第3話 王女と皇帝の密会(2)

 ミリアムは紅茶を一口飲んで呟いた。


「それにしても……ファンちゃんが『朕』だなんて似合いませんね」


 それまで張り詰めていたファンティーヌの空気。

 公務から外れた“親友”としてのミリアムの呼びかけ。


 ファンティーヌは大きく息を吐き出して破顔させた。


「ボクもだよミリアム~。ボクだってヘンだと思うよ」


 ファンティーヌの容姿は幼い少女のように可憐だ。


 見た目で舐められないように、ジェルトルーデが一人称と口調を矯正させたらしい。


 時折、そのことについて本人から愚痴を聞かされていた。


「ボクが朕だなんて似合わないのにさ~」


 唇を尖らせてふてくされるファンティーヌ。

 ミリアムはクスクスと微笑んだ。


「いいえ。すごく似合っています。可愛いですよ」


 ファンティーヌは少し頬を赤くさせた。


「え、そ、そうかな~。じゃあいいかも!」


 えへへと口元をふやけさせるファンティーヌ。

 その瞬間、ジェルトルーデがさっとファンティーヌの口元を手で隠した。


「あらら。親友との邂逅を楽しんでいたのに」


 ミリアムを鋭い視線で刺すジェルトルーデ。

 静かな声色がさらに重たくなる。


「お嬢は余のものだ。手出しされては困るな、殿下」

「⁉」


 ファンティーヌが驚いてジェルトルーデに振り向く。

 ミリアムは「それは失礼」と軽く会釈した。


「ちょっとしたジョークでしたが」

「節度を弁えたまえ」


 ジェルトルーデの剣幕にレオノーラが首を傾げる。


「お嬢とは?」

「余だけが呼ぶことを許された愛称に他ならん」


「なるほど。では『余のもの』の真意とは? 宰相は陛下と婚姻関係にあると?」

「る、ルーデはそんなんじゃないよ!」


 ファンティーヌが両手をバタバタと振る。

 相当恥ずかしそうだが、必死な否定は却って怪しさを加速させるもの。


「じぃ~っ」


 二人を交互に見比べるミリアムとレオノーラ。

 ジェルトルーデは勝ち誇るようにフンと鼻を鳴らした。


「余がお嬢に誓ったのは忠誠ではない。永遠の愛だ」


 ファンティーヌは沸騰したように顔を腫らせた。

 バカなこと言わないで――と、ジェルトルーデをポカポカ殴る。


 嬉しそうなジェルトルーデの表情が印象的だった。


 そのとき突然。


「朕の要請に応じてくれたことに改めて謝意を」


 ファンティーヌはキリッと目に力を込めた。

 まるでそれまでの恥じらいを抹消させるように。


 ミリアムは惜しい気持ちをかみ殺し、ファンティーヌの羞恥心隠しに乗ってあげた。


「感謝が多くてご立派ですね。どうぞ。本題に入りましょう」


 ファンティーヌはほっと胸を撫でおろした。

 ジェルトルーデに説明を促す。


「結構。詳細はジェルトルーデ宰相から」

「承知いたしました。ファンティーヌ陛下」


 ジェルトルーデは頭をブンブンと振った。

 気持ちを切り替えたのか凛々しい表情である。


「ご存知の通り、ミカドルナ帝国はキーナリー王国の王族の一人が興した国です」


 ミカドルナ帝国を興した王族の一人。

 それは、当時の第二王子だった。


 元々キーナリー王国は別の一族が統治する国だったが、ミリアムの先祖は国内のいたるところで採掘される“不思議な石”が秘める希少性を見出した。


 かつて“不思議な石”は単なる宝石の一つという認識でしかなく、あくまで富裕層がみずからの財力を誇示する道具に過ぎなかった。


 しかしミリアムの先祖をリーダーとするグループはその石が未知の力“魔力”を宿す魔法石であることを突き止め、その“魔力”に人間が生まれながらに持つ“気の力”を混ぜることであらゆる神秘を実現できると証明した。


 魔法石の発見および魔法の発現は王国に衝撃と繁栄をもたらし、他国に遅れ気味だったキーナリー王国の文明を大国以上に押し上げ、技術供与や知識提供、魔法石輸出事業などのあらゆる面において世界のリーダーとなった。


 その功績を認められ、魔法研究グループのリーダーは国民主体のクーデターにより国王に即位し、構成員は8つある州の統帥権と魔法石流通の管理権限を有する貴族となった。


 そして、隆盛を極めたキーナリー王国を奪取せんと画策したのが国王の次男、第二王子だ。


 彼は世界最高の権力を掌握するため、悪魔との契約で手にした力を武器に謀反を起こした。


 この謀反は大きな内乱に発展、全国民を巻き込む大惨事になったが、辛うじて王国が勝利。逃走を余技なくされた第二王子は、キーナリー王国の地下に潜り、自身を王とするミカドルナ帝国の設立を宣言した。


 悪魔と契約した者を祖先とする帝国民は、魔法石を媒介せず魔法を放つことができ、飛行能力と紅い瞳、長い耳を持つ。


 さらに他者の血を飲むことで“気の力”を強化できるが、悪魔との契約という禁忌を犯した制約で王国民より秀でることはない。


 また、王族から悪魔の契約者を生んだことが神の逆鱗に触れ、罰として王国と帝国には魔物が生まれるようになってしまった。


 結果、キーナリー王国民は謀反を起こしたミカドルナ帝国を嫌悪し、ミカドルナ帝国民は自分たちを陽の当らない地下に追いやったキーナリー王国を憎む状況になってしまった。


 この蟠りは一向に解消されそうにない。

 ミリアムは目を伏せて頷いた。


「ええ、もちろん存じております。わたくしとファンティーヌ陛下は遠戚ですよね」


 縁戚と聞いてぱっと笑顔になるファンティーヌ。

 ジェルトルーデが深々と頷く。


「その通りです殿下。皇帝陛下は父君、先王陛下の一人娘でいらっしゃる」


 ファンティーヌは俯いてしまった。

 ジェルトルーデが彼女の肩をさすりながら続ける。


「数ヶ月前、先王陛下が不豫により崩御あらせられました。ミカドルナ帝国は代々、皇帝陛下の直系尊属が帝位を継承するしきたり。その慣習に則りファンティーヌ陛下が即位したのですが、女性が皇帝になることは我が帝国700年の歴史において初。しかし陛下は超プリチーなのでもとより女性支持が高く、余が宰相になることで帝国女性の支持を盤石にさせた。女性皇帝誕生に反対する帝国復権派を黙殺させることに成功したのです」


 ミカドルナ帝国に存在する二つの派閥。

 穏健派と帝国復権派。


 穏健派はその言葉が意味する通り、争いや暴力を拒絶して、対話により円満かつ平和的に両国の統一を期待する派閥だ。


 一方、帝国復権派は、地上を取り戻すためならば手段を選ぶべきではない――という過激的な思想を抱く派閥である。


 いずれの派閥も直接的な対立こそしないが、考え方がまるで違うので、帝国民の共通認識としては初対面の相手に“どの派閥なのか”は話題としてNGらしい。


 ミリアムもそのことは耳にしていた。


「わたくしも聞き及んでおります。強き王こそ国を導く、と」


 レオノーラも紅茶で喉を潤して首肯する。


「混乱の中、お二方が辣腕を発揮なさったことでしょう。若くして国の舵をお取りになられるお姿、ミリアム殿下も私も敬服いたします」


「ええ。わたくしでは到底なしえない快挙でしょう」


 ジェルトルーデが口元に笑みを浮かべる。


「恐縮です王女殿下、キリテムさま」


 レオノーラも笑みを返す。


「宰相、私のことはぜひレオノーラと」

「ありがとう。レオノーラさま」


 続けます――と断って、ジェルトルーデは紅茶を一口含む。


「当初はうまく軌道に乗っておりました。ですがあるとき、陛下の移動中、帝国復権派の女性が街中で陛下襲撃事件を起こしたのです」


「えっ?」


 ミリアムは衝撃を受けた。

 レオノーラも驚いて口を手で覆っていた。


「初耳ですよ」


 ジェルトルーデは隠蔽していた――と謝罪する。


「護衛の任にあたっていた軍の最高司令官により襲撃は未遂で幕を下ろしたが、一国の皇帝が襲撃された事実は国の脆弱性を晒すことと同義。そんな危険は冒せなかろう」


「それはそうですね」


 ミリアムはジェルトルーデの意見に素直に首肯した。

 ジェルトルーデは苦々しい顔で続きの言を発する。


「陛下はその女性に恩寵を与えたのです。朕は無傷だから――と。女性は陛下の御心にいたく感動し、穏健派へと転向した。それ自体は良いのです」


 結果的に脆弱と言われた――と、ジェルトルーデは消え入るような声で呟いた。


「陛下の対応に異議を唱えたのは帝国復権派です。やつらは『こんな女が皇帝ではいずれ王国に付け込まれる』と危機感を募らせ、過激な動きを活発化させたのです」


 ジェルトルーデが続ける。


「暴徒と化した一部国民は帝国軍最高司令官主導のもと弾圧しておりますが……ミカドルナ帝国は“弱き者は淘汰される”という国民性です。捕えられた弱き者を問答無用で処刑すれば事態は鎮静化することでしょう。しかし、その命令を下せば、穏健派である陛下に付き従っていた女性たちを裏切ることに繋がり、さらなる混乱を招くことになる。かといって何の処罰をしないという線は取れないのです。弱腰姿勢と断定されれば、帝国復権派が喧伝している思想に正当性を持たせてしまう」


 我々は岐路に立っています――と言葉を結んだジェルトルーデ。


 ファンティーヌはジェルトルーデの隣で縮こまっている。

 ミリアムと目が合った彼女はやわく微笑んだ。

 武力至上主義の頂点に座す皇帝にしては、憶病で優しすぎる彼女。


「なるほど……」


 ミリアムはジェルトルーデの意をなんとなく察した。

 が、帝国側の人間の口から話してもらうように誘導する。


「具体的に、我々に何を求めていますか?」


 ミリアムはあえてファンティーヌに向かって問いかけた。

 しかし口ごもるだけで語ろうとしない。


「……お嬢、国に帰ってもそれでは困りますからな」


 ジェルトルーデはため息を吐いた。

 それまでと同じように彼女が口を開く。


「ファンティーヌ陛下およびミリアム殿下による秘密裏の共同事業として、王国冒険者向けの鍛錬用ソロダンジョンを建設・運用していただけないかと」

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