醜き姫は竜となりて王国を滅ぼす

浅草文芸堂

第1話 竜の力

 宝箱が、玉座の前に置かれている。

 金や宝玉で飾り立てられた、見目麗しい宝箱だ。

 高貴な人々のために特別にしつらえられた、頑丈かつ豪華さを追求した一品。

 宝箱の蓋はすでに開かれており、その中身が、男女ふたり──王と王妃の前に晒されている。


「……本当にこんなものが?」


 眉をしかめてそう呟いたのは女の方──王妃だった。美しい顔立ちだが、その目は冷たさを感じさせる。

 彼女はそんな冷たい目を宝箱に、いや、その中身に注いでいた。

 そこにあったのは楕円形の白い塊。そこかしこにひび割れがあり、恭し気に布にくるまれている。

 王妃は鼻で笑うように言った。


「……ただの石にしか見えませぬが」

「いや、これでよい」


 応えたのは男の方──王だった。

 奥まって深い目に、短く刈り込んだ顎髭。壮年にしては引き締まった体をしている。

 低い声と相まって、厳格な雰囲気を漂わせていた。


「竜の復活は成し遂げられねばならぬ」


 そう言いながら、王は窓際へと歩んでいく。そしてそこから彼方、戦の気配漂う国境線へと、まるで祈るように視線を投げかけた。


「……竜の力さえあれば、全ては解決する。その力の前に全ては平伏するだろう」

「そうでなければ困ります」


 王妃がどこか刺々しく言った。

 だが、王は王妃に振り返ろうとしない。窓から外を眺めつつ、


「……葬儀の準備は整っておるか?」

「そちらは万事抜かりなく」


 今度の王妃の言葉は素っ気ない。


「元より、宿痾に冒されてから人前に出ることも無くなっておりましたから……不自然には思われますまい」

「我が王国に護国の竜が現れたという吉報がもたらされたその翌日には、悲報が駆け巡ることになるわけか」

「それはどうかと。誰も悲しいとも思わないでしょうから。知りもしない者が死んだとて、誰が悲しみましょう?」


 王妃の言葉を背に受けながら、王は窓から外を見下ろした。

 そこからは城の庭園が見える。

 そして、その庭園で身を屈めて何かを摘もうとしている少女──王の娘である姫の姿も見えた。


「……竜の力、か」


 王は自分の娘を見ながら呟く。


  ◆


 広大な王城の中心部。

 石造りの壁に四方を高く囲まれた息苦しい区画。

 どんよりとした空も四角に切り取られている。

 そこが王族の住まう一角だ。

 ここ、ルークラン王国の王族たちが寝起きをし、政や裁きを行う場所。

 そして、そこは病に冒された王族が療養するための場所でもあり、そんな王族がひと時の安らぎを得るために庭園の草木を愛でる場所でもある。

 その庭園で、王女リュシアは珍しいものを目にし、屈んでそれをよく見てみた。


「……やっぱり、星鈴草……」


 それは、白く小さなつぼみが鈴なりに連なった、可憐な花だった。

 まだ花開いてはいない。

 リュシアはそのつぼみたちに触れ、柔らかな笑みを浮かべる。

 その笑みに、おお……と、まるで星鈴草が嘆息したかのように風に揺れた。

 小さな花に微笑みかけるリュシアはまさに、草木に宿る古の妖精のよう。

 微風にさざめくように揺れる浮遊感がある。

 夜明け前の空の色をした銀青の瞳に白い肌、銀色の長い髪。

 その髪がリュシアの左目を隠している。

 だが、彼女の滑らかで繊細な顔立ちは隠しきれていなかった。


「ここにまた星鈴草が咲くなんて……お父様にお知らせしないと」


 と、リュシアは丁度自分の真後ろにある建物の上階を振り返って見上げる。

 そこは父である王アルゼルの居室だ。

 父である王の姿を探して見上げた視線の先には、しかし、冷たい青い瞳があった。

 父ではない。

 今のリュシアの義母に当たる王妃、イザベルの目だった。

 確かに目が合った。

 が、さっとイザベルは窓の奥に引っ込んでしまう。

 王の居室に王妃がいる。

 そんな不思議なことでも珍しいことでもない。

 なのに、リュシアはなぜか胸騒ぎを感じてしまう。

 震える息を吐きながら、胸元に下げられた銀のロケットを握り締める。それがわが身を守る唯一のお守りででもあるかのように。

 そうやってロケットを握り締めていると、不意に雲間が開き、日の光が庭園に差し込んできた。


「……ふぅ……」


その温かさにリュシアはようやく肩の力を抜く。

星鈴草のつぼみが日の光を受け、輝くように色を放って見えた。

次第に、リュシアの不安が薄れていく。


「……ふふっ、これも星鈴草のお陰かしら」

「姫様~!」


 その時、どこからか元気のいい、少女の声が辺りに響いた。

 リュシアのいる庭園は王城の中庭にある。

 その中庭に通じる回廊の1つから、せっせこせっせこ小走りにかけてくる人影があった。

 短い黒髪の少女だ。髪の所々がはねている。


「姫様~! どこですか~?」

「リーネ、どうしたの? ここよ」

「姫様! ……あっ……」


 回廊からはしたなくも駆け寄ってきた召使の少女は、だが、姫の姿を目にすると息を呑んで立ち尽くした。


「? リーネ?」


召使の少女リーネは、なぜか目を潤ませているようだ。


「……なんてキラキラして……神様、ありがとうございます……」

「え?」

「あ、あ、す、すみません、姫様! まるで姫様が草木に宿る精霊様みたいで……」


 花々の咲き誇る庭に、柔らかく差し込む日の光。

その中で、静かに草花に手を添えるリュシアの姿は、確かに絵画のようだった。


「……な、なんか変なこと言ってますね、わたし……。なんていうか、言葉にならないんです。姫様を見たら、その、すっごく、胸がぎゅってなって……」


 だが、そう言われてリュシアは静かに首を振る。


「……でも、物語に出てくるような精霊は髪で顔を隠したりしないでしょう?」

「え?」


 リュシアは顔の左半分を覆う前髪を手で押さえる。


「……私は違う。……私の顔を見てそんなこと言う人はいない」

「ち、違います! 顔とかじゃなくて……!」

「いいのよ、リーネ。そんな無理しなくて……。いつも元気づけてくれようとしてくれて」


 リーネはぶんぶんと首を振る。


「違いますってば! 姫様がそこにいて、優しく笑って、花に触れて……花の精霊みたいだったそのお姿に、な、なんか、わたし、心が震えちゃったんです!」

「? そうなの?」

「なんだか姫様、幸せそうで……久しぶりにそんなお姿を見れて、ほんとに、ほんとに、胸が……!」

「どうしてそんな、おおげさよ」

「だって大好きな人が幸せそうに笑ってたら、わたし、幸せになるんです!」


 リーネの力強い言葉に、リュシアはどぎまぎした。


「……そ、そんな風にいつも言ってくれて、ありがとう。……リーネがそうやって私を見てくれているから、私……」


 リュシアは押さえていた左目辺りから手を離した。

 左目を隠す銀髪が揺れる。

 その銀髪の隙間からわずかに見える部分のリュシアの肌は、てらてらと光を反射する鈍色の鱗。

 竜皮病に罹った者に特有の皮膚の変質だった。

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