第2話助けたい君を
パンを食べ終えた少女が、小さく礼を言おうとした瞬間だった。
コツ、コツ、と路地裏に不気味な足音が響く。
「おーい、また逃げやがったか。……おい、そこのない人、見つけたぞ」
影から現れたのは、黒ずんだローブに身を包んだ男だった。年の頃は三十前後。肩には革の鞭を下げ、目は獲物を見るように光っている。少女がピクリと身を強張らせた。
「知り合いか?」
「……主人よ」
その言葉の重さに、胃の底が重たく沈んだ。男はこちらに近づきながら、露骨に顔を歪めた。
「てめぇ、誰だ? そいつはうちの所有物だ。勝手に手ぇ出してんじゃねぇよ」
「所有物? 人間を物扱いしてんのかよ」
「当たり前だろうが。ああ? このガキの家は正式な契約書を交わしてうちに負債を払ったんだよ。こいつはその代物だ」
ふざけるな、という言葉が喉まで出たが、それよりも早く、男の拳が飛んできた。
ゴッ――!
重たい衝撃と共に視界が跳ねた。殴られた、というよりもぶつかったような鈍さだった。
「な……っ!」
立ち上がろうとした瞬間、蹴りが脇腹にめり込んだ。
「クソッたれが。口出しするなら金でもしやがれ。金もねぇない人が、調子こいてんじゃねえ!」
地面に崩れ落ちた俺の横で、少女が凍り付いている。目を逸らしながら、ただ拳を握りしめていた。
「……やめろ……もうやめてくれ」
「黙れ。この物が口答えするな!」
振り上げられた男の手が、再び振り下ろされようとした、そのとき。
怒鳴り声とともに、男の背にさっきのパン屋の店主が飛びかかった。ずんぐりした体型なのに、驚くほど機敏だった。
「痛ぇっ、なにすんだテメェ!」
「こっちのセリフだよ、奴隷商人風情が路地裏で暴れてんじゃねぇよ!」
パン屋の店主は、見た目に反して腕っぷしが強かった。まさかの不意打ちに男がひるみ、その隙に店主は俺と少女の腕を取って、一気に引きずるようにその場を離れた。
路地を抜け、表通りまで出る頃には、奴隷商人の姿は見えなくなっていた。
パン屋の裏手にある小さな倉庫の中。干し草の上に腰を下ろし、ようやく息を整えた。
「まったく……お前さん、旅人か?」
「そんなもんです……助かりました」
「礼なんていらねぇさ。でも……あの子、あれはヤバい連中に目ェつけられてるな」
少女はただただうつむいている。
「……また迷惑かけた」
「迷惑なんかじゃないよ」
俺はそう言って、少女の前にしゃがんだ。
「……俺さ、この世界のことまだ何もわかってない。でも、君を見てたら、放っておけない」
宣言するには、あまりにも無謀な考えだった。でも、もう迷っていられなかった。
「助けたい。」
少女の瞳が、少しだけ揺れた。
『貨幣は信用を知らない』 ─ 鉱石通貨から始まる信用経済ファンタジー k @kibe_3
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