終末世界

屋上から見える町並みは、殆どが砂嵐に飲み込まれている。

ザーザーと耳障りなノイズが吹き荒れて、世界の端から少しずつ侵食していく。

なんだか台風の目の中にいるみたいだ。


「なんだか……醜いね。終わりって」


眼下に広がる景色の全てが、破壊の渦に飲み込まれていく。

建物も道も、色も形も、全部いっしょくたに混ざって、トラッシュデータも残さず削除されている。

砂嵐がバグから生まれたものなのか、それとも膨れ上がったバグを消し去るための手段なのか判別はつかない。

分かる事と言えば……世界の終わりは存外に見栄えの悪い。


「こんな事ならもっと早く海に行っとけば良かったね。中断されちゃった」


「……悪かったよ」


「そうだよ。海くんが海に行きたがっても笑うわけないのに」


「光は思わなくても俺が気にするんだよ。変だろ、海が海って」


「じゃあ、私が森に行きたいって言ったら変になるの?」


「光は小森だろ」


「こんなことなら小森に行けばよかった」


「多分それ林だ」


互いに顔を見合わせてクスクスと笑う。後悔が無いように過ごすと決めた筈なのに、結局は多くの事を取りこぼした。

加速度的に崩壊する世界の寿命を読み違えた。気づけば全てがあっという間だ


「楽しかったなぁ。本当に楽しかった。だからなんだろうね。もっと早くこうなりたかった」


「……ごめん、優柔不断だったから」


「ううん、そんなこと無いよ。きっとこれが運命だったんだよ。これ以上短くても、長くてもきっと互いに良くなかった。そう思おうよ、ね?」


首を傾げた光がはにかんだ。

最後の最後まで気を使わせてしまって心苦しい。

荒れ果てた風景を眺めながら、手を繋いだ。

四方を囲う砂嵐はもうすぐ校庭に到達するだろう。


「……相良さんには悪い事言っちゃった。今こうしているのも、思えば相良さんのお陰なのに」


光の呟きに、悪辣な言葉遣いで罵倒を繰り返していた光を思い出す。

心境は複雑だ。自分が矢面に立った場合を想定すると、背筋が凍り付く。

それでもあの言葉遣いが光の本音なのだとすると、こうしてお淑やかに話す光は、無理をさせている結果なんじゃないかと不安になる。


「きっと分かってくれるよ。それだけ必死だったんだ。あの時はしょうがなかった」


「うん……そうだといいな」


俯いた光が顔を上げる。光が両手で俺の手を包み込むように握る。

ただ触れるように、それでいて決して逃がさないよう握られる。


「海くんは……本当にこのままでいいの?昔の事を全部忘れたまま、何も分かってないまま終わっちゃうことになっても……いいの?」


瞳には怯えが宿っている。

光は全てを話して楽になりたいのだろうか。


いや違う。それならさっさと話しているはずだ。なら、多分薄めたいんだ。自分だけが知る真実、その負い目を。


空いた方の手で、手の稜線を指でなぞった。指の腹に硬い感触を感じて、びくりと光が震えた。


「光は俺に知られたくないんだろ?」


「……うん、ごめん、なさい。本当に最低だと思うけど、海くんには知って欲しくない、です。それ以外で埋められるなら……代わりになるか分からないけ

ど、それでも、私の全てをあげるので、だから、何も知らないでいて……下さい。お願い、します」


たどたどしい口調で、酷くわがままな弁論をくりだす。

不思議な事に怒りは全く湧かなかった。知りたくないわけじゃない。

それでも光が知られたくないと言うなら、それで良いと思えた。


『海くんが私を思い出す時は、全部綺麗な私でいて欲しい』


この言葉が全ての答えなんだろう。

知られたくない記憶の中には、俺に見せたくない汚い光がいるんだ。

なら、それでいい。その為には多少の好奇心を捨てるぐらい何てことない。


片膝をついて手の甲にキスをした。

唇が触れるだけの簡単なキス。

キザなことだと自分でも思う、でも最後なんだ。

見上げた光の顔は見るからに慌てていて愛らしい。


「俺は今のままで幸せだよ。光と一緒にいられることが俺の幸せ。それに……何も知らないわけじゃない。俺は光の事が好きで、光は俺の事が好き。違うか?」


「ち、違わない。海くんが好き。私は海くんが大好き」


笑みを作った。出来るだけ自然で、光の重荷を少しでも減らせるような明るい笑顔を。


「これ以上なんて要らない。俺がここに居る事が、奇跡みたいなものなんだ。そうさせてくれたのは光で、だから記憶も過去も全部誤差なんだ。求めるほどの価値なんかない」


そう思えるようになったのは最近で、そう思えるようにしてくれたのは光だ。

何も知らなくても、自分が死人のデータで作られた偽物だとしても、この思いだけは本物だと信じている。

これ以上をなんて贅沢だ。


「信じるからね。やっぱりなしなんて、ダメだからね。」


「今更なんて無い。安心して俺を信じろ」


「……うん」


遂に砂嵐が校庭を飲み込んでいる。

暴風は唸りを増して、このペースだと数分だろうか。

光の手の震えが更に強くなる。呼吸が乱れて、鼻呼吸と口呼吸が行ったり来たりしてる。

白い肌が真っ青だ。一方で俺はあまり恐怖を感じていなかった。


世界の破滅はどうも他人事みたいだ。眼下に広がる景色があまりにも現実離れしていて、イマイチ現実感が湧いてこない。

映画を見ている気分だ。

光を少しでも安心させたくて、慰めの言葉を探す。

しかし、どうにも浮かばない。


また抱きしめてみるか、そう思案した時に声が聞こえた。

この場に居るはずがない、聞きなれた声が。


「震えあがるほど怖いならさっさと辞めちまえよ。小森光」


声の先には見覚えのある制服姿が立っていた——相良だ。

体の前で腕を組んで、嘲笑するような不敵な笑みを浮かべている。

背後の空間が縦一線に割けて、黒い穴が宙に浮く様に形成されている。

まるで空間を引き裂いて割り込んで来たような……いや、そうだろう。光を止める為に。


「なんだよ相良。いまデート中なんだ。邪魔しないでもらっていいか?」


「へぇ、それは知らなかった。てっきり別れ話でもしてるのかと。でも駄目だね。馬鹿の無理心中を放っておくほど僕は薄情じゃない」


「お節介な奴は嫌われるぜ。頼まれてもないのに首を突っ込む輩は特に」


「もう好かれるつもりでは来てないからね。それでなんだい。次は死ぬ権利とか言うつもりかい?……勝手にくたばっていい権利が認められるなら、それを

邪魔してやる権利も認められていいはずだ」


「随分と言ってくれるな。それが説得にしに来た奴の物言いかよ」


「だからだよ。お願いしますって言って聞く素直な君達じゃないだろう?たまには僕の気持ちも吞んでくれない?ここに来るのも命がけなんだけど」


饒舌に語る相良には、恐怖といった感情は見られない。

平然と落ち着け払って、まるで説得は必ず上手くいくものだと確信しているようだ。


俺の背中に隠れて怯えていた光が、そのまま声をあげる。


「……なんで、何で最後の最後まで邪魔してくるの!!早く出てけよ!!私がどうなろうがアンタには関係ないでしょ!!」


光が俺の服の袖を掴んで吠える。だが相良も動じる素振りを見せない。


砂嵐は相変わら吹き荒れて、屋上に吹く風も強さを増していく。

風に黒髪をなびかせながら、軽い調子で相良が応じる。


「関係があるからここに来ているんだろ。ほら、そんなに嫌ならログアウトさせてみなよ、前みたいにさ」


両手を広げ煽る相良を、光が親の仇を見るように睨みつける。……違う!反応してはいけない。会話をすること自体が、相良の術中なんだ。


「光!相良の話は無」


「出来てたらとっくにの昔にやってる!!……畜生、舐めやがって」


「ハハハ!君は天才だけど、僕達もそれなりにやるからね。同じ轍を踏んであげるほど優しくないよ」


「光!だから相良の話を聞く必要は」


「海くんは黙ってて!」


肩で息をする光はどこか異様だ。先ほどまでの怯えとは種類が違う。

光は明確に相良を恐れている、でもなんで。無視すればいい話なのに。


「今ならまだガキの癇癪で済む。まぁ、それなりの罰はあるが……たかが知れているよ。傷ならまだ浅いんだ。さっさと諦めてくれないか?」


「ゴチャゴチャうるさいんだよ!!私が居ないと碌に回らなかった癖に、こんな時ばかり張り切りやがって!私はここで海くんと一緒になって、それで終わ

り!誰にも迷惑かけてないんだからいいじゃん!!」


「迷惑?……かけてるじゃないか、なぁ周防」


相良の矢印がこちらに向く。俺に迷惑……?相良は何を言っているんだ。


「聞いちゃダメ!!」


光の叫び声を最後に、世界から音が消える。

二人の声も、砂嵐の轟音も、全てが消えて無音の世界が広がった。

音も無く口を動かす相良は一瞬目が瞠って、今度は上を向いて何かを叫んだ。


瞬間、世界が思い出したみたいに音が戻ってくる。

音が奔流のように押し寄せて、風が吠えて、背後に立った光の唸り声までも戻ってきた。

一体何が起きたのか。理解する前に相良が教えてくれた。


「うわ、やっぱり何か隠していたんだ。ダメだよ、突然聴覚を遮るなんて。周防の事が好きなんだろ?なのに嘘をついて繋ぎ止めているんだ」


「嘘つきはお前だろぉ!?色目使って、甘ったるい嘘で近づいたくせに!」


「別に嘘をついたつもりはないけど……愛しの光ちゃんは何を隠しているだろうなぁ。周防はどう思う?」


名指しを受けてぎくりとしたが、直ぐに心を落ち着かせる。光の隠し事……恐らく俺の死因や過去の記憶だろう。それなら問題ない。既に覚悟は出来ている。


「光が俺に隠し事をしている事はもう知っている。知った上で納得しているんだ。何があったとしても、俺の気持ちは揺るがない」


そうだ。揺らぐ必要なんかない。揺さぶりは俺に通用しない。


「暫く見ない内に、ずいぶんと変わったね?もう僕とデートしてくれないのかい?」


「しない。それより相良も命がけなんだろ。早く逃げないとお前まで死んじまう」


「エンドロールが終わっても、暫く余韻に浸るタイプなんだ。もう少し居座らせてもらうよ」


「ねぇ、海くん。い、意味ないよ。無視、無視するのが、一番だって」


俺の服を弱い力で引っ張った光が、遮るように懇願する。

光の言う通りだ。というか俺が最初に言い出して、それを無視したのが光なんだが……まぁいい。

最後に突き放して、どうにか納得してもらうしかない。


「それに光が何を隠していようと、俺には関係しない。もう死んでいるんだ。この世界でしか生きられない俺が、いまさら何を深く考える必要がある」



瞬間、音が消える。


「え」「あ」


二人が同時に素っ頓狂な声を上げた。

相良は口をあんぐりと開けて、目を白黒させている振り返ると服を引っ張る手を震わせた光は、頭を下げて顔を見せないようにしていた。


砂嵐が近づいて風が強さを増した。

横殴りの強風が吹き荒れて、立っているのも難しい。

腰を落として下半身に力を込めた。バランスを崩した光が俺に抱き着いて、内股で態勢を低くした相良がそれでも声を振り絞る。


「あ~くそ!そういう事か……時間が無い。結論だけ語らせてもらうが……君は生きている。嘘じゃない。さっきもぐっすり眠る君の姿を見ているんだ。全くの健康体と言っていい!君がこの世界からログアウトしても、健康な体に戻るだけだ!!」


「う、嘘だよ!!コイツの嘘!また海くんを騙して、海くんの口から私に言わせようとしてるだけ!!」


「嘘なものか!!じゃあ死因を言ってみろ。彼が死人なら小森光が言えないわけがないだろ」


「え、あ…あぁ、こ、交通事故で…!」


「声が震えてるぞ小森光!これだけ君の事が大好きな女が、死因を語る際に言い淀むと思うか?」


「ちが…!その、だって……」


中腰で下を向く光が、強く服を掴む。爪を立てて、掴み取るように。


「う、海くんが……死んだとか、言うからぁ……!だから、だから私、言い出せなくなって……ほんとは嘘つくつもり、なくて。本当に…言わされて、言うつもりなくて……海くんが言ったから!!」


話すうちに徐々に語気が強まっていく。服の裾を強く掴んだまま、光は癇癪を起した子供みたいに左右に激しく揺さぶる。


「ちょっと、黙ってくれ」


俺がそう言うと、二人の声がピタッと止んだ。

なんだか頭が痛くなる。遠くを視線を巡らせれば、もうすぐ側まで砂嵐が迫っていた。

校舎の端は既に飲み込まれて、教室も階段も全部が崩壊して崩れ去っていく。


揺れてしまったを心を叱りつけるように、息を吐いた。

生きてるとか、死んでるとか、今さら言われても、そんなの矮小な違いに過ぎない。

俺は光を選んで、光は俺を選んだ。そのゆるぎない事実があれば十分なんだ。


裾を掴む光の手を剥がした。「……あ」と悲嘆に暮れた声が漏れて、そのまま相良に背を向けた。

泣きそうな光の顔が見える。


そんな顔するなよ。光は笑顔が似合うんだから。

抱き寄せて、小さな体をしっかりと抱きしめた。


「それでも俺を選んだんだろ。光だって死んでしまうのに、それでも選んだんだろ」


「う、うん。選んだ……だよ。最後まで一緒に居たいって、そう思ってる」


「ならいい。俺にはそれだけでいい。それに……違うって言いづらい雰囲気を作った俺も悪かった」


「そ……!や、違くて。私が、嘘をついたからで……ごめんなさい」


嘘をついたから謝って、それを許した。これでいい。

わだかまりなんての殆どこれで解決する。

俺を触れないように浮いていた光の腕が、背中に回される。

光の熱を全身で感じて、一つの生き物になったみたいだ。


「本当に、本当に一緒で良いんだよね。私は……クソだし、褒められるような人じゃないけど、それでも良いんだよね」


「あぁ、それでも光と一緒に居たい」


光と同じ思いなら、それだけ言い。それ以外が全部嘘だとしても。名残惜しさを胸に抱きながらも体を離す。

再度相良に向き合って、隣に並ぶ光の肩を抱き寄せた。

片頬を凹ませた相良は、左目だけを細めて呆れたような顔をしている。


「ごめん相良。そういう事だから、もう大丈夫だ」


「大丈夫だ……じゃないんだよ。勝手に“覚悟決まりました”みたいな宣言されても、僕には関係ないんだけど。そう易々と引き下がるわけにはいかないから」


「このままだと相良まで危ないんだろ。犠牲になるのは俺と光だけでいいんだ」


「そ、そうだよ。貴方はさっさと帰って!ここは二人だけの世界なの」


大きなため息を吐いた相良は、首の裏に手を回し天を仰ぐ。一拍置いて、再び顔を向ける相良の鋭い視線が、光を突き刺した。


「周防は良い奴だね。君みたいなメンヘラに最後まで付き合ってくれるんだって。嘘までついて、無理心中に巻き込む女にはもったいないと思わない?」


「何それ?負け惜しみ?そうだよ、海くんは私に付き合ってくれてるの。アンタじゃなくて私に!」


「そうだね、悲しいよ。それだけ良い奴の人生がここで終わるんだから。本来なら好いた誰かと結ばれて、幸せな家庭を築けていたかもしれないのに」


「……ッ!」


まずい。相良の狙いは光の罪悪感だ。さっきと一緒。

また同じ手を食らってどうすんだよ。俺は急いで光を止めようと口を開く。


「光、相良の挑発に乗ったら」


「大丈夫、分かってる……分かってるから!!」


分かってるヤツの声量じゃない!!

それでも狙いは理解しているのか、今までよりは余裕が見える。

反応を控える光を見て、相良は苦虫を噛みつぶしたように顔を歪めた。


「未来がある海くんが、それを捨ててでも選んでくれるから嬉しいんだよ。分かってる。全部分かってるよ。この胸の痛みも、隣り合わせの罪悪感も、全部

私が抱えなきゃいけないもの。だから、このままで良くて、痛いからこそ幸せなの。海くんもそうだよね」


「……そうだな。その通りだ。俺も光も幸せで、だから後悔なんてない」


光が相良に中指を立てた。


「この通りだよ。私たちは幸せ。付け入る隙なんて少しも無い。残念でした」




次の瞬間、屋上が——いや校舎全体が消えた。

体は強い浮遊感に備えて本能的に強張り目を瞑るが、予期した浮遊感はかけらも来ない。


何もない透明な暗闇の中、俺達三人が宙に浮いている。

脚裏には確かに地面の感触がある。だが。足元には果てしない暗黒が広がって、その縁には砂嵐はすぐ傍まで迫っている。


「テクスチャ機能が壊れて見えなくなったんだよ。でも当たり判定はまだ残ってるみたい。いつまで持つかは分からないけど」


焦る俺に反して光は冷静に状況を分析した。

だが、光の目は瞳孔が開いて、これまでにないほど怯えていた。

過呼吸みたいな息遣いで、小刻みに揺れている。


「ほぉら、やっぱり怖いんじゃないか。さっさとログアウトしたらどうだ。外に出て、現実でもう一度話し合ってみればいい。誰も死んだりなんかしてないんだから。生きて帰れば好きなだけ一緒にいられるだろう?」


これを好機と見た相良が早口で責め立てる。

だがその相良自身も額に冷や汗を浮かべ、張りぼてみたいな笑みを張り付けていた。

内心の恐怖を隠しきれていない事は誰でも察する事が出来る。


「もういいだろ!ここままじゃお前まで道連れだ!!早くログアウトしろ!」


「嫌だね!!これが僕の意地だ!!君たちがログアウトするまで絶対に抜けたりなんかしない!君たちの我が儘のせいで、また一人余計な犠牲者が増えるぞ!!」


「死にたいなら勝手に死ねば!?別にアンタが死のうと私にはどうでもいい!1バイトたりともアンタに同情なんかしない!!」


「君が良くても周防はどう思うかな!!自分たちのせいで余計な犠牲者を出してしまったと、後悔しながら死ぬだろうね!!」


世界を切り裂く音が世界に鳴り響く。地面まで揺れ出して誰も立っていられなくなる。


「光!何とか相良を抜けさせる手段はないのか?」


「ないよ!だから困ってるの!!」


「僕達だって馬鹿じゃない。それぐらい対策してから戻って来てるんだ!!」


「お前だって死にたくないだろ!!失敗だとしても誰も責めたりしない!」


「だろうね。でも誰よりも僕が僕を許せない!!僕は必ず小森光を連れて帰る!!」


滅茶苦茶だ。一体何がここで相良を引き立てるのか理解できない。

揺れに耐えるため、四つん這いになった俺の手に光の腕が重なる。小さくて冷たく微かに震えて、その触れ方はまるで縋りつくように。


「もういいよ。そのままでいいなら、放っておこうよ。私たちは私たちの終わりを迎えるだけだから」


「ダメだ!相良は関係ない!ここまで付き合わせしまったら」


「私たちは何度も言ったよ。もういいじゃん。これ以上は無理だよ」


光の言う事はもっともだ。

これだけ忠告を繰り返したんだ。

それでも残るなら相良の責任なんじゃないか?相良と光を交互に見た。


恐怖を噛み殺すように歯を見せる相良はとても放っておけない。だがそれも策略の内ではないか?相良ならそれが出来る。


「海くん、私とあの子……どっちが大切?」


そんなの……回答は決まっている。光より大切な人なんか居るわけがない。


「またそうやって誑かして、自分の思い通りに人を動かすのかい、小森光。君の望むラストには僕がさせない。絶対にね!」


叫ぶ相良が四つん這いのまま地面を駆けた。

透明な地面を蹴る相良は空を飛んでいるみたいで。

急に飛び出すものだから、光の反応も遅れたんだと思う。


狂った野犬みたいに詰め寄った相良が俺に抱き着いた。

勢いに乗ったまま体当たりをするみたいにぶつかって、そのまま引き倒される。


「な!?」


「隙だらけだね!だから滅茶苦茶にされるんだよ!」


そのまま相良が覆いかぶさった。

膝が横に開いて、太ももの裏側に相良の足が絡まって動かせなくなる。体を上下に揺らすが相良は微動だにしない。


噛みつくように相良の顔が迫り、柔らかい唇が押しつけられた。

両手も関節部を掴まれて身動きが取れない。相良に埋め尽くされた視界の隙間に光の顔が見えた。


どうして、いつもこうなんだ。

いつもいつも、俺の世界を動かすのはいつだって俺じゃない。


浮遊感が続いた。

内臓が浮かび上がって、体は落下を始める。


下を見たら塊のような砂嵐が見えた。

光も闇もおしなべて吸い込まれて消失していく。まるでブラックホールだ。

落下しながらも、離れた光に手を伸ばす。だが組みついた相良が邪魔して手は届かない。


「光ィ!!!!」


落下する光の瞳から涙がこぼれる。空を登る涙が光の筋になって、落下の軌跡を残した。


「……こんな、こんな最後って……ないよ」



光がそう呟くと——視界の全てが白く染まった。

強い光が俺達を飲み込んで、それからの事は覚えていない。

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