第3話 金属の鎖と銀色の箱

人智警察署(ひとのちけいさつしょ)。人智市の治安を守るこの施設の取調室に、ムーンライトはいた。


(金属製の拘束具か……FeとCr……その他複数の金属を組み合わせてあるが、脆いな)


じゃらり――手首を繋ぐ鎖が音を立てる。


(そもそも鎖にする必要があるのか? 容易に破壊可能……だが私は友好的訪問者。暴力は避けねばならない)


ムーンライトは静かに椅子に腰を下ろした。

部屋の壁面には原始的なカメラによる監視システムが設置されている。だが、これでは他星人を捉えるのは難しいだろう。

室外の生命反応から察するに、そこはおそらく地球の警備機構の隊員たちが詰める詰所なのだろうが……


(このような低い文明レベルの惑星に、何故未知のエネルギーが存在している?)


ムーンライトが考察していると、不意にガチャリとドアが開いた。

部分的に体毛が白くなった男が現れる。


「あー……ムーンライトさん、でしたっけ? 私は生活安全課の見目(けんもく)と申します。これから取り調べを行いますが、貴方には黙秘権があります。言いたくないことは無理に話さなくても構いません。」


分厚い紙束を抱えた男は、疲れた表情でそう告げた。

だがその目は、長年の経験から培われた冷静な警戒心を宿し、相手の一挙手一投足を逃すまいとしている。

おそらく警備機構内で板挟みに苦しむ中間管理職なのだろう。


静かに、しかし確かな気配を伴って、もう一人の男が入室した。

黒い服装――おそらく制服と思われる――に身を包んだ男は、無言のまま壁際の机へと腰を下ろす。

記録係と言ったところだろう。

見目は、ちらりとそちらに視線を送り、すぐにムーンライトへと意識を戻すと、再び口を開いた。


「それで……ムーンライトさん。どうして全裸で街中を歩いていたんですか?」


取調室の冷たい蛍光灯が、ムーンライトを照らす。

その姿は一見すると毛髪のない黄色い肌の全裸の男そのものだった。

筋肉質だが無駄のない体躯に、まるで彫刻のような滑らかな肌。どこにも衣服らしきものはない。


「誤解だ」

低く重厚な声が室内に響く。


「私は全裸ではない。これは被覆機能を持つ外皮スーツであり、ティキル人の文化様式に合わせたものだ……しかし、どうやらお前たちはティキル人ではなかったようだな」


見目はため息を吐きながら、手にしていたボールペンからそっと指を離した。

カラリ、と乾いた音を立ててペンが机の上に転がる。

見目は背もたれに体を預けると、落ち着いた口調で静かに諭すように語りかけた。


「なるほど……ティキル人という、いわゆるコスプレにあたる何かをされていたのですね。どうやら日本人ではないようですし、文化の違いは理解します。しかし、日本では全身黄色のボディペイントも公的には全裸とみなされます」


わずかに眉を下げて、見目は机の上の捜査資料に目をやった。


「事情はお察ししますが、法律は法律です。こちらも仕事でしてね」


「……話が通じないのか? 翻訳は上手くいっているはずだ」


ムーンライトは静かに首をかしげる。翻訳機は正常に作動している。だが、この星の住人たちの論理体系は奇妙に感じられた。


「はぁ……同感ですね。日本語ではありますが、会話ができないようです」


見目は苦笑を浮かべながらも、その目は決してムーンライトから逸らさなかった。

重苦しい沈黙の後、彼は話題を切り替える。


「話を変えましょう。貴方の身分は?」


その瞬間、ガチャリと控えめな音を立てて取調室の扉が静かに開いた。

鈍い緊張が室内に広がる。


「ああ、よかった。この部屋ですね。警察署に取調室が複数あるなんて知りませんでしたよ」


軽やかな口調。だが、その足取りと視線には訓練された冷静さが宿っていた。

黒のスーツに身を包み、銀縁の名札のないIDカードを胸に付けた男が入ってくる。


「取り調べ中だ。階級と所属を言え」


見目は即座に机の上から身を乗り出し、鋭い声で詰め寄った。

だが鈴木は一切動じる様子もなく、にこやかに書類を差し出す。


「詳しくは規則上、申し上げられません。特務課の鈴木と申します。見目巡査部長ですね。こちらにサインをお願いします」


「特務課……?」


聞き慣れない所属に、見目の眉がさらにひそめられる。

厚紙の封筒の中からは捜査引継書が現れた。極めて公式な書式と、見目にも見覚えのある署の認印。


「特務課なんて聞いたことはないが……捜査引継書だと?」


見目は書類をめくりながら渋い表情を浮かべた。

鈴木はその様子を穏やかな微笑を浮かべながら静かに見守っていた。


「ええ、彼は我々の管轄です」


鈴木の低く柔らかな声が取調室の静寂を切り裂いた。

不自然なほどに整った立ち振る舞いと、わずかに冷たいその微笑みは、どこか人間離れした威圧感さえ漂わせていた。


その頃――

市街地から少し離れた人智市森林公園。

濃緑の樹々が生い茂り、昼なお薄暗い森の小道を、柳は息を切らしながら歩を進めていた。


「……確かあの光はこの辺の森だったはず」


紫色のワンピースが枝葉に引っかかり、細い指先でそっと払いのける。

額に滲む汗をぬぐう暇もなく、柳は前方を見据えた。

周囲には、蝉時雨と遠くで流れる小川のせせらぎが交互に響き、湿った土と草の匂いが鼻先をかすめる。


「自転車……もう一台欲しいな……」


ぽつりとこぼした言葉に、自分でも苦笑した。

家族共用の自転車は、今日は弟が通学に使っている。

仕方なく歩いてきた柳の足取りは重いが、それでも彼女の瞳には確かな決意が宿っていた。


――あの不可思議な光を見過ごすわけにはいかない。


柳は紫のワンピースの裾をそっと手で押さえ、息を整えると再び静かに歩き出した。

森の奥は徐々に薄暗くなり、枝葉の隙間から差す木漏れ日が幻想的な模様を地面に描いていた。


ふと、風に紛れてかすかな声が聞こえた。

柳は思わず足を止め、緊張のあまり呼吸を抑える。

慎重に足音を殺しながら、声のする方へと身をかがめて進んだ。


やがて低木の隙間から視界が開ける。

そこには黒いスーツに身を包んだ男たちが数人、真剣な面持ちで辺りを探していた。


「おい、見つかったか?」

「この辺りに着陸しているはずだ」


低く鋭い声が交わされる。

柳は思わず心の中で息をのんだ。


(同業者!?宇宙人ブロガーがこんなに早いなんて! それに……やっぱりこの森だったんだ!)


人智市にはオカルトに通じた人物が多い。柳は自然にそう思い込んだ。


彼らに気づかれぬよう、柳はワンピースの裾を静かに押さえながら身を潜め、慎重に周囲を散策する。

森の奥は静寂とざわめきが入り混じり、緊張感が肌を刺した。


ふと足元に視線を落とすと、草の間に銀色の箱が転がっていた。

掌ほどの大きさの箱の表面には奇妙な模様が刻まれ、側面のランプが青く短く点滅している。


(何の機械だろう? 電源はまだ入っている……同業者の落とし物?)


柳はそっと箱に手を伸ばした。

指先が冷たい金属に触れた瞬間――


「おい!B班が発見したらしい、撤収だ!」


男たちの声が再び響き、足音とともに慌ただしく去っていく。

柳は安堵と同時に、わずかな悔しさを感じた。


(あーあ、先を越されたか……でも、この箱は面白そうだからちょっと調べてみよう)


手の中の箱は不思議な存在感を放ち、柳の探究心をさらにかき立てた。

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