稔の発端、魔導局にて。上
キーーーーーー……耳鳴りみたいな不快な音が、部屋に響く。これまで皆慌ただしく書類を整理したり、報告書を書き込んだり、小会議していたのが嘘のように、途端に静まり返った。みんな一斉に顔を上げて部屋の隅を見た。
1番聞きたく無い凶報である。
これは、仲間の死を告げる音。
重苦しい沈黙の中、若い男が席を立って歩き出した。後処理はしなければならない。早急な対応が必要かもしれない。確認しない訳にはいかないのである。
「だれ」
ピンヒールの女が静かに言った。
「エリッ、エリックが、死んだ……」
そうポツリと男が告げたその時である。誰の悔やみも言う間も与えず、次なるサイレンが鳴り響いた。
「うぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁっ、あぁぁぁぁぁぁっ」
号哭の幼子を友の杖が魔導局に連れてきたのである。新たなハプニングに、友の死を悼む暇も無く対応せざるを得ない。
「子供ぉ〜!? お〜ぅ、よしよし怖かったネ〜、もう怖くないヨ」
声をかけたのは若い東洋人の男だ。恐らく自分の同郷かその付近だと思って話しかけたのだろう。少年の顔立ちはややアッサリしているが東洋系の目鼻立ち、そして地毛が白髪というのは何より特徴的であり、彼の故郷、
「!?」
子供は途端にキュッと瞳孔を広げた。涙で周りがよく見えない間に知らないところに来ちまったことに気がついたのである。そりゃもう、びっくりしちまうってもんだ。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァ」
少年の脳味噌は、もう本当に勘弁して欲しかった。今日だけでもう既に衝撃的な事象が続きすぎて、ストレスの許容量はとっくにオーバーだってのに。
大好きな家族の死を目の当たりにし、相棒で兄弟の犬が眼前で殺され、助けに来てくれた人も倒れ、仇は取れず、それで次は急に知らない場所で外国人達に囲まれて居て?
とても処理が追いつかない。
少年は涙をダラダラ零しながら、ほぼ錯乱状態であった。
「
パニック発作だと思った女はすかさず、意識を落としてやった。昔、似たような子供を見た事があったのである。とりあえず刺激をシャットアウトし脳を休息させることを選んだのだった。
「シャオウェイ、その子を医務室へ運んであげて。私は杖の記憶を読み取るから。……後は誰か、エリックを迎えに行ってあげてください」
「わかったヨ。身体検査もした方が良いと思うんだけど、いいカナ」
「えぇ、お願い」
「……エリックの事は私が迎えに行こう」
「オズモンドさん……お願いします」
暁偉は稔を運びながら言い知れぬ薄ら寒さを感じていた。足元が嫌に冷たい。というか、左足が重たい。暗い洞窟を1人歩かされている時の不気味さと似ていた。
少年が眠ってから数時間は目を覚まさなかった。
稔はぼんやりと意識が浮かび上がるのを感じて、ゆったり瞬きをした。白い夢を見ていた気がする。
「わぁ……! ッコホン。ちょっと、何よこの部屋」
「まずは子供が安心出来ることが第1だろ〜?」
「だからってこの部屋いっぱいのパンダは何! こんなに溢れかえらせてどうするの。貴方ファンシーショップでも始める気? 」
「可愛いのがいっぱいだと、雰囲気柔らかくなると思って。可愛いと言えば
ヴァイオリンの弦みたいな女の声と気の抜ける低音の応酬をアラームに、シパシパ瞬きする。寝起きの霞む視界で見回せば、右も左もふかふかモコモコの黒と白。医務室はパンダ祭りだった。
「ウンウン、やっぱりそういう時は混ぜるのがいいネ。ホットミルクチョコレートにしよう」
カチャカチャ匙の働く音が響いて、優しい甘い香りが漂い始める。お母さんが作ってくれるミルクココアもこんな匂いだった。
稔の意識がハッキリするにつれ、なんだか身体に重さがあることに気が付いた。それから、何やら冷たい匂いもする。冷たくもお日様みたいに優しくて、嫌な気持ちがしない。
「貴方ね……
「実家から持って来たんだヨ」
「コレ全部貴方の私物なの……?」
「わぁーーーっ! ぼ、ぼたもちっ!」
「わふっ!」
白くなったもちもちが稔の身体の上で舌を出していた。へっへっへっとご機嫌な息は冷たく、足先が透けている。オバケのぼたもちが、会いに来てくれたのである。……というより、この犬。
「わふっ、わふっ、へっへっへっ、わふっ」
まるで、自分が死んだ自覚がない様子であった。
そんな訳で、
一方大人2人は、跳ね起きた子供を見て顔を見合わせた。
「ボタモチ……?」
「私を見たって分からないわよ。私はドクターを呼んでくるわ。たしか解析結果待ちでしょ」
「えぇ。オレ、姐さんと交代した方がいいと思うんだけどォ……」
弱気な言葉は届かず、カツカツ気高いヒールが離れていく。諦めて子供の様子を伺うと、何やら1人で笑ってご機嫌そうである。しばらく考えて、暁偉は腹を決めた。出来たてのホットミルクチョコを持って、ベットに近付く。
「やぁ、えっとォ、元気ィ?」
初手でギャン泣きされたものだから、ちょっと自信を失っていたのである。結果、声の掛け方が更に不審になってしまった。悪循環だった。
「あ、えと。げんき、です」
彼のかけている真っ黒なサングラスも相まって、案の定怖かった。どう足掻いても中国マフィアルックスをしてるので、カタギに見えないのである。稔は眉間をシワシワにして、警戒心マシマシ上目遣いになってしまっている。
ーワァ……。
暁偉は一瞬、諦めたくなった。
「わふ……ゔぅぅゥゥ」
稔は緊張して、友達を抱きしめる手に力が籠る。その瞬間、暁偉は再び悪寒に包まれた。主人の怯えが伝わり、ぼたもちが犬歯を見せて唸り始めたのである。
「うわ、ごめんな。おれは大丈夫だよ」
そう言って少年は慌てて何もない空間を撫でる。
ぼたもちを視認出来ていない暁偉は、それをイマジナリーフレンドかと思ったが、なんだか様子がおかしい。この異様な悪寒は気の所為ではない。なにより、少年の服にはそこにナニカが居るような、重さの乗ったシワがあるのだ。正直不気味であった。
「ン〜?」
ところが、
暁偉は息を吐いて、マグカップを差し出した。専門外なので、
「ホットミルクチョコだよゥ。甘くて美味しい。さっきはびっくりさせてごめんね」
「いえ。ありがとう、ございます。でも、知らない人から貰っちゃダメなので」
おずおずと、されどもハッキリNOを突きつけた少年に、暁偉は笑顔を返す。サングラスをズラして、笑って見せた。
「しっかりした子だネェ。じゃあ、オレも一緒に飲もう」
先に1口啜り、清々しいほどにワザトらしく「ウマぁ〜」とご機嫌に言ってウィンクを1つ。美味しいマグカップを稔に差し出した。お茶目な男なのである。すると、少年は今度こそゆっくりと手を伸ばして受け取ってくれた。ジッとコップの中をしばらく眺めて、小さく1口だけ口にする。その温かさに、ホッと少年の肩の力が抜けた。
「ココアだ」
知っている味に安心して、チビチビ飲み始めた。
「オレは魔導局執行官のお兄さんだヨ、
「
聞いた事ない肩書きにキョトン……? と少年は首を傾げた。魔法のお巡りさんってなんだろう。魔法……。
フッと昨日の悪魔が頭を過ぎった。あれはきっと魔法だった。最悪な記憶がリブートして感情がまたコトコト煮立つ。悲しくて悔しくて俯いたら、ぼたもちと目があった。
彼はこちら不思議そうに見つめ返して、鼻先をツンとくっつける。どうしたの? と聞いてるようだった。
犬は友達の眉間が複雑にシワ寄ったので心配になったのである。触れた鼻先は冷たかった。ぼたもちを抱きしめて、お巡りさんに聞いてみた。
「悪い魔法使いを捕まえるんですか?」
「ンー、まァそーそー。だいたいそんな感じ〜」
考える素振りの後に、ニィ。と猫みたいに笑うお兄さん。きっと適当に言ってる。 少年はそう思って、ム、と
暫くして、ずっとコチラをニコニコ眺めているお兄さんの視線に気が付いた。そういえば名前を聞かれたのに、名乗っていなかった。
「あっ。おれはえっと、
「ん〜? ミノリくんネ、よろしく〜。……お?」
暁偉は一瞬眉をひそめた。自分の同郷かと思ったが、名前の響きに違和感があったのである。
そして、カツカツコツコツ、なんだか穏やかでは無いヒールが廊下から響いてくる。カトレアナだろう、何やら気が立っているのが靴音から分かる。
「姐さんおかーりー(おかえり)。早かったネ」
「シャオウェイッ、あー、いえ、まずはこの子が先ね」
外国のお姉さんだ。とても日本語が上手で、何を言っているかハッキリ聞き取れる。その後ろから、ぬっと長い銀髪の男か女か分からない風貌の白衣が姿を見せた。
「やぁ。ご機嫌如何だ、
これまた流暢な日本語だが、どう見ても外国人さんだった。知らない大人かつあの悪魔と同じ西洋顔が追加で2名も入ってきて、緩みかけていた緊張が帰ってきた。子どもの不安は膨らむばかりである。この中で唯一、黒目黒髪の見慣れたアジア顔の男が1番安心できた。
「しゃおうぇい、さん」
「お〜? 大丈夫だヨ〜。こう見えてこの姐さん優しいし、こっちのは怪しそうに見えるけどお医者さんなんだヨ〜」
「……」
「あららァ……姐さん達怖いってぇ〜」
庇護を求めるような眼差しを向けられて、暁偉は嫌な気持ちがしなかった。むしろ何だか昔の妹を思い出して、気が付けば暁偉は兄ちゃんの顔になっていた。元来、兄ちゃん気質なのだ。すっかり気を良くして、カトレアナから稔を隠すように庇い立った。
そんな様子にカトレアナは肩を竦める。それから、膝を床につけて、少年と目線を合わせニコリ微笑んだ。
「驚かせてごめんなさいね。私たちは貴方を傷つけたりしないわ。私はカトレアナよ、貴方の名前を聞いてもいいかしら」
「……雪川稔です」
「ユカワミノリ……、素敵ね。ミノリくん、お医者さんがね、悪い魔法にかかってないか心配なんですって。診せてくれる?」
少年は少し考えて頷いた。目の前のこの人達は悪い人では無いと思えたのだ。
「魔法……分かりました。ぼたもち、1回お膝から降りてな」
「わふっ」
膝の上の冷気に向かって優しく声をかけてやれば、嬉しそうに返事が返ってくる。話しかけられたことしか分からない犬は、嬉しそうに舌を出すばかりである。そんなどこか間抜けな相棒を見て、稔は頬を緩めて笑った。張り詰めた心に少し元気と勇気が沸いたのだ。
仕方ないので手を伸ばして促そうとしたら、低反発クッションのような冷たいもちもちの感触と共に、プランと犬は持ち上がった。
「わふっ」
大きくなって重たくなって以来、こうして持ち上げることは出来なくなっていたものだから、仔犬の頃を思い出して、今度は
「おや……。オイオイオイ!
ぼたもちが見えない大人達は稔のパントマイムを、じっと観察していた。幻惑系の魔法にかかったのかもしれない、精神的ショックから幻視が現れたのかもしれない、あるいは子供によく見られるイマジナリーフレンドか。見極めるためである。
そんな中、ドクターが興奮気味に前に出た。少年の眼に宿る力に気がついたのだ。
「なぁ少年、お前さんその
「……え。おれの目ネズミ色なんですか、母さんと同じ空色だと思います」
「なるほどな。なぁ
「はい。えと、ぼたもち、ウチの犬のおばけが居ます」
それを聞いて、カトレアナはエリックの杖の記憶を見た時、倒れた黒い大型犬がいた事を思い出す。一方暁偉は、ギョッとした。
「やっぱ、それ魔眼なのォ? オート発動で両目とか危なくな〜い?」
「魔眼とはまた別モンだ。どちらかと言うと普通の眼球に外付けされてる眼鏡みたいなもんだ。独立した
「ふぅん。それなら良かったぁ。けどさぁ、なんでまた魔眼でも無い未知の効果まで解っちゃうのヨ、魔眼詳しいんだっけ?」
「いんや。だが、コイツは魔法界ではなく
「は、機族ぅ〜!?」
ここに来て衝撃のカミングアウトである。エリックは確か、過激派組織であるドロールを追っていたはず。つまり、ドロールは機界に手を出したってことだ。
「
「いや、まァ。聞いた事はあるけどさァ……」
情報量が多い。暁偉は顔をしおしおにしてドクターをみた。ちょっとそれどころじゃなくね? という気持ちである。道理でカトレアナが慌てていたワケだ。機族に魔法界の存在を知られてはならない。もし迷い込んだ場合は即時に記憶を消して送還の決まりである。
「アー。アレでしょー? 守護霊が生まれるより強い絆のやつ。ケドなんかさ、効能はマチマチじゃなかったァ?」
暁偉は、とりあえず会話を続けることにした。取り乱せば子供が心配するだろうし……。そう考えて態と明るい声を出して言った。
「あぁ。自分の守護霊が見えるだけのものから、知らない霊と話せる者まで色々だが……触れるようになるなんて初めて聞いたぞ。イカしてんな」
一方ドクターは心の底から興奮してぴかぴか目を輝かせて喋っていた。魔眼は男のロマンなので、研究者の性と十八歳の心が騒ぐのである。
「……あの、おれはどうしたら」
自分を置いてけぼりでお話が進むので、少年は盛り上がる大人を眺めていることしか出来なかった。しかも話が難しくてよく分からない。困ったので、おずおずと遠慮がちに声を掛けてみることにした。
「あぁ、ごめんなさい。貴方のお友達が見える素敵な目が、珍しかったの。ドクター?」
研究者の顔から小児科医の顔に変わった。
ドクターの雰囲気がとても優しいものに変わって、
「あぁ。ほったらかしだったな、すまない
急にパペットのパンダを取り出してフリフリするので、少年は困惑した。突然変なことが始まって豆鉄砲を食らった気持ちだったのだが、とりあえずコクリと頷いた。
パンダなのは、わかる。
「怖くないな?」
「怖くないです」
「よろしい。今からこのパンダちゃんが心臓の音と呼吸の音を聞くぞ、お耳を付けさせてくれ」
「はい。どうぞ」
ペロンとパジャマを捲ってお腹を見せると、ピト……と静かにパペットが耳を寄せた。
ドクターは機界の人類が使う医療機器を知らなかった。聴診器は似たようなものなのだが、怖いかもしれないと思って、部屋に転がってたパンダちゃんで代用することにしたのである。
「
稔の診察が始まったのを見て、カトレアナが暁偉に耳打ちをした。
「
「えぇ、姐さん早くない? 今日デートでもあるワケ〜? この子を送り返してからじゃないと……」
「そういう訳には行かないのよ。書いてあるから目を通しながら、行って」
医務室を追い出された暁偉は、釈然としないまま報告書を捲った。カトレアナらしい細かな活字に少しげんなりしたので、先に、添付されていた杖の記憶を再生してみることにした。魔力を流すと映像が動き出し、そして、間もなく理解した。
-『ッその制服、魔導局か。チッ……厄介な。小僧、覚えておけ、俺は必ずお前を殺しにやってくる。どこにいても、必ずだ』
「あ〜。確かにこりゃ帰せないや」
魔法使い、決闘において自信がある者にとっては殊更、杖を折られるというのは大変な恥である。ドロールは素晴らしい実力を持つ、強い魔法使いだ。実力の拮抗する相手に折られたならまだしも、魔法も使えない子供が相手。
それだけでも死ぬほど恥ずかしいのに、杖の記憶に無いので彼らの知るところではないが、実際の相手は人間ですらない犬である。屈辱も屈辱。その一点においては最早同情するレベルの痴態であった。その報復への執念の大きさは計り知れない。
そんな訳で大魔法使いに命が狙われている子供をそのまま帰す訳にはいかないのがひとつ。
何より、このまま帰したら、機界でドロールが魔法を使うことが目に見えているからである。機界への不可侵、魔法の秘匿は絶対である。故にカトレアナはこの少年を帰す判断を、自分一人では下せなかったのである。
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