第2話 ウラディノフ

 ザイカの相棒にして観測手のウラディノフは、兵士としては冷淡な一方、一人の人間として温厚で子供好きだった。戦争が始まる前は教師だったらしい。


 ザイカの見る先で、今も女の子にパンと、それから希少なチョコレートを渡していた。女の子は見たところ10才。金髪が肩くらいまで伸びている。埃で薄汚れた服を着ていた。


 街は惨烈の修羅の巷と化して久しいが、まだまだ民間人は存在していた。避難が間に合わなかった者、避難の意思を有さなかった者。


 彼らは街が戦闘に巻き込まれた時点で退避が著しく困難になり、じっと潜み隠れ戦禍から逃れていた。


 その内子供は時々兵士の元へ食べ物をねだりにやってきていた。


 1人でやってきた少女にウラディノフはパンとチョコレートをあげていたわけだ。


 現在地は後方。兵士が気を抜ける地帯だった。


 行進する兵、雑談に興じる兵。突如、その雑然を一発の銃声が切り裂いた。


 「狙撃手スナイパー!」


 誰かが叫んで兵隊は一斉に散る。ザイカもウラディノフも物陰に退避した。


 撃たれたのは士官だった。撃たれたらしい腹部から溢れてくる血を必死に抑えながら絶叫している。


 兵隊は銃声のした方にやたらめったらに撃ち始めた。


 その修羅の巷の中、ウラディノフがパンをあげていた少女はその場にうずくまっていた。


 「お嬢さん!来い!こっちに来るんだ!」

 

 ウラディノフが必死に声を張り上げるが、恐怖に苛まれている少女にその声は届いていない。両手で頭を抱えピクリとも動かない。動けない。


 敵狙撃手は、士官が撃たれても出てこない連邦兵を釣り出すための絶好の餌を見つけた。


 ザイカとウラディノフ、2人の見る前で少女が撃たれた。足を撃たれた少女は聞くに耐えない悲鳴を上げる。


 ウラディノフの表情が鬼気迫る。


 それでも誰も助けに、射線に現れないのを見た敵狙撃手は、今度は少女の右腕を撃った。銃弾は骨も粉砕し、少女の細い腕が90度も反対方向に折れ曲がった。


 ウラディノフが怒りのために万力で握りしめていたライフルを放り出した。


 「馬鹿!よせ!」

 

 瞬時のザイカの制止も聞かずウラディノフは少女を救うために飛び出した。


 無機質だった。一瞬の硬直、あるいは痙攣の後、人間の意思の介在はなく、ただ重力に引かれてウラディノフの体は倒れた。


 「ウラディノフ!ウラディノフ!」


 寸とも動かなくなったウラディノフは、やはり何とも返さない。土気色の野戦服がワインのような濃い赤色に染められていく。


 「馬鹿野郎め!」


 悲憤、悲痛、悲嘆。

 

 今敵狙撃手がやってるのは普段俺達がよく使う手じゃないか。なのに飛び出しやがって。


 連続する銃声にザイカは敵狙撃手のおおよその位置を掴んだ。


 少し離れた物陰に移動、小銃を構えると狙撃手の隠れていそうなところに何発か射撃した。


 手近にいた兵隊複数名を引き連れて大きく迂回、狙撃手が潜んでいると見られる5階建ての複合商業施設を目指す。


 狙撃された地点からおよそ500メートル。その距離の狙撃だけでも相当な腕だ。しかも足、腕など、致命傷を与えない正確な射撃。果てには急に飛び出したウラディノフに瞬時に反応、一撃で射殺した腕。疑いの余地無く熟練の狙撃手だ。


 その商業施設の一部屋、おそらく従業員用の小部屋にザイカは敵狙撃手の痕跡を見つけた。


 窓から先程自分達のいたところを見ると撃たれた士官、少女、そして相棒”だった”ウラディノフが運ばれていく。


 窓の反対側の壁際に置かれたイス、周囲に散乱する女性用、男性用、子供用の衣類。床にはイスを引きずったと思しき、埃がなくなっている跡。イスも埃が薄くなっていて、誰かが座っていたのは明らか。そして衣服。緑、灰、紺、黒など暗色系の、そして生地の柔らかい服。ザイカのやったように自分とその輪郭を隠すために使っていたのだろう。


 ザイカを1番驚かせたのが、綺麗に一列に並べられた3個の空薬莢だ。4回の射撃に対し、3個。つまり、射殺した人数分。


 自身の戦果を誇示せんとする行為であるのは明らか。その幼稚な自尊心、虚栄心。


 練達の腕に対し随分、そう、静けさを求められるスナイパーらしくない見栄っ張りだ。

 

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