怒りの亡霊と鐘鳴りの空洞

鐘楼の下で、朧な何かがゆらりと立ち上がった。


その姿は、かつて鉱夫だったのだろうか。ぼろぼろの作業服、握りしめたツルハシ──


しかし、その顔は、黒い靄の中に溶け、表情は見えない。


「な、なんか思ってたより……ちゃんと“怨霊”っぽくない……?」


レイラが小声で言う。


「黙って。来るわ」


フィオナが魔術支援の術式を起動する。パメラが契約札を構え、カシムが魔力の波を読み取る。


「ッ──来るぞ!」


ガルドの声と同時に、“それ”は地を滑るように突進してきた。


カンッ!!


ツルハシとレイラのカトラスが交錯する。レイラは弾かれながらもすぐに距離を取った。


「動きが速い! 幽霊ってもっとふわふわしてるもんじゃなかったっけ!?」


「そんなの幽霊によるでしょ!」


パメラが反論しながら、霊符を投げつける。符が命中すると、“それ”の動きが一瞬だけ止まった。


「今よ!」


パメラが叫び、


トールがハンマーを振りかぶる──が。


「……!? 消えた!?」


その瞬間、怨霊は霧のようにかき消えた。


「くっ、フェイントか……!? いや、消えたんじゃない、あいつ……まだいる!」


カシムが魔力を探るように目を細める。


「もう一度来るわよ!」


フィオナが叫び、符を構えたパメラと、構えを取り直すトール。


そのとき、怨霊が天井から急降下してきた。


「上だ!! 社長、避けろ!!」


トールの叫びに反応し、レイラが反射的に横に飛ぶ。


ギィィィンッ!!


ツルハシが地面に突き刺さり、火花が散る。


「やば……これ、当たったら粉砕確定じゃん!!」


レイラが転がりながら叫ぶ。


「ちょ、幽霊なのに物理攻撃とか反則じゃない!? ルール違反だよね!?」


「実体化……!? これ、ただの幽霊じゃない!」


フィオナが驚きに目を見開いた。


「物に干渉できるほど怨念が強いっていうのか……!? そんな話、文献の中でも稀だぞ……」


カシムが緊迫した声で分析する。


レイラが転がりながら叫ぶ。


その直後──


──ガン……ゴォォン……


鐘の音が、耳元に響いた。


──ガン……ゴォォン……


鐘の音が、耳元に響く。


「っ……な、にこれ……頭の中に……!」


レイラが膝をつく。視界が揺らぎ、現実が遠ざかる。




──視界の中に、見たことのない部屋。




──一人きりで、泣いている少女。




──閉じ込められた暗闇。




──「……誰か……たすけて……」




「や、だ……!」


レイラが頭を振ると、フィオナが支えるように手を添えた。


「落ち着いて! それは“見せられてる”だけ! 幻よ!」


「だ、だけど……!」


「大丈夫、わたしたちがいる」


リリィがレイラの肩にそっと手を置く。その指先は、不思議と温かかった。


レイラが一度深く息を吸い、震える手をギュッと握りしめる。


「──うん、大丈夫。みんなの顔、ちゃんと見える」


その声に、仲間たちの表情が少しだけ和らいだ。


「さてと、どうやって倒すんだ、あいつ……? 物理も魔術も通じねぇぞ」


トールが腕を組み、深刻な顔で唸る。


「術式も霊符も効きは一時的だった」


フィオナが厳しい顔で言うと、パメラが頷く。


「……あれは、怒りだけで動いてるわけじゃない。悲しみそのものだ」


カシムが目を細め、静かに続けた。


「魔力を観測しました。通常の怨霊であれば、攻撃的な魔力を撒き散らすものですが……彼は違いました


怒りではなく、深い悲しみを、ずっと閉じ込め続けている


怒りであれば、力で封じることも可能でしょう。


しかし、悲しみは……力では消せません


悲しみと向き合い、受け止めるしかないのです。だから、力ではなく──“想い”で」


カシムが真剣な表情で続けた。


「方法がないわけではありません。あの鐘──“記憶”を呼び覚ますための装置です」


カシムは鐘楼の構造を見やりながら続ける。


「鐘楼には、魔力を導く“ルーン”が刻まれています。普通の鐘ではありません。想いと記憶を集め、響かせるための“儀式装置”……これを鳴らせば、彼に届くかもしれません」


レイラは深く息を吸い、頷いた。「私……逃げない。あなたが見せてくるのが、どんな過去でも──ちゃんと受け止める」


視界の中、再び“怨霊”の姿が浮かび上がる。


カシムが呟いた。




鐘の音が、坑道に重く響く──。


レイラはカトラスを強く握り直し、仲間たちと視線を交わした。


「──行こう。今度こそ、正面から向き合うんだ」


「わかった! 全力でサポートする!」


パメラが契約札を掲げ、カシムは魔力の波を読む態勢を整える。


フィオナも術式を練り、ガルドとトールが武器を構えた。


レイラが一歩踏み出すと、それに呼応するかのように──


黒い靄に包まれた“彼”が、静かに立ち上がった。


「さっきとは……違う」


レイラは直感した。


今の“彼”は、怒りに身を任せた存在ではない。


悲しみと、長い孤独に縛られた、ただひとりの魂だった。


「……あなたに、触れるために」


レイラはそっと鐘の縄に手を伸ばす。


だが、怨霊の靄が彼女を拒むように渦を巻いた。


「構わず、進め!」


ガルドが声を張る。トールがハンマーを振り上げ、フィオナとパメラが魔術で霊障を一時的に押し返す。


「大丈夫、前に──進める!」


レイラは震える手を伸ばし──


鐘楼の縄を、強く引いた。


ゴォォォォン──!!


鐘が深く、長く鳴り響く。


すると、靄の中にあった怨霊の姿が、わずかに輪郭を取り戻し始めた。


そこには、ぼろぼろになりながらも、仲間たちと笑い合っていたかつての鉱夫たちの面影が重なる。


「──あぁ……」


レイラは小さく呟く。


「忘れない。あなたたちのこと、ここに来た私たちが……覚えてる」


黒い靄が、すこしずつほどけていく。


怨霊は、もはや怒りでも、悲しみでもない、


ただ安らかな表情で、鐘の音に包まれて──


ふわりと、霧のように消えていった。


坑道には、静かな静寂と、まだ響き続ける鐘の余韻だけが残った。


「……終わった、のかな」


ミネットがぽつりと呟き、レイラもゆっくりと息を吐いた。


「うん……ありがとう。みんな」


仲間たちは頷き合い、わずかに笑い合った。


だが、まだ道は続いている。


「魔力の流れが、まだ続いてるわ。これより奥──なにかある」


レイラは拳を握ると、いつものように笑った。


「……よーし、次こそほんとのお宝があるかもしれないしっ!」


「さすが社長、切り替えだけは早いな……」


パメラが呆れながらため息をついた。


こうして、リーフライン商会の面々は、


静かに鐘鳴る空洞を後にし、さらに深く──坑道の真の核心へと歩みを進めるのだった。

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