廃墟の狙撃手

@yositomi-seirin

第1話 廃墟の狙撃手

 陰気で険呑で埃臭くて、死臭が満ち、そして不穏なうねりを感じる。何と言い表せばいいかはわからない。人間の根源を揺さぶるような恐怖が巣食う街だった。


 連日の空襲、戦闘で廃墟となったこのレスマフゴ・グラードという街のあちこちから黒煙が昇る。この黒煙、そして巻き上げられる埃のせいで夜は早く訪れ、日は中々昇らない。


 道端にヘルメットが積み上げられている。幾つかはひしゃげたり穴が空いていたりして、前の持ち主がどのように死んだのかを伝えていた。


 飯盒はんごうから粥を掬い上げる兵士の間を歩く。祖国防衛のこころざしに燃えながらもどこかうつろで殺伐としている。味わっている様子は無く、ただ機械的に栄養を補給していた。


 赤栄連邦軍狙撃手ザイカと相棒の観測手ウラディノフは食料を受け取ると兵士の輪に交じることなく、黙々と歩き続ける。


 狙撃手はその性質上、陰気だ。静かでも寡黙でもない。いや、もしかしたら陰気なのはザイカだけかもしれない。だがどちらにせよザイカはどんよりと、底無し沼のように濁った人間だった。


 もともとはそんなことはなかったように思う。静かではあったが濁ってはいなかった。戦争が変えたんだと思う。だがそんなことは関係無かった。今祖国は侵略を受けていて、感傷に浸る時間はないのだから。


 前線に来た。これから先は敵の前線まで空白地帯が広がっている。二人の仕事場はそこ。潜入し、隠れ、待ち伏せ、敵兵を撃つ。


 ザイカは小銃をスリングを使って肩にかけると拳銃を引き抜いた。不意に敵兵に出くわしたらボルトアクションの小銃よりこちらの方が良い。ウラディノフは持っているのはセミ・オートマチックのSVTライフルだから拳銃には切り替えない。


 散々になった建物の中を音を立てないように慎重に、ゆっくり縫い進む。


 窓の外では建物に描かれたプロパガンダの壁画の男が空を見上げている。全体的に粉塵で覆われて薄暗く、戦闘の激しさを表すかのように所々欠けている。


 建物の中は全く静かだが周囲からは絶えず銃声、砲声、爆発音が響いてくる。部屋も廊下も、至るところに人々の生活の跡があるのにとても無機質に感じる。


 多分、幼い女の子が使っていた部屋に来た。小さな棚の上の可愛いらしい花瓶に挿してある花は枯れていた。片隅にこれまた可愛い熊の縫いぐるみが埃に覆われて転がっている。


 この部屋の壁は崩れ落ちていて外に出られるようになっている。逆もまたしかり。この都市で玄関ほど意味を失ったものはそうないだろう。度重なる戦闘によって建物は穴だらけになっている。


 幾つか裏路地と廃墟を通ってこれまた廃墟となった建物の六階に来た。ここからなら大通りを一望に収められるし、敵の前線も見渡せる。


 窓際には陣取らない。敵から発見されやすくなるだけだ。


 窓際の部屋の廊下側の壁に小さな穴を開けた。射界はかなりの程度遮られるがそもそもそんなに広い必要はない。


 丁度良い長机があったから動かしてきてその上で匍匐の体勢をとる。微妙に体を動かし調整し、銃と体と大地が完全に一体となる体勢をとった。


 上から灰色にくすんだカーテンを羽織って自分と愛銃の輪郭をぼやけさせる。


 人はパターン認識という能力を持っているらしい。例えば森でいきなり人が現れたように見えて驚いた経験はあるだろう。あれは木の形が人の頭頂部から肩にかけてのラインに似ていたとか、目、鼻、口の配置に似ているとか、そういうことが原因で起きる。


 だから隠れるには人体のラインを隠す、ボヤけさせるのが良い。それから直線も自然界には中々存在しないそうなのでこれも隠した方が良い。


 観測手を務めるウラディノフは双眼鏡を構えてギシリと音をたてるとイスに座った。


 放置されていた本と衣類を組み合わせて即席のバイポットにする。


 スコープを通して見えるのはくすんだ街並み。全てが灰色だ。街路、廃墟の窓、屋上、敵兵がいそうな箇所を順番に確認し、それを繰り返す。


 狙うのは軍隊の頭脳となる士官、神経となる無線手及び市街地において高い戦闘能力を有する工兵。工兵は爆薬の使用に長け、部屋を丸ごと爆破したりあるいは火炎放射器で焼き払う。


 そして何より同業者。狙撃手というのは存在するだけで戦場に圧力を加える。


 兵隊からしてみればいつ何時撃ち抜かれるかわからない恐怖に四六時中襲われることになる。


 それも即死できれば良い方。下手すれば急所を外され味方を釣るための餌にされる。


 1時間が過ぎ、2時間が過ぎた。スコープ越しに映る街は変わらず、ただ銃声に砲声、爆発音が、つまりは戦争の音が響く。


 激しい銃声が左の方から響く。一昨日から激戦が繰り広げられている『赤い十月工場』か。


 地図を思い起こす。眼前の道路の先には丁字路が存在し、左に折れれば『赤い十月工場』に辿り着く。もし敵が増援を送ったり、側面から衝こうと考えれば目の前の道路を通る可能性は大である。


 果たして、敵部隊は現れなかったものの、分隊(10人)規模の敵部隊が現れた。偵察だろうか?分隊規模であれば率いているのは分隊長、下士官になる。具体的には伍長、軍曹、曹長、准尉クラス。以上階級は叩き上げ、ベテランである。


 敵である帝国軍は、階級を表すために肩章を利用している。遠目から見ると、下士官兵以下は緑色、尉官、左官階級は銀色、将官は金色。

 

 3.5倍スコープ越しに見る敵兵は全員灰緑色かいりょくしょくの野戦服に緑色の肩章。よって敵分隊の指揮官は下士官と思われる。


 敵分隊は左の工場方向を警戒している。


 ザイカは敵分隊を指揮している兵を、その身振り手振りから推定した。距離は200メートルと少し。

 

 頭は狙うには小さすぎるし、動きも大きい。狙うは胴体、正中線。体の中心を縦に走る線。ここに当たれば重傷間違い無し。


 射撃。7.62×54ミリ弾が銃口初速810メートル毎秒で撃ち出された。反動で跳ね上がる小銃。


 「命中」


 ウラディノフが淡白に報告。


 反動が収まりザイカが見ると狙った敵兵は倒れ伏し、寸とも動かない。敵兵は慌てて建物に身を隠した。


 ザイカもウラディノフもこれ以上の射撃の意思はあまり有していなかった。あまりみだりに撃っては自身の所在が露見する。狙うのはあくまで高価値目標。そういった観点からは、二等兵に価値はない。撃つ機会があれば撃つに留める。


 結局、射撃することはなかった。

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