馬鹿と天才
『馬鹿と天才は紙一重』という言葉がある。馬鹿と天才には紙一枚の差しかない、つまり、馬鹿と天才には大差がない。転じて、馬鹿と天才は同じ様なもの。とまぁ、その様な意味であろうか。この言葉は。
その意味では、『馬鹿』という言葉は罵倒でなく、称賛たり得る。『常人には理解できない』、『奇抜である』という点を切り取って見れば、なるほど、確かに馬鹿と天才は同じようなものなのであろう。とまぁ、その様な解釈も出来るだろうか。
同時にタロットカードの『愚者』のカードも思い起こされる。『愚者』は、トランプの『ジョーカー』の元となったカードとも言われるカードだ。タロットカードには『カード番号』というものが種類ごとに振られているのだが、愚者のカード番号は『比較的最近の版』では0番で、『伝統的な版』に至ってはカード番号が描かれない事も多いという。
それはつまり、『カード番号なし』、とも呼び得る様に思え、先述の『0』という割り振り番号の事も思えば、『
そして『ジョーカー』が多くの『トランプゲーム』において、『他のどのカードとしても扱える万能カード』、いわゆる『ワイルドカード』としての性能を持つ様に、『タロットカードゲーム』において『愚者』は、『いつでも出せる特殊なカード』として扱われる。
つまり『愚者』は、『何もなく』、『0であり』、『何にでもなれる』と言った『性質』、少なくともそれらの様な『印象』を持っていると言えるのではないか。
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ここで『愚者』の『カードの意味』を、wikipediaから引用する。
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正位置の意味
自由、型にはまらない、無邪気、純粋、天真爛漫、可能性、発想力、天才。
逆位置の意味
軽率、わがまま、落ちこぼれ、ネガティブ、イライラ、焦り、意気消沈、注意欠陥多動性。
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※ダブルクォーテーション内が引用。引用元:『Wikipedia』は『愚者』のページ
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さて。日本語に於ける『愚者』の
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『愚か』とは、頭の働きが鈍かったり、考えが足りなかったり、未熟な事を言うらしい。
なるほど。
私が誰かを『馬鹿』という場合に抱いている印象そのものである。それを的確に表した様な言葉である。感銘を受ける。
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『賢い』とは、頭の働きが鋭かったり、知能に優れていたり、抜け目がなかったり、要領がいい事を言うらしい。
なるほど。
私が自分に対して抱いている印象そのものである。その説明に使われている各語の辞書的意味を調べてみても、その説明が酷く適当である事は明らかだ。
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他者評価と自己評価についての思考を再度辿るのは不毛なので、そうするとしてもそれはまたの機会に譲るが、私が『賢い』と言うことは他者からも評されている所であり、必ずしも私の『自惚れ』だけであるとは言い得ないと感じる。
§
『自惚れ』自体にも良し悪しはないし、同時にそれらの判断や評価をすることは可能であるが、そこで止まる様な思考回路には興味がない。『自画自賛』をして何が悪い。それに異を唱えるのは『他者評価』を基軸とした『資本主義』に『洗脳』されているからに他ならない。
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『盲信』する自由も無論存在するが、だからどうした。勝手にやっていればいい。『盲信』からは『盲信的なもの』しか生まれないきらいがある。それが好きなら、勝手に好いていればいい。
話を戻そう。
次に知るは『馬鹿』という言葉の辞書的意味であろうか。尤もここまでの語句の殆どを、かつて一度ならず調べていることは明らかなのだけれど、もう一度ここで明示しよう。
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『馬鹿』とは、知能が劣り愚かなこと、社会的常識に酷く欠けている事、つまらない事や無益な事、度がすぎる事、用をなさない事、などを指す言葉らしい。
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この意味の内の幾つかは、『人に対して使うことを前提としている』と言うよりは、『物や様子や振る舞い』などに対して、専ら用いられる意味であろう。これは私はじめ多くの方が恐らく感覚的に分かる事であろうし、想像や連想に難くない事でもあると思う。
それ故に、先ほどの、『人に対しての言葉としての馬鹿の意味』の列挙に、そういったものが並んでいる事について、違和感を覚える様な向きもあるのであろうという事は、瞬時に想像出来る次第である。
だからこそこの様に長々と態々説明的に思考しているのであって、つまるところそれらは、『私が意図的に並べることを採用した』という事である。
まだ判然としない向きもあろうと感ぜられる。
どういう事か。
簡単だ。
馬鹿じゃないのならすぐわかることだ。馬鹿馬鹿しい。馬鹿と馬鹿馬鹿しいの意味の違いもわからずに感想を発出する人間が多いことは嘆かわしいが、愚者のカードの意味を考えれば、それもまた『アリ』であると考える事も出来る。なので敢えて、『小賢しい』と表現しようか。
わかるかな?笑
§
情報というものはいつだって何らかの『編集』を受け、そこには何らかの作為や意図というものが存在しているのは言うまでもない事だ。それは今回の思考整理についても言えることであり、私は必要と思われる情報を選択し、不要と思われる情報を削ぎ落としている。
誰かを『馬鹿』と言うのであれば、これぐらいの事は誰の助けも借りずに自らの頭で考え、思い、感じられるようでなければ。と、私は思う次第であるが、他者の事などどうでもいいので、放っておく事にしよう。つまり、『馬鹿は死ななきゃ治らない』、なのである。
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私たち『
即ち、『度がすぎる事』、という『馬鹿』の意味として出てきた言葉だ。これは『極端』の話、『中道』の話に通ずる。
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まっこと言葉というものは面白い。
この話は『瞠目さん』が瞠目して喜びそうだし、『受けるくん』にもまぁまぁウケルだろう。それだけでもう、考えた甲斐があったと言えようもんが。ざんじ送ろうや。
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