第4話 見る前に躍べ
冷たく言い放つイシカワさんに必死に食い下がる。
「タカシさんと会わせてください」
「会っても無駄だって」
「…」
「いいかい…芸人てのはね、大学生や大学を出た人たちも笑わせなければならないんだよ、その人たちよりバカだったら出来ない。笑われるんじゃない、笑わせるんだ…それが師匠の考え」
「…」
「キミがバカだと言っているんじゃない…でも、高校生の今のキミでは無理なんだよ」
「…」
何も言えなかった。お茶に誘ってくれたのは、同郷だからでも話が合ったからでもなく、付き人の務めとしてオレをマンションから引き離したかっただけなのだ。そう言えばイシカワさんは、"殿"ではなく"師匠"と呼んでいることに気付いた。"殿"は本人を呼ぶ時だけの愛称で、他人の前では"師匠"と呼んでいるのだ。
どうやら、ただのお調子者や学校の面白いヤツだけで通用するほど甘い世界ではなさそうだ。だからこそ、そんな世界に足を踏み入れてみたい。たぶんオレは、他人とは違う…いつからか、どこかズレているのを自覚し始めていた。フツーの社会では、生きられそうにない。
「それでも、会いたいです」
「…」
必死に懇願する。
「お願いです…タカシさんと会わせてください」
熱意が伝わったのか、イシカワさんが静かに頷く。
「わかった…その代わり、キミひとりで行くんだぞ」
「ありがとうございます」
イシカワさんに頭を下げ、もと来た道を引き返しもう一度マンションに向かう。今度は確実に"殿"は居る。
少し歩いてマンションに戻り、エレベーターに乗り込み部屋の前に立つ。絶対に無理だと言われた今、いったい何を話せば良いのだろう。
(見る前に…躍べ!)
勇気を振り絞りインターホンのボタンを押す。
「ピンポーン」
〈ガチャリ〉
いきなりドアが開いた。
「なんだよ…イシカワじゃねえのか」
そこには、ズボンをずり下げたまま、トイレから顔を覗かせる"殿"が居た。
「…何だい、アンちゃん」
「タ、タカシさんでしょうか」
「見て、わかんねえのかよ」
「弟子に…していただけないでしょうか」
「ん~…ちょっと待ってろ、今ウ○コしてんだ」
シャレなのかマジなのかわからぬまま、ドアが閉められた。
「師匠は」
イシカワさんが一足遅れて、外から戻って来た。
「居ました…トイレです」
「あ、そう」
何でもないように部屋に入って行く。もちろんオレは外で待ったままだ。
何分経ったろうか…ドアが開き、イシカワさんが顔を出す。
「入って」
「はい」
どうやら、お目通りが許されたようだ。
「失礼します」
部屋に入る。靴を脱ぎリビングに進んで行く。
そこに…"殿"は座っていた。
ーーーーー
イシカワさんに促さられ、タバコをふかす"殿"の、テーブルを挟んで向かいに座る。もちろん正座だ…顔はマトモに見られない、俯いたままだ。
「イシカワから聞いたぜ…まだ16だって?」
「はい」
静かに顔を上げると、目の前に"殿"が居た。実物の"殿"はTVで見るよりさらに猫背で、小柄に見えた。
「16じゃ無理だな…帰んなよ、アンちゃん」
「…」
「帰んな」
「一生懸命やりますから…お願いします」
「お願いされてもなあ」
取り付く島がない。
「親は何て言ってるんだよ」
「親は…」
一瞬、答えに詰まった。
「父親はいません…母親は」
母の顔が浮かんだ。
「…母親は、家に帰って来ません」
マジメな顔で"殿"が言う。
「困ったもんだなあ…そんな親もよ」
少し〈グッ〉と来て、また俯いてしまった。 学校で先生や友達にも言えなかった秘密を、なぜか"殿"には言うことが出来た。たぶんオレは、本当は誰かに聞いて欲しかったのだろう。
「アンちゃん…それで家を出て来ちゃったのか」
「…」
「まあ、高校出てからだな…今日はメシ食って帰りな」
この話は終わりだ…と言わんばかりに、イシカワさんに指示を出す。
「イシカワ、そば屋に電話しろ…天丼3ツな」
「はい」
イシカワさんがさっと立ち上がり、てきぱきと動き出す。 "殿"は傍らにあった三本の棒を取出すと、右手と左手で交互にジャグリングの要領で三本の棒を操る。たしか正月の演芸番組でおなじみの師匠に「太神楽」を習っているとラジオで言っていた。
もはや"殿"はオレなど眼中になく、「太神楽」の稽古に没頭していた。時折棒を落としては、TVで見せるいつものクセのように小首を傾げ、何度もやり直す。いまやTV界のトップを走る"殿"ですら、陰で努力している…いや、努力などではなく、日常動作のような当たり前のことなのかも知れない。そんな裏の姿を知らずただ表の姿だけを見て、何の覚悟もなく押しかけて来たオレは、やはり甘かったのだ。
「ピンポーン」
玄関のチャイムが鳴った、イシカワさんが応対する。天丼が届いた。テーブルの上に並べられ、"殿"とイシカワさんの3人でテーブルを囲む。
「アンちゃん…食べな」
「…」
"殿"が天丼を食べ始める。それを見てイシカワさんも食べ始め、オレも何となく食べ始める。
「…」
「…」
「…」
特に会話もなく、3人で黙々と食べる。人と食卓を囲むのはいつ以来だろう…それがまさか"殿"だとは。
「ごっそさん」
天丼を食べ終えると、"殿"は再び棒を手にして「太神楽」の稽古を始めた。もはやオレは、ただいるだけの空気のような存在になっていた。イシカワさんが食べ終えた天丼の器を片付ける。手伝うべきだろうか…そういえば、「いただきます」「ごちそうさまでした」を言っただろうか。緊張は言い訳にはならない、弟子入りを断られても、そのような礼儀は見られているような気がした。
「ピンポーン」
再び玄関のチャイムが鳴る。
「殿、仕事の時間です」
リビングにパンチパーマのヒトがにこやかに入って来た。すぐにわかった…このパンチのヒトがマネージャーのキウチさんか。
「おう」 "殿"が立ち上がり、玄関に向かう。
ーーーーー
イシカワさんが慌てて立ち上がる。必然的にオレも出なければならない。イシカワさんに追い立てられるように立ち上がり、玄関に向かう。"殿"はすでに玄関を出て、エレベーターに向かったようだ。慌てているせいか靴を履くのにもたついてしまう。
「キ、キミ…早くして」
イシカワさんにせかされるように玄関を出ると、イシカワさんはオレを尻目に慌てて廊下を走り、"殿"たちも追い越してエレベーターの前に立ち、ボタンを押す。
(これも付き人の務めなのか…)
また、この世界の厳しさを突き付けられたような気がした。
エレベーターが来ると"殿"とキウチさんが乗り込み、イシカワさんが乗る。オレも付いていく。1階に着くとエレベーターを降りて道を開ける。イシカワさんがドアを押さえ、"殿"とキウチさんが降り、エントランスを颯爽と歩いて行く。マンションの前に車が停めてあった。これが最後のお願いだ。
「お願いです、弟子にして下さい」
「ダメだ」
"殿"は振り向きもしない。キウチさんだけが振り向いて、ニヤニヤしている。
「まだ16才でしょ」
"殿"から何か聞いたのか、まるで熱狂的な追っかけファンのように見られている…"殿"のサインが欲しいワケじゃない。 "殿"とキウチさんが車に乗り込み、イシカワさんが運転席に座る。ドアが閉まり、"殿"の車は走り去っていった。
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