ふたりで、じゅうぶん。~妊活のやめどき、人生のはじめどき~

@HirotoMika

第1話:二人目不妊の彼女と、一人もいない私

朝6時半すぎ、私はひとり、いつものように満員ではない電車に揺られていた。

目的地は、都心の不妊治療専門クリニック。


もともとは近所のクリニックに通っていたが、医者の心ない言葉に不信感を抱き、片道一時間以上かかる今の病院に変えた。実績と口コミが決め手だった。


今日は採卵日。数日前に指定された平日だ。

通勤ラッシュよりは早い時間。座れると思っていたのに、今日は妙に混んでいる。


つり革につかまりながら、スマホを開いては閉じる。調べ尽くした単語——「卵子 採れない」「採卵 痛い」——もう見る必要もないのに、指が癖でまた検索画面を開いてしまう。


痛みがあるとしたら、針が刺さる一瞬の“チクリ”だ。何度やってもあの痛みには、「なぜ女だけがいつもこんな痛い思いをしないといけないのか」と、憤りと悔しさと無念さで泣けてくる。


ホルモン剤で膨らんだ下腹と、むくんだ足。

どうしようもなく悲しくなる感情が、今日はいつにも増していた。

その証拠に、電車の中で何でもない広告を見ているだけで、目頭が熱くなる。


——まただ。

ホルモンのせいだってわかってる。わかっていても、涙があふれそうになる。


駅に着いてエレベーターで上がると、待合室はすでに人でいっぱいだった。

30人ほどの女性たちがソファーにずらりと座っている。


診察カードを機械に通し、呼び出し番号のレシートを握りしめて空いている席に腰を下ろす。

「私に構うな」とでも言いたげな、静かな緊張感が漂っていた。

薄いピンクの壁、やけに無機質に感じるピアノのBGM。落ち着かない。


ふと、隣の椅子に小さな男の子を連れた女性が座った。

3歳くらいだろうか。ママのスマホで動画を見ながら、「これ見たーい」と無邪気な声を上げる。


「静かにしててよ」と母親が囁いた。

彼女の手には、問診票と採卵スケジュール表。

周囲の視線が、静かに、でも確実に母子に集まっていた。


——2人目、か。


別に、彼女が悪いわけじゃない。


不妊専門病院は「子どもが欲しいけど授からない人」が来る場所。

そこで子どもを見るなんて思ってもみなかった、というのが正直なところ。


通院を始めた頃は、怒りで震えたこともある。母親を無意識に睨みつけていたと思う。「非常識にもほどがある!」と。

投稿サイトで「不妊治療 子連れ 非常識」と検索して、同じような怒りの声を探し、自分の気持ちを納得させていた。


でもその後、「二人目不妊」という言葉を知った。


1人産んだら終わり、なんてことはない。

二人目不妊は「贅沢な悩み」と思われがちだけど、

「一人っ子じゃかわいそう」「兄弟姉妹がいたほうがいいよ」といった言葉に傷つき、一人目のとき以上に、もっと深く孤独を感じる人もいるのだと知った。


この女性も、きっと不妊に苦しんで、ここに来ている。同じなのだ。頭では、理解している。


——でも、こっちは一人もいないんだ。


その瞬間、「やっぱり、あなたは贅沢な悩みなんですよ!」自分の中に“ドス黒い感情”がふつふつと湧いてくるのがわかった。

そして、そんな自分が嫌になった。


なんでこんなふうに思ってしまうんだろう。

自分はもっとおおらかな人間のはずだった。他人の子どもを可愛いと思えていたはずなのに。

ホルモン剤のせいだとしても、そんな自分が情けなかった。


「採卵なんて、何回も通えば慣れるよ」と言われたことがある。

でも、3回目の今日も、まったく慣れる気配はない。


気を紛らわせようと、私はスマホを取り出し、何も見る気がないくせにニュースアプリを開いた。

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