第5話 風は、まだ知らない音を運んでくる
「……ここで、今日は寝るのか?」
イルネスは、うっすら曇った空を見上げながら、小さくため息をついた。
ここは桜嶺の外れ、地雷系界隈と呼ばれる独特な文化が栄える裏路地。薄暗いネオン、タバコの匂い、明らかに未成年にはよろしくない空気感が漂っている。
陰詠は、そんな場末のような街角でごく自然に腰を下ろす。
陰詠:「さ、イルネスちゃんもここに座りなさいよ♡」
イルネス:「……え、いや、こんなとこで寝るの?」
陰詠:「そっ♡地雷と病みとエロと毒♡そういうのが、この界隈の“普通”よ♡」
イルネス:「その“普通”が一番怖いんだよな……」
それでも陰詠は、どこか楽しそうに鼻歌まじりに髪を弄っていた。サブカル風の天使コーデが、この路地裏では逆に溶け込みすぎていてちょっと怖い
陰詠:「風が気持ちいな」
いつものぶりっ子めいた口調がなくなった。だけど、その声が、少しだけ空回っているのがわかった。
イルネス:「おっ、そうだなてか喋り方が違う………」
陰詠:「そうだ、僕は君のことを信じてるからね」
イルネス:「そうか?」
陰詠:「ーー風ってさ」
少し間があいて、陰詠はぽつりと続けた。
陰詠:「どこから吹いて、どこへ行くんだろうな。意味とか理由とかなしで、ただ……流れてるだけ。俺たちも、そんな感じで動いてんのかもな」
イルネスは、何も言わなかった。ただ黙って隣に座り、陰詠の言葉を聞いていた。
陰詠:「風は気持ちいいから風俗って言うんだ、父さんの言葉だ」
イルネス:「お父さんは今どこにいるの?」
陰詠:「分からないでもどこかで生きてるって僕は信じてる」
夜風が、カラカラと看板を揺らす音を運んできた。
“エロ猿の楽園”と書かれた古びたネオンが、ちらつきながら遠くに消えていく。
「風……か」
イルネスの背中の刀、《邪険・夜》が、まるでそれに応えるように、小さく音を鳴らした。
ひやりとした冷気――イザナミの気配。呪いは、まだ生きている。
「このままじゃ死ぬ。でも、死にたくない。……だから、旅する。バカみてーな理由だけど、それで十分だよな」
空に浮かぶ星のどれかに、天命ってやつが見ててくれたらいい。
子どもみたいな願いを胸に、イルネスは目を閉じた。
陰詠:「……ふふ、バカみたい」
薄目を開け、陰詠がほんの少し笑った。
女のよう声で、まるで風の音に溶けるように、こうつぶやいた。
「でも、そういうの……嫌いじゃないゾ」
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