竜宮城に関する一証言
時平もよこ
序
竜宮城の存在については、これまで数多の証言がなされている。その多くは、民話やおとぎ話としてしか語られていないが、学術誌にその存在位置や構造について真面目に検証したものもあるのである。つまり、竜宮城は存在すると仮定してよいものであろう。
では、竜宮城はどこにあるかというと、これに正確な回答を与えたものは未だいない。おおかた、海の底だろうとか、西海の果てだとか曖昧でおよそ不正確なことを云っている。これでは、何も分かりようがない。
竜宮城に住まうのは人魚である。それでは、人魚の生息地はというと、これがまた、世界各国にその目撃談がある。西洋のものは特に有名であるが、中国の河川から中南米、アフリカにまで人魚やそれに類する存在をみたという伝承や民話が絶えない。
これらを鑑みると、人魚は世界各国を渡れるほどに余程泳ぎが達者なのか、或いは、竜宮城は世界各国に点在していると捉えることもできそうだ。後者は、あくまで冗談だが。
ともかくも、人魚について何も知らないことには、竜宮城については皆目見当もつかないままであろう。
西洋の伝説では、人魚といえば、可憐な少女か妖艶な婦人かの二択であり、男性の個体は目撃例が極めて少ない。その他、他の各地でも似た具合であり、まるで人魚は単為生殖するか或いは雌雄の個体数差が著しいのかと疑うばかりである。
さて、人魚は唄がうまいといわれているが、それは嘘である。おおかた、ひどく酔った人間が、浪のおとでも聞き違えたのに違いない。中原中也とかいう、日本の偉い詩人だけは、これを見抜いていた。彼はこんな詩を残している。
海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。
(中原中也『在りし日の歌』より)
これは、そのとおりで、人魚というものは本来そんな表層にでてこないのだ。たまに、海底の大嵐で (海底にも竜巻や大波などの天候がある) 流されてきて、帰れなくなった個体が漂着するくらいのものである。
だから、普段我々が見ているのは、ただの浪ばかりで、人魚などどこにもいはしない。
人魚、生きた元気な人魚に会おうと思ったら、海底―深度約7Mの海底―にあるといわれる竜宮城に行かなければならないのである。
だが、生きて竜宮城まで行ったことのある人間は滅多にいないし、おまけに再び此方がわへ帰ってきて正気を保ったまま彼地の事物について語りうる人間など、数百年に一人はおろか、千年に一人居ても珍しいくらいだろう。
そんな人間が、いまここに居るのである。
竜宮城に関する一証言 時平もよこ @Moyoko-Tokidaira
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