第3話
それから、どれくらいの時間が過ぎただろう。
風は穏やかで、海は静かだった。
だが、俺の心は、嵐のように騒がしかった。
新たな力。
龍との契約。
そして、まったく未知の航路。
現実味があるようでいて、どこか夢のようだった。
セラシオンの姿は、すでに海の底へと戻っていた。
けれど、俺の胸には、まだあの巨大な存在の気配が残っている気がしていた。
この海は、もうただの水ではない。
俺と繋がっている。そう感じる。
目を閉じると、微かな水音さえ、意味を持って聞こえてくる。
南の方角から、魚群のざわめき。
北の沖合には、潮目の変化。
遠く、西の方角には、陸地らしき気配――
俺の中の《潮の眼》が、確かに世界を“読んで”いた。
「……やれるのか、俺」
呟きは、誰にも届かない。
だが、心の底から出たその声は、俺自身に届いていた。
逃げるしかなかった自分。
誰かに守られるのを待つだけだった自分。
それを変えたかった。今度こそ。
波の契約者。龍に選ばれし存在。
その肩書きが、俺に重荷を与えるものじゃなく、ただの“きっかけ”になればいい。
そう思った。
「レン・タカナ。波に選ばれし者よ」
再び、意識に語りかけるように、セラシオンの声が響く。
「我が力は、おまえの内に宿る。されど、導くのはおまえ自身だ」
「……分かってる。自分で、舵を取る」
答えると、不思議と波が優しくなった気がした。
そしてそのときだった。
――視界の先に、白い影が見えた。
「……島?」
水平線の彼方。
海の青に溶け込むようにして、薄く、ぼんやりと陸地の輪郭が浮かんでいた。
目を凝らすと、それは確かに島だった。
大小の岩場、樹々の影、そして白い砂浜。
俺は、思わず笑みをこぼした。
「やっと、辿り着ける……!」
この船に、帆も舵もない。
けれど、俺は確かに“進んでいる”。
風に運ばれているわけじゃない。
波に漂っているわけでもない。
俺の意思が、船を導いているのだ。
それが、こんなにも心強いなんて、思ってもみなかった。
小舟が白い砂浜へと近づくにつれ、海風が生温かく頬を撫でた。
波は緩やかで、まるでこの島に歓迎されているような錯覚さえ覚える。
「……ここが、最初の島か」
潮の匂いに混じって、どこか甘い香りが漂ってくる。
花の香りか、それとも果実か。
とにかく、俺の知っている漁村の匂いとは違っていた。
やがて船底が砂を擦り、小舟は音もなく岸へと辿り着いた。
俺はそっと船から降りた。
濡れた砂が足裏に吸いつくように柔らかく、踏みしめるごとにじわりと温度が伝わってくる。
目の前には、青々とした木々が生い茂る森と、わずかに開けた草原。
だが、人気は感じられない。
「……人が住んでる島じゃ、ないのか?」
あたりを見回してみるが、建物の影も煙も見えない。
俺の《潮の眼》でも、この周囲に人の気配は拾えなかった。
だが――代わりに、別の“気配”があった。
海ではない。
風でもない。
どこか“神聖”な、それでいて“生き物”のような存在が、この島全体を包んでいる。
俺は無意識に、手の甲の紋章を撫でていた。
波の印が、わずかに温かく反応している。
この島、普通じゃない。
そう直感した。
木々の間を抜けると、そこには奇妙な空間があった。
中心に、大きな石碑のようなものが立っている。
苔むしたそれは、古代文字のようなものが刻まれていて、時間の流れを物語っていた。
俺はそっと近づいた。
触れるかどうか迷ったが、手を伸ばした瞬間――
「そこに触れてはなりません」
背後から、少女の声がした。
「っ……!」
俺は反射的に振り返った。
そこに立っていたのは、ひとりの少女だった。
長い群青色の髪。
白い衣をまとい、海の巫女の装束を思わせる姿。
肌は透き通るように白く、瞳は深い青。
そしてなにより――俺を見つめるその眼差しが、どこか“確信”を帯びていた。
「あなた……波に選ばれたのですね?」
まるで、最初からそう知っていたように、彼女は言った。
俺は言葉を失った。
なぜ、この少女は俺のことを知っている?
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