第15話「交差する世界と探求の始まり」

――そして日常は、また静かに流れ出す。


翌朝。教室に入ると、澪の耳に届いたのは、興奮混じりの同級生たちの会話だった。


「聞いた? 安達くん、探索者資格取ったんだって!」

「マジ? すごっ、あのダンジョンの……?」

「うん、まだ低級だけど、ちゃんと登録されたって」


その言葉に、澪の手がわずかに止まった。


(……探索者)


ダンジョン――かつては神話や伝説の世界にしか存在しなかった異空間。

しかし今では、現実の都市に突如として“出現”し、人々の生活に直接的な脅威と影響をもたらしていた。


それに対応するため、国家主導で設立されたのが、特殊災害対応部隊セクターである。

だが、ここ最近のダンジョン生成の頻度は、もはや国の対応能力を超えていた。


――それゆえに生まれた、新たな組織。


“探索者協会”。


正式には「民間ダンジョン探索者認証機構」。

国家の許可を受けた上で民間に探索の一部を開放し、資源の確保と対処の分散を狙った制度である。


探索者資格を取得した者は、装備と手続きを経て低級ダンジョンへの進入が認められ、一定の条件下で得た素材や魔核を換金できる仕組みになっていた。


(部隊じゃない、でも……それでも命を懸けるんだ)


澪は教室の後ろで静かにその話題を聞き流しながら、ノートに視線を戻した。


『……ダンジョン資源に群がる者たち。欲望と恐怖とが交錯する、実に人間らしいな』


(……見下してるの?)


『否。誇りを持って命を賭す者に、我が侮蔑を向けることはない。だが、己が力の意味を弁えぬ者は、いずれ滅びよう』


澪の中に響く、天霜祀神(アマシモツカミ)の荘厳な声。


だが、その口調とは裏腹に、彼女の言葉にはどこか寂しげな色も含まれていた。


(……私は)


――私は、どうあるべきなの?


授業中、澪はぼんやりと窓の外を見ていた。

青空の下、日常の風景はあまりにも穏やかで、それが逆に胸に痛かった。


彼女が抱えるのは、神の権能。

そして、その向こうに広がるのは、人の知らぬ世界。


『……そなたが選んだ道なれば、我も従おう。だが、忘れるな。いかに仮初の世界に身を置こうとも、そなたの本質は――』


(今は、普通の生徒でいさせて)


その静かな祈りは、風に溶けていった。


放課後。

帰宅した澪は、制服のままソファに倒れ込むように座り、テレビをつけた。


画面に映っていたのは、探索者協会に関する特集ニュースだった。


「――探索者資格の登録者が、ついに全国で五万人を超えました。一方、事故やトラブルも相次いでおり、先日も低級ダンジョン内での事故により三名が重体、一名が死亡。関係者の安全管理が問われています」


「また、専門家からは“ダンジョンの危険性を過小評価している”との声も上がっており、協会内では対策強化の議論が進められている模様です」


スタジオでは、識者たちによる討論が始まっていた。


「資源確保も大切ですが、命あっての話です。ダンジョンはそもそも、異常な空間なのです」

「ですが、今や国家の予算だけでは対応しきれません。民間の協力は不可欠なのです」


その言葉の応酬に、澪は眉をひそめる。


(……これが、現実)


澪はテレビを消し、祖父母のいる居間へと足を向けた。


「おかえり、澪ちゃん。今日も学校だったんだね」

「うん。ただ、ちょっと……聞きたいことがあって」


祖母に尋ねると、祖父がゆっくりと頷きながら古い箱を取り出してきた。

中には、古びた文献や手帳、巻物のようなものが収められていた。


「綾里のことかい?」


澪は静かに頷いた。


祖母が開いた一冊の古文書には、かつて語り継がれていた伝説が綴られていた。


――それは、季節が狂い、夏が終わらぬ灼熱の時代。

作物は枯れ、北極の氷が溶け出して世界の海があふれた混沌の時代。


「この頃、綾里さまという巫女が現れてね……」


祖母は懐かしむように語る。


「彼女は、新たに生まれた我が子を村に託し、洪水に飲まれかけた大地を救うため、神とともに旅立ったんだ」


その神の名こそが――天霜祀神(アマシモツカミ)。


神は嫉妬深く、情熱的で、それでもなお人間を見守ろうとする存在。


「澪の白い髪はね、代々伝わる“綾里の力”の証なんだよ」


指でそっと、澪の髪を梳く祖母。

その指の温かさが、神々と人間の関係を今につなげていた。


(私の中にある力は、ずっと昔から……)


胸の奥が、ふと熱くなった。


『……過ぎた話よ。あの頃の綾里は、実に気高く、そして強かった。我は、綾里さえ無事であればよかったのだ。だが、彼女はこう言ったのだ。「私にその力があるのならば、正しく使う義務がある」と……決して聞き入れぬ者だった』


『人の枠を遥かに超えた力であることを、重々理解していながら、それでもなお――綾里は、使いこなしてみせたのだ』

天霜祀神の声は、どこまでも澄み、どこまでも深く、彼女の内奥を震わせるようだった。


『……綾里は、常に我を困らせた。だが、我は――彼女が選んだ道を、最後まで見届けた』


その言葉には、荘厳さの中に滲む、確かな喪失と愛惜の響きがあった。


澪は拳を握りしめた。


「……私も、そう在りたい。力があるなら、それを正しく使いたい」


彼女は立ち上がり、祖父母の元に背を向けて、静かに空を仰ぐ。 夕暮れの光が、彼女の白銀の髪を柔らかく染めていた。


『そなたが綾里の意志を継ぐというのなら――我は再び、その背を見守ろう。だが、忘れるな。そなたが進む道は、選び取った瞬間より、神々の視線に晒される。刃を持つ者として、生と死を分かつ覚悟を抱け』


「わかってる」


小さく、だが確かな決意が、唇から漏れた。


――私は、綾里の血を継ぐ者。 ただ力を持つ者ではない。 正しく使い、意味を与え、未来へと繋ぐ者。


それが、天霜祀神と出会った意味。 この髪、この力を与えられた意味。


(私が……守る。人も、日常も、この世界も)


夕闇が訪れる中、澪の中で何かが定まった。


そして、その想いに呼応するかのように、彼女の内なる神――天霜祀神は、かすかに微笑んだ。


『……良い眼をしておるぞ、我が巫女』


 


――次の日から、澪は己の力の起源を探る旅へと、歩を進めていく。


日常の裏に潜む神話。 そしてその神話を継ぐ者としての、宿命と誓い。


少女はまだ、すべてを知らない。 けれども、確かに一歩を踏み出していた。

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