リアル・レイヤー

シーサ総統

1話目

 周りが騒がしい。

 うるさいなあ。寝かせてくれよ、眠くてたまらないんだ。

 徐々に騒がしさが増す。

 ピーポーピーポー。フゥゥゥン。

 これは救急車とパトカーのサイレンか?やかましくてたまらない。大変なのはこっちだよ。

 でももういいや、眠れそう。寝たら楽になれる。ここの所、仕事でずっと疲れていたからな。

 しかしいつまで経っても止まないサイレン。勘弁してくれよ。明日も仕事だぞ。

 心の中で何度も文句を言っている内に、それでも人間は眠れるものだ。徐々に意識は遠のいた。


 

『んんん…!?』

 男はバッとソファから起き上がる。どうやらいつの間にか寝落ちしたらしい。

 何だかとてつもない悪夢を見ていた気がする。

 冷房をかけているのにもかかわらず、背中にびっしょりと汗を感じた。

『…起きるか』

 この男、進藤優は今日で21歳の誕生日を迎えた。

 誕生日、と言っても母親から電話越しで祝われた程度である。特別なのはいつもと違ってコンビニのショートケーキが昼飯に追加されたくらいだ。

『はあ…暑い…』

 外は夏真っ盛りで、クソ暑い職場から解放され、冷房をガンガン効かせてTシャツとパンツでソファに寝転がり、かけていた眼鏡を外し、だらしなく過ごしていた。

 彼女無し、友達も無し、仕事も上手くいかないトリプル役満。どうしようもないなと優は自嘲する。

 彼はパソコンを起動し、今日も変わらず日々のアニメ視聴で悩みを誤魔化そうとした。

『やっぱ穂乃果ちゃんしか勝たん』

 モニターに映し出されている、アニメの可愛らしい女の子。優は起き上がって眼鏡をかけ直す。

『学生の頃は良かったなあ…』


 ふと、思い出す。

 学生時代は特に目立つ事もなく、いわゆる陰キャというカテゴリーに含まれていたが、当時の優は充実していた。

 同じ陰キャのオタク仲間とアニメやマンガの話が出来たからであった。

 そんな彼に転機が訪れる。

 中学生の頃にオタクの先輩に連れていってもらった、大型同人誌即売会コミックバーゲン、通称コミバに大きく感銘を受け、彼の後の人生に影響を与えたのだ。

 購入した多くの同人誌から熱意を感じ、優自身も創作活動をしたいと決意した。

 かと言って、彼には卓越した画力も文才もある訳ではなかった。

 それでも、下手であっても、同人誌即売会で売り手として参加した事は、優にとってとてつもない達成感と気持ちよさを感じた。

 もっとも、毎回売れたのは少数であったが。

 関係ない。会場、参加者との一体感を味わえるのなら、それは何事にも代え難い価値があった。

 しかしそんな幸せもあっという間。

 高校三年生になって、進路を決めなくてはならなくなった。

『お前はなあ…ロクな大学に行けんぞ』

 担当教師の進路相談は、相談というよりも『お前働いた方がマシちゃうか?』という諦める事を勧めるものであった。

 余暇時間を同人活動に費やしたのだ。元々成績は下の下で赤点ギリギリの脳みそでしかなかった優には、そもそも選べる選択肢など皆無であった。

 どんな大学でも漫研さえあれば!とワクワクしていたが、小学生から高校までの12年間の怠惰な生活をずっと見てきた優の親にとっては、これ以上愚息を甘やかす事には限界を感じていて、

『社会を経験して一人前になってこい!』

 と、一方的に家を追い出され、隣県の埼玉県のとある工場にあっさり内定が出て、すぐに一人暮らしの準備。親のあまりの手際の良さから、スムーズに就職となった。

 そうして優の楽しかった学生生活は幕を閉じた。


 それから2年。

 優はすっかり勤め先である工場の『ネジ』として板に付いていた。

 シフトが早番、日勤、夜勤と3種類あって、普通は1週間ごとに変わるものであるが、ウチの工場は完全シフトバラバラ制で、夜勤→早番→休日→早番という鬼畜シフトが必ずあり、全然休んだ気がしないのである。

 特に夜勤からの早番なんて、2時間寝られればマシなもので、下手に寝るより起きたまま早番の方が辛くないという。

 どうしてこんな鬼畜シフトを作ったと問い詰めたいが、それは自分達がある程度、希望休を取れるので、全ての希望休を調整した結果、この有様になったのである。

 そうした都合もあり、地元から離れたというのもあり、学生時代のようにオタク仲間と交流したりする事が無くなり、ましてや創作活動なぞしている身体の余裕など無かった…

 今では休みの日は昼過ぎまで寝て、好きなマンガの新刊を読んだり、溜まったアニメやゲームの消化をする事だけで一日が終わる。

 そんな生活をしていればある程度の貯金もあるはずなのだが、手取り18万円で親への仕送りとかマンガやアニメのDVDとかなんだかんだ引かれたら、それほどでもないお金しか残らなかった。

 一体何のために働いているんだ…?

 ただ生きる為に働くのみ。

 そう考えると本当に鬱になりそうなので深く考えないようにしてはいるが。

 ふとテレビを見てみる。

 ニュース番組が、同人誌即売会、コミバの特集をしていた。

『あ〜、そういやここの所ずっと行ってないなあ』

 特集されている内容は、大手サークルに並ぶ行列、そして華々しく綺麗な女性コスプレイヤー達。

『コスプレかあ…』

 優の眼から見れば、彼女達が自分の好きな作品のコスプレをして人前で披露する事は、とても輝いて見えた。

 俺もあんな風に輝いてみたい。同人誌を作って売っていた頃のように。

 優はふと思い立ってスマホを開いた。今日は夏コミバの初日。明日は仕事休み…行けるんじゃないか?

 今では腰の重い彼にとっては一世一代の勇気だった。

『夏コミバ、明日行ってみるか』



『暑い…帰りたい…』

 優は早朝から電車に揺られ、コミバ会場に向かっていた。

 が、真夏の熱気にギラギラ太陽、そして目的地が同じである『仲間』達がぎっしり混み合うコンボに早くも後悔した。誰かの汗の臭いとか色々臭い。

 でもまあ、ここまで来たのなら。

 お目当てはコスプレイヤーを見る事であったが、そこは元コミバ常連。事前に同人誌をチェックしてお目当てのサークルも抑えていた。

 久々の即売会イベントに心踊っていた優は、忘れていた高揚感をぐっと噛み締めていた。

『間も無く〜国際展示場駅〜』

 ついに来た!コミバ会場!

 優は湧き上がるテンションに、自然と笑みが漏れた。


『コミバよ!私は帰ってきた!!』

 と、心の中で叫ばずにはいられなかった。

 おなじみの逆三角形が連なる会場、東京デルタサイトに向かう参加者の山よ。そしてその山の一点にいる俺。

 これこれ、このテンションですよ。

 彼は忘れかけていたイベント参加の楽しみを、改めて実感していた。

 相変わらずの長蛇の列の入場待ち。屋外。真夏の暑さと参加者の熱。

(おいおい、死んだわ俺)

 久しぶりの夏コミバの参加に、タオルはマストアイテムという事をすっかり忘れ、優の体は汗にまみれていた。

 ようやく会場に入れた頃には、優はすっかりくたくたになってしまったが、これからがスタートだ。

 まず彼は、目星をつけたサークルを回り、同人誌を買い漁る。一般向けだったり成人向けであったり。

 ぎゅうぎゅうに寿司詰めされた人の山を掻き分けて、そうして一仕事終えた頃には、時刻は12時を過ぎていた。

 それではいよいよコスプレ視聴タイムである。

 再び優は、人々の大海に飲まれて行った。


 そこはまさに圧巻の一言であった。

 決して広くはないコスプレエリアには、ありとあらゆる作品のコスプレをしたレイヤーが散らばり、その周りにはたくさんのカメラを構えた男達で溢れ返っていた。

『すごいな…』

 多くのコスプレイヤーは女性であったが、どの子も物凄く衣装のクオリティが高く、女の子自身の顔面レベルやスタイルも良かった。

 優自身、同人誌即売会に参加していた事もあり、生のレイヤーを見る事は初めてでは無かったが、こうして改めて見ると、コスプレってこんなにも輝けるものであったんだな…と、実感した。

 ちなみに男性のレイヤーもちらほらいたが、そのほとんどが、時事ネタや政治家やタレントのモノマネをする、『笑いのネタ』にされるようなコスプレだった。

 やっぱり男はまともにコスしちゃいけないのかなあ。そう落胆していた目の前に、数人のレイヤーが通る。

 確か、数年前から女性人気アニメ、『アイドル⭐︎プリンス』の主役のイケメン男性アイドルグループのコスであった。

(はえ〜かっけえな〜)

 きらびやかな衣装に包まれ、輝きを放っていると言っても過言では無かったクオリティだ。

 こういうコスプレが通用するのは、※ただしイケメンに限る…という暗黙の了解みたいなものがありそう。

『!?』

 この人達…男じゃない!! 

『暑いね〜』

『ほんと夏コミバしんど〜い』

 声が完全に女の子であった。

 どの人もよく見たらどう見ても女の子の顔立ちである。それをメイクでキリリと整えたという感じで。

 これがいわゆる男装か。女性劇団の男役みたいだ。

(ああ、俺もこんな風になりたいな…)

 周りの女の子からキャーキャーと歓声が上がる。

(ああ、俺もキャーキャー言われたいなあ…)

 正直、彼女いない歴=年齢の自分に自信は無かったが、このきらびやかな世界に身を投じてみたくなってきた。

 ……

 …


 よし、俺もコスプレイヤーになる!!


 動機は不純かもしれないが、創作活動だって承認欲求みたいなものである。コスプレで表現する事だってそう。

 どこまで通用するのか分からないが、一度はやってみたい。人生でやりたい事はまだ残っていたんだ。

 同人誌は作った。後はコスプレイヤーになる事だ!

 そう決意して、優の夏コミバは終わった。

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