第25話 叫び、響く

「……くる……!」


 黒影が、ゆっくりと腕を持ち上げた。

 その指先が悠然と俺を指し示すと、空気がピキピキと音を立てて凍りつく。


 「ッ――!」


 逃げなきゃいけないとわかってるのに、足が一歩も動かない。

 心臓が凍りつくような冷たさで、胸が締め付けられる。


 黒影の腕が振り下ろされた――


 ズガアアアアッ!!!


 瘴気の触手が何本も伸び、まるで生き物のように俺めがけて襲い掛かってくる。


 「――悠人!!」


 耳元に、怒鳴り声が飛び込んだ。

 その瞬間、視界の端から白銀の閃光が走り――


 ズバッ!


 仁科が疾風のように飛び込み、結界札を叩き込む。


 「結界・斬鎖(ブレイドバインド)!!」


 瘴気の触手が一瞬にして絡め取られ、ギリギリと軋む音を立てる。

 仁科の額には大粒の汗が浮かび、牙をむくように唇を引き結んでいる。


 「クソッ、間に合ったか……!」


 だが、すぐに別の気配が背後から迫った。

 悠人をかばうように、もうひとつの影が割って入る――


 「悠人、伏せろ!」


 天見 真澄――。

 護符が一斉に展開され、目にも止まらぬ速さで空中を縫い上げる。


 「結界・四方陣(クアッドロック)!!」


 青白い光が爆ぜ、瘴気の波が押し返される。

 その瞬間、悠人の身体が地面に叩きつけられるように倒れ込んだ。


 「……真澄、お前……来たのか」


 仁科が肩越しに睨む。


 「さっさと倒れてたお前を見てられなくてな」


 短い会話の奥に、張り詰めた緊張が滲む。

 互いに険しい表情のまま、だがすぐに視線を黒影へと戻す。


 「……面倒な連中が増えたか」


 黒影が低く呟き、漆黒のローブが音もなく揺れる。

 その奥で赤い光がぼんやりと瞬き、魔力が再び蠢き出す。


 「仁科、行くぞ!」


 「言われなくても……!」


 仁科が駆け出す。天見も即座に飛び込む。

 二人は一瞬も迷わず、完璧なタイミングで攻め込んだ。


 仁科は疾風のように駆け、次々と符を繰り出す。

 「結界・封刃(シールブレード)!」

 刀のように輝く符が空中を切り裂き、黒影のローブをかすかに裂いた。


 だが――


 「甘い」


 黒影の手がスッと伸び、仁科の攻撃は空中で霧散する。

 仁科の目が見開かれた瞬間、漆黒の魔力弾が一直線に撃ち出され――


 ドガァンッ!!


 仁科の身体が吹き飛ばされ、地面に転がる。

 肩口が裂け、血が飛び散る。


 「仁科――!!」


 天見が声を上げたが、その隙を狙うように黒影が詰め寄る。

 だが、天見は冷静に結界を再構築し、間一髪で間合いを保った。


 「結界・守壁(フォートレス)!!」


 空中に幾重もの防御陣が出現し、黒影の一撃をギリギリで防ぐ。

 だが、防御陣はあっという間にひび割れ、まるでガラス細工のように崩れ落ちた。


 「――まだだ!」


 天見は地面を蹴り、すれすれの距離で黒影の脇を抜けると、護符を束にして放つ。


 「結界・雷刃陣(ボルテックスクレイヴ)!」


 稲妻のような刃が無数に出現し、黒影を斬りつける。

 煙が立ち込め、光が暴れる――だが。


 「無駄だ」


 低く響いた声と共に、黒影が煙の中からそのまま現れた。

 無傷――。


 「な……っ」


 天見の顔が苦痛に歪む。


 次の瞬間、黒影の腕が鋭く振り抜かれ――


 ズガァン!!


 天見の体が吹き飛ぶ。

 仁科のそばまで転がり、護符がパラパラと地面に散った。


 (ダメだ……!)


 悠人は膝をついたまま、全身が凍り付くように動けない。

 リリムもカグラもまだ動けず、もはや誰も――


 黒影が、ゆっくりと天見に歩み寄る。

 右手に、禍々しいほど巨大な魔力弾が生まれる。


 ゴォォ……ッ!!


 それはまるで黒い太陽のように、重く、脈動している。


 「これで……終わりだ」


 天見はよろめきながらも、仁科の前に腕を広げて立ちはだかった。


 (ダメだ……ダメだ……!!)


 悠人の胸が、張り裂けそうに痛む。

 息が苦しい。全身が叫んでいる。


 (もう……誰も傷ついてほしくない……!)


 黒影が魔力弾を放とうとする――その瞬間。


 「やめろぉぉぉぉぉぉッ!!!!」


 悠人の叫びが、空間を震わせた。


 ズバン――!!


 次の瞬間、放たれたはずの魔力弾が、まるで糸が切れたように掻き消えた。

 空気が止まり、時間さえも一瞬凍りつく。


 黒影が、ピクリと顔を上げる。


 「……何……だと……?」


 深い闇の奥から、ギラリと赤い光が悠人を捕らえる。


 「まさか……貴様は……」


 低い声がそう呟いたところで――


 視界がふっと暗転した。


 


(つづく)


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