能力
その夜、病院から電話があった。
「意識が戻りました」
受話器を握る手が震えた。
僕は外に飛び出した。
空から、冷たい雨が降っていた。氷雨だ。
アスファルトは濡れて黒く光り、街灯が雨に反射して明滅している。傘を差す暇もなく、僕は走った。
街灯の光が、雨粒を照らしている。点いて、消えて、また点いて。
明滅する光の中を、僕は走る。
ああ。
これが終わりの始まりかもしれない。
彼女に出会ってから、僕の世界は色づいた。灰色だった日々に、春の色が戻ってきた。
でも、それも終わるのかもしれない。
彼女が目覚めて、現実を知る。
動けないことを知る。
そして、彼女は何を言うだろう。
何を望むだろう。
僕の胸に、重い予感が沈んでいく。
まるで、蠟燭の最期の火を見ているような。
明るく燃えて、でももうすぐ消える。
そんな予感。
病院に着いた時、僕はずぶ濡れだった。
看護師が驚いた顔でタオルを差し出してくれたが、僕はそれを断って、彼女の病室に向かった。
彼女は、ベッドの上で目を開けていた。
「……来てくれたんですね」
彼女の声は、いつもより小さかった。
「当然です」
「ごめんなさい。こんな姿、見せたくなかった」
彼女の目には涙が浮かんでいた。
それから数日が経った。
彼女は何も食べなくなった。誰とも話さなくなった。ただ、天井を見つめているだけだった。
ある夜、彼女が僕に言った。
「殺して」
「……何を言っているんですか」
「お願い。殺して」
彼女の声は、静かだった。でも、その静けさの中に、どうしようもない苦しみが滲んでいた。
僕は何も言えなかった。
「お願い。あなたになら、頼める。あなたの能力で私を殺してよ!」
彼女の目が、僕を見た。血走って、渇いて、何かに縋るような目が僕に訴えかけた。
僕は、ゆっくりと口を開いた。
「一つ、質問があります」
「……何?」
「もし僕が、あなたと同じように動けなくなった時」
彼女が息を呑む。
「僕が死を望んだら、殺してくれますか?」
沈黙が、部屋を満たした。
やがて、彼女は震える声で答えた。
「……殺す」
「あなたが望むなら、同じ苦しみを味わわせたくない! だから、殺す!」
彼女は叫んだ。
「あなたにだけは、こんな思いをさせたくない……!」
涙が、彼女の頬を伝った。
その瞬間、僕は理解した。
彼女は、愛しているから殺すと言ったのだ。
ならば、僕も同じだ。
僕は、彼女の手を取って言った。
「ありがとう」
彼女の目は見開かれた。
「君がかつて、誰かにしたかったように」
僕は微笑んだ。
「僕も、君にそうしたい」
僕は能力を発動させた。
初めて、自分の意思で。
これまで何度も、反射的に、無意識に発動してきた能力。
でも今回だけは、僕が選んだ。
彼女を生かすために。
膝から、力が抜けていく。首から下の感覚が、潮が引くように消えていく。
彼女の脊椎の損傷が、僕に流れ込んで来ているのだろう。
他者に痛みを受け流してしまう能力。痛覚に反応して動くこの能力。
彼女が植物を生き返らせた時、僕にもできるのではないかとやってみたが、僕が傷つき、植物が息を吹き返した後、一瞬にして傷は塞がり、植物は再度枯れた。
だが、感覚を失ってしまえば能力が動くことはない。
初めて僕は意図的にそれを使った。
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