第3話 おでかけします!

 窓から朝日が差し込み、鳥の声がする。爽やかな夏の朝とは、今朝の事を言うのだろう。

 俺にしては珍しく、朝早く起きた。リビングに降りたらミズキが朝ごはんを作っていた。


「あ、おはようございます!早いですね」


「お、おはよう」


 あれ?いつもと挨拶が違う……。


「お前、昨日のこと覚えてる?」


「私は夜に記憶がリセットがされます。覚えているはずはありません」


「だよなぁ」


「でも、楽しい気持ちは残っているんですよねえ」


 ミズキは人差し指をこめかみに当てて、目をつぶると眉をしかめた。


「なんだろう、いつもと違う感じだけはします」


 テーブルの上には、トーストとコーヒー。それにトマトとモッツァレラチーズのサラダとゆで卵が並んでいた。


「『朝食は王様のように』です!いっぱい食べて、いっぱい遊んで、いっぱい勉強しましょう!」


 どこかで聞いたことがあるセリフだ。


「母ちゃんがよく言ってたやつだ……」


「あら、偶然でしょうか?」

 ミズキが少し嬉しそうにしている。


「それでは、ゆっくりお食べください」


「料理の説明はしないの?」


「ゆっくり静かに味わいたいのかなぁ、と思いまして。……説明しましょうか?」


「あ、いや。いいです」


 なんか、いつもと違う雰囲気に戸惑いながら、朝食を食べた。


「やっぱりうまい!」


 パンの焼き加減、サラダの味付け、ゆで卵の茹で加減。全て絶品と言っていい!

 ミズキは俺が食べるところをにこにこしながら見ている。


「スケジュールを見ました。今日はおでかけするんですよね」


「ああ、ほのかと画材屋に行く予定だけど」


「私も同行させてください!」


「え!外に出てお前大丈夫なの?」


 フェラーリ何十台分という親父の話を思い出す。


「はい!大丈夫です、私には様々なモニター機能が付いていますから」


 にこやかに親指を立ててくるから、つい言ってしまった。


「うん、いいよ」


 この返事が、ほのかとミズキの心を繋ぐきっかけになるとは、この時は思ってもみなかった。


 朝ごはんの片付けが終わったミズキは、水色のワンピースと黒いリボンがついた麦わら帽子を出してきた。


「ミズキ様、どうでしょう?似合いますか?」


 鏡の前で水色のワンピースをひるがえして、こちらを向いた。黒髪とつばの狭めな白い麦わら帽子がよく似合っていた。


「……母ちゃんの服、どこから?」


「クローゼットにありました……だめですか?」


 一瞬、息が止まった気がした。母ちゃんが死んで以来、触れることを避けていたその服が、目の前でミズキに再び命を吹き込まれたように映る。


「……いや、似合ってるよ」


 無理やりそう答えると、胸の奥がじくりと痛んだ。


「ありがとうございます、大事に着ますね」


「いつもの服じゃダメなの?」


「会社のロゴを付けた服で表は出られないもので」


 少し困ったような笑顔を向けたミズキをとても綺麗に思ってしまって、思わず目を逸らせた。


「戸締りも火の元もセキュリティーチェックも完璧です!では行きましょー!」


 家の外に出ると、夏の日差しが容赦なく照らしてきた。夏を謳歌している蝉の声が四方から響いている。

 ミズキは左手で麦わら帽子を抑え、右手の握りこぶしを高々と上げて歩き出した。

 その後ろをトボトボとついていく俺。どちらがお供かわからなかった。


 待ち合わせ場所に着くと、ほのかが改札の前に立っていた。


 俺を見つけると笑顔で手を振ってくれた……が。


 俺の隣に立つミズキを見て、ほのかの表情が急速に曇っていく。


「誰?」


いつもとは違う、少し棘のある声に驚く。


「はじめまして、私はミズキです!」


 ミズキはにこやかにほのかに頭を下げた。


「ミズキ……?」


 今のほのかの顔を辞書の怪訝の項目に載せたら、怪訝とはこういうものだとみんな納得するだろう。


「親父の会社で作っている、介護用アンドロイド。今、試験運用中で俺のところで預かっているの」


 ほのかの耳元で囁くように説明した。


「アンドロイド!」


「しっ!静かに!」


「えー、なんで一緒について来たの?」


「AIの学習のため、少し変化があった方が良いと判断しまして……。ご迷惑でしたら帰りますが?」


 ミズキは小さくなって、捨て犬のようにショボンとしている。

 ほのかは大きなため息を吐くと、肩をすくめた。


「もういいよ、一緒に行こう」


「はい!」


 ミズキは嬉しそうに頷いた。


「すっごい美人のアンドロイドが来て良かったじゃん」


 ほのかが俺の耳元で囁く。俺は生まれて初めて女は怖いと思った。


 俺たちは池袋で山手線に乗り換えて、新宿まで行った。目的地は、新宿御苑の近くにある大きな画材屋だ。

 ミズキとほのか、俺の3人で池袋や新宿を歩いた。ミズキの人間と変わらない見た目もだが、何より動きが自然すぎて、駅の人混みの中でもアンドロイドだと気付かれる事なく画材屋までこれた。


 画材屋に入ると、油と木と紙とカーボンの独特の匂いが鼻をくすぐる。


「初めて来ましたが、絵を描く道具だけでこんなにあるなんて、ビックリです」


 私は絵の具を見に行くよ。ほのかが絵の具の棚の前に行った。棚にはビッシリと絵の具のチューブが並んでいる。


 ほのかの後ろで見ていたら、ミズキがほのかの隣に立って絵の具の棚を見始めた。


「ふむふむ、このホルベインってメーカは166色もあるんですか。凄いですね、ここ全種類揃っていますよ!」


 ミズキが目を丸くする。


「あ、わかる?」


 ほのかがミズキに振り向いた。


「そうなの、ここは種類が豊富なのよ!私はこのコバルトブルーディープって色が大好きで、チューブから出したらしばらく眺めちゃう!」


「あら、綺麗ですね!」


 ミズキの無邪気な反応に、ほのかの表情が一瞬和らぐ。


「でしょ?」


 さっきまでの緊張感が徐々に溶けていくのを感じた。


「溶いて塗るとね、澄んだ青のグラデーションが綺麗過ぎて見てて切なくなるくらい!」


「見るだけで切なくなるって、色って不思議ですねえ」


 ミズキはローズバイオレットのチューブを手に取った。


「私はこの色が好きかもしれません」


「ローズバイオレットも可愛いけど品があっていいよね」


「それ、母ちゃんが好きだった色だ」


「え?そうなんですか?」


「うん、死んだ母ちゃんがその色好きで、よくその色のものを買ってたよ」


 そう言いながら、俺の胸の奥にじわりと何かがにじんでくる。


 売り場を移動すると、ミズキがパレットナイフを見つけた。


「これは何に使うものですか?」


「それはね!パレットナイフといって、絵の具を混ぜたりキャンバスに絵の具を盛ったりするときに使うの」


「ほほう、ナイフも沢山種類がありますねえ」


 売り場を移動するたびにほのかとミズキが画材アイテム談義に花を咲かせて、俺は後ろでうんうんと頷くだけだった。

 なんか、ミズキとほのかの交流会みたいになって来た。


 結局、2時間くらい店にいて、出たときは2時を過ぎていた。


「よし!まだ時間はあるわね」


 ほのかが、腕につけている白いベビーGにちらっと目をやると、にやりと笑って俺の方を向いた。


「これ!コウタにプレゼント!」


 ステッドラーの鉛筆とクロッキー帳のセットを渡された。ミズキは「ほぅ」と驚いた顔をして見ている。


「え、こんなの悪いよ」


「そう思うのなら、行きたい所がもう一つあるから付き合って」


 そういうと、ほのかは新宿御苑の方に歩いていった。


 新宿御苑の入口を抜けると、さっきまでの新宿の喧騒が嘘のような静かな空間が広がっていた。


 芝生の先に、大きな木々が影を落としていて、その向こうにガラス張りの温室が見える。


 明治時代から続く由緒ある庭園――もとは皇室の庭園だったらしい。今では季節の花や広大な芝生広場が人気の、都心のオアシスみたいな場所だ。


「うわぁ……ここ、新宿なんですよね?」


 ミズキがまぶしそうに目を細めた。


「さて、ここでスケッチ大会をしたいと思います!」


 ほのかがいたずらっぽく宣言した。


「なるほど、そういう事か」


 俺はほのかの行動を理解した。


「どこに陣取る?」


「旧御涼亭の付近かな。水辺だし、サルスベリの花も咲いてると思うよ」


 レストランや花壇を抜けて、池の向こうに旧御涼亭が見える場所まで来た。


「ここなら木陰だし、ベンチもあるからちょうどいいよ」


 俺とほのかはベンチに座ってスケッチブックを取り出した、ミズキはベンチの後ろに立って興味深そうに覗いている。


「旧御涼亭、1927年に完成した、中国のビンナン形式の特徴を取り入れた、日本でも珍しい中華風建築ですね」


 ミズキはおでこに手を当てて、遠くを見る様に見回した。


「ここから見ると、水面に映っていい構図になりますねえ」


「そう、ここ好きなのよね」


 ほのかは鉛筆を持つとスケッチブックに走らせた。俺もクロッキーブックを開いて描き始める。


 スケッチブックに浮かび上がる旧御涼亭の姿と、静かに鉛筆の走る音が心地よかった。

 ミズキは俺たちが絵を描いている様子を見ていたが、人差し指をあごにあてて首を捻った。


「iPhone とかで撮ればすぐに画像を残すことが出来るのに、なぜ絵を描くのですか?」


 ほのかがちょっと考えてから微笑んだ。


「そうだねえ、iPhone で撮ったものと、絵に描いたものは違うからじゃないかな」


「違う?」


「そう、例えば同じ旧御涼亭を描くとしたら、写真は時間を切り取って細かい所まで忠実に残してくれる。でも、絵は描く人が目で見たものを手で描くから、細かい所は省いたり逆にないものを足したりするでしょ?」


「はい」


「それって、一度その人の中を通して描かれるものだから、その人の気持ちや想いが線や筆捌きに乗るんじゃないかな」


「ふむう……」


「学校の写生大会で『だりいな』と思って描くとだりいなって気持ちが絵に出るのよねえ」


 そういうと、ほのかが俺の顔を見た。


「誰かさんの絵はとても分かりやすかったよ」


 そういうとケラケラ笑った。


「俺、そんなにわかりやすいか」


「うん、だから逆にコウタの気持ちが乗った時の絵は凄いよ」


「なるほど、インプットされた情報に感情などの様々な内的情報が加味されてアウトプットされるから、絵には感情の記録という意味あいもあるのですね……」


「まあ、そんな感じかな」


「わかりました!」


 ミズキが急に大きな声を出したので、俺とほのかは驚いて鉛筆を落としそうになった。

「私たちAIが絵を描く時、情報を集めて重ね合わせるのですが、そこに感情はありません。その情報にプロンプトという形で感情を乗せるのが人なのですね」


「うんうん」


「AIはプロンプトを書く人の鏡なんです」


 ミズキは嬉しそうにポンと手を叩いた。


「だから、私はお父様の鏡なんです!」


「ええ……」


 ミズキの顔に親父がニッと笑って親指を立てている姿が被ってしまった。


「なんで、そんなに嫌そうな顔をするんですか?」


 ミズキが少しムッとしながら真顔で返す。


「あははは!」


 ほのかが手を叩いて笑った。


「じゃ、せっかくだから、お父様の鏡さんをモデルにスケッチしちゃおうか?」


「ええ!いいんですか!」


 ミズキは両手を胸の前で合わせて嬉しそうに目を輝かせた。

 

「もうちょっと右!」


「そうそう、じゃ少し上を向いて!」


「んー、右手は胸の前に持ってこようか!」


 ……などど、ミズキはサルスベリの花の横でポーズを取らさせると少し恥ずかしそうにしていた。


「ちょっと、恥ずかしいですね」


 ほのかと俺がミズキを前に鉛筆を走らせる。


 俺は描いた、真剣に描いた。今日一緒に買い物をしたミズキには明日はない。そう、今日のミズキを少しでも留めておきたいと思ったからだ。

 何枚か描いていると、ほのかが俺のクロッキーブックを覗いて、興味深そうな顔をした。


「すごいね、気持ちが入ってるのわかるわぁ……」


「覗くなよ」


「ごめん、久しぶりにコウタの本気の絵が見られて嬉しくなっちゃってさ」


 ほのかは、所在なさげに恥ずかしそうに立っているミズキからふっと顔を背けると、小さなため息をついた。その後、小さな声で「チクショウ妬けるぜ……」と呟いたが、その声は風にかき消されて誰にも届くことはなかった。


 ミズキの顔のアップだったり、全身が描いたり、何枚も描いた。

 ほのかと俺が描いたスケッチをミズキが見た。


「おおー!私だ!なんか照れくさいけど嬉しいですね!」


 スケッチを見ているうちに、ミズキが寂しそうな顔をした。


「どうした?」


「この絵を描いてもらったことを明日になったら忘れてしまうと思うと、とても寂しくなりました」


「それでも、絵は残るし、俺とほのかはずっと覚えているよ」


「そうですね」


「え?ちょっと待って!」


 ほのかが俺を見て眉を上げた。


「忘れてしまうって、どういうこと?」


「言ったろ、ミズキは試験運用中だって。今はリグレッションテスト中で、一日過ごした後はその日の体験はリセットされるんだ」


 ほのかは絶句した。


「それでいいの!?」


「その通り、私はまだ試験中なんです。記憶が消えるのは寂しくはありますが……」


「なら、お父様に訴えて記憶の消去をやめさせるべきでしょ!」


 ミズキは瞳を伏せると、首をゆっくり横に振った。


「確かに寂しいですが。でも私の試験データで改良された介護アンドロイドが完成して、介護施設や病院で沢山の人のお役に立てるのなら、私はそれで良いのです」


「そんな……」


「それに、それが辛いことはお父様もわかっています」


 そういうと、にっこりと微笑んでほのかを見た。


「今日のことも忘れちゃうんでしょ?」


 声が震えたほのかは、思わずミズキを抱きしめた。その細い肩がかすかに震えているのがわかった。


 ミズキは戸惑いながらも、ゆっくりとほのかの背中に腕を回す。


「忘れてしまいますが……今の気持ちは、きっと残りますから」


 芝生の上に伸びた二人の影は、ゆるやかに揺れながらも、少しずつ淡く、かすれていった。


 その向こうでは新宿の街の灯りが夜になりかけた空を照らし始めている。

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