第7話 祝福なき崇拝
如月ミカは、自宅の窓から街を眺めていた。
便器を模したモニュメントが点在し、ミカのシルエットが投影されたLED広告がビルを覆う。そのすべてが、自分の“排泄しない”という欠如を讃えていた。
彼女の中で、何かがひどく軋んでいた。
街の人々はミカを崇める。
だが、それは“かつて出していた者”としてではない。
“いまや何も出さぬ者”として讃えているのだ。
ミカが失ったのは排泄だけではなかった。
排泄を通じて世界とつながっていた実感、自らを表現していた手段──それらのすべてが、“神聖なる無”という偶像に飲み込まれていた。
マネージャーの木島から連絡が入った。「新しい出演依頼だよ。君がただ“座るだけ”で、百万円が動く」
ミカは答えなかった。電話を切ったあと、思わず深く息を吐いた。
肺が膨らむ感覚すら、どこか異物のように感じた。
彼女は、誰かの信仰対象ではない。
誰かの思想の道具でもない。
ただ、排泄しない──その一点で世界と断絶しながら、それでも生きている人間だった。
その夜、SNSでは「ミカ様降臨祭」の開催が話題になっていた。
ファンたちが一斉に白い服を着て、トイレに花を供え、便器に向かって合掌するというイベントだ。
祈りのかたちは、やがて狂信を孕みはじめていた。
一部の過激派信者は、排泄行為そのものを“裏切り”とみなし、無関係の人間のトイレにペンキをまくという事件まで起こした。
如月ミカは、もはや文化現象でも芸術象徴でもなく、崇拝の暴走を引き起こす“神話装置”となっていた。
「これは祝福ではない」
鏡に映る自分に向かって、彼女は呟いた。
「これは、誤解だ」
しかしその声は、静かな部屋に吸い込まれるだけだった。
ミカは立ち上がり、クローゼットから一枚のワンピースを取り出した。
昔、まだ“出していた頃”によく着ていたものだ。
それを抱きしめながら、彼女は思う。
──もう一度、自分の身体と語り直さなければならない。
“排泄する身体”としてではなく、“排泄しない身体”としてでもなく。
自分が生きているという、ただそれだけの理由で。
新たな静けさの中で、ミカは再び歩き出す準備を始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます