隣同士に並ぶ私たちの部屋の前に来ると、稀月くんは何も言わずに、私のことを自分の部屋へと引っ張り込んだ。


 ドアが閉まると同時に、稀月くんに掻き抱かれて、スクールバッグが手から落ちる。


 いつになく余裕なさそうに抱きしめてくる稀月くんの力は強くて、彼の腕のなかで固まった私は、息をするのも忘れそうだった。


「ごめん……。しばらくこうしてて」


 耳元で稀月の掠れた声がして、無言でコクコクとうなずく。


「……、よりによって、狼なんかに隙を突かれるなんて……」


 稀月くんがうめくようにつぶやいて、私の髪を少し乱暴に撫でる。それから私の頭を引き寄せるようにして抱くと、顳顬に唇を押しつけてきた。


 肌に触れる稀月くんの唇が、息が、熱い。


 ドキドキしながら、稀月くんの背中に手を回す。制服のブレザーをぎゅっと握ってしがみつくみたいに抱きつくと、彼が唇を離した。


「……、すみません」


 私の肩に頭を預けるように凭れてきた稀月くんが、震える声で謝ってくる。


「なんで? 私、稀月くんのキス嫌じゃないよ」


 たとえば、触れたのが唇だったとしても。


 それよりも、稀月くんがめずらしく不安定になっているみたいですごく心配だ。


 首筋にあたる、稀月くんの綺麗な黒髪。それをそっと撫でると、稀月くんがびくりと肩を震わせた。


「あ、ごめん……」

「ううん。もうちょっとだけ撫でて」


 手を退けようとしたら、稀月くんにちょっと甘えた声でお願いされて、胸がきゅんとした。


 そのまま、よしよしと撫でてあげたら、稀月くんは私の肩に頭を預けたままじっとおとなしくしていた。


 警戒心の強い野良猫を手名付けたみたい。私の目線の先には、稀月くんの細い首の後ろが無防備にさらされている。


 色の白い首筋。その中央には、いつかも見せられた小さな三日月型の痣があって。私はそこを、指先でそっと撫でた。


 私の首の後ろにも、稀月くんのと同じ三日月型の痣があるらしい。私と稀月くんは、同日同時刻に生まれた魔女と使い魔。


 ふつうの人よりも感覚が優れているという稀月くんは、いつだって強いけど、私と変わらない十六歳の高校生。


 稀月くんが私を守ってくれるように、私も稀月くんが不安なときは守ってあげたい。首の後ろのおそろいの徴に触れて、心の底からそう思う。


「ねえ、稀月くん……。狼の使い魔と何があったの?」


 聞いて答えてもらえるとは思わなかったけど、ダメ元で聞いてみた。


 稀月くんが今不安定になっているのは、私を襲ったのが狼の使い魔だったってことにかかわりがあるんだと思う。


 稀月くんは、過剰なまでに狼を嫌っているから。


 私の質問に、稀月くんはやっぱり何も答えなかった。けれどしばらくして、苦しそうな声が耳に届く。


「五年前……。十六歳になってすぐの満月の夜、佑月の心臓がRed Witchの狼のグループに奪われたんです」

「え……? 佑月って、ゆーくん?」


 ゆーくんは、施設にいるときに、稀月くんといっしょに私に優しくしてくれていた男の子だ。


 血は繋がっていなかったみたいだけど、ゆーくんは稀月くんをほんとうの弟みたいにかわいがってた。


 ゆーくんは、稀月くんと仲が良かった私にも優しくしてくれた。おやつを分けてくれたり、絵本を読んでくれたり、私にとってもお兄ちゃんみたいな存在だった。


 稀月くんが施設のことは何も話さないから、ゆーくんは別の場所で元気で過ごしているのかと勝手に思っていた。


 そのゆーくんが、五年前に心臓を奪われたってことは……。


「ゆーくんも、《特別な心臓》を持つ魔女だった……?」

「そうだよ。瑠璃が椎堂家に引き取られたあとも、佑月がいれば大丈夫だって思ってたのに……。五年前に、Red Witchが童話に見立てて心臓を奪う事件が頻発して、佑月も狙われた。あのとき、おれがもっとおとなだったら……。魔女と使い魔のこと、NWIの存在を知ってたら、佑月は死ななかったかもしれない……」


 稀月くんが、ギリッと悔しそうに唇を噛む。


 五年前に起きたという事件のことを、私はあまりよく知らない。


 小学五年生だったから、なにか記憶に残っていてもいいようなものだけど。『孤独な魔女の物語』という童話をモチーフにした猟奇的な殺人事件があったことは、戸黒さんに襲われた日の朝に見た情報番組で初めて知った。


 今思うと、五年生のときの担任の先生が「学校の行き帰りは集団で行動するように」と口をすっぱくして言っていた時期があったかもしれない。


 けれど、学校の行き帰りは車での送り迎えが基本だった私にはあまりピンと来ていなかったし。そういえば、小学生の頃はテレビをつける時間も両親や戸黒さんに厳しく制限されていたような気がする。


 稀月くんの話によると、五年前の事件には少なくともRed Witchの二つ以上のグループが犯行に関わっていたようだ。


 バイトを募集するようなアプリで使い魔を集めて、童話のように満月の夜に魔女から《特別な心臓》を奪う。魔女から奪った心臓は、どんな病気も治す薬になる。だから、闇のルートでかなりの高額で、秘密裏に売買されるらしい。


 ゆーくんが狙われたのは、アルバイトを終えて施設に戻ってくる途中だった。高校生になってアルバイトを始めたゆーくんは、いつか稀月くんと一緒に施設を出てふたりで暮らせるようにとお金をためていたらしい。


 ゆーくんがいなくなったあと、稀月くんはゆーくんがなぜ狙われたのか、徹底的に調べた。


 その結果、Red Witchの存在やNWIのことを知り、施設を出て蓮花さんのお世話になることになったらしい。


 ゆーくんを襲った犯人は捕まっていないけれど、ゆーくんの命を奪ったのは狼の属性を持つ使い魔の集団。しかも、アルバイト先でゆーくんによくしてくれていた先輩が狼の使い魔の仲間のひとりで。


 心臓を奪うために、ゆーくんと仲良くなって油断させて、満月の夜に騙して外に呼び出したらしい。


 ゆーくんに直接接触していた人の名前はわかっているが、心臓を奪ったあとに行方をくらまして消息不明。


 現時点でそれだけがわかっていて、稀月くんは、ゆーくんを襲った犯人を捕まえるためにNWIに協力をしているそうだ。


 それと同時に、稀月くんが心配したのが、椎堂家に引き取られた私のこと。


 ゆーくんの心臓を奪った使い魔を追いながら、稀月くんは私の行方も探してくれていたらしい。私の身になにか起きる前に。


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