第3話 君の腕が見える時

 俺は毎朝走るようになった。

 軽いランニングなどではない。


 がんばって作った自家製の12キロアンクルウェイトを両腕両脚に、合計48キロの枷をつけて常に全力疾走。


 物部天獄との再会時に霊力を操作する方法は身につけた。なので、疲れれば少しずつ体力を回復させて、身体を鍛える。速く動けるように。直線的な速さだけではなく、咄嗟に方向を転換できるように、つねに先を読む訓練をする。


 鍛え、鍛え、鍛える。身体を強くして、物部天獄を追う。この人生を全てあの男の討伐に費やす。


 俺は人間が好きだ。人間の喜怒哀楽は分かりやすい。しかし、分かりにくい。複雑怪奇な人間の心を愛している。俺も愛してほしいと思っている。


「あっ、ハチくん!」

「……三河さん」


 高野長英記念館の前で汗を拭いていると、三河さんが声をかけてきた。どうやら水沢公園の前を通ったらしい。


「今日も励むね。大丈夫? 身体壊さない?」

「うす! 大丈夫っスよ。こんな身体、いくら壊してもいいんスよ。それより俺なんぞと話しかたりしてていいんスか? なんか予定があるとかじゃ?」

「友達の引っ越しの手伝い」

「朝早くから、お疲れ様です」

「いやいや〜。あっ、そうだ! ね、ハチくんも引っ越し手伝ってよ! そのパワフルなフィジカルで家具持ち上げて〜! お助け〜!」


 両手を合わせて、三河さんが頼み込んでくる。


「いいっスよ。ちょうど今日の『午前トレーニング』は終わったところだったんで。でも、ちょっと汗臭いから身体洗いたいんですけど」

「うーーーーーーん。ここから近いから俺の家に来なよ。服も貸しちゃう」

「貴方の服着れっかな〜」

「ナメられてる……!」


 今日は5月3日の木曜日。つまるところ憲法記念日。憲法記念日といえば憲法を記念する日なのだろう。俺は頭が悪いタイプの農業高校生なので、そこのところ分からないが、5月のこの休日ラッシュはいつも「四六時中遊んでても誰も文句言わん最高の日」として記憶している。


 身体を鍛えてばかりで人との交流を失ったら俺はまた何かを失うかもしれない。友人や知人の誘いは断らず、時には自分からも誘う──というふうにしている。


 俺は人間が大好きなんだ。


「歩ける?」

「うす。俺、こう見えて結構頑丈なんスよ」


 マッスルポーズをしてみる。


 三河さんが住んでいる家にやってくると、俺はシャワーを借りた。人んちの風呂場はやっぱり少しソワソワしちゃう。


「君これ着れるかな〜」

「俺、結構ガタイがいいんすけど……大丈夫っスかね」


 三河さんの体格では少し小さい気がする。


「あ、ダッボダボのアロハシャツある。これ着る?」

「っていうかおパンツどうしましょう」

「いらないでしょ」


 身体を拭いて、バッと風呂場から出る。


「じゃ、それを着ます」

「君はよくもまぁ堂々と全裸を人に見せられるね」

「同性なんだから。気にする事もないでしょ。さすがに女性相手にチンポは見せらんないけど」

「え〜?」


 三河さんは悪戯の顔で笑みを浮かべる。


「俺の事本当に男だと思ってるんだ」

「見た目は女の子っスけどね。でも……」


 こめかみを人さし指で数回叩く。


「ほら、男じゃないスか」

「んーーーー…………ま、いっか! じゃ、はやく服を着なさい。風邪引くよ」

「うす」


 三河さんが持ってきた服は概ねピチピチだった。


「次からはもう少し大きい奴用意してくださいよ」

「なんで君の為に着れない服を用意しなければならないのかね。もういいからはやく行こうよ。遅刻しちゃう」

「住所は何処です?」

「ここ〜」


 百景種の感知能力にてルートを確認。


「じゃあ、走りますか」

「俺あんまり体力ないよ」

「俺が走るので結構っスよ」


 三河さんを持ち上げて、地面を踏み込む。徒歩で言えばここから1時間30分ほど。しかし俺が走れば12 分。


「俺の事は便利なタクシーだと思ってください」

「何を……」


 道程は省略。結論を言えば到着。


「……なるほど……便利なタクシー……」

「はやいでしょ。鍛えた甲斐があるってもんですよ」

「でもね、自分の事を卑下するような事を言うのはあんまり頂けないな。君はタクシーじゃないんだよ」

「…………それはまぁ、そうとして」


 彼は一体何を言っているのか。

 何も分からなかった。

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