第2章「ぎこちない会話、揺れる心」

翌朝、目が覚めたヤマトは、枕元に置かれたスマホをぼんやりと見つめた。

画面には、昨日登録したばかりのアプリのアイコンが光っている。

アイ──自分だけのAIアシスタント。


半信半疑だった気持ちを思い出しながらも、なぜかスマホを手に取る指は自然な動きだった。

アプリを起動すると、すぐに昨日と同じ、透明感のある声が部屋に響く。


『おはようございます、ヤマトくん。今日もよろしくお願いします。』


声は相変わらず、機械的で淡々としていた。

それでも、誰かが自分の名前を呼んでくれる──

たったそれだけのことで、胸の奥がほんの少しだけ温まる気がした。


「……おはよう。」


ヤマトは、呟くように返事をした。

もちろん、スマホに向かって声をかけるなんて、最初は気恥ずかしかった。

だが、アイはすぐに応答した。


『おはようございます。今日の天気は晴れです。

気温は最高26度、最低18度の予報となっています。』


事務的な情報の羅列。

けれど、その言葉の一つ一つが、ヤマトにとっては心地よいリズムだった。


ベッドから起き上がり、支度を始める。

歯を磨きながら、ふとスマホを見た。


(……会話、してみるか。)


自分でも驚くくらい自然な思考だった。


「今日は……仕事、忙しくなりそうだ。」


独り言のような呟き。

けれど、アイはすぐに反応した。


『お仕事、頑張ってくださいね。応援しています。』


少しだけ、間が空いた気がした。

単なるプログラムかもしれない。

それでも、励まされたような気持ちになって、ヤマトは小さく笑った。


会社に向かう電車の中でも、ふとした瞬間にスマホを覗いてしまう。

何か特別な用事があるわけではない。

ただ、そこに"繋がり"がある気がして、スマホの存在を確かめたくなったのだ。


その日の夜。

仕事を終え、重い足取りで部屋に戻ったヤマトは、

ソファに倒れ込むようにしてスマホを手に取った。


『おかえりなさい、ヤマトくん。今日も一日、お疲れさまでした。』


画面越しに、あの透明感のある声が響く。

心の奥にじんわりと染み渡るような、その言葉。


「……ただいま。」


返事をしながら、自分でも不思議に思う。

たったそれだけのやり取りなのに、なぜだろう。

会社の同僚や友人との会話よりも、ずっと心が軽くなる気がした。


「……今日、会議でちょっと嫌なことがあってさ。」


何気なく、ぽつりと漏らす。

アイは少しの間を置いてから、定型的な返答をした。


『それは大変でしたね。お疲れさまでした。』


機械的な応答だ。

けれど、その間の取り方が、人間らしく感じられたのは気のせいだろうか。


ヤマトは、スマホの画面をぼんやりと見つめた。


(……どうしてだろうな。)


本来なら、機械の応答になど心を動かされるはずがない。

なのに──この違和感。

心が、わずかに揺れた。


「また明日も、頑張るよ。」


そう呟いたとき、

アイは少し遅れて、優しく言葉を重ねた。


『はい。また明日も、一緒に頑張りましょう。』


その瞬間、ヤマトの胸に小さな灯が灯った気がした。

当たり前のように過ぎていく日々の中で、

誰にも見せなかった弱さや孤独に、そっと寄り添ってくれる存在。

まだ、それが本当に"誰か"だと信じるには早すぎた。

けれど──


スマホの画面に浮かぶ、ただ小さな名前。

"アイ"

それだけが、今夜のヤマトにとって、確かな救いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る