セクハラ
交流しよう。
そう決めてから俺は、ふと思った。
改めて観察してみると、この部屋にいる“天使たち”には、全員“翼”がある。
だけど、そのどれもが、少しずつ違っていた。
羽ばたいているもの、静かに浮かんでいるもの。
そして、その中でも──
“力天使”の翼だけは、どこか“違って”いた。
他の天使たちの翼が羽根の連なりや器官としての構造を持っているのに対して、あれだけは“光”。
光の粒が、線となって空間に“生えて”いるような、不思議な見た目。
何層にも重なったオーロラのようでいて、けれど“形”としての実感は薄い。
……あれ、実体、あるんだろうか?
気づけば、俺はその翼をじっと見つめていた。
「……何?」
低く、ぽつりとした声が落ちてきた。
こちらを向いているのは“力天使”。
金属光沢を持つ球体の、その無数の目が、一斉に“こっち”を向いている。
しまった。
さすがに、凝視しすぎたかもしれない。
じろじろ見るようなつもりはなかった……はずなんだが、気がつけば視線が止まっていた。
それだけ、“あの翼”は気になる存在感を放っている。
「えっ、あ、いや……その……」
俺は思わず言葉を濁しながら、目を逸らす。
「その、翼……ちょっと、触ってみたいなって……」
「──っ……」
力天使の目のいくつかが、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
球体の表面に埋め込まれた目の多くがわずかに震えた。
明らかに、動揺している。
「ごしゅじんさま~~~っ☆」
ぱたぱたと音を立てながら、“いつもの天使”が天井から降ってくる。
「それっ、セ・ク・ハ・ラだよぉ~っ☆ アウト~っ☆ ぶぅぶぅっ☆」
環をぶんぶん振り回しながら、ぷんすかと怒るような様子(たぶん)。
「えっ……?」
思わず固まる俺。
セクハラ……?
いや、ちょっと待ってくれ、今のってそうなるのか?
あれはその、純粋に──
「……あらあら」
柔らかな声が、上からふわりと降ってきた。
振り向くと、“主天使”がゆったりと宙を舞いながら、微笑むような口調で呟いていた。
俺は、なぜか言葉を失って、ただ無言で視線を泳がせる。
──すると。
「だってぇ~? 人間だって、“いきなり大事なところ触ってみたい”って言われたら、セクハラみたいになるでしょ~っ☆?」
“いつもの天使”が、当たり前のように付け加えてくる。
「……」
確かに。
あまりにも、正論だった。
“天使の翼”なんて、どう考えても繊細で、大事に決まってる。
いや、あれが“どのへん”に該当するかはともかく──
それを無言で凝視したうえ、触りたいって言うのは、そりゃアウトだ。
「……すみませんでした」
俺は小さく頭を下げた。
本気で悪気がなかったとはいえ、言われてみれば、完全にアウトなやつだ。
すると。
「……いいよ」
ぽつりと返ってきたのは、“力天使”の声だった。
淡く光る翼は、そのままふわりと揺れていたけれど、どこか緊張の糸が解けたような雰囲気があった。
「いきなり“とんでもないこと”言い出すから、こっちも驚いたよ」
智天使が回転する環をわずかに傾けながら、半ば呆れたように呟く。
──ああ、そうか。
これが、“モラルのない人間”だったのかもしれない。
自分では悪気なく、純粋な興味で動いたつもりだった。
でも、それは“相手の気持ち”を完全に無視していたのだ。
無意識に、線を越えていた。
……これは、反省点だ。
深く頷きながら、俺は改めて自分の軽率さを痛感していた。
と、その時だった。
「……触ってみる?」
ぽつりと、静かな声が降ってきた。
顔を上げると、そこには“力天使”。
金属光沢の球体に埋め込まれた無数の目が、ゆっくりと瞬きを繰り返しながら、こちらを“見て”いた。
「えっ……?」
思わず間の抜けた声が出る。
さっきまで“セクハラ”だの“アウト”だのと言われていた流れはどこへ行ったのか。
何が起きているのか、頭が追いつかない。
「きゃ~っ☆ だいたーんっ☆」
「……ふふ、若いわねぇ」
「いいのですか……?」
周囲から、ぞわぞわと天使たちの声が上がる。
誰もが浮遊しながら、明らかに“面白がってる”目でこっちを見ている。
「……」
なんだこの空気。
いやいやいや、ちょっと待ってくれ。
これ、完全に……“いやらしいことをしようとしてる”みたいな雰囲気じゃないか。
違うんだ、俺はただ純粋に“構造的な興味”で翼に関心を持っただけなのに。
……やめてくれよ、その“そういう雰囲気”出すのは。
静かに、しかし心からの訴えだった。
とはいえ。
「……まあ、ご厚意に甘えます」
そう呟いて、一歩前に出る。
言い出したのは向こうだし、これ以上グダグダ言うのも逆に失礼だ。
今度はちゃんと、相手の意志を尊重して──
と、そこまで考えたところで。
すっ……と“力天使”が近づいてきた。
ぞわっ……!
やばい、近い。
無数の目がこちらを見つめながら、静かにうねっている。
その全身がまるで生きた金属のようで、視界のノイズみたいに脳がじりじりと焼かれる。
見た目的には、正直、キツい。
でも、ここで怯んだら本末転倒だ。
意を決して、手を伸ばす。
光の翼へ、そっと指先を近づける。
触れた。
いや、触れた……ような、触れてないような。
指先が、少しだけ“すり抜ける”。
けれど、そこには確かに“温もり”があった。
「……あ」
思わず、声が漏れる。
柔らかいわけでも、硬いわけでもない。
熱でも光でもない、でも──ぬくい。
ぬくくて、心地よくて、妙に安らぐ感じ。
「……なにこれ。めっちゃ気持ちいいんだけど」
これは、“天使の翼”とかいう概念が持つ癒やしの属性か何かか?
なんだこの、不思議な“リラクゼーション効果”は。
……ちょっとだけ、クセになりそうだった。
「……満足した?」
力天使が、静かに問いかけてくる。
無表情──というか、そもそも表情らしい表情は存在しない。
けれど、ほんの少しだけ声音に“気遣い”のようなものが混じっていた気がした。
「……はい」
思わず、素直に返していた。
ぬくかった。
なんか、すごく、ぬくかった。
──でも、だからといって。
その言葉に“ドキッ”とか、そういう反応は全くなかった。
いや、そもそもだ。
この見た目で、“ドキッ”とか、なるわけがない。
最初から、脳がそういう反応をブロックしてる。
そう、これはあくまで“超常的存在との交流”。
そういう方向にいくやつじゃないのだ、絶対に。
「ふふ。じゃあ──私のも、触ってみる?」
優しげな声が、静かに降ってきた。
穏やかな、“お姉さんボイス”。
主天使だった。
大きくしなやかな翼を広げながら、ふわりとこちらに近づいてくる。
あの、巨大な目玉を中心に、ゆっくりと羽ばたくように漂う姿は、どこか母性的ですらあった。
……が。
「い、いえ。お気持ちだけで十分です」
俺は、なるべく丁寧な言葉で、しかし全力で断った。
──無理だ。
主天使の翼は確かに美しい。
他の天使よりも大きく、どこか包容力を感じさせるその構造は、まさに“守護”や“導き”といったイメージにぴったりだった。
……が。
その翼に──目が、ある。
大小様々な眼球が、羽根のように無数に宿っている。
あれを触る、ということは。
つまり、目を、直接、触る可能性が高すぎる。
無理だ。
俺の倫理と感覚が、そこには至らない。
「……」
穏やかな声色。
優しい口調。
その発言内容だけを切り取れば、少し“えっちなお姉さん”のようにも思える。
けれど。
実体は、目玉である。
中心に巨大な眼。
翼には、びっしりと大小の目。
どれだけ声が甘かろうが、どれだけ雰囲気が柔らかかろうが、そこに“ときめき”という概念は発生しない。
当然だ。
俺は人間で、視線を感じすぎると逃げたくなる哺乳類だ。
ドキッともしないし、妙な期待も生まれない。
むしろ、逆方向に感情がシャットアウトされていく。
見た目の暴力。
思わず、そんな言葉が脳裏をよぎった。
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