第18話

 その島は、確かに“浮いていた”。


 空に浮かんでいるわけではない。

 だが、波にも沈まず、潮にも流されず、まるで海面に優しく載っているかのような不思議な姿。

 白い岩肌には苔すらなく、空の光を反射して柔らかな輝きを放っていた。


 「……これが、精霊の漂島……」


 シーナが呟いた。

 その声は、尊敬にも似た畏れを含んでいた。


「伝承では、“海精の眠る神域”とされ、島の上陸すら許されぬとされていました。

 ですが今、霧が道を開いたということは……」


「俺たちが“招かれた”ってことか」


 俺の言葉に、シーナは頷いた。


 船を島の縁に寄せ、足場のように突き出した白岩の帯に小舟を繋ぐ。

 踏みしめた足裏に、ひんやりとした感触が伝わってきた。

 石ではあるが、生き物の肌のようにしっとりとして、心音のような波動が感じられる。


 「……この島、呼吸してる」


「ええ。これは、島というより“生きた精霊”そのものなのでしょう」


 周囲には植物もない。

 ただ白銀の岩と、淡い青の光を放つ道筋が続いているだけ。


 けれど、空気は驚くほど澄んでいて、耳を澄ませば、どこか遠くから“鈴のような音”が響いてくる。


 「……行こう。何かが、俺たちを待ってる」


 二人で光の道を進む。

 足音が響かないのは、島全体が柔らかく音を吸っているからだろうか。

 やがて、道は中央へと収束し、広場のような空間へと繋がっていった。


 そこにあったのは、巨大な水の球体だった。


 宙に浮かび、陽光を通して七色に輝くその水球は、ただの水ではない。

 中に、何かがいる。

 それは、半透明の羽を持つ精霊のような存在。

 光と水を纏いながら、ゆっくりと、俺たちの方を見た。


 《来訪者よ。波に選ばれし者よ。

 おまえが求めるものは、“潮の真理”か、“海の記憶”か》


 声ではない、直接心に語りかけるような問い。

 だが、その問いに、俺は迷わず答えられた。


 「俺が求めるのは、どちらでもある。

  記憶を知り、真理に触れて、そして――今を守る力を得ることだ」


 水の精霊は、しばらく黙っていた。

 だが、次の瞬間、水球が小さく震え、内側から光の輪が広がった。


 《ならば、証を示せ。

 波と語り、潮と調律し、風を導けることを》


 試練――だ。


 けれど、恐れはなかった。

 俺は潮導核をその手に宿している。

 海に選ばれ、命と調和する資格を授かった存在として、今、この場に立っている。


 「……やってみせるよ。精霊の島にふさわしい波を」


 俺は一歩、前に進み、右手の紋章に力を込めた。


 潮が震え、風が渦を描き始める。


 その中心で、俺の波が、島の精霊と重なっていく――

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