シンギュラの子 第2部

taida

第1話 招集

 モニターに映る新宿の空は、鈍い灰色だった。

 かつてネオンと喧騒に彩られていた街は、いまや避難民の仮設シェルターと自衛隊の車両で埋め尽くされている。

空を縦横に走る無数のドローンが、否応なく“戦争”の現実を突きつけていた。



---


 新生技術センター 中央管理棟・地上15階 長官室


 沈黙の支配する部屋に、革靴の足音がひとつ、規則正しく響いていた。

巨大モニターを背に、ひとりの男が立っている。白髪まじりの髪を丁寧に撫でつけ、無駄のない動きで映像を消し、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。


「ようこそ。天宮レイ、東堂リク君」


 低く、よく通る声だった。年齢は五十代半ば。しかしその眼差しは、年齢以上の重みを湛えていた。

 見下すでもなく、慈しむでもない——まるで完成された人工知能が人間を観察しているかのような、冷ややかな興味に満ちていた。


「私が、このセンターの長官、久瀬翔一です」


 レイは無言のまま、背筋を伸ばして立っていた。隣で、リクの喉がごくりと鳴る。


「君たちに届けられた召集令状は、法的義務に基づくものだ。だが、私は命じに来たわけではない」


 久瀬は指を組み、静かに言葉を続けた。


「これは“提案”だ。ただし、拒むことはできない類のものだ」


「……どういう意味ですか」


 うつむいたレイの声は、かすかに震えていた。


「君たちは“選ばれた”のだ。人類が、自らの限界を超え、進化するために必要とした最初の一歩。

 君たち“適応者”が、これからの戦争の在り方そのものを変える」


 窓の外を、低空を飛ぶ戦闘機の影がかすめていった。


「南北朝鮮連合軍が九州全土を掌握した。本州上陸も時間の問題だ」


 声には、抑えきれない圧力が滲んでいた。久瀬は目を細め、わずかに口角を持ち上げる。


「君たちも、先に戦地へ向かった適応者たちと同じく、前線での任務に就くことになる。

恐れることはない。我がセンターが誇る融合体は、“人間の限界”を遥かに超えている。

 勝利は、もはや彼らにとって日常だ。

 そして君たちは、国家の英雄として、いや、新時代の“救世主”として称賛されるだろう。

 時代は常に逆境の中で生まれる。

そして今、その最前線に君たちが立っている。

 理解してほしい。

君たちは、人類を超越した存在として、この世界にその姿を知らしめる使命を負っているのだ」



「予想より早かったな」


 リクが皮肉めいた笑みを浮かべた。その瞳には、もはや人間の色ではない、透明な青が宿っていた。

 軍事技術応用局による視覚強化——融合体である証の一つ。


 人気のない廊下を、レイは無言で歩いていた。

 走るために取り戻したはずの両脚は、今や軍の仕様に最適化された融合兵器となっていた。


 かつて、テレビの速報で見ていた“戦争”が、今や彼女の足元にまで迫っている。


 敵は、単なる国家ではなかった。


大朝鮮連邦

 気候変動により枯渇寸前となった水資源を求め、日本列島を侵略の標的に定めた。

かつての隣国同士が、飢えと乾きの果てに手を組み、一つの超軍事国家となった。


 世界中が同じような有様だった。

 アメリカも、ヨーロッパも、インドも、中国も。

 異常気象に翻弄され、生存のために侵略と排他を正当化する国ばかりだった。


 すべては、人間のエゴと欲望の帰結。

 環境を憂いながら、本気で変革に取り組んだ国など存在しなかった。

 気候は急速に悪化し、緑は地球から半分以上消え去り、海面は二メートル上昇した。


「レイ、お前は……納得してるのか。融合体になったことを」


 リクの問いに、レイは視線を落とす。

 髪に隠れた表情は見えなかったが、かすかに震える唇が、その葛藤を物語っていた。


「してないわけじゃない……でも、なぜ私たちが戦場に?

 私たちでなきゃ、ダメなのかなって……」


「最初から、そうなるよう仕組まれてたんだよ」


 リクはため息とともに、踵で床を軽く蹴った。


「あの久瀬長官って男、元は防衛省の科学技術顧問だったそうじゃないか。

 結局は国ぐるみで、俺たちみたいな身体の不自由な人間を集めて、軍事転用の技術開発を進めてたってわけさ。

 表向きは温厚で理性的な顔をしてるけど、さっきの話を聞いただろ?

『人間を超越した存在として――』なんて、あれはもう政治家だよ。

 慈善を装った国家事業に、俺たちは巻き込まれていたんだ」


 リク言い分を耳にしても、レイの心情には久瀬への怒りは芽生えていなかった。

 人間は、誰しも自分の本質を隠して生きている。

 いざという時にだけ、その本音が露呈する。

 他人の生よりも、自らの生を優先する。

 それが人間という生き物の、ある種の真理なのかもしれなかった。


ただ、それ以上にレイの胸を締めつけたものがあった。


——ローマで開催された「第1回 ネオリンピック」

 融合体となったアスリートたちによる、初めての国際大会。

規模は小さく、出場国も限られていたが、会場には歓声があふれ、競技のたびに観客が総立ちになった。


 レイにとって、あの場所こそが“生”そのものだった。

 適応者としての自分が、祝福され、称賛され、心の底から悦び震えた瞬間。

 あの体験が、血肉のように身体に染みついていた。

 それは、リクにとっても同じだったはずだ。


 だがあれから2年もしないうちに、世界は緩やかに、しかし速やかに変わった。


 いまや敵国である「大朝鮮連邦」の融合兵の中には、かつてのネオリンピックの仲間たちもいるのかもしれない——

 そう考えるだけで、レイの胸は押しつぶされそうになる。


 戦場で出会うのは、かつての友か。あるいは、同じ技術で作られた敵か。


 そして彼女は、まだ知らなかった。

この戦争が、自らの中に残る最後の「人間性」に、決定的な問いを投げかけてくることを——






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