第2話:ナンパ

「終わったあああああああ……」


 時刻は夜の8時半を回っていた。


 結局例のクレーマーは、途中から同席した白石しらいし局長がうまく納得させてくれた。あの人のほんわかした口調が、クレーマーの怒りを和らげたのだろうか。


 それより、だ。


 この疲労感では、今から家に帰るまでルーティーンを我慢することができそうにない。


 ルーティーンもとい、俺の数少ない趣味。


 それは自宅での一人酒である。


 最寄駅のスーパーで酒とツマミをしこたま買って、しこたま飲む。ソロパーティは主催者が寝落ちするまで終わらない。


 そんな破滅的な生活を続けて何年経っただろうか。健康診断の結果は年々悪化しているし、来年あたりは再検査になってもおかしくない。


「……」


 会社を出た俺はJR水道橋すいどうばし駅の改札を潜り、普段と逆方向の電車に乗った。


 俺の最寄駅はJR小岩こいわ駅。水道橋から千葉方面の電車に乗って30分弱の距離だ。しかし今俺が乗っているのは中野方面。行き先は日本最大の乗降者数を誇る、新宿駅だ。


 そう、俺は人生初の一人飲みを決行しようと企んでいた。


 新宿駅で下車し、東口を出る。すると若い男女やサラリーマンが濁流に流されるかのごとくうごめいていた。さすが東京の中心地。


 なんとなくの行き先は決めていた。歌舞伎町かぶきちょうである。


 一昔前は怖いイメージもあったものの、東京で何年も一人暮らしをしていればさすがに慣れた。大学時代にも何度か来たことあったし。


 歌舞伎町には飲み屋が多い。和食、イタリアン、中華、フレンチ、何でもござれだ。これだけ店があれば1軒くらい、今の気分に合った店が見つかるだろう。


 そんな軽いノリで、赤信号を待っていた時だった。


「何度も言ってるけど、ホント1杯だけでいいからさ~。もちろん奢るし」

「何度も言ってるけど、結構です」


 視線を向けると、2人組の男がスーツ姿の女性に顔を近づけていた。


「そう固いこと言わないでよ~。せっかくの華金なんだし、たまにはハメ外そ? ね?」

「興味ないです」


 ナンパか。リアルで遭遇するのは初めてだ。


 男たちは20代後半くらいだろうか。春真っ盛りだというのにアロハシャツにハーフパンツ、おまけにサングラスという、「常夏」というタイトルの絵画から飛び出してきたかのような格好だ。


 対する女性は、いかにも会社帰りという感じのスーツ姿。グレーのジャケットに同色のスカート、白のブラウス、ダークブラウンのトートバッグ。


「……って、あれは……」


 会社の後輩、芹沢春せりざわはるじゃないか。


 芹沢さんは眉間に皺を寄せ、俯いている。苛立っているのか、あるいは怯えているのか、その背中は小さく丸まっていた。


「いい加減、ついてこないでくれませんか」

「オレたちに付き合ってくれたらもうついていかないよ~」

「ってかちょうどあっちに飲み屋あるじゃん! ほら、行こ行こ!」

「ちょっ……」


 男の手が芹沢さんの華奢な腕に伸びた瞬間。




「おーい! 芹沢さーん!」




 俺は馬鹿みたいに馬鹿でかい声で彼女の名前を呼ぶ。


 芹沢さんが視線をこちらに向ける。続けてナンパ男たちも俺を見る。ついでにその周辺にいた通行客も注目する。俺は作り笑顔を浮かべて駆け寄っていく。


「やっと見つけた! 新歓の二次会の店はこっちじゃないでしょ! 予約してるんだから早く行かないと!」

「えっ……あ……」


 俺がアイコンタクトを送ると、数瞬の後に芹沢さんも作戦を理解したようだ。


「す、すいませーん! すっかり迷っちゃってー!」


 芹沢さんがお得意の営業スマイルを作る。やがて俺の後ろに回ったのを確認して、俺は2人組に安い笑みを見せつけた。


「ありがとうございます! お二人が目立っていたおかげで遠くからでも見つけられました! これで上司に怒られずに済みそうです!」


 決して視線は逸らさない。男たちはしばしポカンとしていたが、やがて小さく会釈をして去っていった。


「ふぅ……」


 男たちが離れたのを確認した後、左脇から芹沢さんが現れる。


「あ、ありがとうございます……」

「えっと、ごめん。ナンパかと思って適当にやっちゃったんだけど良かった?」

「全然良かったです! ホント困ってたのでー!」


 緊張が抜けきっていないのか、芹沢さんは中途半端に固まった笑顔を見せる。


 ひとまず俺たちは歌舞伎町から離れるため、西口方面に向かって歩を進めていく。


「すごい偶然ですね。っていうか、先輩って家こっち方面じゃなかったですよね?」

「ああ、ちょっと一人飲みでもしようかなって」


 つい正直に答えてしまった。俺も無意識に緊張していたのだろうか。


「そういう芹沢さんは?」

「わ、私はー……」


 芹沢さんは顔を背け、人差し指で頬をかく。


「……先輩と同じ理由、です」


 初めて見る、彼女の照れ顔だった。こんな顔もするんだな。


「……あれ?」


 一度は脳に染み込んだはずの言葉がすぐに浮き上がってくる。


「芹沢さんって、下戸じゃなかったっけ?」


 会社の忘年会や暑気払いではいつもソフトドリンクだし、営業課の飲み会もだいたい不参加だったような。


 俺の問いに、「しまった」とばかりに頬をひくつかせる芹沢さん。


「なるほど。フリ、か」

「へへ、内緒にしておいてくださいねー」


 芹沢さんはしっ、と人差し指を唇に当てた。


 ま、若手の女性社員が飲めるなんて言ったら方々から飲みのお誘いが絶えないだろうし、色々と面倒そうだもんな。


「新宿ではよく飲むの?」

「いえ、普段は家で軽く飲む程度なんですけど、今日は外で飲みたくなっちゃって。新宿なら何かしらお店がありそうじゃないですか」

「俺と同じだ……あ」


 そういや西口の方面に、大学時代に通ってた居酒屋があったっけ。あそこなら歌舞伎町ほど人口密度は高くないし、この時間からでも入れるだろう。


 問題は、だ。


 俺はちらりと左隣を見やる。


「……芹沢さんはこの後どうするの?」

「どーしましょー。またさっきみたいな目に遭うのもヤですし、でも知ってるお店もないし……。お昼食べてないからお腹も限界なんですよねー」


 今から俺は、ちょっとだけ勇気を出す。


 別に下心はない。というかここでそんな気持ちを出したら、先ほどのナンパ男たちを踏み台にするようなものじゃないか。


 単に、このまま別れるのも薄情かと思っただけだ。


 俺は極力押し付けがましくないように、やんわりと提案する。




「良かったら、一緒に飲む?」

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