第2話 再会のステンドグラス

仙台駅に着いたのは、待ち合わせの一時間も前だった。

改札を抜け、見慣れたステンドグラスの下に立ったとたん、心臓の鼓動がひときわ速くなる。


(やっぱり、早すぎたよね……)


スマホを何度も確認しては、そわそわと時計を見上げる。

早く来すぎたのは、結葵に会える嬉しさと、どうしても抑えきれない不安のせいだ。


(ちゃんと話せるかな……)


胸の奥で押し込めていた感情が、今日という日に向かって、静かに波打っている。


(落ち着け…落ち着け…落ち着け…)


そうだ!

こんな時は志人さんとのこと考えよう。


そう言えば…

以前にボランティア帰りの志人さんを迎えに来た時も一時間前に着いてたっけ…

あの時は…


想い出すと笑いが込み上げてきた。

ちょっと落ち着けたかな…さすが志人さん。


ふぅと息を吐いてもう一度ステンドグラスを見上げる。


そんな時だった。


背中越しに、肩をポンポンと優しく叩く手の感触。この叩き方、この感触…憶えてる。

あぁ懐かしい…間違いない!

振り返る前に確信していた。幼い頃から何度も何度も、この肩をやさしく叩かれて振り返る…そしてそこには…


「ゆ・・・きちゃん!」


言葉にならない、けれど確かな声が喉の奥からあふれた。

振り向いた先に、懐かしい顔があった。


結葵は、目をまるくして、驚く。

その手は何かを伝えようと準備していたのだろう。掠れたはっきりしないわたしの声を聞いた結葵の指先はわたしを指差して少し震えている。

そしてすぐに涙ぐみながら、私をぎゅっと抱きしめた。


「よかったぁぁぁ!声!みちだ!みち!みち!みち!」


互いに泣きながら、ぎゅうっと力いっぱい抱き合った。

人目なんて、全然気にならなかった。


あの日止まってしまった時計が、静かに、でも確かにまた動き出した気がしたーー


***


互いに涙を拭って、少し照れくさく笑い合った。

結葵は、目元を指でこすりながら「もう……泣かせないでよ」って拗ねたふりをする。

わたしも「それはこっちのセリフだよ」って、かすれた声で応えた。


自然と並んで歩き出す。

まだ少しぎこちないけど、並んでる距離は昔と同じくらいだった。


「みちの声…小5振りだな。また出せるようになったんだね…本当に良かった」


「ありがとう…まだ緊張したりすると出なくなっちゃったりするんだけど」


わたしは手話も交えて話す。結葵もそれを見ながら手話で返す。


あぁ懐かしい。結葵のゆびさき…あの頃より手が綺麗になってるな。中学の頃はテニス部で、手も黒く焼けてたもんな…


そんなことを思いながら歩くうちに、歩幅も昔のように合ってきた。


「ねえ、せっかくだからさ、美味しいランチ食べに行こ?」


結葵が、ふわっと笑う。


その笑顔を見て、胸の奥がじんわり温かくなった。

…そうだ。わたしたち、またここから始められるんだ。取り戻せるんだ。


駅近くのお洒落なカフェレストラン。

案内された窓際の席で、二人向かい合って座った。


メニューを開くと、なぜか二人同時に同じ料理を指さして、また笑い合う。

そんな些細なことが、ただただ嬉しかった。


料理を待ちながら、まずは近況報告みたいな、たわいない話をした。

わたしは大学生活のこと、休学していた期間のこと。そして志人さんとのこと。

結葵は社会人になってからのこと、仕事のこと。


でもーー


あの時のことには、なかなか触れられなかった。


コーヒーカップをそっと揺らしながら、心の中だけで、何度も言葉を探していた。


(ねえ、あの時、どうして……)


(でも、いまさら何を言えばいいんだろう)


カップの中で揺れるコーヒーみたいに、わたしたちの心も、静かに揺れていた。


***


ランチをしたカフェを出ると、春の陽射しがちょっと眩しかった。

それでも、空気はまだ少し冷たくて、わたしたちは自然に肩を寄せ合うように歩いていた。


「どこ行こうか?」

結葵が、笑いながら問いかける。

けれど、その笑顔の奥に、どこか言葉にできないものを抱えているのが、わたしにはわかった。


(結葵……本当は、話したいことがあるんだよね)


でも、わたしも同じだった。

言葉にしたら、壊れてしまいそうなものがある気がして。


わたしたちは、あえて触れないまま、近くのカフェに入り直した。

まるで、時間を引き伸ばしているみたいに。


温かいカフェラテを手に、窓の外をぼんやり眺めながら、それでもふたりの話は続いていく。

高校受験の思い出、部活のこと、卒業式の日のこと。

モノクロだった記憶が、少しずつ、色を取り戻していくのがわかった。


(…懐かしいな)


(だけど、やっぱり)


胸の奥に引っかかっているあの日の記憶は、簡単にはほどけない。

結葵もきっと、同じだった。


「ねえ、みち。夜、空いてる?」


ふいに、結葵が言った。


「よかったら、どっか飲みに行かない?…久しぶりにさ」


彼女のその声には、少しだけ覚悟みたいなものが滲んでいた。


わたしは、迷わず頷いた。


「うん。行こう」


(きっと、今夜。結葵は話すつもりなんだ)


心の中で、そっと、深呼吸をした。





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