第一話 【パーティーここに集結! ~だけど……なんだか変な感じ?~】

 ゲームを楽しんでいるとき。画面の向こうの、ロマンが詰まったきらきらした世界に心を奪われているとき。あたしはよく、もしこの世界に入ってゆけたら、なんてことを考えた。

 それは現実ではありえない。でも、だからこそ想像すると胸が躍る。本当にこんなことがあったらいいなぁなんて、夢見がちなことを思っていた。


 ――うん、思ってはいたんだけど。

 

 あたしは目の前に立つ男性を呆然と見つめる。


 本来なら、こうして実際に会って話すなんて絶対にできないはずの人物――ジタンは、あたしの言葉を聞くと驚いたように片眉を跳ね上げ、顔をまじまじと見た。


「あァ? なんでオレの名前知ってんだ」

「えっと、なんでっていうか……」


 その反応ももっともだ。あたしはキャラクターの基本設定くらい知ってるけど、向こうにしてみれば完全に初対面なんだし……

 それにこの状況、例えるなら予約したホテルの部屋の鍵を開けたら知らない人が立ってた上に、親しげに名前を呼ばれたみたいなこと。めちゃくちゃ怖いに決まってるし、あたしなら慌ててフロントの人に言うか警察に通報する……


 ってやばっ、今のあたし普通に不審者だし、下手したら不法侵入じゃん!


 ジタンは見るからに警戒している様子で、あたしのことを頭から爪先までじろじろと眺める。


「お前、何者だ。オレ達を待ち伏せてたんじゃねぇだろうな」

「ち、違うよ!」

「じゃあ何なんだ」

「ええと……あ、怪しい者じゃなくて」

「怪しい奴はみんなそう言うだろうが」


「ん……? ちょっと待って……」


 そのとき、あたしはふと違和感を覚える。弁解しようとしていたのをはたと止めて、改めてジタンを見上げた。


「あ、あの、本当にジタンなんだよね?」

 分かりきったことをあたしはあえて聞いた。


「そうだけどよ……」


 不審そうな表情は変えずにジタンが答える。

『え……なんだこの喋り方……』

(お兄ちゃんも、やっぱ思ったよね)


 どうしてあたしがこんなことを言ったのかというと、さっきから聞いていて、彼の口調、なんだか変だった。じゃねぇとかだろうがとか、いつもゲームやってるときと比べて砕けすぎというか、荒っぽいというか、ちょっとガラが悪い。そりゃ、あたしを警戒してるってのもあると思うけど、これじゃあまるで別人みたい……。

と、あたしが首を傾げたそのとき。


「ジタン? どうかしましたか」


 開いたドアの向こうで声が聞こえた。ジタンは首だけ後ろに回して答える。


「や、なんか知らねぇけど既に人がいて」

「既に人が? どういうことですか」


 さらにわらわらと人が入ってきた。その人達とはもちろん、ジタンに続くメインキャラの面々。


「だぁれ? おともだち?」

「知らねぇよこんな奴」

 口々に言って、視線が向けられる中、あたしはというと。


「シグレに、リーリア、オルフェもいる……うわ……すごっ……!」


 こんなこと言ってる場合じゃないっていうのはよく分かってるんだけど、さっきまで遊んでいたゲームのキャラクター達が実際に目の前にいる状況に、思わず感動してしまっていた。


 夢みたい。コスプレや仮想現実じゃないんだよ。まさかこんな日が来るなんて。どうしよう、あたし今、かなり興奮してる!


「……何ですかアナタ。どうしてワタクシ達のこと知ってるんですか。ここら辺では見ない恰好してますけど。それにここは元々ワタクシ達が使う部屋なんですが、勝手に使わないでいただけます?」


 と、そんなあたしの感動をぶち壊すようなつっけんどんな声と共にシグレがずいっと顔を近づけてきた。細められた紫の目が迫る。


 あ、あれ……? シグレこんなきつい喋り方だったっけ? 敬語なのは同じだけど……さっきのジタンもそうだし、なんとなくあたしが知ってるのと違うような……?


「おい、黙ってたら分かんねぇだろ。お前は誰でここに何の目的で来たんだよ」

 戸惑うあたしに、ジタンが低い声で言った。い、いや、何の目的って言われても、たまたまここに来たとしか言えないんだけど、どこから説明すればいいのか……


 って、ジタン剣の柄に手掛けてない? それどころか隣のシグレも腰に帯びた短剣に手を伸ばして、う、うわぁ待って! ほんとに怪しい者じゃないんだってば!


「まあまあ」


 すると、後ろにいたオルフェが、殺気立つジタンとシグレを宥めるようにさりげなく肩を引いて下がらせると、優しい口調で言った。


「二人とも落ち着きんさい。敵意は無いみたいやし。可哀想に怯えてしもぉとるじゃろう」


 ……は?


 オルフェはぽかんとしているあたしの目の前まで来ると、かがみこんで目を合わせ、笑いかけながら言った。

「部屋でも間違えたんか。それとも、わしらに何か用事があったんかの? 怖がらんでええけぇ、話してみいや」


 正直、言葉の内容はほとんど入ってきていなかった。


「あの……オルフェ?」

「はいはい」

「ええと。口調がなんか……」

「ん? おお、この喋り方か。物心ついたときからこうじゃけぇ、聞き取り辛いところがあるかもしれんけど、許してくれぇや」


 違う、そんなことない。オルフェは方言なんて使わない。


 ――あたしは確信した。思い違いとかじゃない。やっぱりこのキャラクター達、何かがおかしい。


「ねーねー、オルフェ」

 そのときリーリアが飛んできて、オルフェの袖をくいくいと引っ張った。

「リーリア、おなかすいた」

「そうですね。立ち話も何ですし、とりあえず荷物置きましょう」

 リーリアの言葉を聞いて、シグレが言った。

「あァ。こいつから話を聞くのは、後からでもゆっくりできるしな」


 続いてジタンも、あたしを顎で示しながら言う。とりあえずはピンチを逃れたけど、なんだか捕虜にでもなった気分だった。

 



 それから改めて、あたしと四人は机を囲んで座った。


「で……聞きたいことは山ほどあるが」


 みんながちんまりと座るあたしを見る中、代表するようにジタンが口を開いた。肩や胸のアーマーは外されて、上半身は袖なしの黒インナーだけという状態。すっかり軽装だけど、彼愛用の大剣だけは手が届く距離に置かれている。

 話を聞くと言いつつも雰囲気が完全に取り調べだった。唯一平和なのが、パンをぱくついて幸せそうなリーリアだけ。


「まず、誰だお前」

「えと、名前はみくるです……ミクル・アルハラって言うのかな、この場合」

「みくるか。で、なんでこの部屋にいたんだ。主人に聞いたら宿代も払ってないって言うじゃねぇか。戸締りもちゃんとしてあったっつーのに……どうやって入ったんだよ」

「入ったっていうか、気づいたらここにいて」

「はぁ?」

「あの、あたし、ここと違う世界から来たの……!」


 勇気を出して言うと、ジタンの表情がちょっと呆れたようになったのであたしは焦る。


「い、いや待って、ほんとに! お兄ちゃんの作ったゲームのテストプレイをしてたんだけどいきなり画面が真っ白になって、ワープホールみたいなのをくぐって、そんで気づいたらここにいて!」

「ちょっと待て。兄貴がなんだって? テストプレイ? なんだそれ。訳分からん話をして煙に巻こうとするなよ」

「えっと、あたしは元々現実世界にいたんだけど」

「寝ぼけてんのか? ここだって現実世界だろうが」

「違うの、あたしはその外側の世界というか、ああもうどう説明すれば……!」


 ゲーム制作とか言っても多分通じない。どうにか説明しようとして、絞り出したあたしの言葉はこれだった。


「ここは全部あたしのお兄ちゃんが作った世界で、あたしはいきなりそこに引き込まれたの!」


「……ほぉ~……」

 なんとなくそうなるだろうなという予感はしていたけど、ジタンだけじゃなくて、隣に座っていたシグレもまるで珍獣を見るような眼差しになった。


「これはまた……大きく出ましたねぇ」

「ほ、ほんと! いやあたしも我ながらとんでもないこと言ってるなと思ってるけどほんとなんだって!」

「じゃあなんだ、お前……この世界の創造主の妹だって言いてぇのかよ? それにしちゃあまりにも普通だな。そもそもこんなとこに一人でぽつんといるのおかしいだろ」

「ひ、一人じゃなくてちゃんとお兄ちゃんもいるよ! ほらこれ、これでお兄ちゃんとさっきまで話してたの! お願いお兄ちゃんからも何か説明して!」

『え、俺が喋るのか?』


 お兄ちゃんが言い終わらないうちからあたしはイヤーカフを外して、ジタンに差し出した。いぶかしげな表情で受け取り、それを耳の近くまで持っていくジタン。あたしはこれで疑いが晴れるかと期待したけど、逆にその眉間のシワはますます深くなった。


「何も聞こえねぇじゃねぇかよ」

「えっ、ウソっ」

「ほら」


 ジタンは隣に座るシグレにもイヤーカフを手渡す。同じようにしてから、シグレもまたあたしを冷たい目で見てイヤーカフを突き返した。


「幻聴ってご存知ですかね」

「ちがっ、ほんとにこれで会話できるんだって! お兄ちゃん喋ってあげた!?」

『ああ、話したよ。みぃ以外には聞こえてないのか……?』

 もしかして、ゲームのキャラクターが製作者に干渉したらまずいから……? と、とにかく、なんとかしないと、このままじゃあたしただのおかしい子になっちゃう!


「そういやぁ……」


 すると助けの船が意外なところから出された。話を黙って聞いていたオルフェが何かを思い出すように腕組みをして言う。

「わしの聞いた創世神話の中に、創造主の意思を授かるっちゅう預言者の伝説もあったのぉ……。この子がそうなんかも分からん」


 ジタンが驚いて彼を見る。

「マジかよオルフェ、こんな話信じたのか?」

「とんでもない話じゃとは思うとる。でももし本当にそうだとすりゃぁ、わしらのとこに来たことも、わしらのこと知っとることやらも、色々辻褄が合うじゃろう?」

 真剣な表情でジタンを見返すオルフェ。


「世の中に異変が起こり始めたっちゅうときに予言の書が発見されて、ほいでジタンが伝説の勇者に選ばれたあとにこの子が来たんじゃ。何か意味があるんかもしれんよ。神に遣わされた子ぉか……」

 あくまで真面目な語り口で言う。なんか話がすごい壮大になってる気がするし、あたし絶対そんなすごい役目とか背負ってないと思うんだけど、うん、信じてもらえるならいいやそれで。


「リーリアもしんじるよっ!」

 ほおばっていたパンを飲み込んで、リーリアも元気いっぱいに言った。

「じゃあ、みくるのお兄ちゃんは、この世界の神サマってことでしょ? すごーい!」


 あたしを疑うことなんて思いつきもしないというくらい、キラキラした目で見る。ああよかった、一時はどうなることかと思ったけど、今のところ四人中二人は何とか信じてくれてる!


「それじゃ、リーリアたちのことも全部知ってるの? ジタンが伝説の勇者サマだってことも?」

 身を乗り出してリーリアが聞く。

「え? まあ、うん。お兄ちゃんのノートに書いてあったから」


 何度か、お兄ちゃんがゲームの大枠やキャラシートをまとめた、いわゆる設定ノートを見せてもらったことがある。さすがにシナリオの細かいところまではネタバレになるから見てないけど、大体の設定はそれで把握していた。


「はぁ……ま、いいかそれで。このまま疑い続けても埒が明かなそうだし。敵でもなさそうだしな」


 二人の反応を見て、ジタンはとりあえず追及をやめた。この話は終わりというふうに頬杖をつく。すると、思い出したようにもう一度あたしを見た。


「ん? おい、ということはだ。この予言の書の内容を書いたのもお前の兄貴なのか?」

「うん、設定もシナリオも、お兄ちゃんがぜーんぶやったから」

 ちょっと自慢気にあたしは言った。


「……そうか。へぇ、もし本当にそうならよぉ……」


 ジタンがいきなりぐっと顔を近づけてきた。わあ、何、ま、まだ何か?


「オレ、お前の兄貴にすげぇ文句言いたいんだけど」


「へ?」

『は?』


 あたしとお兄ちゃんの声が重なった。


「こんなかったるい役割押し付けやがってなぁ」

「こりゃジタン、またそれか。そがぁなこと言ったって……」


 オルフェがたしなめるように手の甲でジタンの筋肉質な二の腕を叩く。あたしはジタンのさっきの言葉を頭の中で繰り返した。


「え、何、かったるいって……どういうこと!?」

「あァ? そのまんまだよ。伝説の勇者だの救世主だの、正直やりたくねぇんだよ、なんでオレだよ。オレじゃなくていいだろ」

「えぇ!?」


 選ばれし勇者にあるまじき言葉に、あたしは思わず大きな声を出した。


『おい、なんだそれ……』


 お兄ちゃんも呆然とした声で言う。だってジタンは誰よりも冒険に積極的だったし、まさしく世界を救うヒーローにぴったりな熱い青年だった。こんなこと言うなんてありえないはずなのに……!


 固まるあたしをよそに、ジタンは椅子に背をだらりともたれさせた。

「そもそもオレが望んだわけでもねぇのに勝手に伝説とか決められてんのが腹立つんだよ。いきなり偉い神官とやらに呼ばれて、訳分からんうちに汝には使命があるとか旅に出ろとか言われて。あんな状況で断れるかよ汚ねぇんだよやり方がよ」


 猫背になって、覇気のない声でぶつくさ続ける。

「そりゃ店で商売やるよりも荒事のが得意だから、こうして勇者になって冒険してるし、報酬もらって生活費稼がなきゃなんねぇから魔物退治みてぇな依頼も引き受けてるけどよ……それ以上のやる気はねぇっつーの。普通に暮らさせろよ」

 だるそうにため息。そしてふと何かを思いついたような顔になると、にんまり笑ってあたしの方にぐっと上半身を傾けた。


「なあ、仮にお前が言ってることが本当なら、ちょいと兄貴に頼んで魔王討伐の役割を他のヤツに変えてくれよ。世界を創造するぐらいの力があるんだ、そんくらい訳ねぇだろ」

「だっダメだよ主人公なのに! そんなことしたらストーリーが根っこから変わっちゃうよ! 選ばれし者になって世界を救うとか、誰でも一度は憧れるやつじゃん。そんな夢の無いこと言ってないでさぁ……!」


 あたしの必死の訴えも空しく、ジタンは片手でぐしゃっと乱暴に髪を掻き上げると、心底嫌そうな顔で言い放った。

「あァ? 知るか面倒くせぇ」


「ち、違う……違う! こんなのジタンじゃない!」


 清く正しい勇者ジタンのイメージががらがらと音を立てて崩れていく。あたしは思わず立ち上がっていた。両手でこめかみを抑える。


「さっきから思ってたけどやっぱり何か変だよ! あたしの知ってるのと全然違うもん! みんなの性格も、喋り方だってそう……」


「みくる、どうしたんじゃ。落ち着きんさい」

「それ! なんで広島弁なの!? ねぇお兄ちゃんおかしいよここ!」


 あたしの目の前にいるのは、間違いなく画面の向こうで一緒に冒険してきたキャラクター達だ。でも中身が全く違う。設定に忠実じゃない。どういうこと? お兄ちゃんが作ったゲームの世界に迷い込んだと思ってたのに、見た目だけが同じで全然別物のゲーム世界に来ちゃったの? ここはパラレルワールドなの!?


「ちょっと、いきなり一人でパニックにならないでくださいよ気味が悪い。どうしたんですか」


 見かねたシグレが立ち上がってあたしの側まで来た。肩を揺すられて、ちょっとだけ落ち着きを取り戻す。

「ワタクシ達のこと詳しいんでしょう? それならジタンが図体でかいくせして面倒くさがりのダメ勇者ってことぐらいとっくに承知の上だったんじゃないんですか」

「違う。違うの。どういう訳か分かんないんだけど、あたしの知ってるみんなと今のみんなが全然違ってて……」


 あたしは一人一人見ながら言った。


「あたしの知ってるオルフェは方言で喋らないし、ジタンはもっと熱血漢っていうか、ちゃんとした勇者だし」

「ほう……? よう分からんが、いなげなこともあるもんじゃのぉ」

「はっ。ちゃんとしてなくて悪かったな」

 オルフェは興味深そうに頷き、逆にジタンはどうでもよさそうに鼻を鳴らした。


「へぇ? じゃあワタクシも何かあるんですか?」

 シグレも腰に手を当てて聞いた。

「シグレとかリーリアはそこまで大きく変わってはないかな……いや待って?」


 喋りながらあることに気づいて、頭の中で設定ノートのページをめくった。シグレは確か身長が百六十センチ以上はあったはず。でも、今ここにいるシグレは、下手したらあたしより小さい。ってことは……


「シグレは……なんか、縮んだ……? こんなちっちゃかったっけ……」


 ぽつりと呟いたその瞬間、シグレの顔が般若のように恐ろしくなった。それで自分の失言に気づいたけど時すでに遅し。


「んな、何を言うかと思えばっ……チビで悪かったですね!」

「えっあっ!? ち、違うのあの本来はもっと大人っぽい感じだったから」

 しまったこれ全然フォローになってない!


「いっ!? この……言わせておけばぁ!」

 言うが早いか胸ぐらを掴まれて壁に押し付けられる!


「ひっ……! ごめんなさぁいごめんなさぁい!」


 あたしは必死になって手足をばたつかせた。でも力が強いのか、それとも掴み方が上手いのか、がんばっても振りほどけない。や、やめてぇ、暴力反対……!


「こりゃシグレっ! 向こうに悪気は無いんじゃけぇ、気を鎮めんさい」


 慌ててすっ飛んできたオルフェが羽交い締めのようにしてシグレを引きはがしつつ、「すまんのぉどうも気性の荒い子で」とあたしに困ったような笑顔を向ける。そのとき、イヤーカフから遠慮がちにあたしを呼ぶ声が聞こえた。


「あ、あたしちょっとお兄ちゃんと話してくる!」


それをいいことにさらに部屋の隅まで逃げる。そしてお兄ちゃんとの会話に集中した。


『全員の会話も全てウィンドウテロップで読んでたけど、ひどいなこれは……俺が設定したのとまるで違うじゃないか。どうなってるんだ』

「だ、だよね。まるで別物みたい……」


 ゲーム世界に来たというだけで大変だというのに。もう、いろいろ頭の処理が追いついてなくてパンク寸前だ。


『キャラクター達がこちらの予期しない動きをする……まるでバグだな。さすがにこんな大掛かりなものは聞いたことないけど……』

 しばらく沈黙が続いたあと、ふと、お兄ちゃんが思いついたように言った。きっと冗談のつもりだったと思うけど、その言葉を聞いた瞬間、あたしの頭の中で何かが光った。


 バグ――ゲームの進行に必要なメッセージやアイテムが出現しなかったり、画面表示やキャラクターの動きがおかしくなったりする現象。大抵はプログラムのミスが原因なんだけど……プログラムっていえば、そうだ。思い出した。


『みぃ、どうした。急に静かになって』

「お兄ちゃん、それ合ってるかもしれないよ」

『え?』

「あのね、さっきは言いそびれたんだけど……」


 あたしはここに来る前に通った不思議な空間のことを話した。あのとき地面に浮かんだ白い文字。

 当時は気が動転しててそれが何か全く分からなかったけど、今にして思えば、あの文字列はお兄ちゃんがパソコンに打ち込んでいたプログラムに似ている気がする。そして、あたしはそれらを踏んで崩しながらここまで来た。


 ひょっとして、それが原因でこのゲーム世界にすごく大きなバグが起こって、ジタンを始めキャラクター達の設定が変わっちゃった?


『話は分かったけど、そんなこと普通ありえ……いや、こんな状況で常識なんて考えていられないな』


 ふっと、かすかに笑う声が聞こえた。


『そういえば、バグの語源はコンピューター基盤の中に小さなbugが入り込んだことらしいな。みぃっていう、この世界に本来存在しないはずの人物が突然入り込んだこの状況と少しは重なるんじゃないか』

「やめてよお兄ちゃん、それだとあたしが虫じゃん」

 あたしもつられて笑う。うん、だんだんいつもの調子が戻ってきた。


「ねぇ、どうしようこれから」

『そうだな……せっかく出会えたことだし、ジタン達について行ったら』

 お兄ちゃんが言った。

『それで帰る方法が見つかるかどうかは分からないけど、ゲームならメインキャラ主体でストーリーが進んでいくし、あいつらと一緒に行動すれば、何かが起こるかもしれない。何より、誰かといた方が心強いだろ』

「うーん。それもそうだね」


 ここでじっとしていたって多分何も変わらないし。よーし、とりあえずは行動あるのみ! どんなときでもポジティブに前を向く、があたしのモットーなんだから。


 お兄ちゃんとの会話を終えたあたしは、オルフェの元へ行った。

「ねぇ、オルフェ達はこれからどうするの?」

「わしらは、ここの村長から頼まれてのぉ。これからイマジネ塔に魔物退治に行くんよ」


 それを聞いてあたしははっとした。そのクエストはあたしがここに来る直前に受注したもの。ということは、この世界の時系列は、現実でのプレイ状況と連動してるってことなのかな。


「あのね、あたし、元いた世界に帰りたいんだけど、どうすればいいかも分からなくて。行くあてが無いんだ。だから、パーティーについて行ってもいい?」

 勢い込んでオルフェに聞いてみると、ちょっと戸惑った顔。

「一緒に冒険したいんじゃと? わしゃあええが……みくるは魔物と戦ったことがあるんかいのぉ?」

 うっとあたしは言葉に詰まった。

「い、いや……」

「ほいじゃあ、危険かもしれんよ?」


 マンガやアニメだと異世界に飛ばされた瞬間なぜか不思議な力が手に入って、仲間と共に敵を倒したりするものもあるけど、あたしにそんな都合のいいことが起こっている訳もなく。ケンカすらロクにしたことがないあたしにモンスターが倒せるとは思えないし、戦闘に加わるのは不可能。軽々しくついて行きたいと言ったはいいけど、やっぱ無理かなぁ……


「……ま、いいんじゃねぇの。後ろに引っ付いて行くぐらい」


 落ち込むあたしに救いの言葉を掛けたのは、意外にもジタンだった。

「変なヤツだけど、悪いヤツじゃなさそうだしな。さっきから言ってる創造主の妹だっていうのも気になるし。戦闘になったら、どっか安全な場所に避難させてればいいだろ」

「みくるも来るの? わーい! たくさんおはなし聞かせて」

 あたしにさっそく懐いたらしいリーリアもあたしの肩の上に乗って歓迎してくれる。それを見てオルフェも安心したみたいで、頷いてくれた。


「良かった。ありがとう、ジタン」

「別に大したことじゃねぇし……あと戦わないなら荷物持ちぐらいしろよ」

「うん、もちろん」


 そして、冒険に出発しようとしたそのとき。


「ちょっと皆さん……どうしてそんなに軽々しくいいと言うのですか」

 

 少し離れたところからとげとげしい声が聞こえた。振り向くと、シグレがこちらを睨みつけている。う、うわあ、さっき怒らせたのがよっぽどマズかったみたい……?


「ワタクシは反対ですよ。こんな得体の知れない人を仲間にするなんて」

「まあまあ、そう言わんでもええじゃろ。見知らぬ土地で一人きりにさせるのも気の毒じゃけぇ」


 オルフェが宥める。しかしシグレの機嫌は直らない。


「そもそも、剣も魔法も使えない、武術の心得も無いと言うのでは全くの役立たずではありませんか。そんなお荷物連れていく必要ないですよ! 子守りをしながらの旅なんてまっぴら御免です!」

「そがぁなひどいこと言うもんじゃないでシグレ。ええけぇ準備しんさい。もう出発するけぇ」

「でも……」


 よっぽど気に入らなかったのか、なおもオルフェに突っかかるシグレ。そもそもこうなった原因はシグレのコンプレックスをダイレクトに刺激しちゃったあたしにあるんだけど、火に油を注ぐのが怖くて何も口を挟めない。


「……ハァ」

 すると言い合いのさなか、突然オルフェがため息と共に持っていた杖で床を軽く突いた。


 たったそれだけの動作が、あたしの中にある種の危機感を生まれさせた。

 分かりやすく例えるならそう、学校の集会で生徒がザワついてて、先生が怒鳴ろうとしているのに一瞬早く気づいたときのあの感じ……!


「シグレ……わがままもええ加減にしてくれんかいのぉ?」

 

 口調は優しいままだけど、今までよりも少し低い声。シグレの体がビクッと硬直する。あたしは思わずオルフェの顔を見た。

 

 こっ……怖い! 口は笑みを作ってるのに、目が全然笑ってない!


 下手に𠮟りつけられるより何倍も恐ろしいその姿に、あたしまで足がすくむ。


 そのとき、チッ、という音がした。シグレが舌打ちしたんだ。


「分かりましたよ連れていけばいいんでしょう」

 オルフェとは一切目を合わせずに早口でそう言うと、悔しかったのかわざと大きな足音を立ててあたしのところまで来て、

「足手まといにはならないでくださいよ」

 とかみつくように言った。


「良かったのぉみくる。ほいじゃ、そろそろ行こうかの」

 一瞬で素に戻ってあたしに笑いかけるオルフェ。あたしは曖昧な笑顔を浮かべつつ、心に強く刻んだ。この人、絶対逆らっちゃいけない。


<続く>

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