第7話 同居人
「つーか、腹減った……」
訓練場を出た紫音は、疲れた足取りで廊下を歩きながら、鼻歌まじりにふらふらと寮の方へ向かっていた。
「~♪ 」
おどけた調子で口ずさみながらも、頭の片隅には、あの時の感覚が残っていた。刃から流れ込んできた“血”の感触。吸ったというより、勝手に入ってきたような、あるいは呼び寄せたような――。
(いや、考えたってしょうがねぇ。どうせ検査でも異常なかったって言われたし。力が出りゃ、それで十分)
自分に言い聞かせるように、紫音は肩をすくめた。
「弟の治療費が稼げりゃ、なんでもいいさ……あー、クッソ疲れた」
階段をのぼり、寮の居住フロアに到着する。壁に設置された端末にカードをタッチすると、自分の部屋番号が表示された。
「203、っと……はいはいー、我が新居にご帰還ですよっと」
ドアが音を立てて開く。中は真っ暗。誰もいないと思って気を抜いた瞬間だった。
「うっし、っと――」
パチン。
電気をつけた、その瞬間。
「うおぁあああああああ!? だれだテメェ!?」
紫音は本能的に一歩引きつつも、腰を落として戦闘態勢に入った。視線の先、ベッドの上に座っていたのは、痩せぎすで神経質そうな顔をした青年。青白い顔で、まるで廃人のようにこちらを見ていた。
「……部屋、二人部屋なんで」
「いや先に言えや! 心臓飛び出るかと思ったわ!」
「言う機会、なかったです……」
「いやせめて『いらっしゃい』とか言えやッ! てか電気つけろ!」
青年はうつむきがちに自分の名を名乗った。
「杉岡……です。杉に、岡。よく“スギカワ”って間違えられるけど、“スギオカ”です……」
「……杉岡」
紫音は目を細めてじっと見つめる。さっきの会議室で、どこか壁の隅に溶け込むように立っていた男。存在には気づいていたが、喋っているところは見なかった。
「……あー、お前、いたな。さっき。説明のとき」
「うん……はい。どうせ、印象ないですよね……薄いし……」
「うっすら覚えてっけど」
「すみません……すぐ死ぬかもって思ってて……目立つの、怖いんです……」
「お前マジで今から死にそうな顔してるぞ!? なんでここ来たんだよ」
ベッドに荷物を投げながら紫音はため息をついた。ツッコミどころが多すぎて、逆に落ち着く。
紫音は靴を脱ぎながら、ベッドの縁に腰を下ろした。訓練と戦闘で使い切った体力が、じんわりと足に重く沈んでいく。
「……あの、浅野さん」
杉岡が、おそるおそる声をかけてくる。
「ん?」
「……僕、今日、全然……紅刃、うまく出せなかったんです。みんなはあんなに、すごかったのに。紫音さんが相部屋で、ほんとに良かったです」
「は?」
「なんていうか……同じくらいのレベルっていうか……その、変体できてなかったの、見てたんで……」
紫音は、毛布を乱暴に引き寄せながら、肩を震わせて笑った。
「……いや、出せたから!!」
「えっ……」
「小っちゃかったけどな。刃渡り五センチのカッターかよってレベルだったけど、一応ね」
「……あ、そ、そうなんですか……」
「つーか、なんでよりによってその情報だけは見てたんだよ。恥ずかしいわ!」
紫音は枕に突っ伏して、布団を頭までかぶった。
「でも……僕、今日、正直自信なくしてて。あんなに変化してる人たち見てたら、自分がどんだけダメかって……」
「……なに落ち込んでんだよ。最初から上手くいく方が珍しいっしょ。俺なんて、一人で居残りまでして、やっと出たんだぞ。ま、カッターだけど」
「……」
「でも、出たってことは、可能性が0なわけじゃないんだ。こっから少しずつ上げてくしかない」
「……そっか。はい」
杉岡の顔に、わずかに光が差したような微笑が浮かぶ。
「だからまあ、同じ部屋なら……お互い、カッター仲間ってことで。よろしくな、杉岡」
「……あ、はい。まあ、僕は包丁くらいのは出せましたけど」
「微妙にマウント取るな!」
「す、すいません!」
二人の会話がぽつぽつと続く部屋には、静かな夜の空気が流れていた。外では風が窓を叩き、重界に繋がる裂け目がどこかで開いているかもしれないという現実を、どこか遠くに感じさせた。
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