終幕

モニターに映るランプが赤色表記に代わり、それに合わせて通知が表示される。


薄い水色の作業着を着た周防海は、通知に気づき管理ページを開いた。

工場の全体図が画面に表示され、各区画の横に並ぶ緑色のランプの中で、一カ所だけ赤く点灯している。


次にロボットの管理ツールを開き、手の空いているユニットに通知を送る。

暫くするとランプは緑に代わった。

届いた作業レポートを読むば、原因はミキサーの詰まりであることが判明した。


工場内の作業員が機械に置き換わってからは、周防海の仕事は著しく簡略化された。

少し前まで実労働は3等国民が行い、彼の仕事はその監督だった。しかし機械に代替されてからは、人間は管理者だけだ。


一人で工場全体を見ているため、一緒に働く事は無い。

会話をするとしたら、引継ぎで一言二言話すぐらいだ。

引継ぎが必要な問題も無い。今ではもっぱら管理室に籠り、ぼうっとするだけ。


データ化された本を読んで、偶に起きる不具合を機械に直させる。

そのうち彼も機械に代替されるのだろう。そうなった時に何処に回されるのか、彼には全く見当もつかない。

機械に代替された者達が、今どこで何をしているのかも知らない。

元々仕事上の関係でしかなかった。眉唾の噂話だが、培養管から作成される人間は年々減少していると耳にした。


必要ない人間を養えるほど、この世界は満ち足りていない。

あの世界のように……ずっと前の豊かな時代みたいに、無駄が許される世の中ではないのだ。


定時の五分前になると、ノックの音が管理室に響く。

通知は届いているので、ノックなんかしなくても来訪者の存在には気づいているが、それでも形式的に行われていた。


「お疲れ様っす~。今日は何かありましたかぁ~」


作業着を着た女性が、ノックの返事も聞かずに管理室に入る。

髪が少し濡れて、寝起きなのか後頭部が小さく跳ねている。

応急処置として手櫛で直そうとしたのだろが、効果はいま一つだ。


「第五プラントのミキサーに詰まりがあったが、現在は対応済み。それ以外は異常なし」


「っす。了解しました……ってこれ、なんすか?」


彼女が目に留めたのは、作業テーブルの端に置かれた茶色の箱。

国民に許された娯楽の殆どが電子上にしか存在しない為、私物を職場に持ち込む人は少ない。

それだけに、彼女の疑問は自然なものだった。


「やるよ。確か今日が誕生日だろ」


「ひぇ~ありがとうございますっす!ってやば、天然物のチョコじゃないっすか!結構しますよね、これ」


「今では、祝いの品を渡す相手は片手で数えるほどしか居ないからな。その分一人に予算がかけられる」


「ひゃっほぉう!持つべきは最高の上司っす……私の給料はスズメの涙なのでお返しは期待しないで下さいよ」


即座に保身に入った部下に、彼は思わず苦笑する。

天然の食材は値が張る。プレゼントした50gの板チョコでも優しくない値段だ。

それでも機械に代替される前よりは安上がりになった。昔はそれだけの人がいた。


プレゼントは費用対効果が高い。ちょっと金をかけるだけでそれなりの信頼を向けてくれる。

部下を持つようになってからは特にそう思うようになった。


定時を告げる通知が鳴る。

ステータスを退勤に設定し、彼が出口に向かう。


「じゃあな。また明日」


「あ、ちょっと待って下さい……あの、その、周防さんって今21歳でしたよね」


「ん?そうだけど。どうかしたか?」


「いや、そう言えば結婚してるのかなぁって。や、特に他意はないんスけど」


多くの者は二十歳までに結婚する事が多い。

これといった娯楽がないせいだ。だからこそ繋がりを求める傾向があるそうで、国も結婚という資源も金も消費しない関係地が幸福度を上昇させると言い奨励するぐらいだ。

その分離婚も多いが。


「未婚だよ。それがどうかしたか?」


「い、いえ。特に問題はないです。大いに問題なしです!それじゃ、お疲れ様っす!!」


廊下を進み工場内の居住エリアに戻る。

ここに配属されてから、彼……いや彼らの生活は工場の中で完結していた。

電脳世界のような自由も外出は許されない。

工場内の食堂で空腹を満たし、偶に休みが被った同僚と話すくらい。

買い物だって注文した品が資材と共に輸送されるくるだけだ。


周防は自室に戻ると、そのままベッドに横になり個人タブレットを開いた。

真っ先にメール欄を確認する。そこには毎月行っている申請の結果が届いていた。


彼の眼が大きく開かれる。

何度も読みなおした文面に視線を這わせ、いつもとは違う単語が表示された部分を凝視する。


思わず声が出た。







研究棟の住居スペースは、彼が暮らしている住居スペースとは全く異なる。

運動を行う為のグラウンドやジムが完備され、清掃も隅まで行き届いている。


既定の時間になったと同時に、彼は小森光に通知を送った。

しかし返事はない。


代わりに目の前のドアがモーター音と共に開き、自動で彼を迎え入れた。


小さな玄関に足を踏み入れた彼は、奥に続く細い廊下を見つめた。

レイアウトには既視感がある。

電脳世界でも、現実の世界でも。


玄関の前で待っているが、彼女は一向に出迎えてこない。

勝手に上がっても良いものかと躊躇していると、背面のドアが一人でしまった。


意を決して先に進む。

細い廊下を進むと、開けたリビングが続いた。

カーテンが掛かっていない掃き出し窓からは、何度見たか分からない宇宙が広がっている。


彼はそのままリビングを横断して、彼女の部屋に繋がるドアをノックする。

返事はない。

センサーに手をかざすと、壁は横にスライドして道を開ける。


「おはよう、光」


二年ぶりの挨拶に対して、返ってくるのは無言の睥睨だった。

そんな厳しい眼差しに動じることなく、彼は小森光が座るベッドに腰かける。


小森光の姿は彼の想像とは異なっていた。


何せ17歳の時以来なのだ。

電脳空間で再会した時の容姿は16歳の頃のものだ。


4年の月日は人を変える。


伸びた白髪は肩にかかって、毛先が軽く波打っている。

身長は変わらないものの、顔つきが大人びていた。

丸みを帯びた顔周りはよりシャープになって、唇の厚みが増している。


それだけでない。

実際の小森光を見て周防海は確信した。

電脳空間での彼と彼女は少しだけ美化して作られてる。


睨む彼女と、彼の寛容な眼差しが交錯する。

すると逃げるように彼女の目線が外れる。


「2年間ずっと待たされて……少しでも私の気持ちが分かった?」


開口一番の挨拶は怒りが込められている。

しかし、この程度では周防海は退かない。


「悪かった。光には辛い思いをさせたと思ってる」


「なにそれ……適当に謝ればそれで許されると思ってる?」


「そんなことない。だからここにいる」


ムスッと口元を尖らせた小森光は、その場で膝を小刻みに揺らす。


「……部屋の内装、学生寮の頃と同じなんだな」


「別に。どうせ数パターンしか違いがないから。なら使い慣れている方がいいってだけ」


建設コストと効率性が優先された結果、汎用住宅の内装デザインは数パターンに統一されている。

もちろん階級によって選べる広さは変わってくるが、彼女が住まう部屋の内装は、学生時代の頃と何も変わっていない。


「……なに?話を変えて誤魔化そうとしてる?やめてよ。そんな小手先で私が騙されるわけないじゃん」


光は、絹糸のように細く滑らかな白髪に爪を立てた。

先ほどまで丁寧に整えられていた前髪は、指先に無造作な力を込められ、あっという間に形を失う。


「私は1年間ずっと待ってたんだよ。面談申請の結果を見る度に苦しくて、全部が否定された気分になって、いつも泣いてた」


彼女の伸びた足が折り曲がり格納されていく。

ベッドの上で体育座りになった光が、絞り出すように言葉を紡ぐ。


「最悪だよ。私でも私は選ばない、そんな事は分かってる。全部分かってるの。怖いんだよ。私は海くんの過去になったんじゃないかって。生きてるのに。ここに居るのに。私の歴史にはずっと海くんが刻まれてるのに、海くんにとっては一行で説明できる存在になるのが堪らなく恐ろしい」


様々な感情が入れ替わるように吐き出されていく。


憎しみ、愛慕、恐怖、悲哀、全てが絡まって小森光自身もどれが本当なのか判別がつかなくなっていた。


「なんで今なの?もう私、分かんないんだよ。何処までがダメで何処からが良かったのか、基準点も分からないから、方向も目的も宙ぶらりんのまま。ねぇ、私はどうしたらよかったの?」


返答するように彼が抱きしめる。

丸まった彼女の体を全て逃がさないように、両手を広げ包み込んだ。


「ダメだったのは俺だ。俺なんだ。嘘じゃない。向こうでもこっちでも、ずっと好きで、どうしようもなく好きなんだ。なのに俺、怖くて、だから逃げようとした。勝手な結論を自分の中に作り上げて、これが最善だと思って疑わなかった」


一度吐き出してしまえば、それまで蓋をしていた感情が濁流のように飛び出していく。

もう止まれない。


「努力じゃ埋められない差があって……諦めたんだ。皆は平然と成し遂げる中で俺だけ出来なくて……失敗が続くと出来る事と出来ない事の区別が曖昧になって分からなくなるんだ。劣等感で狂いそうで、嫌な未来ばかり浮かんだ。

だんだん綺麗になっていく光が嫌で仕方なかった。釣り合ってない事は、誰が見るより俺が一番分かってて……だからいつか愛想をつかされる前に自分から逃げ出した。それだけなんだ。俺は自分が傷つきたくないが為に光を傷つけた。

だから……俺が悪いんだよ。俺がずっと悪かったんだ。距離を置けば、俺の事なんか忘れてくれると思って、だから、こんな事になるなんて思ってもなくて

——」


周防海にとってギムナジウムは思い出したくない過去の象徴で、己が不出来を思い知らされた場所であった。


血のにじむような努力をどれだけ重ねても、小森光を含む周囲の者達は悠々とそれを超えてくる。

消耗した精神では周りを正しく見れなくなっていた。


長年連れ添った幼馴染……思い人が周辺と良好な関係を築けているように見えていたのだ。

実際は集団から浮いており、表立って不和を起こしたくないクラメイトが、表面上だけの付き合いを見せていただけであった。

しかし彼女が見せた中等学校時代のマイナスの関係値からすれば、改善しているように見えてしまった。


小森光は彼の独白に口を挟むことなく、時折眼球は左下や右下を行き来しながらも、彼の腕の中でただ静かに話を聞いていた。


灰色の瞳が爬虫類のような輝きを放つと、腕の中で態勢を変えた彼女が彼に向き合い、細い指が彼の首元に絡みついた。

弱い圧迫が血流を遮って、彼は既視感のある光景に抵抗を示さなかった。


「最低だね、私たちって」


彼女の視線は、太い男性的な首筋に浮かぶ葉脈のような血管を追い続ける。周防もまた、その苦痛を受け入れるように目を閉じた。


「自分の事しか考えられなくて、そんな自分を悲観して、更にドツボに嵌って。ちゃんと話せばすぐに解決するような矮小な問題で、どれだけの人達に迷惑かけちゃったんだろ」


パッと離れた彼女の両手は、自身の両肩を抱いた彼の手を掴み次の場所に誘導する。


それは自身の首元。

教師が手本を示してから実践させるように、言葉にせずとも次は貴方の番だと告げていた。


「この二年間、私がどんな待遇だったか分かる?……何もなかったの。軽度の行動制限があったぐらいで、説教の一つもなかった。おかしいよね?色んな人に迷惑かけて、大切な計画を潰そうとしたのに私だけ許されてる。それが私と海くんとの差。これが私の住む世界。ほんと馬鹿みたい」


首の筋にそって添えられた彼の両手に、小森光の小さな手が上から重なる。


「だから海くんが罰を与えて。誰にも裁けない私を海くんが報いを与えるの。詰って、抉って、汚して、歪めて、私に傷を付けて。海くんだけなの。海くんにしか出来ないの」


表情は凍り付いて、無気力な口調で語られる懇願に彼は従った。


左右に掴んだ首に少しずつ力を籠める。

くぐもった呻きが鳴るが、抵抗は見られない。

白い小森光の肌が少しずつ紅潮して、堪えるように彼女の目が歪む。

彼は力を緩めるべきか迷ったが、彼女の視線が無事を告げている。少しの力でも折れそうな首は存外に丈夫で、両腕に籠められる力は更に増していく。


これは彼女なりの励ましだ。


罪を犯していながら誰からも罰せられていない自分を、アナタだけは裁くことが出来るんだと。

だからアナタは私の特別であると。


それは歪んだ慰めであり、求愛でもあった。


口の端から漏れた唾液が一本の線を引き、漏れて抑えていた声が漏れ始める。

喉を潰された鳥のように音を漏らし、両手は小刻みな震えで肉体の危険を訴える。


彼の眼が中止を訴えかけるが、彼女は認めなかった。この程度では全く足りない。


だが意志に反して体が拒否反応を示した。

拳を作った両手で彼の体を叩き、体を左右に振った。


即座に周防の両手は開かれ、互いに腰を掛けたベッドから離れた彼女が、地面に倒れ床を転がる。


こひゅう、こひゅう、と不細工な呼吸を繰り返し、粘液性の唾液を垂らしながら彼女は必死に空気と血液を脳みそに供給する。


「だ、大丈夫か光。ごめん、もっと早く手を放すべきだった」


「うえぇ……げほげほ……へ、平気だから。大丈夫。大丈夫だから」


介抱をする周防に、息も絶え絶えな光がもたれ掛かる。


そのまま立ち上がろうとする彼女だったが、膝が震えて態勢を保つのが困難だ。

「無理に立つな」と彼が言って、肩を抱きながら地面に座らせる。


一緒に座り込んだ彼に背中に預けて倒れ込んだ小森光は、虚ろな視線を宙に向けて、独り言のように言った。


「満足に死ぬことも出来ない。一緒に死のうとして結局私が投げ出して。さっきだって、このまま殺されてやるって意気込んで、辛くて逃げ出しちゃった。私はいつもズルくて、卑怯者だ」


「そんなことは——」


「あるよ。ほら、今だって私は海くんに嘘をつかせようとした。全部分かってて誘導してるんだよ。今だって、どうしたら海くんが私の物になるかずっと考えてる。この頭が勝手に働いて、無限にシュミレーションを重ねてる。こいつがさ、こいつのせいでさ!」


最初は人差し指で頭を叩くだけだった。

しかし徐々に声が高ぶって、自らの頭蓋を破壊しようと指ではなく拳で額を叩き始めた。


慌てて光の両手を掴み止める。

思いのほか抵抗は薄く、ちょっと力を籠めるだけですぐに大人しくなった。


「俺は、俺は嘘でも誘導でも構わないから。だから、もう自分を傷つけるのは辞めてくれ。辛いんだ。悲しむ光を見る度に、俺も一緒に痛くなって、どうしようもなくなって。もう寂しい思いなんかさせたくない。好きなんだよ。光が好きなんだ。だから、お願いだ」


周防の懇願に、小森光は何も言えないでいた。


不思議な気分だった。幾つもの相反する感情がせめぎ合って、それを俯瞰している自分もいる。

互いに同じ気持ちのはずなのに、ただ素直な気持ちを共有すればいいだけなのに、どうしてこうも上手くいかないんだろう。


海くんが悲しむと少し嬉しい、だって私を思ってくれた証だから。


海くんが泣いてると私も泣きたくなる。だって好きだもん。


逆張り。

天邪鬼。

ひねくれ者。

それが小森光だ。


きっとこれから先、どんな事があったとしても、この性根だけは変わらずに腐っていくのだろう。


正しい情動では動けない。


私が原動力はいつだって悪辣な汚泥の中にある。

足りないのは悪意だ。

そして、悪意も含めた私を受け止めてくれると信じる勇気も。


私はきっと死ぬまで海くんを苦しめる。

でもその分、私も苦しいからおあいこだよね。


「私は変わらない。変われない。だから私を助けて。証明してよ。私からは絶対に言えないけど、海くんなら言えるでしょ?それを言う為に来たんでしょ?なら言ってよ。断るかもしれないけど、ちゃんと言葉にして」


その言葉を口にするのは抵抗がなかった。

覚悟はもう決まっている。


この二年間の間に、もう何度も想定してきた。

ただ少しだけ口ごもってしまったのは、機を見すぎて、思えばかなり誘導されてしまったこと。



どれだけ覚悟をしたところで、世界を変えるのはいつだってお前ではない。

なんだかそう告げられているような気がして、苦笑した。


「光、結婚しよう」


「うん。後悔しても知らないから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

電波系幼馴染と終末世界 @geiyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ