2章:ストロング

第6話:恒例

種村たねむら、助けてくれ」


 金曜の夜。俺がいつものように残されたごうと向き合っていると、隣の席の係長が泣きついてきた。


「間違って顧客情報のエクセルの関数消しちゃった」

「サラッとヤバいこと言いましたね?」


 心の内側に降り積もっていく負の感情を、俺は即座にダストシュートし、排出口から安っぽい苦笑いを浮かべる。係長にイラつくなんて今さらすぎるし、はっきり言って時間の無駄だ。


 怒らない。気に留めない。期待しない。この三か条を守るだけで、人は大抵のストレスから精神を守ることができる。


 そもそも、今の時代に顧客情報を表計算ソフトで管理しているのがおかしいのだ。数年分のデータが蓄積されてるから、重くてしょっちゅう固まるし。


「ちなみに関数を消しちゃった後、何か操作しました?」

「いや、指一本触れてない。ソッコーで種村に頼った」

「ならこのショートカットキーを使えば……ほら戻った」

「おお、復活した! さすが事務!」

「係長も事務じゃないですか。てか普通に俺より歴長いでしょう」

「自慢じゃないが、オレのPCスキルはそこらの大学生以下だぜ?」


 本当に自慢じゃないな。そろそろVLOOKUPくらい覚えてほしい。


 俺が自分のパソコンに向き直ると、チャットアプリにメッセージが届く。


【おそーい! 種村先輩まだですかー!?】


 ぷりぷりと怒る後輩女子の顔が頭に浮かぶ。


 営業課から頼まれた雑務をこなしていたら、すっかり待ち合わせの時間をオーバーしてしまった。


 俺はパソコンの電源を落とし、カバンを持って立ち上がる。


「んじゃ、俺はお先に失礼します」

「種村、ここのところ金曜日は帰り早いな」

「そのぶん、ほかの曜日にガッツリ残業してるので、トータルではあまり変わらないですけどね」

「アレか、デートか」


 係長はニヤニヤと愉快そうだ。


 デート……ではないな。相手は女性だけど、会社の後輩だし。行き先も大衆居酒屋だし。


「いえ、ちょっと飲み友達と」

「そりゃそうか。お前、顔は悪くないけどちょっとナヨっとしていい子ちゃんすぎるもんな。女にはモテないタイプだ」


 確かに、大学時代の同級生と比べると、恋愛経験が著しく少ないという自覚はある。


「優しいだけじゃ男はモテないぞ。今度、銀座のコリドーがいで一緒にナンパでもするか?」

「いや係長、新婚でしょう」

「それはそれ、これはこれだ」


 なぜか係長は得意げに胸を反らした。


「ははっ。じゃ、今度こそ上がります」

「おう、おつかれ~」


 事務所を出ると同時に、俺は小走りで駅前のカフェに向かった。


 店内を見回すと、壁際のテーブル席に見知った顔を発見する。向こうも俺に気付いたようで、少しだけ表情を柔らかくした。しかしすぐに眉を吊り上げる。


「種村先輩、遅すぎです。社会人として遅刻とかありえなくないですかー?」


 手元の、紅茶が入っていたであろうマグカップの内側は、すっかり乾いていた。


「悪い悪い、じゃあ早速行くか」

「はいっ!」


 実年齢より幼げな笑みを浮かべた同僚はカップを返却した後、俺の左隣に並ぶ。明るい茶髪のショートボブが、さらさらと揺れている。


 芹沢春せりざわはる


 俺の同僚であり、営業課の後輩。


 そして俺に最近できた、飲み友達だ。


 彼女は会社では妹キャラとして愛されており、飲み会でも下戸を装っている。


 だが実際はお酒も乾きものも大好きな、毒舌家の23歳。会社での姿は、あくまで社会に適応するためのキャラクターである。


 かくいう俺も、会社では人畜無害キャラでやらせてもらっている。キャラっていうか、本当にそうなんだけどさ。だが左隣を歩く後輩に言わせれば、「共犯者」らしい。


 芹沢春と飲み友達になって、1か月が経った。


 あれから毎週金曜日は終業後に2人で飲みにいくのが恒例となっている。


 行き先は俺たちが友情を結ぶきっかけになった、新宿の大衆居酒屋だ。今ではおかみさんもすっかり芹沢さんがお気に入りらしく、たまに小鉢をオマケしてくれる。彼女の愛されスキルは天性のものか、あるいは。


 俺たちは社会で生き延びるためにキャラクターを作り、仮初の姿で生きている。


 本性をさらけ出せるのは、2人でいる時だけ。


 周りを欺いているという意味では、確かに俺たちは共犯者だ。


「ねえ、種村先輩。今日は何食べましょうか」


 俺を見上げる芹沢さんの笑みは、まるで春に吹く風のように爽やかで、温かい。




「……春」




 彼女に聞こえないくらいの声量で、俺は飲み友達の名前を呼んでみた。

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