最終話 その日暮らし

 マンションの前に、ひとり取り残された。気が付くと、辺りは暗くなっている。いや、ここは東京だ…正確に言うと、空は暗くなり辺りの照明が灯りはじめていた。そういえばオレはまだ、車の運転免許を取れる年令にもなっていない。今のオレに"殿"の役に立てることなど、何ひとつないのだ。


 さて、どうするか…


 家に帰ったところで誰もいない。悩みを打ち明ける話し相手も相談する相手もいない。いつからか家でも学校でも、誰にも本音を話すことが無くなっていた。そうだ…大学に行っているおニイ(兄)が、今板橋でアパートを借りていると言っていた。電話してみるか…電話BOXに入った。


 おニイの電話番号のメモは財布に入っている。財布からメモと10円玉数枚取出し、電話番号を押す。正月に父の家で…父の家と表現しなければならないところが、オレの家庭の悲しさだが…とにかくおニイと会った際、学校を辞めようと思っていると少し話した。おニイになら母のことも話せる。


 公衆電話の受話器から、呼び出し音が聞こえてくる。


 一回、二回、三回…出る気配はない。たしかおニイ(兄)は、仕事をしながら大学に通う、苦学生だったな…留守か。仕方ない…諦めて電話BOXを出る。


(これからどうする?)


 自分で考えろ…ということか。


  探している物は

  いつも見つけられない


 家から、学校からも飛び出したくて、ここに来た…このまま帰っても何も変わらない。夜の四谷を彷徨う。どうやら裏道に迷い込んでしまったようだ。何を探しているのかもわからなくなった…少しでも明るい場所に進んで行こう。


 もう一度、あのマンションに戻ることにした。"殿"の帰りを待とう。


 マンションに戻り"殿"の部屋の前まで行くと、冷たい廊下にヒザを抱えて座り込む。まだ2月の半ばだ、今年は雪が多く数年ぶりの大寒波だと言われている。何だか寒い、少し眠くなってきた…。


「シゲ、シゲ…」


 どこからかオレを呼ぶ声がする。


「あ…」


「まったくおめえは、おバカさんだなあ」


 子供の頃、父が節を付けてよく歌っていた歌が聞こえてくる。


「〽シゲはバカだよ、シゲはバカだよ~」


 父がいた。


「何やってんだよ…こんな所で」


「オレね…オレ学校辞めて"殿"の弟子になる」


「ちぇっ…芸能人だって、片親じゃなれねえんだよ」


「…」


「おめえの母親はなあ、子供を捨てて出て行った女だ」


 また、いつもの話が始まった。中学の頃、ケーサツになりたいと言った時と同じことを言っている。


「シゲ…お前はなあ」


 父の弟…叔父のシローもいた。


「…」


 母方の親戚はみな陽気な酒呑みだが、父方の親戚はだいたい絡み酒で、酒癖が悪い。中でもこの叔父の酒癖は最強最悪だ。


「もう、この家の人間じゃねえ…この家に来ちゃあいけねえんだ」


「…何でだよ」


 父が突然キレて、シローに飛び掛かる。馬乗りになって、シローの頬を平手で何度かはたく。


「オレの子供が…何でオレの家に来ちゃあいけねえんだ!」


「ユキと一緒に、出て行った子供じゃないかよ」


 ついこの間見たばかりの、地獄絵図が再び繰り返される…ここにも居場所はない。


「おい…」


 肩を揺らされる。シローがオレに手を出してきたのか。


「キミ…キミ」


 顔を上げると、そこにはイシカワさんと、イシカワさんの兄弟子…以前はコックをやっていたという、木村コックさんがいた。最近TVに出始めていたので、すぐにわかった。


「キミ…生きてる?」


「はい…」


「よし…行こう」


「ど、どこにですか?」


「いいから付いてきて」


 エレベーターに向かう二人に付いていく。眠ってしまったようだ…今何時だろう。マンションを出ると少し寒気がした…風邪を引いてしまったのか。二人を追い掛けるようにして夜の四谷を歩く。人通りが少なくなった新宿通りの横断歩道を渡ると、イシカワさんとコックさんがビルの前で立ち止まる。


ーーーーー


 ビルの前に「サウナ」と書かれた看板が見えた。


「お金持ってる?サウナ料金と帰りの電車賃」


 イシカワさんが聞いてくる。


「は、はい…持ってます」


「師匠の命令…アイツを帰すまで戻って来るなってね」


「…」


「もう電車がないから、今日はここに泊まって明日帰るんだ…これ以上粘っても、師匠の気持ちは変わらない」


「高校出てからさ、また来ればいいじゃない…あと一年でしょ」


 ラッシャー木村に似ているからという理由でその芸名を付けられたキムラさんが、それとは似つかぬ柔和な顔で、そう語りかけて来た。


「ボクもまったくの素人から、この世界に入ってきたからさ…キミの気持ちもわかるんだよ、でも…」


「…」


「これ以上粘っても師匠の迷惑になるだけだよ…ボクとイシカワ君もこうなるし」


 キムラさんが拳で自分の頬を叩いた。


「また来年来なよ…待ってるから」


 もう、何も言うことはない。コクリと頷き頭を下げる。


 「お世話になりました」


 エレベーターに乗り込み、もう一度頭を下げる。ドアが閉まり二人の姿が見えなくなった。


ーーー


「どこに行ってたのよ」


 サウナに泊まり、家に帰ると母がいた。


「心配したじゃない」


 いや…心配しているのは、私一人の手で立派な社会人になるまで育て上げました、という自分が望むそのストーリーが崩れることなんだろ。


 でも、怨んではいないよ。自分の好きなように生きなさい…そう教えてくれたのはアナタだ。


「そういえば…キンジロウさんがまた来た」


 少しでも重たい空気を変えようと、この前父が来たことを母にチクり攻撃をかわす。お父さんともオヤジとも言えず名前で言った。


「ちっ」


 母が心底イヤな顔をして舌打ちをする。


「アレの家も複雑でね…家庭ってものを知らないで育ったんだ」


「…」


「親が再婚する時、子供じゃなく弟にしちゃったんだよ…戸籍も」


 父の生い立ちを初めて知った。


 母を避けるため、食費を貰うとすぐに飛び出し、学校に行くことにした。生徒会担当のミムラ先生から、3年生が卒業する際に配る学校新聞の論説を書くように言われていたのを思い出したのだ。


 何を書こうか…最近考えている疑問をそのまま書けばいい。


  人はなぜ生まれ

  何のために生きるのか…


 春が近い…もうすぐ16才が終わり、17才になろうとしていた。


ーーーーー


遥か遠く昔のこと もう忘れてしまった

通り過ぎた夢も愛も みんなかすんで見える

ぼやけた顔が微笑みかける さあ涙を拭けよと

泣いてなんかいないさ 流れのなか立ち止まる

目の前に光が 手招きしては逃げる

届きそうで届かない

いつまでもどこまでも 追いかけるのだろう

走る背中に冷たい雨が落ちてきた


置き忘れた帽子を取りに 振り向けど道は無し

ゆうべの宿 景色に沈み 彼方小さく見える

靴飛ばして天気占い 口笛吹きドアを出る

生まれてこのかたその日暮らし

どこに居ても同じこと…


ーーーーー


『エピローグ』


 親戚や近所の人からの冷たい視線を避けるように外へ出て、タバコをくわえ火を着ける。無理もない…まるで、幼少期や思春期の復讐をするかのように、母には苦労をかけてきたから。


 いつの間にか小雪が舞い始めている。


(そういえば、母の名前はユキだった)


 どこからか母が見ているような気がした。


 16才だったあの頃も、雪が降っていたのを思い出した。


ーーーーー


うつろう街の灯りが 雨ににじんで消えた

温かな窓 覗いて

いつまでもどこまでも さまようのだろう

走る背中に冷たい雨が落ちて来た


うろつく背中を静かに月が照らしている



(T字路s『その日暮らし』より)


ーーーーー


 読経が聞こえてきた…通夜が始まろうとしている。


「外は雪…母はもう帰らなかった」



『16才』未完の完

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16才 ゴンドウウコン @neoborder0128

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