第3話 悪魔、善意で暴走する

「悠人、今日はどこ行くの? またコンビニ? それとも、銀行強盗?」


「行かねぇよ。どっちにもな」


 朝からテンション高めのリリムに、ため息が止まらない。

 昨日のバイト騒動のダメージがまだ尾を引いているのに、こいつは反省という言葉を知らないらしい。


「ていうか、お前、もう少し静かにできないのか? 隣の部屋の人、壁越しに舌打ちしてたぞ」


「えっ、あたしのこと嫌ってるの!? 善良な悪魔なのに!?」


「そもそも“善良な悪魔”って矛盾してないか?」


「してるけど、今の私は改心したのっ!」


「どこで何があったんだよ……」


 


 朝の支度を終え、俺はとりあえず外へ出ることにした。

 壁がない部屋にいると、なんだか落ち着かない。

 隣人の生活音までクリアに聞こえてくるし、これ以上怒られると、さすがに退去も現実味を帯びてくる。


「どこ行くのー?」


「図書館」


「としょかん……?」


「静かで、冷房効いてて、金もかからない神の施設だ。お前も来るか?」


「行くっ! 本読むの大好きだよ! “人間の欲望を言語化したもの”でしょ?」


「……表現が怖すぎるんだが」


 


◆ ◆ ◆


 


 近所の市立図書館。

 子どもからお年寄りまで、様々な人が静かに時間を過ごす場所。

 俺の“避難所”でもある。


「ここは静かにしろよ。私語禁止だ。お前、声デカいからな」


「はーい♪ 了解しましたっ!」


 元気な返事をした時点で既にアウトだが、本人に悪気はない。

 リリムは俺の隣にぴったり張り付きながら、館内をキョロキョロと見回している。


「うわぁ、いっぱい本がある……! この世界の知識、全部ここにあるの?」


「いや、たぶん一割もないけどな。ていうか、目立つなよ……」


「じゃあ、あたし、探検してくるねっ」


「……待て、勝手に動くな」


 


 だが、その忠告は一歩遅かった。


 リリムは軽やかに俺の元を離れ、館内の奥へと消えていく。


「……嫌な予感しかしねぇ」


 


◆ ◆ ◆


 


 それからおよそ五分後。


 館内の静けさを切り裂く、突然の悲鳴が響き渡った。


「ぎゃあああああああっ!? 本が……本が燃えてるううううう!!」


「はあああああああああっ!?!?」


 俺は声のする方へダッシュした。

 案の定、そこにはリリムがいた。

 そして、その手には、うっすらと煙をあげる――焦げた辞書。


「ちょ、何してんだお前えええっ!!」


「違うのっ! あのね、この本、間違ったことが書いてたから、魔界の真実に書き換えようとしたら、うっかり……」


「うっかりじゃ済まねえよ!!」


 


 職員と館内利用者が集まってきて、大騒ぎになった。

 消火器で火はすぐに消されたものの、本棚の一角は黒く煤け、リリムはスタッフに取り囲まれる。


「お客様、申し訳ありませんが、こちらに――」


「逃げるぞ、リリム!」


「えっ、でもあたし――」


「いいから黙って走れ!!」


 


 俺たちは文字通り、図書館から逃げ出した。

 もうあそこには二度と入れないかもしれない。


 


◆ ◆ ◆


 


 その日の夕方。

 河川敷のベンチに座り、二人で沈黙していた。

 川の流れが、なんとなく、心を落ち着けてくれる。


「……怒ってる?」


「そりゃ怒るだろ。お前、図書館燃やしかけたんだぞ」


「でも、悪気はなかったよ?」


「善意でやらかすのが一番タチ悪いんだよ……」


 


 リリムは、申し訳なさそうに肩をすぼめた。

 それでも、あの赤い瞳は、どこかキラキラしていた。

 “知りたい”っていう気持ちでいっぱいだった。


「本って、面白いね。人間の考え方がぎゅって詰まってる感じで……。あたし、もっと知りたいな」


「燃やさずに読め。な?」


「うん、気をつける……」


 


 少しだけ、静かな時間が流れる。

 なんでかわからないけど、昨日より今日のほうが、こいつの隣が少しだけ自然に感じる。

 ……いや、勘違いかもしれないけど。


「なあ、リリム」


「なに?」


「次、何しでかす気だ?」


「うーん、まだ決めてないけど……明日、“人間界の神様”に会いに行ってみたい!」


「絶対やめろ!!!!」


 


(つづく)

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