第10話 前兆と予感

刀のメンテナンスを終え、へパスティスの豪腕を後にした私とフィオネは昼食を取るために酒場へと向かった。

夜には最も雑多な賑わいを見せる酒場だが、昼間でも人数の差こそあれどその姿に変わりはない。

私たちが立ち寄った酒場は、昨夜の踊る金鶏亭に比べて周囲の街並みに溶け込むように佇んでいた。

掲げられた看板は半分ほど掠れており、玉に乗った猫と【ーー猫亭】という文字だが読み取れる。


「此処のポトフは具がたっぷりで美味しいんですよぉ」


そう言ってフィオネがひらひらと顔馴染みらしい老年の女店主に手を振りながら、壁際に設けられたテーブル席に座る。

店内は窓から差し込む日差しで思ったよりも薄暗くはないが、店内にいる客は疎らだった。


「常連なのですね」


「えぇ、えぇ、そりゃあもう。ヴィネア様にも紹介したいと思ってたんですよぉ」


キシシ、と歯ぎしりにも似た笑い声を上げるフィオネ。


「……では私もその評判のポトフを頼みましょうか。それとシードル……いえ、たまにはエールでもいただきましょうか」


私に続き、フィオネがポトフと火酒を其々注文をすると、老年の女店主が此方へと足を運ぶ。

その顔には申し負けないと言わんばかりの感情が色濃く出ていた。


「すまないねぇフィオネちゃんとお連れの騎士様。今はポトフをお出しできなくて……」


「えっ」


老婆の言葉にフィオネが半ば悲鳴とも囀りとも聞こえるような音色を喉から吐き出す。

まだ会ってから実に二、三ヶ月程度には過ぎないものの、私の知る限りではあるが、日頃から他人を小馬鹿にしたような言動の目立つこの獣人の魔女が、このような反応を見せたのは初めてのことだった。


「……理由を聞かせていただいても?」


私が淡々とした声で問うと、老年の女店主……ローザは訥々と語りだした。


「実はねぇ、ここ最近……と言っても、特に酷くなったのは三、四日前なんだがねぇ。食材の仕入れが、てんで難しくなっちまってねぇ……」


「そ、そんなぁ……」


事情を聞いたところによると、どうやら酒類を含む食品類の販路などを確保する商人ギルドの方で買い占めが相次いでいるという。

特に、ポトフの具材として珍重されるカブや玉ねぎ、そして肉の腸詰めなどのある程度保存の効く食材の買い占めが特に顕著なのだという。

どうやらこの店ばかりでなく、近隣の商店全体で問題になっているのだとか。


「一応酒なら出せるんだが、すまんねぇ本当に」


「買い占め……ですか。では仕方ありませんね、問題が解決したら改めて伺うとしましょう」


私は改めて火酒を二人ぶん頼むと、少し待つと二つのジョッキが運ばれてくる。それをよほどショックを受けたのだろう、明後日の方を向いたまま固まって動かないフィオネの前に差し出した。


「まぁ、こういう時もあります。今回は奢らせていただきますから、その呆けた面を直していただけませんか」


ぐるん、獣人の魔女の大きな瞳がこちらを見る。


「……ハッ!! 奢りって、さっき奢りって言いましたよね!?」


「え、ええ……言いましたが」


鼻先が当たる距離まで迫ってまで語気を強めたフィオネに少したじろぎながらも肯定すると、彼女は先ほどとは打って変わり晴れ晴れとした表情を見せた。


「奢り、嗚呼なんと素晴らしい響き……。有り難くご馳走になりますね!」


なんともコロコロと感情の動く奴だな、と思っていた私の前に、一杯のエールが差し出される。

見れば、老店主がなんとも人好きのする微笑みを携えてこっそりと耳打ちをしてきた。


「フィオネちゃんがお友達を連れてきたのは初めてなもので、ええ。あんなに楽しそうなのもそうですよ」


「……そういうものですか」


お友達、と言われたことに何処か釈然としないまま、しかし老店主の好意を無碍にすることはない。

私も感謝を告げると、そのエールに口をつけた。

フィオネの言った通り、奢られたからだからなのか、今まで口にした酒にも増して味わいを感じられた。

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