブルの中央へ置く。「優太君!桶を運ぶの手伝ってあげて!」とうとう優太君まで駆り出された。里穂と2人で4人が食べる大きな桶を運んできた。その桶に歌穂が熱々のお湯を注ぐ。美穂がお2人の分の桶を次々にテーブルへ運ぶと後は皆で頂くだけだ。

「すごいなあ!本物のうどん屋さんみたいだ!」伊藤さんも驚き顔だ。

「いただきまーす!」全員で声を合わせて熱々の釜揚げうどんを頂く。「うーん!美味しい!」お2人は満足そうだ。4人もふうふうしながらおうどんを頂く。

「歌穂、熱いから気を付けてね。」美穂が歌穂を気使う。「うん。ありがとう美穂お姉ちゃん。」そう言ってにっこり笑う歌穂。そんな歌穂をじっと見つめる。

「本当にあの見事な演奏をした子なのかしら?」普通の6歳の歌穂の姿からは想像が出来なかった若菜さんだった。

早めの昼食が終わると美穂は出かける準備にかかる。今日は14時からの披露宴の演奏だ。早めに行って皆さんに新年のご挨拶をして回る。さっそく支配人さんにお年玉を頂く。「ありがとうございます。」とにっこり笑って受け取る美穂。「今年もよろしくね。」そう言って優しい言葉を掛けてくださった。

3人で控室へ入る。居合わせた他の演者の皆様と新年のご挨拶を交わす。さっそく響子さんのクリスマスコンサートの話が飛び出す。2人のお姉さんが実際に聴きに行かれたとのことで我が事の様に喜び、褒めてくれた。少し照れながら話に加わっているとあっという間に開宴15分前になった。「じゃあね。」とお互いに手を振ってそれぞれの宴会場へ向かうお姉さんたち。

「音楽関係の人は殆ど5人のことは知っている様ですね。」伊藤さんが若菜さんに言った。「そうね。分別のある方ばかりではないからねえ。」若菜さんはそう言って美穂に微笑んだ。

身だしなみを整えて宴会場へ向かう美穂に入り口まで付き添う若菜さん。美穂を入り口で見送ると中からクルーの皆さんの声が聞こえた。一言二言ずつ皆さんに声を掛けて頂いている様だ。

開宴時刻になった。最初は招待客の方々をお迎えする。

お正月ということもありピアノで「春の海」を演奏する美穂。それを感心して見つめるサブマネージャーさんだった。感心したのは招待客の皆さん方も同様だった。誰が弾いているのかが気になる様で立ち上がって背伸びをしてピアノの方を窺う方が数人見受けられた。司会の方から美穂の紹介がなされると拍手が巻き起こった。外で控える新郎新婦もその拍手の大きさに驚くばかりだった。こうして新年最初の披露宴は恙なくお開きとなった。招待客の皆さんは全員がピアノの前の美穂を経由して出口へ向かう程だった。皆さんたちに温かい言葉を頂き嬉しく、そして有難く思う美穂だった。美穂は信子の期待通りに育っていた。

家へ戻ると遥香さんと香澄さんが来宅していた。

「おめでとうございます。」3人で新年の挨拶を交わす。「お正月からお仕事お疲れさま。」と労ってくれる遥香さん。さっそく響子さんのクリスマスコンサートの話になった。「いただいた年賀状にまた伴奏をお願いしますって書いてあったの。もう嬉しくって!」そう言って両手放しで喜ぶ遥香さん。あれ?そう言えば私たち頂いてないわね。と言いながら美穂は信子と私宛の大量の年賀状を持ってきた。「ねえ、この中から響子さんの年賀状を探しましょう。」そう言って里穂と歌穂に年賀状の束を分けて渡した。「歌穂は分かるかしら?」美穂はそう歌穂に声を掛けた。「うん、探してみる。」そう言って幼い小さな手で年賀状を1枚1枚見ていった。優太君、若菜さん、香澄さんの3人は人様宛の年賀状ということもあってただ見守るばかりだった。

「あった!これだわ!お姉ちゃん、歌穂!見つけた!」里穂が大きな声で2人に報告した。そのはがきには“また3人のお嬢さんたちのお力をお貸しください。”と書かれていた。さて困ったのは優太君だ。家に帰って見つけなければならない。

「一緒に行きましょう。ご返事の賀状も出さなければいけないでしょ?」香澄さんは言うが早いか玄関へ向かった。「あ、ありがとうございます、香澄さん。」そう言って上着を着ながら後を追う優太君。美穂も玄関でお見送りをする。

2人を見送った後、3人の連名で年賀状を書き始めた。

「母がお正月公演で留守にしており私たちの返信が遅くなり申し訳ありません。新ためて新春のお慶び申し上げます。で良いんじゃないかしら。」若菜さんのアドバイスに従って美穂が年賀状をしたためていく。

「後は優太君が戻って来るのを待つだけだね。」そう言ってほっと一息を着く美穂に「お姉ちゃん、早くドレスを着替えておいでよ。」と言って笑う里穂。「あっ!すっかり忘れていた!」そう言って慌てて2階へ駆けあがる美穂だった。

やがて優太くんと香澄さんが戻って来た。優太ママ宛の年賀はがきを皆に見せながら「優太君との二重奏を楽しみにしていますって書いてあるんだ!」と大興奮の優太君。響子さんの大ファンだと分かっていても少しヤキモチを焼く美穂だった。その美穂の表情を見て顔を見合わせて微笑む若菜さんと香澄さんだった。そして「私たちが帰りにポストに入れますよ。」そう言う若菜さんに2通の年賀状を託した。そして会社へ戻るという3人を玄関先でお見送りする。車は角を曲がって帰って行った。

「良かったあ!遥香さんが教えてくれて!」美穂と優太君は思わず同じ言葉を遥香さんに言っていた。それを笑う里穂と歌穂。つられて笑う遥香さんだった。


新年最初の土曜日。

今日は老人ホームでの新年会に参加する。

ホーム長さんを始め職員皆さんに全員揃って新年のご挨拶をする。皆さん響子さんのクリスマスコンサートの件をご存知の様で是非聴かせてくださいとのリクエストを頂いた。恒例の掲示板に立ち寄り貼られているカードに返事を書いていく3人。それをじっと見ている歌穂。まだ歌穂の存在が知られていないとういうものの少し寂しさを感じる歌穂だった。

毎年恒例となった新年会、懐かしい出演者の皆さんたちとお会いするのは約1年ぶりだ。歌穂を紹介して回る。「まあ!可愛いお嬢さんだこと!」皆さんにそう言われてはにかむ歌穂の姿にまた「本当に可愛い子だわ!」と嬉しい追い風の言葉を頂く。

「あーっ!そうだ!ピアノのCMに出ていたわ!この子たち!」津軽三味線のお母さんのお一人がそう言って美穂と里穂に話しかけてきてくださった。楽器メーカーのCMの放送エリアが拡大されている為なのだと思われた。他の出演者もその言葉に気が付かれた様で4人の周りには大勢の輪が出来ていた。

「美穂ちゃん『春の海』って曲は弾ける?弾けたら三味線と尺八とで共演しましょうよ。」その提案に快く応じる美穂に拍手が起こった。

今日の付き添いは若菜さんと伊藤さんの2人だ。午後から結婚式場の仕事が入っている美穂は若菜さんと別の車で移動することになっていた。

会場は大盛況だ。皆さん4人が響子さんのクリスマスコンサートにゲスト出演したことをご存知でその話で持ちきりだった。

急遽予定を変更し、歌穂と里穂、美穂と優太君の順で演奏を披露することにした。

熱気に溢れる中、新年会が始まった。司会のお姉さんがプログラムを紹介していく。手品あり、落語ありのかなり本格的な演目だ。特に猿回しのお猿さんは歌穂と直ぐ仲良しになった。猿回しのお姉さんはびっくりで歌穂に抱っこされて目を閉じているお猿さんの姿に驚いていた。恐らく子供の頃から親と引き離されて芸を仕込まれてきたのだろう。そんな思いを巡らせながら静かにお猿さんと出番を待つ歌穂だった。

猿回しの出番が近づくとお姉さんがお猿さんを呼びに来た。最後に頭を優しく撫でてお猿さんをお姉さんに渡す歌穂。お猿さんはお姉さんに抱かれながら何度も歌穂の方を振り返った。それに小さく手を振って見送る歌穂。他の出演者の皆さんはそんな歌穂の優しさに感心していた。ステージから拍手が聞こえ、同時に観客の皆さんのどよめきも聞こえてきた。どうやら無事に猿回しは終了した様だ。控室へ戻って来たお姉さんとお猿さん。お姉さんの帰り支度が終わるまで歌穂はお猿さんを抱っこして毛づくろいをしてあげた。

うっとりとして気持ち良さそうなお猿さんと歌穂に周りの皆さんは感動すら覚えていた。そしてお互いに別れを惜しみつつお猿さんはお姉さんと一緒に帰って行った。お姉さんは若菜さんと名刺交換をしていたので家に帰ってそれをゆっくり見せて貰うことにした。そしていつか出かけて再会したいと強く思う歌穂だった。

そんな中、津軽三味線の皆さんの出番となった。美穂も立ち上がり一緒に同伴していく。それに付き添う若菜さん。「美穂ちゃん、大丈夫なの?」少し心配する若菜さんに「先週、結婚式で弾きましたから。歌穂が教えてくれたんですよ。」そう言いながら笑ってステージへ上がる美穂。「そうか、この子たちはお互いに教え合って成長しているんだわ。」美穂の背中を見送りながら若菜さんはそう思った。

演目の最初に「春の海」が演奏された。ピアノと津軽三味線、尺八のコラボは意外にもマッチし観客の皆さんを驚かせていた。特に最前列のお母さまと理事長さん、学校長さんのお3方はこのコラボに大変驚かれていた。すると今度は里穂が呼ばれた。「津軽じょんがら節」を一緒に歌って欲しいという三味線のお母さんたちからのリクエストだ。マイクを持ったお母さんのお一人から里穂の紹介があった。民謡の小学生チャンピオンであることも紹介され、会場内をざわつかせた。

拍手の中、里穂が登場する。「里穂!がんばって!」とのピアノの前に座る美穂の声援に小さく頷く。軽快な三味線の音が鳴り出した。里穂の見事な歌声が会場内に響く。津軽三味線に負けない位の迫力に圧倒される会場内。歌唱が終わり一礼すると会場だけでなく三味線のお母さんたちからも笑顔と大きな拍手を頂いた。

嬉しそうにステージ裏へ戻る里穂。それを迎える歌穂と優太君とハグし合って喜びを分かち合った。

最後の三味線の演奏が終わると拍手で皆さんを見送る美穂。お母さんからマイクをリレーして受け取る。

司会のお姉さんの紹介の後、拍手の中、美穂に呼ばれて3人が登場。4人での新年のご挨拶をする。会場からも「おめでとう!」の声が帰ってきた。そして退場する3人。

美穂の紹介で里穂と歌穂が改めて登場する。歌穂の手には美穂が使っていたヴァイオリンが。それに気付く美穂。嬉しかった。そんなに高額なものではないが一生懸命練習をしてきた思い入れのあるヴァイオリンだ。嬉しくて、嬉しくて。美穂の目に涙がにじむ。

「それではお聴きください。『チゴイネルワイゼン』です。」美穂の異変に気付いた歌穂のフォローだった。

「美穂お姉ちゃん泣かないで。」そっと美穂を気遣う歌穂。にっこりと微笑みながらステージを後にする美穂。歌穂がビシッ!とヴァイオリンを構える。そして里穂とアイコンタクトを交わす。お3方を始め会場内は驚きの声が渦巻いていたが、歌穂の構えが本物であることを知らされることになる。

里穂のピアノが鳴る。それに合わせて歌穂の演奏が始まる。滑らかで力強い6歳児とは思えない技量を見せる歌穂。その様子を凝視するお3方。「この子!ホンモノだわ!」お母さまが囁くように言った。両側のお2人もそれに頷いた。そんな中、会場を圧倒し続ける歌穂と里穂の演奏。「里穂ちゃんってピアノを始めてまだ1年にならないのよ!何故こんなに弾けているの!」2人のあまりにも見事な演奏に絶句するお母さまとお2人。会場は響子さんのクリスマスコンサートを見事に再現していた。一仕事を終えた三味線のお母さんたちも会場の隅で驚きの表情で2人の演奏に聴き入っていた。後半の高速での演奏を軽々とこなしていく歌穂のプロ並みの技法と里穂の華麗な鍵盤捌きに完全に会場内は飲み込まれていた。演奏のピークの内に息ぴったりのラストを迎える2人。

演奏を終え、深々とお辞儀をする2人に、我に帰ったかのように拍手が沸き起こる。お3方も震えが止まらない中、一生懸命拍手をくださった。

興奮気味の女性司会者から美穂と優太君の紹介がされる。ステージへ向かう2人と戻る2人がハイタッチをする。やり切った2人を優しく迎える若菜さん。

一方、美穂と優太君は2人並んでの曲目の紹介だ。

「それではお聴きください。「カルメン幻想曲」です。」

美穂のアナウンスに驚きの声が上がる。「優太君行くよ!」美穂の掛け声に頷く優太君。

美穂の叩きつけるような力強いピアノの演奏が始まる。少し間を置いて優太君のヴァイオリンが流れ始める。この曲も技量が試される曲だ。2人の調和の取れた演奏に酔いしれる会場内。「いったいこの子たちは何なんだ!」驚きの声を上げる理事長さん。まるでプロのコンサートだ。そして迎えるハイライトの高速演奏。目まぐるしい演奏にヴァイオリンとピアノの音に全くブレがない!息の合った名コンビの演奏はラストに向かって一層激しくなる。そして圧巻のフィナーレを迎えた。演奏が終わった瞬間から拍手喝采が起こる。ステージ中央で深々とお辞儀をしてはけていく2人にいつまでも拍手は鳴り止まなかった。そんな2人をハグで迎える里穂と歌穂。お互いに素晴らしい演奏をたたえ合った。

控室へ戻ると出演者の皆さんはまだ残っていらした。そして全員で4人を拍手で迎えてくださった。

思わぬ大歓迎に戸惑う4人。そんな4人を出演者の皆さんが取り囲んだ。

「すごいわ!」「小学生の演奏とは思えないよ!」などと称賛の嵐だ。4人はひたすら「ありがとうございます。」と言ってお礼を言うことしか出来なかった。

特に6歳の歌穂のヴァイオリンの演奏は「信じられない!」と皆さんが口々に言ってお互いに頷き合っていた。「さすが、プロのコンサートに呼ばれるだけのことはあるわよ!」三味線のお姉さんたちもそう言って褒めてくださった。

「ごめんなさい!次に行くところがあるもので!」若菜さんがそう言って美穂の手を引いて部屋から出て行った。「行ってらっしゃーい!」3人で2人を見送る。「皆さん、お話の途中で申し訳ありません。美穂ちゃんは次の仕事がありますのでお先に失礼させていただきました。」伊藤さんがそう言って皆さんに詫びた。「あらあーっ!美穂ちゃんは売れっ子なんだね。」三味線のお姉さん方は口々にそう言って感心していた。しばらく演奏や芸のことで話が盛り上がった。「皆さん芸達者だわ。里穂ちゃんのピアノもだけど民謡も素晴らしいわあ。さすがチャンピオンね!」そう言ってまた話が盛り上がった。

「失礼しますよ。」そう言って控室へ入って来られたのはお母さまと音大の理事長さん、同じく音大の学校長さんのお3方だ。さすがの貫禄に出演者さんたちは少し遠巻きで事の成り行きを見守っている。

「おめでとうございます。そしてご丁寧においでいただきありがとうございます。」先ず、伊藤さんがご挨拶をする。

「いえいえ、皆さん明けましておめでとうございます。本年も音大をよろしくお願いいたします。」学校長さんが代表して4人に新年のご挨拶をしてくださった。出演者の皆さん方は突然の音大のお偉いさんたちの登場に驚いていた。

「あれ?美穂ちゃんは?」お3方はすぐに美穂が居ないことに気付かれた様だ。

「申し訳ありません。美穂は次の仕事場へ行ってしまいました。」優太君がそう言って失礼をお詫びした。

「あらあーっ!美穂ちゃんは忙しいのね。」お母さまが少し心配そうに気遣ってくださった。

「はい。結婚式場の仕事で、始まりまであまり時間が無かったもので直ぐに出かけて行った次第です。」伊藤さんが経緯を説明した。

「ほうほう。その仕事は非常に評判が良いそうだね。うちのOGからの年賀状に書いてあったのを読みましたよ。」理事長さんがそう言ってにこにこと笑ってくださった。

「おや、兄さんの年賀状にも書かれておりましたか。実は私の年賀状にも数件そのように書かれていましたよ。いやあ、うちのOGのお姉さん方を唸らせて魅了してしまうなんてとんでもない小学生たちですな。」学校長さんもそう言って大笑いした。

「それはそうとして、里穂ちゃん、歌穂ちゃん。貴方たちはどうなっているの?里穂ちゃんはピアノを始めたのは去年の4月からでしょ?それであの演奏。普通じゃあ考えられないわ。」お母さまはそう言って里穂の両手を握り締めた。

「お褒め頂きありがとうございます。実は、私には先生が3人います。母と姉、そして遥香さんです。3人とも分からないことは何でも教えてくれます。だから今の私の演奏があると思っています。」そう答える里穂に優しく微笑んで頷くお母さま。「でも、教えてもらっても里穂ちゃんが弾けなければ何にもならないわ。実際、里穂ちゃんはしっかりと弾けているわよ。それは里穂ちゃんが努力しているからよ。」里穂の目をしっかり見つめながら褒めてくださるお母さま。そして、「歌穂ちゃん。あなたはいくつからヴァイオリンを始めたの?」今度は歌穂へ尋ねるお母さま。「はい、2歳からです。去年の9月からは優太ママと優太お兄さんに教えて頂いています。」歌穂は少し緊張気味に答えた。

「2歳から誰に習っていたの?」お母さまは優しく尋ねられた。「はい。一昨年の8月に亡くなった父に習っていました。」はっきりとそう答える歌穂。

「そうだったの。ごめんなさいね。悲しいことを思い出さてしまって。許して頂戴ね。」そう言って今度は歌穂の両手をしっかりと握り締めた。

「こんな小さな可愛い手があの演奏を生み出すのね。歌穂ちゃん、よおーく聞いて。今の歌穂ちゃんの演奏レベルは音大生と同じ、いいえ、それ以上かもしれないわね。もう基礎は完全に出来上がっているから出来るだけいろんな曲を練習して弾いてくださいね。お約束よ。」そう言ってまだ幼い歌穂を抱きしめてくださった。そして「最後になっちゃったけど優太君、あなた凄過ぎです。もうプロの領域に達しています。明日からプロですと名乗っても決して恥ずかしくありませんよ。本当に素晴らしい演奏でしたよ。優太君もだけど、美穂ちゃん、結婚式場での話はもう音大中に広まっているの。OGの皆さんが結婚式に出られて大絶賛されているのよ。4人とも本当に素晴らしい子たちばかり。信ちゃんとみっちゃんが羨ましいわ。」そう言って優太君にハグをしてくださった。

「お母さまありがとうございます。」3人でそう言うと里穂と歌穂もハグの輪に加わった。

「4月のコンクールが楽しみですよ。特に里穂ちゃんと歌穂ちゃん。正に、台風の目ってところですかな。」笑顔でそう言ってくださる理事長さん。

「あのう、実は、歌穂は・・・。」優太君が少し躊躇していた。

「あら、歌穂ちゃんは出ないの?」お母さまが少し驚いたように言われた。

「あっ、そうでなくて、歌穂はヴァイオリンだけでなくピアノでも出場する予定なんです。」そう説明する優太君。

「えっ?ピアノ?ピアノはいつから習っているんだい?」驚愕するお三方を代表するかのように学校長さんが優太君に尋ねた。

「はい。歌穂は昨年の9月から習い始めました。」そう答える優太君に「優太君、冗談を言っちゃあいかんよ。習い始めて4が月を迎えたばかりの6歳の子が、いくら何でもそんなに弾けるわけがないじゃあないか。」少し興奮気味の学校長さんをお母さまが諫められた。

「音次郎さん、あなたの意見はもっともです。でも、歌穂ちゃんなら十分可能性があるわ。本人の才能も有るけど、歌穂ちゃんには4人の先生方がいらっしゃるのよね?」

「はい。ママと遥香お姉さん、美穂お姉ちゃん、里穂お姉ちゃんの4人です。」歌穂はそう答えてにっこり微笑んだ。

「ヴァイオリンも弾いて、ピアノも弾くとは!」理事長さんはまだ信じられない様だ。

「2人とも、良―く考えてみて。歌穂ちゃんのヴァイオリンの技術はもう出来上がっているのよ。後は集中的にピアノの練習をすれば・・・どうかしら?」お母さまは歌穂の実力を見極めてくださっている様だった。

「あのう、弾いてみましょうか?」歌穂はお3方にそう提案した。優太君と里穂は何も反対しなかった。歌穂のピアノの実力を知っているからだ。

さっそく先ほどの会場へ出向く。共演者の皆さんも半信半疑でついてこられた。会場の後片付けをされている職員さんたちにお断りしてピアノをお借りする優太君。「歌穂ちゃん、引いても大丈夫だよ。」そう声を掛けると歌穂は「ありがとう優太お兄ちゃん。」と言って微笑んだ。全員で観客となって歌穂の演奏を聴きことにした。

「歌穂は何を弾くのかしら?」里穂はわくわくしていた。歌穂が猛烈な勢いで曲を次々と覚えていくからだ。

「それでは『トルコ行進曲』です。聴いてください。」

「な、何と言った?『トルコ行進曲』だって?」驚くお3方と出演者の皆さん。

流れるようなピアノの音。まぎれもなく歌穂が弾いている。「そ、そんな!信じられん!」理事長さんが絶句される。しかも歌穂の演奏はかなりの高速演奏だ。

「やはり思った通りだわ。歌穂ちゃんは美穂ちゃんと一緒。天才だわ!」お母さまが思わず叫ぶように言われる。「いったいどうなっているんだ?」学校長さんはまだ信じられないといった感じだ。

一心不乱に「トルコ行進曲」を弾く歌穂。いつの間にか職員さんたちも総出で聴いていてくださっていた。

そして曲が終わった。きちんとステージ中央で深々とお辞儀をする歌穂。居合わせた皆さんから温かい拍手が起こる。

「もう1曲聴かせてくださいな、歌穂ちゃん。」お母さまからリクエストだ。

「はい。ありがとうございます。それでは『英雄ポロネーズ』をお聴きください。」そう言って再びピアノの前に座る。直ぐにピアノが鳴り響く。丁寧な指運びで曲が進んでいく。リズミカルな演奏はとても4か月目の初心者の演奏とは思えなかった。

演奏が終わると再び深々とお辞儀をする歌穂。

皆さんから再びたくさんの拍手を頂く。歌穂は少しはにかみながらも嬉しそうだ。

「すばらしい!母さんの言う通りだ!この子は天才だ!」学校長さんも歌穂の才能を認めてくださった。

「天才が4人揃ったのか!」理事長さんはそう言って立ち上がった。今日はありがとう。久しぶりに素晴らしい演奏を聴かせていただきました。本当にありがとう!」そう言って大きな拍手を頂いた。お母さまも大満足の様だった。

その日の夜、コンサートから帰って来た優太ママから嬉しい話があった。信子がにこにこしているので悪い話ではない様だ。

優太ママが練習中だった4人を集めてこう切り出した。「うちの楽団のコンサートマスターに4人の演奏を是非聴かせてくださいと言われたの。それで明日の公演後に伺わせますと返事をしたの。4人で来てくれるかな?」そう言うと信子にこう言った。「うちの4人はもう音大でも有名人になっちゃったでしょ。そのことがコンマス(コンサートマスター)の郷野さんの耳に入ったみたい。それでこういう話になったのよ。」優太ママは紅茶を頂きながら信子に話した。信子も頷いて了承していた。明日は19時にはコンサートが終わると言う。それなら美穂の結婚式の仕事の後でも十分に間に合う。そして、そのタイミングで来て欲しいとのことだった。もちろん4人は大喜びだ。明日が楽しみだ。


翌日曜日は快晴だった。2人のママはコンサートの直前練習のため早くから出かけて行った。昨晩、老人ホームでの出来事の報告は4人から聞いていた。既に理事長と学校長のお2人に演奏を披露していることもコンマスの郷野さんにも伝わっているだろうと2人のママは思っていた。

お昼前に若菜さんと伊藤さんが来宅して来られた。

既に音大行きの件は信子から連絡が入ったとのことだった。皆でお昼を頂くことにした。何故か2人は釜揚げうどんが気に入ったようで何と天ぷらまで持参してくれていた。「ごめんなさいね、美穂ちゃん。わがまま言っちゃって。」そう言いながら天ぷらが入った大きな箱を食卓に置いてくれた。「いえ、かえって申し訳ありません。いただきます。」そう言って箱を開き中を確認した。するとてんぷらの良い匂いが美穂の鼻を刺激する。「わあっ!ほんのりと胡麻油の香りがする!」美穂の声と天ぷらの匂いに釣られて3人が寄って来た。「ほんと!良い匂い!」そう言って箱の中を覗き込む里穂。「わあ、海老天と、これはなあに?」そう若菜さんに尋ねる里穂。「うふふ、それはとり天よ。」そう説明してくれる若菜さん。こちら関東ではあまりお馴染みではない“とり天”が食べれると小躍りする4人。さっそくうどん屋さん劇場の始まりだった。何時もの流れ作業であっという間に6人分の釜揚げうどんが出来上がった。しかも麺つゆと天つゆが別々に作られている。これには2人はびっくりだった。

「いただきまあーす!」6人での食事もすっかり慣れてきた。同じ家族の様に話が弾む。『こうしていると普通の小学生なのにプロの様に楽器を弾くとはとても想像出来ないわ!』若菜さんはそう思った。

午後になると美穂、若菜さん、伊藤さんは結婚式場へ向かう。3人には17時に出発できるように準備をしておくようにと若菜さんからの要請があった。服装は普段着でも構わないとのことだ。3人でお見送りをして各自練習に入る。優太君と歌穂は高速演奏に磨きをかけるべく各練習室での猛練習だ。里穂は歌穂の伴奏曲「チゴイネルワイゼン」の練習に励む。

17時前にヴァイオリンと弓をケースにしまう優太君と歌穂。示し合わせた様に“お出かけ用の”ヴァイオリンと弓を選ぶ。それを見ていた里穂が「そうだね。音大ホールのピアノの音ってママのピアノみたいに綺麗な良い音だものね。それに負けないための“お出かけ用”のヴァイオリンなのね。」それに頷く2人。

「里穂ちゃんは音大ホールの演奏は初めてだよね。美穂ちゃんは何時もママのピアノを弾いているから緊張はしないって言っていたよ。だから里穂ちゃんも大丈夫だよ。」優太君はそう里穂にアドバイスをした。

にっこり笑って頷く里穂。大抵の曲は頭に入っているが、念のために各自自分の楽譜集を持っていくことにした。そうこうしていると美穂たちが戻って来た。

急いで美穂が着替えのために自分の部屋へ駆け上がっていく。そして改めて出発するのだった。

日曜日の夕方ということもあり、都心への上り車線は結構渋滞していた。車内ではお昼に頂いた天ぷらの話で持ちきりだった。海老天なら何本食べれるかなどのばかばかしいような話で大爆笑だった。

若菜さんの携帯が鳴った。遥香さんと一緒に動いている香澄さんからだった。「えっ!本当に!」若菜さんが大きな声をあげた。それに驚く5人。

「すごい!すごいの!遥香さん!響子さんのコンサートとかで数曲だけど伴奏を務めることになったんだって!」若菜さんの報告を受け拍手が車内に巻き起こる。

「聞こえる?皆、大喜びだよ。あと、こっちは今音大ホールに向かっているの。音大オーケストラのコンマスさんが4人の演奏を聴きたいっておっしゃって!今向かっているのよ!」今度は電話の向こうで遥香さんが拍手をする音が聞こえてきた。

美穂は遥香さんの携帯に電話を入れた。弾んだ遥香さんの声が返ってきた。しばらくお互いの近況を話している間にワゴン車は音大の業務用入り口から地下へ入って行った。ゲートで係員さんに許可証を見せて無事に業者専用入り口傍に停めることが出来た。

地下通路からホール控室の入り口へ。ノックして部屋に入ると信子と優太ママ、そしてコンマスの郷野さんと数人のスタッフさんが雑談をされていた。

「おはようございます!」6人で声を揃えてご挨拶をする。

郷野さんはとても気さくな方で話し上手だった。

2人のママもにこにこ顔で話に加わっていた。

「郷野さん、準備が出来ました!」後片付けがやっと終わったようで汗だくのスタッフさんたちに交じって作業をしてくださっていたADの若い男性から声がかかった。

「一人ずつ聴いてみたいなあ。先ずはヴァイオリンからかな。優太君と歌穂ちゃんだね。あれえ?信ちゃん歌穂ちゃんは6歳だよね。ヴァイオリン演奏歴4年って書かれているけど・・・。」郷野さんは信子に確認した。

「はい。歌穂は2歳からヴァイオリンを習って弾いています。」そう答える信子。驚いた表情を見せながらも経歴書に再び目を通す。「おやおや、ピアノ歴が4か月って書いてあるけど“年”が抜けているんじゃあないの?」再び信子に尋ねる郷野さん。

「いえ、歌穂がピアノを始めたのは昨年の9月からです。」再び信子が答える。「えっ!たった4か月弱じゃあそんなに上手には弾けないんじゃないのかい?」そう言う郷野さんに今度は優太ママが説明する。

「そうか。では一応聴いてみようかね。」

「それじゃあトップバッターは歌穂ちゃん、ステージでヴァイオリンを弾いてください。」ADのお兄さんが声を掛けてくれる。郷野さんと2人のママは客席へ移動する。

明るく照らされたステージに6歳の歌穂が登場する。

観客席には楽団の皆さん4,50人が座って聞き届けてくださるようだ。

「わあーっ!かわいい!」あちらこちらからそんな声が聞こえる。

「歌穂です。『ロマンス第2番へ長調』を弾きます。」

そう言ってヴァイオリンをビシッ!と構える。

「おおーっ!」という声が楽団員さんたちから上がる。

歌穂の演奏が始まる。6歳の女の子らしからぬ太いしっかりとした音色に静まり返るホール内。ただ歌穂の奏でるヴァイオリンの旋律だけが流れ続ける。

「うん、うん。」そう呟きながら歌穂の演奏に聴き入る郷野さん。小さな身体を動かしながら演奏する姿はプロのヴァイオリニストそのものに見えた。

演奏を終えると拍手が起こった。にっこり笑ってお辞儀をする歌穂を楽団員の皆さん方は温かく見つめてくださっていた。

2番手は優太君だ。一礼の後、自己紹介をして曲目「四季の冬」を弾きます。そう言って弾き始める優太君。

何時もとは違う優しい弾き方を見せる優太君。

「小学生で弾き方を変えられるなんて!」ヴァイオリン担当の皆さんから驚く声が聞こえる。「さすがコンクール第1位だわ!」そんな声を聞いて自分の事の様に照れる優太ママだった。綺麗な旋律が流れていく。

「まさか!優太くん、歌穂にお手本を見せているのかしら?」信子が優太ママに囁く様に言った。

演奏が終わると一礼して優太君は引き上げて行った。

「次はピアノだね。最初は歌穂ちゃんか。」あまり期待をしていないような郷野さんだ。それを見て顔を見合わせて微笑み合う2人のママ。

「歌穂です。『トルコ行進曲』を弾きます。」

これに驚く楽団員の皆さん方。「おいおい、ピアノを始めてまだ3か月少しだぞ、本当に弾けるのか?」そんな声が飛び交う。椅子の高さをあげて座ると直ぐに演奏に入る歌穂。小さな手を大きく広げ左右に素早く動かして弾いていく。見る角度によっては歌穂の姿が隠れ自動演奏かと錯覚するほどの演奏だ。

「し、信じられん。なぜ弾ける?確かに弾いている、なぜ弾けるんだ?」そう言いながら2人のママを見る郷野さん。「うふふ。あの子はそういう子なんです。」信子がそう説明するがまだ納得がいかないでいる郷野さん。「言ってみれば歌穂ちゃんは天才なんですよ郷野さん。」優太ママの言葉に納得せざるを得なかった。「た、確かに!天才としか言い様がない!」興奮気味に郷野さんが声を震わせる。

そんな郷野さんに追い打ちをかける様に里穂の演奏が始まる。くるみ割り人形より「花のワルツ」だ。里穂もピアノ歴が2年に満たない。「それでこの曲?」皆が驚く。「すごいのは美穂ちゃんや優太君だけではない!里穂ちゃんも歌穂ちゃんも同じくらいに凄い!いや、この子たち凄すぎる!」そう驚く郷野さんに美穂がとどめの1発を見舞う。得意の「仮面舞踏会」だ。華麗な指捌きによる妖艶な演奏を小学5年生が演奏していく。「噂通りだわ!」そんな声が飛び出す。

「よおし!決まりだ!ヴァイオリン、そしてピアノとオーケストラのセッションだ!4人となら出来る!」立ち上がってそう叫ぶ郷野さんだった。

最後の美穂の演奏が終わり、3人が再び登場して4人で深々とお辞儀をしてご挨拶だ。楽団の皆さんも立ち上がって拍手を送ってくださった。「アンコール!」という声が飛び交う。4人で顔を見合わせて笑顔を見せる。若菜さんがヴァイオリンケースを持って来てくれた。その中からお互いにヴァイオリンと弓を取り出す。それを見て里穂がピアノの前に座る。ヴァイオリンをビシッ!と構え里穂の方を振り返る歌穂。

里穂の力強いピアノが鳴る。「チゴイネルワイゼン」だ。歌穂の巧妙な演奏が始まると客席の楽団員の皆さんから驚きの声が上がる。弓捌きも豪快そのものだ。

「あの技量、もうプロの領域だね。」「ヴァイオリンとピアノ、経験が浅くてもこれだけ弾けたら言うことなしだわ!」そんな声の中、2人の演奏は後半の高速演奏に入って行く。ヴァイオリンとピアノの音が高速で折り合っていく様は言葉では表せないほどの見事さだった。全くずれることなくフィニッシュを迎える歌穂と里穂に楽団員の方々はスタンディングオベーションだ。2人並んで美穂と優太君と交代する。

改めて挨拶をする2人。拍手が起こる。美穂がピアノの前に座り何時もの様にピアノに触れる。そして優太君を見つめてアイコンタクトを交わす。

今度は美穂のピアノが高らかに鳴り響く。それに続いて優太君の力強いヴァイオリンの音が続く。先ほどの演奏とはまるで異なる力強さだ。こちらも見事なコンビネーションを披露していく。こちらの2人の演奏も究極に思えるほどだ。あれほど苦手としていた高速演奏を今では楽しむように演奏する優太君。ピアノを弾く美穂も時折笑顔を見せる。「この状態で、2人で笑っているぞ!」「このパート、苦しくて辛いはずだが。」

楽団員の皆様からそんな声が聞こえてくる。

最後もより早く激しい高速演奏で2人同時にフィナーレを迎えた。

ホールは拍手と大歓声に包まれていた。


今日から3学期。子供たち4人は元気に登校していった。

学校中が4人の響子さんのクリスマスコンサートの話題で持ちきりだった。しかし当の本人たちは何時もと変わらない表情で授業を受けているため皆は人違いなのではないかと思っていた。お昼休みでもその話題に触れる子はおらず、お正月は何処でどう過ごしたかなどの話題に終始していた。

何時もの様に健君と一緒に音楽室へ向かう里穂。お互いの話題は健君の帰省とサッカークラブのクリスマス会だった。階段を上がっていくと歌穂の弾くピアノの音が流れて来た。すると音楽室を覗き込んでいる男の子たちの姿が目に入った。背格好からすると歌穂と同じ1年生だと思われた。

「あら、あなた達何してるの?」里穂が声を掛けると男の子たちは「ごめんなさい!」と言って走って行った。「歌穂も話題の人の1人だものね。仕方ないのかな?」そう言いながら音楽室をそっと覗いてみた。

歌穂は一生懸命何かを読みながらピアノを弾いていた。また曲を弾き始めた。「あっ、校歌だよ、歌穂ちゃんが弾いているのは。」そう健君が気付いた。「うん、確かに。でも何故だろう?」里穂は何故歌穂が校歌を弾いているのかその理由が分からなかった。よーく聴いていると1小節ごとに弾いて何かに鉛筆を走らせている。一通り書き込みが終わると最初から演奏を始める。時々首を傾げながら演奏を止め何やら書き込んでいる。すると今度は数人の女子たちが階段を上ってきた。2人は窓の外を眺めているふりをしながらその様子を横目で見ていた。どうやら歌穂の同級生の5人のようだ。歌穂はその5人の女の子たちに先ほどから書き込んでいた紙を渡していた。「わあ、歌穂ちゃん、ありがとう。」お礼を言う女の子たちに校歌を弾いて見せる歌穂。

それは聴き慣れない演奏の校歌だった。5人の女の子たちはその1枚の紙を見ながら聴き入っている。

すると今度は音楽の先生がやって来た。さすがに知らないふりをするわけにはいかず2人は「明けましておめでとうございます。」と挨拶をした。

「あら、おめでとうございます。2人でどうしたの?あ、そうか、歌穂ちゃんを待っているのね。直ぐ済むから部屋の後ろの方で待っていなさいよ。」そう言って2人の背中を押して一緒に音楽室へ入って行った。

音楽の先生はピアノの傍に集まっている歌穂たちの元へ歩いて行き、その輪に加わった。そして歌穂が書き込んでいた紙を見てすごく感心していた。

「歌穂ちゃん、私にも聴かせて頂戴な。」そう言って歌穂の傍に立ち、演奏に耳を傾ける。やはり校歌だった。防音のため廊下では聴き取りにくかったが音楽室内で聴くとまぎれもなく校歌だった。聴き慣れない伴奏は歌穂のアレンジらしい。歌穂の演奏に皆リズムを取りながら聴いている。2人は歌穂が始めて編曲することを知ると同時に卒業式の後の謝恩会で1年生全員で披露するのだろうと思った。今度は、1人の女の子が歌穂と交代し校歌を演奏し始めた。さすがに歌穂のようには弾けないのだが1音1音確実に弾き進める。「ある意味、あれが本当の1年生の演奏なのよね。」里穂はそう言って懐かしそうにその子の演奏を聴いていた。

静かに音楽室のドアが開いた。そっと入って来たのは美穂と優太君だ。2人の隣に座って「何をしてるの?」と小声で里穂に尋ねる美穂。歌穂が校歌を編曲したみたいなの。」とやはり小声で答える里穂。今度は小声で優太君に伝える美穂。4人で事の成り行きを見守っている。何度も練習をする女の子。それを聴いて頷く美穂。「歌穂ったら良く勉強しているのね。」そう言って微笑んだ。

「えっ?美穂お姉ちゃんが教えたんじゃあないの?」里穂が驚く。「里穂、あの演奏覚えた?うちに帰ったらさっそく弾いてみようよ。」そう言って美穂は微笑んだ。「そうだね、僕も弾いてみるよ。」

一通り練習が終わったところで4人が拍手をする。

すると全員がこちらを振り返る。「あっ!お姉ちゃんたち!いつの間に!」歌穂が驚く。他の女子たちも驚いてこちらを見ていた。「きゃーっ!」美穂と里穂、そして優太君の存在に気付き大騒ぎの女の子たち。そして「ああーっ!健先輩も!」と叫ぶ。何と、健君もサッカー選手として人気がある様だ。それを知って少し不機嫌になる里穂。良く考えてみれば里穂は健君の試合を1度も見たことが無いのだ。それが悔しかった。

少しの間雑談をして5人は信子が待つ車に向かった。

信子は誰かと電話をしていた。電話が終わると気付いてドアを開けてくれた。ワゴン車に乗り込むと真っ先に歌穂に電話の内容を話してくれた。それによると子供向けヴァイオリンの試作品が出来たので歌穂に試し弾きをお願いしたく今日の夜にでも伺いたいとのことだった。「うん。わかった。」そう返事をする歌穂だったが健君を始め美穂と里穂、優太君には事の経緯がさっぱり分からなかった。

早めの夕食を済ませ楽器メーカーの開発部の方々を待つ。19時少し過ぎた頃に玄関のチャイムが鳴った。

3名の方々をリビングにお通しする。信子と歌穂に新年のご挨拶を交わしお土産に大きなクッキーのセットを頂戴した。「今、美穂、里穂と優太は練習中で失礼させていただきます。」と断りを入れる信子に「レッスン中に申し訳ありません。」と恐縮される開発部長さんと2人の若い社員さん。「ちょっとその前に・・・。」と言いながら内線で練習室にいる優太ママに声を掛ける信子。通話が終わるとお3方をピアノルームへとご案内する。まるでスタジオの様なピアノルームの広さと置いてあるグランドピアノに驚かれるお3方。「すごく立派なピアノですね。」お3方はまじまじとグランドピアノを眺めておられた。

「まあ、お座りください。」信子に勧められてソファーに腰を下ろすお3方。「立派なピアノですね。拝見したところかなりの年代物ですね。」開発部長さんはそう言って少し緊張した面持ちだった。

「それでは、さっそくこちらを。」と言ってヴァイオリンケースから試作品を取り出し、信子と歌穂に見せてくれた。なかなか高級感溢れるもののモダンな試作品だ。丁度優太ママも登場し一緒に拝見していた。

「歌穂ちゃん、持ってみてください。」開発部長さんにヴァイオリンを差し出され「はい。ありがとうございます。」とやはり両手で受け取る。まじまじとヴァイオリンをいろんな角度から眺める歌穂の行動に「うちの重役さんたちと同じだ!」と驚く若い2人の社員さん。『6歳ながらヴァイオリンを見る目は確かだ。』と頷かれる開発部長さん。

「歌穂ちゃん、持った感じはどう?重く感じる?」そう聞く優太ママに「この間のよりはずっと軽いわ。」と答える歌穂。「さっそく弾かせて頂いたら?」信子の言葉に頷いてヴァイオリンを膝の上に置き、弓のチェックを行う歌穂。「弓は化繊ですね。」小1とは思えない質問に驚かれるお3方。「見ただけで分かるんですね。おっしゃる通り化繊です。」若い社員のお1人が歌穂の質問に答えてくださった。「すごく軽くて扱いやすいですね。」弓の軽さに満足した様子の歌穂を見てまずは一安心のお3方だ。

さっそく立ち上がってピアノの傍へ歩み寄る歌穂。

そして調律を始める。音だけでなく弓と弦との相性も確かめているようだ。

「それでは弾かせていただきます。」歌穂のよそよそしい言葉に笑いを堪える2人のママ。何と試し弾きは「チゴイネルワイゼン」だ。歌穂なりに通常ペースの演奏から段々高速演奏となる曲の構成からこの曲を選んだ様だ。驚きを隠せないお3方だったが歌穂に任せてくださるようだ。

歌穂によるヴァイオリンによるソロの演奏が始まる。

「えっ?」信子と優太ママが驚いた。歌穂が何時も里穂の弾いているピアノのパートを自分で弾きながら演奏を始めたからだ。『里穂のパートを完全に再現している。さすが歌穂ね。』今すぐにでも「ブラボー!」と叫びたいほど嬉しい信子だった。優太ママも全く同じだった。『歌穂ちゃんたら!いつの間にマスターしたのよ!』

お3方は小学1年生のあまりにも見事な演奏に驚愕していた。ヴァイオリンの知識、技法が並外れて優れていると判断出来るからだ。身体でリズムを取り、確実に弦を鳴らす弓捌き。そんな歌穂の演奏に試作品の、ましてや子供用のヴァイオリンがプロ顔負けの歌穂の演奏に耐えてくれるのかが心配だった。試作品のヴァイオリンは指でも弦を弾かれ、最後は高速演奏からの超高速演奏に十分に応えてくれた。圧巻の終わりには居合わせた5人の大人が総立ちとなり拍手で歌穂と試作品のヴァイオリンを称えてくれた。歌穂は思わず試作品のヴァイオリンを「ありがとう!」そう言って抱き締めた。それを見て嬉し涙を流すお3方。後で分かったことだが、お3方ともお正月返上で試作品に取り組んでいらしたそうだ。

歌穂は試作品のヴァイオリンをウエスで拭き、部屋にあった油性マジックでその裏板に自分のサインと日付を描いた。その一連の行動にまた感激するお3方。

「すごく良い出来栄えだと思います。そして何より軽くて弾き易かったです。音も私が使っているものと比べても遜色ない音を奏でてくれました。とても良いヴァイオリンを造っていただきありがとうございます。」とお礼を言って試作品のヴァイオリンと弓を両手で持ってお返しした。「こちらこそお褒めのお言葉を頂きありがとうございました。量産器が出来上がりましたら1挺お持ち致します。」そう言われてお3方は帰って行かれた。

「私一人でOKしちゃったけど良かったのかなあ。」玄関から家の中へ入ってふと呟く歌穂。そんな歌穂に優太ママが言ってくれた。「見当違いなことがあれば口を挟もうと思っていたけど、その必要が無かったわ。さすが歌穂ちゃんだね。ねっ、信ちゃん。」そう言われて嬉しそうに頷く信子だった。『天国のお父さん!歌穂はこんな素晴らしい子に育っていますよ!』


数日後、弾き方を教えてもらおうと美穂のレッスンルームへ行った歌穂。そこで美穂が練習していたのは歌穂が編曲した小学校の校歌だった。「お、お姉ちゃん、どうして!」と言いながら嬉しさのあまり泣き出す歌穂に「歌穂、良いアレンジだね。」と声を掛けて抱き締めてくれる美穂。「歌穂、ここのパートってどうしたら上手く表現出来るかなあ?」と美穂に聞かれる歌穂。「えっ!そのパート、私も美穂お姉ちゃんに聞こうと思っていたの。」そう言って笑う歌穂。「それじゃあ2人にも聞いてみようか。」そう言ってインターホンを使って2人に来てくれるようお願いする美穂。

「うそ!皆で弾いてくれていたの?楽譜もないのに?」そう言ってまた泣き出す歌穂。直ぐに隣の部屋の里穂が、更にピアノルームから優太君が駆けつけてくれた。4人でサビの前のパートをどう弾けば良いかを検討し合う。歌穂は抑え気味に弾いてサビは思い切り強く弾こうと思っていたと言って実際に演奏して見せた。「私も迷ったんだけどサビに向かって徐々に強く演奏するのもありかなって思って。」と里穂は歌穂に言って弾いて貰う。「2つのパターンを皆で歌ってみようよ。」優太君が提案する。「そうね、それで改めて全員の意見も聞きたいわね。」と美穂も賛成する。4人でそれぞれのバージョンを歌ってみる。2通りの歌唱を終えると「やはり生徒全員が歌うとなると徐々に強くなっていく方が歌いやすいと思うわ。演奏するのであれば一気にサビで強く弾く方がインパクトはあるけどね。」

皆、里穂の意見に賛成だった。主体を演奏にするか合唱にするかでピアノの弾き方も変えていくということを肌で感じた歌穂だった。「お姉ちゃんたち、優太お兄ちゃん、ありがとう。」歌穂は嬉しさのあまりまた泣き出してしまった。歌穂は食卓に置いた電子ピアノで何度も2パターンの校歌を弾き比べていた。

その日の夜、信子の元に早紀さんから電話が入った。

ヴァイオリンの試作品を試し弾きして頂きありがとうございましたとのお礼と、新発売のヴァイオリンのグレードに“歌穂バージョン”が加わることになった旨の連絡だった。さらに、その新商品のCMに歌穂を起用したいとの打診だった。たまたま傍に居た歌穂にそのことを話すと「やってみたい。」という返事が返ってきた。日程を調整してもう一度電話をくださるそうだ。信子は電話を切るとインターホンで全員に集合をかけた。次々に皆が集まってくる。

信子は皆に歌穂の扱った試作品の発売が正式に決まったこと、新商品のバージョンに“歌穂バージョン”が設けられたこと、そしてそのCMに歌穂が起用されたことを報告した。

「わあーっ!」という歓声が上がった。

皆、口々に「おめでとう歌穂!」「良かったね、歌穂!」と自分の事以上に喜んでくれた。そして嬉しさのあまりまた泣き出してしまった歌穂。「歌穂ったら今日は泣き虫さんだね。」里穂はそう言ってティッシュで歌穂の涙を拭いてくれた。その優しさにまたまた涙してしまう歌穂だった。

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