第1話 転校生
1
この世界は停滞で満ちている。毎日同じような時間に起きて、毎朝同じような食事をとり、毎週同じ時間割で同じような勉強をして、毎日決まった人間と会話し、毎日同じような時間に部活へと向かい、毎日同じゲームをして同じような動画を見て、寝る前にSNSに投稿したりする。
浮足立つような冒険なんてない。日常に変化などない。あったとしてもその変化に慣れた後はすぐに停滞が訪れる。誰かが彼氏を作ったとか、別れたとか、その程度。学年が一つ増えようが、なにか劇的な変化が生まれるわけではない。そしてそんな変化を起こす気力もない。それが私だ。
「……五年生に上がったということは、これからの大学受験を意識して行動する必要があります。そのためオープンキャンパスなどを積極的に活用し、自分の目指すべき進路を定める一年としましょう。行事としても夏休み前の連休を活用して東京のいくつかの大学を見学します。我が校の先輩方も駆けつけて案内してくださるそうなのでしっかりと話を聞きましょう」
1学年80人がちょうど収まるぐらいの講義室で、そんな先生の話をぼんやり聞き流しながら、終わっていない課題に少しだけ手を付ける。
この学校は一応進学校だ。といっても、都内のトップの高校とは雲泥の差があるし、かといって自称進とネットで揶揄されるほどでもない。それなりに勉強熱心だが、生徒の自主性もある程度尊重される。スマホさえ解禁されればかなりいい学校だと思う。
中高六年間で人の入れ替わりがほとんどないため、人間関係に変化が訪れることもない。何なら私立であるためか教師の入れ替わりも少ない。田舎の高校であるため募集人数も生徒の人数も100人に満たないほど少なく、全員の顔と名前を容易に一致させることができる。同じような会話が永遠と繰り返されてるような気がして、だんだんと心が冷えていく。
今の友達に不満があるかと言えば、ない。ただそれだけなんだ。フレッシュな空気がどうにも足りてなくて、息が詰まるような感覚。多分閉塞感というやつだろう。そういったものが徐々に将来への漠然とした不安感に変わっていく。自分はこのままでいいのか、みたいな考えてもわからないことが脳をよぎる。行動するのを先送りにし続けて、いつか本当に何もできない人間になってしまいそうな、そういう何の根拠もない不安を抱いていた。
「……さて、それではこの後入学式を講堂で行うわけですが、その前に、新しくこの学年に編入してきた方がいます。自己紹介をしてもらってから、行動に向かいましょう」
英語の問題文を追っていた目線が、教室の前方に向かう。奇妙な静けさを破ったのは、ドアを引くガラガラという音。扉から入ってきたのは、色白で狐のような眼をした少女。どことなくクールで理知的な空気感を漂わせていて、女子の私から見ても美しいと思うような容姿、うちの学年の男どもからの受けは良さそうだと思ったら、案の定目を輝かせている者が多数。単純なものである。
その美少女は、そっと黒板の前に立ち、チョークを握った。
『氏名:坂井青
得意:英語、音楽
苦手:人と話すこと、数学
趣味:読書、マラソン
備考:吃音症』
チョークを淀みなく操ってそれだけを書くと、その美少女、坂井青はこくりと礼をし、自席へとむかって座った。奇妙な静けさは、奇妙なざわめきに変わった。
「ええっと、みなさん。時間ですので講堂へむかってください」
少し困惑したような先生のその一言でガラガラと立ち上がる同級生を横目で見つつ、私は何とも言えない高揚感で満たされていた。
停滞が、終わる気がする。そう思いながらも、またいつものメンバーとつるむために駆け足で向かうのだった。
2
入学式を終えて、教室に戻るとまずは係決めと席替えがあった。といってももう四年目の付き合いなので、誰がどの役職につくのかはすんなり決まる。席替えもいたってシンプルなくじ引きで決定。私は「津村」だから名簿順で真ん中の方、なので多少誰がどこの席になるかを知った状態で引いた。仲のいい浅井の近くがいいな、とか思いつつ、くじの入ったビニール袋に手を突っ込む。
「31、うっわマジかぁ」
誰が近くにいるかは知らないが、とりあえず浅井とは反対方向にいることに少し落胆する。座席表に自分の名前を書いて、31番の席に向かう。
見ると、左隣にはThe Murder of Roger Ackroyd と書かれた謎の洋書を読んでいる彼女、坂井青がいた。そういえば趣味は読書で英語が得意とか言ってた、いや書いてたなと思い出す。なんというか、いかにも意識高い感じで近寄りがたいオーラを放っていて、高嶺の花ってカンジ。せっかくだし話しかけようかと思ったけど、めんどうだったからパス。人と話したくないという負のオーラが出ている。
「さて、全員の席が決まったかな。今日は午後の授業はありませんので、これで解散となります。それでは学級委員、号令」
起立、気をつけ、礼、ありがとうございました。いつもと同じ号令をして、カバンを持つ。私の左耳にだけ、いつもと違う声が混ざって聞こえたような気がした。ふと振り返ると、彼女もカバンに本を詰めて帰ろうとしている様子。盗み見るつもりはなかったのだが、中に楽譜があるのが見えた。
『特技:英語、音楽』と書かれたあの丸っこい字を思い出して、意を決して近づいてみる。肩に少し触れ、語りかけてみた。
「ねえ坂井さん、うちの部に入らない?」
坂井さんは一瞬硬直して、ちらっと目を合わせ、須臾の間に目をそらして全速力で教室の外へと飛び出ていった。一瞬あっけにとられたけど、その様子がどこかかわいらしく、笑っていると、いつもの友人たちが来た。
「ツムツム、なに笑ってんの?」
「いや、ふふふ、なんかちっこいハムスターがいてさぁ」
「遠目で見てたけどチンチラっぽくない?」
「あはははは」
あいつこの先馴染めるのか、という心配は発生したが、笑いあっているうちに霧散した。
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