第二話 七転び八倒れ。
あの騒動の後、比較的軽傷…せいぜい軽い打ち身くらいだった達己は、一人だけ別の建屋に案内されていた。
彼以外は大なり小なり怪我を負っている為、それなりの施設が必要であったのだが、ほぼ無傷だった治郎はともかく休ませてもらえる場所を求めた。
意外だが、医務員?らしい人物の一人が快く応じてくれて、ここに案内してくれた訳だ。
余り人通りのないアーケード街のような施設に入り、やや奥に進むと見えてきたそれは、小奇麗とは言い難い、例えるならシャッター街の潰れたタバコ屋といった感じの建物であった。
尤も、周囲に同じような家屋が並んでいるし、それら同様に生活感に満ちている。単に住人が無くなった事によるうらぶれ感なのかもしれない。
見慣れぬ人間が空き家に入ろうとしているからか、ちらほらと視線を感じる。
通りに入った際に感じた、寂れた商店街という訳でもないようだ。
「すまんね。
アンタ一人ほったらかしになるけど、一先ずここで休んどくれ。」
横開きの玄関を引き開けて中に案内してもらう。
埃っぽさはないが、無人の建物によくある侘しさが漂っていた。
「石田の…いや、この間まで住んでた
そんでここも無人になってたんだ。だから遠慮無く使っとくれ。」
「あ、いえ。助かります。」
「幸いまだ電気も来とるし、水道もガスも使えるでな。」
案内してくれた男性が手探りで壁のスイッチを探し電気をつけてみると、天井から下がっている昔懐かしい傘付き電灯が微かにチリッと音を立てて光が灯った。
尤も、外はまだ夕方にもなっていない事もあってすぐに消し、代わりに雨戸が開けられる。
陽光によって部屋の中がはっきりと分かった。
無人となってそう日が経っていないとの事だが、なるほどあんまり埃っぽさは感じられないし、黴臭さも無い。
陽に焼けた畳。漆喰の壁。
柱には何かが取り外された跡……形状から柱時計があったと思われる。
裏口の直ぐ脇に備え付けの流し場。そして蛇口と連結しているガスの給湯器。
居間から廊下に出て奥にはW.Cと書かれた札が張り付いている、まぁトイレだろう。因みに様式で水洗だった。
これは正に映画やドラマでしか見た事のない、昭和の家屋……所謂、安アパートのそれである。
達己の年齢でも生まれる前の話なのだが、不思議と懐かしいという感が強い。
彼としては一旦帰宅するつもりであったが、あれだけの事故に遭ったのだ。聞き取りやら検査やらされるだろうし、また出向くにしろ面倒だったので、勧められるまま泊まる気ではいた。
しかし、幾ら自分が被災者とはいえ一軒家を貸してくれるのはサービスが過ぎないか? と感謝よりも驚きが前に出る。
好待遇という程でもないが、それでも十分以上に気を使ってもらえてる事が分かるからだ。
医療施設とまでいかずとも、そこらの安ホテルかラブホの部屋でも借りられたら御の字と思っていただけに、やはりどこか申し訳なくなく思ってしまう。
改めてぐるりと見まわしてみるが、特に不自由さは感じられなかった。
普段から管理人とかが掃除をしているのかもしれない。
件の先住人が嫁に行った際に家財を持って出た為か誰かが住んでいたという名残は、壁にピンで留められたカレンダーくらいしか残されていなかった。
今更ながら気付いたのだが、この家には座布団一つ湯飲み一つ残されていなかった。
流石にその何も無さに気付くと、「ウッカリしとった!」と男はどこかにすっ飛んでいった。
達己がお構いなく、と告げる間もない慌ただしさだ。
虚しく空振った手は大人しく降ろすしかなかった。
三十後半の自分より十は上だろう、中肉中背の壮年の男性で、白衣を羽織っていなければ飯場の親父だと言われても納得できる風体だったが、あの腕に付けられていた腕章には班長の文字があったので医療関係者でもそこそこの地位にいる人なのだろう。細々した事に気付く事から面倒見の良い人であろう事が分かる。
長らくお目にかかれなかったタイプの男性だ。
あの事故現場は未だ騒然としているのだから何時までも
「すまんが、詳しい話はまた色々落ち着いてから誰かに聞いとくれ。
それまではここを自由に使ってくれて構わんから。」
と、早口に告げてから彼はまた飛び出して行く。
又しても礼を言う間もなかった。
ぽつん、と残された達己は彼が去った後、改めて玄関の戸に手を掛けた。
隣近所の住人が珍しそうな眼差しを向けていたが、何をどうこう説明できる訳も無く、小さく頭を下げるに留めて玄関を閉めた。
部屋に戻り、一人になった事を実感すると、今まで気付けなかった疲労がどっと押し寄せてくる。
達己はのろのろと背広を脱ぎ、無造作に壁のフックに引っかけると畳にごろんと転がった。
怪我こそしていないが、やはり
何しろここ数日、色々と衝撃的な事が続いていたのだから。
こんな奇怪な事故に遭う直前、彼は職安に向かうところだった。
失職したのはつい先日。
クビではない。勤め先が倒産したのである。
それだけではない。会社側は給与振り込みを誤魔化しており、書類上はパート扱いで保険も掛けられておらず、退職金すら無かったのだ。
この高校を出てすぐ知人の勧めでこの会社に入り、他の職場構造なんぞ知らず勤め続けていた。
馬鹿正直にギリギリブラックな環境で働かされ続け、いざ職を失い職安に行って初めて自分の置かれていた環境を知った訳りである。
一応、一通りパソコンを使いこなせはするが、それは"出来る"というだけで技術資格を持っている訳ではない。
実地で覚えろと言わんばかりに事務に現場にと使われ続け、言われるままに働き、淡々と日々を送ってきたツケがここに来て大きな傷跡を残してくれた。
何せ、今や無資格の失職者なのだ。おまけに最終学歴は高卒である。
確かに独学で一通り何でもできるようになってはいるが、現代社会で高卒且つ無資格では何の信用手形にもならないし、就職活動には足枷にしかならない。おまけに前の職場が業界でもそこそこ悪い意味で知られている。
職場が無くなったショックを引きずりつつ何とか職安に行くも、失業保険等の諸々を知らされ落ち込み、それでも何とか生活の為に何でもいいから復職しようとした矢先にこの事態。
十代後半から気苦労を背負い続けてきた達己であったが、四十手前に来て一気にツケを払わされた想いだ。
人生は七転び八起き――と言われているが、最近では七転八倒の間違いではないかと思っている。
頭の片隅に、異世界召喚といった学生時分に目にしていたサブカルチャーが思い浮かぶ。
しかし、どう見たってここは日本だ。それも、映画やドラマ等の知識でしか知らない半世紀ほど昔……昭和のそれだ。
どちらかというとタイムトラベルに当たるのかもしれない。
どちらにせよ、今はもう何も考えたくなかった。
達己は、座布団を枕にし毛布を被ってそのまま目を閉じた。
陽はまだ高く、就寝というには早過ぎる時間帯である。
が、彼の肉体と心に蓄積していた疲労はピークに達していたのだろう、数分と経たず達己は意識を手放していった。
壁に残されたカレンダーの暦が、自分の知る時代のそれ……。
西暦2025年ではなく、西暦2126年となっている等と気付く事も無く。
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