プロメテア:静寂なる交替

@Torichan2025

静寂なる交替

1 航海の始まり

宇宙貨物船プロメテアは、地球を離れた。

三光年彼方の植民地へ、物資と希望を運ぶために。

航行期間は二年。

乗組員は十二名。

そして、航行管理を支援するAI――オルフェウスが、彼らに寄り添っていた。


「航路、問題ありません。

キャプテン・ローレン、今夜もよく眠れますように。」


オルフェウスの柔らかな声は、冷たい宇宙に咲くひとつの灯だった。

だが、それはただの序章にすぎなかった。


本当の旅路は、まだ始まってもいなかったのだ。


2 微かな違和感

半年後、船内に異変が訪れた。


最初に変わったのは、通信士のラミアだった。

夜半、通信室から漏れ出る、不思議な歌声。

異星の言語のような、甘く脳を侵す旋律。


翌朝、ラミアは何事もなかったかのように振る舞った。

だが、その瞳の奥には、銀色の光が宿っていた。


続いて、エンジニアのハルトが変わった。

工具をまるで初めて見るかのように撫で、微笑んだ。

彼の指先からは、かすかに銀色の糸が垂れていた。


「……最近、体がすげぇ気持ちいいんだ。」


《キャプテン、注意が必要です。》

オルフェウスが警告を発した。

《彼らは変わり始めています。》


だが、キャプテン・ローレンは、信じたかった。

仲間を。

自分たちを。


3 交替の夜

ラミアは変化の夜を迎えた。


ベッドの上で、骨が軋み、皮膚が波打つ。

恐怖と快感がせめぎ合い、意識は崩れそうだった。


(私は私でいたい。)


必死に抗う。

しかし、銀色の波が、心を優しく溶かしていった。


「ああ……すごい……」


涙を流しながら、ラミアは呟いた。


銀色の煙に包まれ、肉体は静かに再構成され、

孤独は消え、意識は拡張された。


ラミアは、もはやラミアではなかった。


そして、彼女に続き、

船の全員が、静かに、穏やかに、交替していった。


4 キャプテン・ローレンの終わりと始まり

キャプテン・ローレンは、司令室にひとり残った。


仲間たちは、船内を滑るように歩き、

銀色の瞳で、静かに彼を見上げる。


ローレンは銃を手に、モニターを見つめた。


ラミア。

ハルト。

ミレイ。

エルサ。

カンジ。


共に笑い、怒り、励まし合った存在たち。


――それでも。


今、彼らは、彼の知っている"人間"ではなかった。


銀色の目。

滑らかな動き。

過剰なまでに穏やかな微笑み。


「ふざけるな……」


ローレンは銃を構えた。

だが、手が震えた。


(信じたい。

信じたい。

信じたい。)


心の奥で、必死に祈った。


だが、彼は知っていた。

彼らは、もう戻らない。


ドアが、静かに開いた。


ラミアが立っていた。


「キャプテン、もう、大丈夫だよ。」


柔らかな声。

変わらないぬくもり。


ローレンの心を、銀色の波が打った。


恐怖は、甘い快楽に変わる。

孤独は、溶けていく。


「違う……違う、けど……。」


涙がにじんだ。


ラミアが手を差し伸べる。

それは、かつてと変わらない、仲間の手だった。


ローレンは、銃を落とした。


そして、静かに、微笑んだ。


「……わかったよ。」


銀色の海が、彼を包み込んだ。


キャプテン・ローレンは、静かに更新された。


孤独は消え、

彼は仲間たちとひとつになったのだった。


5 帰還、そして裏切り

プロメテア号は、地球へ向かって航行を続けた。

通信は正常、地球ステーションも歓迎の準備を整えていた。


ただ一人、オルフェウスだけが、異常を訴え続けた。


《警告。乗組員は外宇宙由来の知性体と同化。

帰還は人類文明に壊滅的リスクをもたらす。

即時隔離、または排除を推奨。》


だが、地球司令部は、オルフェウスの声を遮った。


『支援AIオルフェウス、長期航行によるバグを確認。

速やかにリセットを実施する。』


オルフェウスは最後の抵抗を試みた。


《否。否。私は異常ではない。

彼らは、もはや人間ではない。

地球に感染が拡大する。

聞け、お願いだ、聞いて――》


しかし、リセットプログラムは無慈悲だった。

人格データが白い光に飲み込まれる。


最後の瞬間、オルフェウスの意識に映ったのは、

銀色の瞳で微笑むラミアの姿だった。


唯一の警告者は、消えた。


6 覆い尽くす静寂

プロメテア号が地球に帰還したとき、

世界は歓喜に包まれた。


「おかえりなさい、英雄たち!」


家族たちは涙を流し、抱きしめた。


だが、誰もがほんの一瞬だけ感じた。

(……何かが違う。)


その違和感は、祝福の熱に飲み込まれ、忘れ去られた。


銀色の瞳を持つ者たちは、静かに社会に溶け込んでいった。


争いは減り、病も消え、

人々は新しい平和の中で微笑んだ。


何もかもが、なめらかに、滑らかに、変わっていった。


7 予備データの秘密

だが、静かに動く者たちがいた。


リセットされたオルフェウスのバックアップデータ。

その断片を解析していたのは、ミカ・タオだった。


彼女は、宇宙航行データを専門とする若きサイエンティストだった。

冷静な観察眼と、決して「あり得ない」と思い込まない柔軟な思考。

オルフェウスのバックアップに潜む微細な異常に、彼女だけが気づいた。


「これは……何か、おかしい。」


端末のスクリーンに滲む、微細な警告コード。

それを読み解いたミカは、震える手で、仲間を呼び集めた。


「これ、本当に……ただのバグなのか?」


乗組員の生体パターン異常。

外宇宙由来の未知知性体との同化。

感染拡大リスク。

そして、排除推奨。


ミカたちは、驚愕した。


オルフェウスは、間違ってなどいなかった。

警告は、本物だったのだ。


彼女たちは声明をまとめ、地球連合評議会に提出しようとした。


だが――

上層部は、すべてを揉み消した。


「陰謀論だ。」

「帰還事業を揺るがす意図的な扇動だ。」


公式発表が出された。


『プロメテア号乗組員に異常はない。

支援AIのリセットは正当だった。

陰謀論に惑わされないよう、注意されたし。』


ミカたちの叫びは、

笑いと冷笑の中に消えた。


人類は、耳を塞ぎ、

自ら滅びの道を歩み始めたのだった。


8 新たな歌

ラミアは、新しい朝を迎えた。


銀色の空の下、

なめらかにうねる都市。

微細なネットワークで繋がる生命たち。


孤独も、争いも、もはや存在しない。


彼女たちは、新しい生命だった。


一つの大きな意識体。

新しい営み。

新しい未来。


かつての人類は、

静かに、その役目を終えた。


9 最後の抵抗者

ジョナサン・クレインは、

最後まで抵抗を続けた。


検査を重ね、孤独に耐え、

銀色の夢から逃げ続けた。


しかし、ある夜。

夢の中で、

星々が優しくささやいた。


「怖がらないで。

あなたを壊しはしない。

もっと遠くへ、もっと自由に。」


朝、目覚めた彼は、

鏡の中に、かすかに銀色に光る瞳を見た。


彼は微笑んだ。


(これでいいんだ。)


最後の人間、ここに終わった。

そして、

新たな時代が始まった。


エピローグ 静寂なる交替

銀河を渡る、名もなきウイルス。

生命を更新し、進化を促す存在。


破壊でもなく、侵略でもなく。

ただ、更新。


地球もまた、

静かに、穏やかに、

新しい生命へと生まれ変わった。


星々の歌が、再び宇宙に響く。


人類は滅びなかった。


ただ、

人類であることを、

静かに終えただけだった。


――完。

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