鳥の飛べない日

メンボウ

鳥の飛べない日

 天気予報が『ツバメが低く飛ぶから明日は雨だよ』というような、おばあちゃんの知恵袋的経験則にのっとって行われるようになってはや三十年、一時期は前日予報で九割五分以上を誇った予報正解率も、すっかり七割程度で定着している。

 人類の宇宙開発史は四十年前に国際宇宙ステーションへのテロという形で途切れた。爆破されたステーションは細かな破片となり、周囲の人工衛星を巻き込み、それがまた新たな衛星を巻き込みと、全球に渡り波及し、地上二百キロメートルから千三百キロメートル領域に『回廊』と呼ばれる宇宙に漂うゴミの雲を作り上げてしまった。幾人もの科学者達が回廊を抜けようと試みたが、それは回廊をよりいっそう濃く複雑にするための作業でしかなかった。回廊のさらに上空、静止軌道上や極軌道上で難を逃れた衛星たちも想定されていた耐用年数をはるかに超えて、だましだまし、切り詰めて、涙ぐましい努力を重ね、それでも一機、また一機と力尽き落ちていった。もちろん気象衛星も落ちた。


 宇宙は再び手の届かぬくらやみの世界へ。人類は、自らの手により閉じ込められた。


 物体は常に安定を求めている。回廊もまた安定を求めている。

 あと、二百十余年。回廊が安定し道ができるまでの必要時間。それだけ待てば回廊は薄くなり道は開く。それはゴミの落下速度からはっきりとしている。それまでは回廊の動きは予測できない。観測できない微細なゴミどうしが北極圏上空で衝突した影響で、ブラジル上空の回廊が突然大きく開くような動きを予測し、事前に発表できた科学者は居なかった。この『穴』の予測さえできれば、人は安穏と待つだけでなく、もう一度羽ばたける。

 ただ一人、この突然と回廊に開く『穴』を事前に、それも三度も言い当てた人物が居た、一度当てたものは実は、かなりの数にのぼる。そのほとんどは二度目に偶然が証明された。三度当てたものは世界でただ一人。彼は専門家ではなく、科学者ですらなく、一介の気象予報士だった。最初は誰も相手にしなかった。二度目の時、初めて話題になった。三度目を予報した時は皆が見守った。三度目を的中させた時、彼、ムラタにこういう話が持ちかけられた。

「ムラタさん、私たちと人工衛星を打ち上げてみませんか」と。ムラタには夢があった。子供の頃に見た他愛の無い夢。叶うはずは無いけれどと、それでも持ち続けた夢。『宇宙から地球の雲を見てみたい』ムラタはこの話を受けた。


 宇宙開発には莫大な資金が必要である。小国の国家予算よりも多くの金、数字でしか存在しえない大量の金。さまざまな得体の知れないものを呼び寄せるだけの金。

 三十年凍結された技術など一から作るよりも性質が悪い。大昔の生き残り技術者が口を出し、ものめずらしさに企業が飛びつき、マスコミがはやし立てる。皆が自分の利益のために動いた。計画は迷走し、金は右から左へ、出来そこないの化け物のようなそれは、全てを飲み込んでのろのろと進んだ。

 気象衛星ホウセンカ。出来上がったのは、当初の主目的であった気象観測関連の機能がほんの申し訳程度にサブユニット衛星に押し込められた、単体では過去最大の人工衛星だった。重量は当初計画の倍、サブユニット衛星八機、増えた機能数は実に七十二倍、閉じ込められた四十年の間に蓄積された鬱憤を晴らすべく、ごてごてと後付けで歪に肥大した醜い衛星だった。


 その日、ホウセンカの完成を待っていたようにムラタ四度目の予報が出た。

 一週間後、およそ二時間太平洋上空に穴が開く。まず大気と回廊の影響が少ない二百キロメートルで円軌道を描き角度と方向を調整後、再点火。穴を抜け一気に千八百キロメートルまで上昇、下降点千五百キロメートルを維持する、ゆるやかな楕円軌道を描き地球を三回廻った後再々点火、遥かなる静止軌道を目指す。二度の再点火が前提と言う、過去に例が無い変則的な航路が即座に決定された。


 ムラタには私物と呼べるものがあまりない。仕事に使うものを除けば礼服と同じ本が三冊、それだけ。

 主幹技術者用にあてがわれたホテルの一室がやけに広く感じる、自分の部屋を頭に描いて、これが俺の部屋と同じ部屋かよ、とトダは思った。姿勢制御担当のトダにとってホウセンカは重さと外形寸法、そして重心さえわかればあとはどうでもいい存在だった。重要なのは誇りある仕事ができるか? その一点にあった。

 トダは空ばかり見ているこのひょろ長い男が、なぜか自分と同じものを持っているような気がした。

「ホウセンカは飛べないかもしれません」

 飛ばないのではなく飛べない。

「たぶんその日は、鳥が飛べないと思います。だから教えて欲しいんです。本当の所、どこまでいけるんでしょう?」

 自分の仕事を疑われたと感じたトダはムラタに良く判らせてやった。ムラタは非常に疑り深くしつこい男だった。トダはムラタをムカつく奴だと思うと同時に好感を持った。


 ムラタの予報どおりに『穴』は開いた。

 現在、風速十五メートル。鳥の飛べない日にはロケットも飛べない。ホウセンカは重すぎる。耐久性を犠牲に高出力を突き詰めたエンジンを持ってしても、大気の影響を受ける対流圏を抜けるために時間がかかりすぎる。つまり、それだけ風に流されやすい。ホウセンカを打ち上げるためには安全率を見越し、発射時に風速が秒速十七メートル以下でなくては、打ち上げは中止となる。


――120……

「なあ壊せばいいんじゃないか」

「ダメです。四枚羽ワイヤー式なんて博物館物です」

「この際良いだろ気象バカが!」

「そうですよ。僕も自覚しています。それに、ワイヤーを切ったらバックアップの値が使われちゃいますよ。それより、本当に大丈夫なんですか? 瞬間だと二十五メートルはいきますよ」

「台風の中でも針の穴にぶち込んでやる。俺はそれだけの設計をした。本当にしつこいなお前」

――60、59……

「うおぅ、なんでこんなに高いんだよ」

「こんな旧式ここしかなかったんですから。こちらをメインにするために僕がどれだけ……」

「お前はいつから今日の天気がわかってたんだ?」

「僕の本職はそっちですよ。知ってましたか」

――30、29……

「なあ、お前は何で穴が開くのがわかるんだ?」

「似てるんですよ。どこまでいっても雲は雲ですから、毎日眺めてれば何となくですね」

「はっ! 勘かよ。泣くぞ、穴探しの本職が」

「実はそのう、間違ってたら恥ずかしいので誰にも言ったことはないんですが、多分あれ雨なんです何年も何年もかけてゆっくりと降る雨。みんなあれを雲だと思い込んでるから間違うんです。雲はもっと上、宇宙にあるんだと思います。きっとホウセンカが見せてくれますよ多分」

「お前は多分が多いな」

――10、9……

「ぐ……があ、しんどいぞ、こりゃ」

「ぁい……ぐ……ああ……」

――5、4……

「中止! 即刻中止だ。危険だ、風が強すぎる」

「はあ、風ですか。風速計はゼロを指していますが」

「あれを見ろ! 子供の遊びじゃないんだ、一体どれだけの予算が使われたと思っている!」

「しかし、風速計はゼロです。飛行安全計画書によれば発射シーケンスを中止する必要性を認めません」

「きっ……」

「次官、失礼ながら申し上げます。あなたにも子供だった頃があるはずです」

 誰もが見えないふりをした。飛ぶように暴れる風見鶏の下、風速計の風車を必死で抑える二人の男を。

――ゼロ、点火。


 ホウセンカ、ホウセンカ。愚か者どもの夢を乗せて、にび色の空へ舞い上がれ。

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