浮世の刀、未来を裂く

天野 雫

第1話

「これは……歌川広重の『東海道五十三次』にして、どこにも存在しない五十四番目の宿場……?」


瑞雲要が、絵の前で立ち止まった。


「五十四番目?」ヒロインの美月(みつき)が眉をひそめた。「そんなの、聞いたことないけど?」


「そう。普通は東海道は五十三次まで。しかしこれは、"幻の五十四番"。しかも、この絵……息をしている。」


「は……? 絵が息をする?」


瑞雲は顎に手を当て、静かに目を閉じた。「深紅の、ね。絵の中にごくわずかに、赤く揺らめく呼吸のようなものがある。見てごらん。」


美月は目を凝らすと、たしかに……絵の片隅に、小さく赤く、鼓動のような滲みがあった。


「これ……生きてるの?」


「正確には、“宿している”。封じられた者の息。塩を撒いて焼かねば滅びぬ――そう記された古文書がある。」


「誰がそんなの封じたのよ?」


瑞雲の目が鋭く細められる。「平岡円四郎だよ。幕末、徳川の密命を帯びた隠密。彼は“赫息会”の封印者だった。」


「赫息会(かくそくかい)……また物騒な名前ね。」


「彼らは“深紅の息をする”と記された異端の組織。絵の中に封じられたのは、その始祖――赫息の祖たる者。その魂を焼けるのはただ一振り、“童子切安綱(どうじぎりやすつな)”のみ。」


「……で、その刀は今どこに?」


瑞雲はニヤリと笑った。「徳川埋蔵金の最後の箱の中さ。」


「はぁ!? それ、都市伝説でしょ!」


「都市伝説にこそ、真実が眠っている。さ、始めようか。謎の演繹は、ここからだ。」


瑞雲は絵をそっと額から外し、裏面を丁寧に撫でた。やがて、絹のような紙の裏にうっすらと筆文字が浮かび上がる。


「これ……火で炙ると出るやつ?」


「いや、柿渋と藁灰で書かれた“陰筆”だ。紫外線を浴びた絹だけが浮かび上がる。お前のスマホを借りるよ。」


「え、ええ……」


美月がスマホのUVライトを点けると、そこには古風な筆致でこう書かれていた。


『安綱の血を継ぐ者、五十五番に至らば封が解かれるべし。平岡、塩を撒け。』


「……五十五番? 今度は五十四番じゃなくて?」


「いや……“五十五番”こそ、本当に存在しない幻の宿場だ。」


瑞雲は立ち上がり、幻翳堂の書棚から分厚い地図帳を取り出した。ページをめくりながら言う。


「広重の描いた五十三次の絵は、すべてが“写し”と言われてきた。だが……彼は見たんだ。“先”を。“未来”を。」


「まさか……未来に宿場が増える、と?」


「そうじゃない。彼は五十三の中に“隠された一つ”を描いた。いや、“潜ませた”んだ。見よ、美月。」


瑞雲が地図帳と浮世絵を並べると、重なり合うように浮かび上がる“余白の道”。


「この道……存在しない……けど……絵の構図に沿ってる……?」


「そこが“幻の五十五番”――赫息の者が最後に息を吐いた地。塩を撒いて焼かねば、また世に出る。」


「じゃあ、そこに行くってわけね?」


「もちろん。だがその前に、手がかりを握る“平岡円四郎”の遺品を探さなければ。」


「どこにあるの?」


瑞雲は目を細め、声を低くした。


「静岡。旧・掛川藩邸跡。彼が密かに埋めた“焼印”が、次の鍵だ。」


「……よし、じゃあ準備して。私も行く。」


「当然さ、美月。“演繹の旅”は、助手がいなければ始まらない。」


夜。京都、幻翳堂。


店の奥、畳敷きの作業台に並べられたのは、歌川広重「東海道五十三次」の全ての浮世絵と、先ほど掛川で手に入れた焼印の木板。


美月は肩に小さな湯たんぽを当てながら訊いた。


「“五十三の裏”って、結局どういう意味なの?」


瑞雲は腕を組んだまま、視線を絵に這わせていた。


「五十三枚の浮世絵、それぞれには“表”と“裏”がある。表は風景……だが、裏は――“構図”だ。」


「構図……?」


「広重は、無意識に宿した。“赫息”を封じるために。この絵の配置を、こうして並べる。」


瑞雲は一枚ずつ、並べる位置を入れ替え、角度を調整し、そして――


「……見えてきた。」


全ての浮世絵を三列に分け、順に並べると、その形は一つの巨大な“刀”の姿を浮かび上がらせた。


「……え、これ……童子切?」


「その原型だ。“絵の構図”は刀身。“宿場の位置”が鍔。“富士山”が、刃の峰。そしてここ、二川宿の絵だけが、不自然に“反転”してる。」


「反転……裏返ってる?」


瑞雲は小刀を取り出し、二川宿の絵の裏にそっと切れ目を入れた。


――パリ……。


古い和紙の内側から、さらに一枚、薄い紙が現れた。そこには、見覚えのない地形図。そして――金色の文字でこう記されていた。


『童子切、眠るは“影富士”の胎内。夜明けを待て。』


「影富士……?」


「実際には存在しない“逆さ富士”のことだ。場所は……山中湖。そこから見える角度、特定の季節にだけ現れる逆さ富士の裏に……“胎内”がある。」


「じゃあ、そこが安綱の隠し場所……?」


「間違いない。そして赫息会もそこを狙ってくるだろう。」


その瞬間、店の外から爆ぜるような破裂音。


「……来たな。」


扉が吹き飛ばされる。煙の向こうに現れたのは、赫息会の新たな使者――狐の面をかぶった男。


「“門を開ける者”よ。我らの祖を解き放つな。お前たちの血も、塩では清められぬ。」


瑞雲は笑った。


「なら試してみろ。“塩で焼かれぬ者”など、この世にいない。」


美月が塩の袋を構え、瑞雲は剣の構えを取る。まだ刀はない。けれど、意志は揺るがない。


「童子切を手に入れるまで、俺たちは止まらない。」


夜明け前の山中湖は、まるで息を潜めるように静まり返っていた。水面は一枚の鏡。そこに映る“逆さ富士”――“影富士”が、今、姿を現していた。


「……これが、胎内か。」


瑞雲と美月は、湖のほとりに立っていた。美月の手には、掛川で手に入れた焼印の木板。瑞雲の手には、古い塩の壺。


「この座標で間違いない。影富士が完全に逆さになる瞬間、太陽が山影に入り、そこに“門”が開くはずだ。」


「その“門”って、どこに?」


瑞雲は、足元の湖畔の石をそっと動かした。そこには、掌ほどの“金の鍵穴”があった。


「この鍵……焼印の板だな。」


焼印の板を差し込み、ひねる。


ゴォ……と地鳴りのような音。水面が一部渦を巻き、湖底からゆっくりと何かが浮かび上がってきた。


それは――

漆黒の箱。金の飾りを施され、中央には“童”の文字。


「これが……童子切安綱……?」


瑞雲が箱を開くと、中には無垢なる刀が一振り、静かに横たわっていた。刃文はまるで燃える焔のよう。柄には“葵の紋”。そして、鞘には塩を打ち込むための“刻み穴”が彫られていた。


「この刀……赫息を断つために作られた……?」


「そう、平岡円四郎が最期に残した刀剣。徳川の封印刀。そして赫息を“焼き切る”唯一の手段。」


「じゃあ……これで……!」


その瞬間、湖畔の森から現れたのは、赫息会の総師――

深紅の装束、顔は面で隠され、ただ瞳だけがぎらついていた。


「……“童子切”を、よくも……目覚めさせたな。」


瑞雲は刀を抜いた。鞘から走る一閃は、空気さえ焦がす。


「この一太刀で終わらせる。お前たちの深紅の息を、塩と鋼で絶つ。」


総師が手を翳すと、背後の空気が歪み、赫息の瘴気が広がる。塩を弾き、熱をも融かす“血の息”。


「……美月、撒け!」


美月が、赫息の周囲にぐるりと塩を撒くと、童子切の刃が淡く光りはじめた。


「この刀、塩に反応してる……!」


「そうだ。塩で“結界”を張り、そこにこの刃を振るえば――赫息はもう、戻れない。」


総師が唸るように言った。


「――我らを断てば、世界の均衡も崩れるぞ!」


瑞雲の目は微塵も揺れなかった。


「ならば、崩れてもらおう。真実の上にしか、均衡は築けない。」


童子切が唸りを上げた――!


次の瞬間、赫息の総師が放った紅の息を、刀の一閃が裂いた。


世界が、音もなく光に包まれる。

朝の光が、湖を照らしていた。

赫息の気配は消え、世界は、ただ静かだった。


美月は瑞雲の隣で、静かに言った。


「……終わったの?」


「いや。始まったのさ。赫息を断ったことで、真の歴史が動き出す。」


「真の歴史?」


瑞雲はふと空を見上げた。


「歌川広重は、“未来を見た”。だからこそ、あの浮世絵を残した。平岡円四郎もまた、その未来を守るために“封じた”。」


「じゃあ、わたしたちがやったことは……」


「彼らの“意志”を繋いだだけさ。――名探偵としてな。」


美月は少し笑った。


「でも、私は助手よ? ちゃんと給料出る?」


瑞雲は苦笑しながら、童子切を背負った。



場所は江戸、慶応元年。

老中・阿部正外邸の一室にて、平岡円四郎は、一振りの刀と数枚の図面を前に深いため息をついていた。


「……これが“赫息”……いや、“未来”の災いか。」


対面に座るのは、時の英傑・勝海舟。


「平岡、そなたが見た“夢”のこと、詳しく話せ。」


「……夢などではない。私は見たのだ。五十三の宿場が血に染まり、深紅の息に呑まれる未来を。」


円四郎は机に置かれた“童子切安綱”を見つめる。


「広重は知っていた。あの浮世絵に、“息”の封印を忍ばせたのだ。」


「では、それを守るために――埋めると?」


「そうだ。刀も、真の地図も。そして、赫息会の“起源”も。」


勝は、煙管の火をゆっくりと消した。


「わかった。だがその任、そなた一人では背負いきれまい。」


「ふ……背負えるさ。私は“ただの刀鍛冶の孫”に過ぎぬが……使命は持った。」


円四郎は、封を施した“徳川埋蔵金の箱”に、童子切と共に最後の文を入れる。


『赫息の祖、目覚めしとき。

この刀にて塩を撒け。

徳川の終わりは、未来の始まり。

平岡円四郎、ここに“真”を封ず。』


時は戻り、現代。幻翳堂の地下書庫にて。


瑞雲が読み上げる。


「……これが、平岡円四郎の遺書……?」


「徳川埋蔵金って、黄金じゃなかったのね。『刀』と『未来を守る意志』だったなんて。」


「赫息会はそれを知っていた。そしてそれを奪い、“過去の力”で未来をねじ曲げようとしていた。」


「じゃあ……赫息会の正体は?」


瑞雲は一冊の古書を手に取る。それは“御庭番日誌”の写本だった。


「赫息会――正式名称赫玉息影(かくぎょくそくえい)

将軍の影武者と、禁じられた術者を集めて創られた、幕府非公式の“影の部隊”――」


「……術者って……忍者、じゃないよね?」


「違う。“息を止め、気配を消す”術。だが彼らは術に飲まれ、“赫息”を纏った。塩と鉄以外では殺せぬ存在になった。」


「それを……止めたのが、平岡円四郎?」


「そう。そしてその封印を破ったのが……現代の赫息会。奴らの目的は“再誕”だった。」


瑞雲は言う。


「だがもう二度と蘇らせない。平岡の意思を継いで――童子切で、すべてを断つ。」


明治三年、東京・兜町。

新政府に仕えながらも、徳川の志を忘れぬ男――渋沢栄一は、一人の使者を迎えていた。


使者は平岡円四郎の“遺弟子”、尾形鋼助(おがたこうすけ)。

彼は密命を帯びていた。


「渋沢様……これを。」


尾形が差し出したのは、布に包まれた古い刀。

“童子切安綱”。

そして、それを収めるべき“新たな封印箱”の設計図。


「……これは、円四郎殿の遺志か。」


「はい。赫息会の残党が、動き始めております。徳川が封じたものを、今度は“国”が封じねばなりません。」


渋沢はその刃をじっと見つめた。


「私は、富国強兵の道を歩いている。だが……その“富”と“国”を蝕む者がいるなら――それを断つ手が必要だ。」


尾形は静かに頷いた。


「あなたなら、分かっていただけると思いました。これは“過去”ではなく、“未来”を守る刀です。」


渋沢はやがて口を開いた。


「いいだろう。封じの場所は、未来の“経済の中枢”となる場所……すなわち、日銀創設予定地に隠そう。」


「えっ……そこに?」


「誰もが目を背けない、誰もが触れられない場所に――真の宝を。」


こうして、童子切安綱は、

未来へと受け継がれる“封印刀”として、

静かに日本経済の胎内へと――埋蔵された。


幻翳堂 地下書庫

瑞雲は美月に言う。


「日銀本館の地下に、未公開の保管庫がある。その設計図には、渋沢栄一の直筆で“刀の間”と記されていた。」


「えっ、そこに今も……?」


「いや、刀はすでに動かされてる。日銀の建て替え前、渋沢の孫が“幻翳堂”に寄託したらしい。祖父の遺言を守る形でな。」


「じゃあ、童子切がここにあるのは……偶然じゃないんだ。」


「すべて、繋がっていた。平岡円四郎、渋沢栄一、そして赫息会の残党。

この国の“見えない血脈”を断つには、彼らの意思を今こそ、刃に変える必要がある。」

場所:東京都・日本銀行旧館 地下第三階層(非公開区域)


瑞雲は、幻翳堂に届けられた旧日本銀行の設計図を、静かに広げた。


「……やっぱりだ。この“円形の地下構造”、五芒星(ペンタグラム)になってる。」


「えっ……銀行なのに、五芒星?」


「いや。これは、建物の“意匠”じゃない。“結界”なんだよ。」


設計者は辰野金吾。だが、図面の片隅に“渋沢栄一印”と共に、もう一つの署名があった。


『尾形鋼助記』


「……平岡円四郎の弟子だ。」


瑞雲は指を図面の中心に置く。

その座標には、何の部屋も記されていない。


「ここが“刀の座”。童子切安綱が、赫息の息吹を封じ込める“結界の杭”になっていたんだ。」


「でも今は……刀はもう、幻翳堂にあるよね?」


「そう。“杭”が抜かれたまま、五芒星は形だけ残ってる。つまり……赫息の“封印”は、今やほぼ無効だ。」


美月が息をのむ。


「それって……奴ら、復活できちゃうってこと?」


「いや。まだ“塩”が撒かれていない。

結界の中で童子切が赫息を斬り、“塩”によって完全に灰にしなければ、奴らは何度でも蘇る。」


明治六年 渋沢邸・密室にて

「この国は、金で動き始めた。だがその“金”が、“赫”に染まる日が来る。」


渋沢栄一は、尾形鋼助に言った。


「ならば、“国の金脈”そのものを結界に変える。

ここに経済の要(かなめ)を築き、その芯に刀を置くのだ。」


尾形は頷いた。


「童子切は“神剣”でございます。穢れも、呪いも、刀に宿して焼き尽くす。」


「そうか……金は動く。だが刀は動かない。“変わるもの”の中心に“変わらぬもの”を置け。」



瑞雲は言う。

「赫息会の残党は知っている。“結界が崩れた今”、再封印できるのは唯一、童子切安綱だけ。」


「じゃあ、私たちはまた刀をあの場所に戻さなきゃいけないの?」


「いいや。もう一度、赫息の息吹が現れた場所――“五十三次の終点”にて、“塩”を撒いて焼く必要がある。」


「……それって、京都・三条……」


「そうだ。童子切が鍛えられた地。

すべては“出発点”へ還る。赫息を斬り、終わらせる旅が始まる。」


場所:京都・三条大橋 旧跡地下「鍛錬の間」

(童子切が最初に打たれたと伝わる、幻の鍛冶場跡)


赫息会は復活の儀を完成させようとしていた。

“血脈の鍵”である広重の「第五十五番」と「徳川の封印書簡」、そして、封印を解く“咒(じゅ)”の言葉を揃えたのだ。


**赫息会のボス――“紅椿(べにつばき)”**と呼ばれる老女が、

かつて平岡円四郎の妹であったことが明かされる。


「兄は“秩序”を愛した。だが私は“混沌”を愛する。だから赫息を選んだのよ。」


彼女の体からは、薄く紅い霧が立ち昇り、まるで息をするように空気を染めていく。


瑞雲と美月、決戦へ

童子切安綱を携えた瑞雲と美月が対峙する。


瑞雲は紅椿に問う。


「なぜお前たちは“塩を恐れる”?お前たちの息は“肉”に宿る。焼かれ、塩に触れれば消える……その本質は“血の呪い”だ。」


紅椿は笑う。


「その通り。“赫息”は命あるものに寄生する。だが“死んだ刃”には触れられぬ。だから私たちは、刀を恐れる。」


美月が、背負っていた塩袋を広げる。


「じゃあ、この“塩”は?」


「焼かれた刃と同時に塩を撒かれれば……赫息は灰となり、再び姿を取ることはできない。」


童子切と塩、封印の儀

儀式は始まった。


紅椿の体が赫息の核と同化し、巨大な紅い人型の霧と化す。

周囲の空気が歪み、過去と未来の映像が入り混じる――


「これが……赫息の正体……“時間を越える憎念”か!」


瑞雲は童子切を掲げる。


「見せてやるよ、赫息。“変わらぬ刃”が、“変えられぬ呪い”を斬る瞬間を!」


一閃――赫息が引き裂かれ、同時に美月が塩を撒く。


紅い霧が白く変わり、しゅうっ、と音を立てて消滅していく。

すべてが灰になる――紅椿もまた、かつての笑みを残しながら崩れ落ちる。


瑞雲は刀を地面に突き立て、静かに言う。


「赫息会――これにて、永き深紅の夢、終わりだ。」


美月が塩袋を締めながら、ぽつりとつぶやく。


「……でも、次に“赫”が生まれるときは、“金”でも、“言葉”でもない。“無関心”からだと思う。」


瑞雲は頷いた。


「だから見届けよう。もう赫息を生ませぬように――“灰の記憶”として語り継ぐためにな。」


幻翳堂に戻った二人。

童子切は再び封印され、塩と共に、“語られぬ物語”として地下に眠る。


「この世界は、霧が晴れた。でも、真実の“絵”はまだ完成していない。」


美月は言う。


「じゃあ、また描こうよ。広重の続きを、私たちの物語として。」


瑞雲は微笑んだ。


「名探偵とは、“真実を知りながら黙っていられる者”のことさ。」


赫息会、滅亡。

童子切、再封印。

広重の謎、徳川と渋沢の意志――

すべてが交差し、灰の中から“新しい物語”が始まる。


瑞雲が開いたのは、蔵の奥に隠された“青い帳簿”。

そこには渋沢栄一の名義ではない、数十の偽名と取引記録が記されていた。


「これは……渋沢の“裏勘定”?」


「いや……“霊的封印事業”に使われた金だ。」


瑞雲は帳簿の奥に挟まっていた、焦げた紙片を見せる。


『刀一本、鍛冶三名、陰陽二師、塩五石、地鎮ノ儀式ニ要ス。慶応四年』

『資金提供:蒼泉会』


「“蒼泉会”?初耳だな……」


「これは渋沢が作った、赫息封印のための“裏ネットワーク”さ。明治政府とは別に、徳川の残り火を再構築していた。」


蒼泉会――赫息封印に捧げた青い金脈

蒼泉会は、渋沢栄一が作った非公開財団。表向きは古美術保存や地方振興、実際は以下の事業に資金を流していた。


刀の管理保全(童子切を含む数振の“封印刀”の保管)


陰陽術師・山伏との契約(霊的結界の定期補強)


塩の保管と精製技術(赫息消滅専用の“浄塩”を代々保管)


幻翳堂の設立資金(表の美術商、裏の異界防衛機関)


瑞雲が言う。


「つまり、渋沢の“資本主義”は、“異界の侵入”に対抗するための“現実側のバリア”だったんだ。」


「経済が強くなればなるほど、赫息の侵入を防げるってこと?」


「いや。金は両刃の剣だ。だからこそ、渋沢は“金の流れそのもの”をコントロールする必要があった。」


なぜ封印に「金」が必要だったのか?

美月が疑問を口にする。


「でも……刀と塩があれば、赫息を封じられたんじゃないの?なぜ“資金”まで?」


瑞雲は頷く。


「赫息は“欲”に憑く。欲の流れが集まる場所――つまり、金の集積点に最も発生しやすい。

だから、金そのものを“清めた器”として運用しなければ、赫息は再び流れ込む。」


「それで日銀に“刀の杭”を?」


「そう。刀は杭、塩は結界、そして金は“流れを閉じる蓋”になる。三位一体の封印術だったんだよ。」


渋沢が残した最期の資金

帳簿の一番最後にこう書かれていた。


『金は欲ではなく、責任の記号であれ。赫息が再び立ち昇るならば、この“青い炎”で焼き尽くせ。』


その日、幻翳堂の地下倉庫から一つの“青い封筒”が見つかった。

中には――


旧紙幣の原版と偽造不能な塩の封印印


「蒼泉会」最後の信託口座番号


童子切が再封印に失敗した際の“第二の結界構想図”


美月がつぶやく。


「渋沢栄一は……ただの資本家なんかじゃなかったんだね。」


瑞雲は、封筒をしまいながら言った。


「金を動かし、欲を制し、命を繋ぐ――本当の“守り人”だったんだよ。」


時代は幕末――慶応三年、江戸・田安屋敷

老中・平岡円四郎は、密命を受けてある古地図を保管していた。

それは徳川家康の時代、家臣・本多正信と共に封印された“埋蔵の地”を示すもの。


地図には、「五十三の絵」と「刀の杭」の位置が描かれていた。

その中心――五十四番目の地が「封印の中心点」、すなわち“赫息会の根”であると。


この地図は、ただの地図ではなかった。

**童子切安綱の断面で漆書された、特殊な折り畳み式の“絵地図”**であり、赤外線と特殊な塩にのみ反応する“視覚封印”が施されていた。


円四郎の決断、渋沢への継承

桜田門外の変を経て、混乱する幕府内。

円四郎は、改革の手を緩めず、多くの恨みを買っていた。

死期を悟った彼は、密かに渋沢栄一を呼び出し、こう語る。


「おまえには“道理の人”でいてほしい。だが、道理が通らぬ時代も来る。

 その時は、この地図の示す場所で、必ず“金と刃と塩”を集めろ。」


「それは……なんですか?」


円四郎は地図を包み、静かに答える。


「これは“封じられた未来”だ。赫き息が目を覚まし、人がまた欲に呑まれた時のための、最後の布石よ。」


そして、こう締めくくった。


「私が殺された時、この地図を開け。

 赫息が蠢いたなら、塩で囲め。童子切がなければ、金で結界を代用しろ。

 だが、覚えておけ。金は“欲”ではない。“責任”の証だ。」


幻翳堂にて

瑞雲は、幻翳堂の密室に眠っていた“絵地図”を取り出す。

表は古びた浮世絵、しかし赤外線ライトを当てると――


「……これが、赫息の根か……」


その中心には、「日銀本店地下」と京都の「鍛冶神社」の直線交点が示されていた。


さらに裏面には小さく、**「赫を殺すは、絵の終点と刀の起点」**の記述。


美月が呟く。


「それって……広重の第五十四番? でもそんな絵、存在しない……」


瑞雲の目が鋭く光る。


「いや、“描かれていない”だけだ。

 “描いた者”が“封印の場所”を知ってしまうと、それだけで赫息が動き出す。

 だから――第五十四番は意図的に“抜かれた”んだ。」


地図が導く、最終決戦の地へ

渋沢が受け継ぎ、蒼泉会が守り続けた地図。

そこに記された「塩の井戸」「刀の杭」「金の流れ」。


そして、そのすべてを結ぶ場所に赫息のボスが眠る。

いま、その“扉”が開かれようとしている。


渋沢栄一の告白――『青い炎の記録』

瑞雲と美月は、幻翳堂の地下に保管されていた一冊の手帳を見つけた。

表紙には「青い炎の記録」、そして裏表紙に小さく「栄一」と署名がある。


中にはこう記されていた――


『慶応四年、徳川家の蔵より、黄金七千両を拝領す。

 それを“血の利”に変えぬよう、欲に呑まれぬよう、私はそれを「流れ」にした。』


「流れ……?」


瑞雲が呟くと、美月がページをめくる。


『金を止めてはならぬ。赫息は“淀み”に宿る。

 金が流れ、働き、支え合うならば、それは“結界”になる。

 私は“埋蔵金”を動かし、“経済”にした。』


埋蔵金の変換装置――近代銀行の裏目的

渋沢が起こした第一国立銀行――それは日本の資本主義の礎であり、

同時に赫息封印のための**“金流結界”の心臓部**でもあった。


江戸の埋蔵金を金本位に変換


融資を通じて金を流通させ、欲を分散


“淀み”を防ぎ、赫息の侵入ルートを封鎖


そして、銀行の地下にはひと振りの刀が埋められていた――童子切安綱の“分霊”。


瑞雲は語る。


「渋沢は、刀ではなく“経済”で赫息を封じた。

 封印のために、国家の基盤を作ったんだ。」


秘匿された通貨計画「蒼泉紙幣」

幻翳堂の奥で見つかったもう一枚の記録――

それは渋沢が構想した“異界対応紙幣”、通称「蒼泉紙幣」の設計図だった。


通常の通貨に霊的符号を織り込み、赫息の発現を検知・無効化


流通によって全国の“金の結界”を形成


欲望の集積点を管理し、赫息の芽を焼く


瑞雲は封筒から出された「試作品の札」を見つめて言う。


「これが、赫息を焼く金……“責任の札”だ。」


「……でも、そんなにすごい力があったなら、

 なぜ赫息は再び蘇ったの?」


瑞雲の目が伏せられる。


「金は、使う人の心を映す。

 戦後、蒼泉会は解散し、“責任”の意味が忘れられた。

 金は再び“欲”となり、赫息が目を覚ました。」


封印を超えて――再び“炎を流れに”

瑞雲は決意する。


「俺たちがやるべきは、もう一度“流れ”をつくることだ。

 金、刀、塩――全部を使って、赫息を完全に焼き尽くす。」


美月が頷く。


「そして、“第五十四番”の絵を完成させる。

 赫息が恐れて描かせなかった、“未来を封じる景色”を――。」


瑞雲と美月が辿り着いたのは、広重が最後に描くことを拒んだ“第五十四番”の風景。

そこには、今なお朽ちぬ金の蔵と、赫息のボスが眠る巨大な“赤い繭”があった。


天井には五十三枚の東海道浮世絵が円環状に貼られ、

中央だけ、ぽっかりと「空白」が開いている。

そこが「赫の目」――赫息が未来へ目を開ける“窓”だった。


赫息会のボス――「赫ノ主」覚醒

赤い繭が脈打つ。

内部から浮かび上がる“顔のない男”。

赫息会を操っていた真の存在――赫ノ主(かくのあるじ)が、ついにその姿を現す。


それは人の形をしながら、人ではなかった。

顔は塩で焼かれたようにただれ、口から深紅の蒸気が漏れる。

声は言葉ではなく、“欲望”の感情そのものだった。


赫ノ主が発する気に、美月が崩れ落ちそうになる。


「やばい……これ、“言葉”じゃない。

 感じてるだけで、“願ってしまう”……!」


瑞雲の推理と儀式

瑞雲は懐から、童子切安綱と、渋沢栄一が遺した“責任の金貨”を取り出す。


「赫ノ主は“人の欲”から生まれた。

 それを生み、育て、封じてきたのは――“金”と“絵”と“刀”だ。

 ならば、それら全てで、やつを焼き尽くす!」


結界を描く。

金貨を五十三枚並べ、五十四番目に“蒼泉紙幣”の原版を置く。

塩を巻き、中央に刀を突き立てる――童子切安綱の本体。


最終の一手――「未来を描く者」

だが、結界は“絵”で完成しない。

最後のピース――第五十四番が“存在しない”からだ。


そのとき、美月が立ち上がる。


「……私が描く。

 だって私は、絵師の末裔だから。広重の“知られざる娘”の血を引く――!」


涙をこらえながら、美月は筆を取る。

赫息の瘴気の中、意識が遠のく中で、

彼女は“未来の景色”を描く。


それは――赫息のない、静かで穏やかな東の空だった。


絵が完成し、結界が閉じる。

赫ノ主が断末魔のごとく咆哮を上げるも、

童子切の刃が、絵の中心を貫き、赫息の核を断ち切る。


――赫息は“流れ”に呑まれ、“責任”に焼かれ、“未来”に封じられた。


静けさが戻る。

空に浮かんだ第五十四番の絵が、ゆっくりと黄金に変わり、塩のように舞って消える。


幻翳堂に戻った瑞雲と美月。

あの結界の中心にあった蒼泉紙幣の試作品は、

今も、ほんのりと青い光を放ち続けていた。


美月「これで……本当に、終わったのかな」


瑞雲「終わりじゃない。これからまた、“流れ”を見守っていくんだ」


瑞雲が天井の浮世絵を見上げ、微笑む。


「第五十四番、“未来ノ絵”……悪くない景色だったろ?」


 終わり

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浮世の刀、未来を裂く 天野 雫 @xxx_lock_on_xxx

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