第6話 愛しきひと


夜の空が少しずつ白じんできた頃、【踊る金鶏亭】から街道沿いに進んだ先、フェルリア湖畔にシュタットヘルム王国の首都である王都シュテーリアは存在していた。

小高い丘の麓と湖畔の合間に沿って築かれた市街は南北の二重の城壁が築かれているが、その外には道に沿って点々と置かれた古い城門ばかりが築かれている。

かつて、まだシュタットヘルム王国が築かれたばかりの頃には数えて四重の城壁があったのだというが、市街が拡張される際に取り壊されたのだと言われている。今では外延部の市街を跨ぐ堀だけが、かつて存在した防衛機構の名残だとされる。

そして市街と湖畔を見下ろせる小高い丘の上には、時代を感じさせる古式ゆかしい城が聳えていた。

城の名はシュタットヘルム王城。……すなわち、シュタットヘルムの国政を司る中枢である。


「……それで、どうだったかな?」


城館の一室に、若さの残る落ち着いた声色が響いた。

窓とカーテンが閉め切られ、燭台の微かな灯りが薄ぼんやりと部屋の中を照らしている。照らされた部屋の壁にはタペストリーが掛けられていて、最も目立つ天蓋付きのベッドの他には、ソファやテーブルといった家具が置かれている。

声の主は二十代の半ばであろうやや背の高い男で、寝間着の上から丈の長い部屋着を肩から掛けている。彼はつい先程まで寝ていたようで、水差しを片手にソファに腰を下ろしていた。


「はっ。下命の通り、首領の【血髭】ヴェサムはじめ、配下の盗賊は全て始末しました」


ヴィネアは部屋の扉側、ソファの傍らの床に跪いていた。頭を項垂れるように視線を床へ向けながら、先程に【踊る金鶏亭】で起きたことについて、ソファに座る男……彼女の主であるオットー・フォン・ルーシジェアに報告していた。


「あぁ、よくやってくれた。……ヴィネア、君も疲れただろう。暫くは身体を休めるといい」


オットーはソファから腰を上げると、ヴィネアの肩に手を置いて労いの言葉を投げかける。

ヴィネアが顔を上げると、目の前には目尻の垂れた堀の深い顔があった。浮かぶ笑みには、見るものには威厳さよりもどこか親しみを感じさせる雰囲気がある。


「それに、君と同行したあの魔女の……そう、確かフィオネ君だったか。彼女にもゆっくり休むよう言っておいてくれないか?」


「……はっ」


ではな、とオットーはヴィネアの頭を軽く撫でるとまたソファに腰を下ろした。

ヴィネアは少しばかりの名残惜しさを覚えながら、恭しく頭を下げて部屋から退出する。

扉の閉まる音がして少しばかり経った頃、部屋の外からヴィネアの足音が遠ざかるのを確認したかのように、天蓋に囲われたベッドから声が響いた。


「……オットー」


鈴の音のような声が、青年を呼ぶ。


「……起こしてしまったか」


彼はテーブルに置かれていたグラスに水を注ぐと、ベッドの方へと向かった。

ゆっくりと天蓋を捲り上げると、其処にはオットーが羽織っているものよりも優美な作りの寝間着を纏った、幼い外見の少女がいた。

少女はヴィネアと比べてもだいぶ幼く、腰まで伸びる程のふわりとしたブラウンの髪を纏め上げている。彼女は身体を起こすと、華奢な細腕を伸ばしてオットーからグラスを受け取る。


「……いえ、話は一通り聞いておりました」


「それは……ハハハ、貴女も存外に強かなのだと、改めて認識してしまうな」


オットーは肩をすくめ、困ったような表情をしてみせる。

それは、ヴィネアに向けたもの笑みと比べるとややぎこちないもので、しかし声はより穏やかなものだった。


「……わたくしは、貴方のすることに対して、特に意見するようなことはしません。……ですが」


少女の言葉を遮るように、オットーは彼女の頭に優しく手を置いた。


「……陛下、いやマリー=エレオノール。貴女の言おうとなさっていることが何かは理解している。しかし、彼女の……ヴィネアの想いに応えるには、私の立場がそれを許しはしないだろう」


ベッドの上の少女、シュタットヘルム王国の女王であるマリー=エレオノールの問いかけに対し、オットーは何処か自嘲するように返した。


「何故なら、私は貴女の夫……この国の王配なのだからね」


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