#13 告白されると思った?


 何だか勢いのまま口走った結果、良く分からないことになったというのが俺の偽らざる所感である。


「あのさ……一緒に夕飯食べない? レストランとか、どっか行きたい……んだけど」


 そんな妹の発言に動揺しなかった俺は褒め称えられるべきだ。

 きっと平時の俺であれば大災害の前触れと判断して、即座にテーブルの下に潜り込んで星に祈りを捧げていたことだろう。世間様の兄妹であれば何の変哲もない会話であれど俺たち兄妹からすればそれほどまでに異例で異常なことだ。死ぬまで険悪な兄妹関係のまま平行線で推移すると想像していたついこの前までの俺じゃ全く想像の出来なかったターニングポイントが今この瞬間に訪れていた。


 しかも夕飯をただ食べるだけじゃない。

 玲の提案で外に行くことになったとなればまた大きく話が変わってくる。

 こうやって夜の街を二人並んで歩く機会すら無かったんだ。今日は本当に何なんだ。体育祭が凄まじい過去のように思えてくる。


 気まずい空気の中、隣を黙々と歩く玲を横目で見遣る。玲の表情からは普段浮かべているような不機嫌そうな姿形は影を潜め、平然としつつも何処か俺を視界に入れないようにあらぬ方向を見ながら真横を歩いている。こう大人しいと甘え下手な猫を見ている気分になる。そんな雰囲気に当てられて頭でも触ろうものなら大量の罵声と合わせて手の平でも飛んで来るだろうことはコイツの兄貴として容易に想像が付くから絶対にしないが、ただ大人しいと大人しいで調子が狂う。


 なんとも慣れないこの光景に俺は頬を搔きたい気分に駆られる。

 ホントにどうなってるんだよこれ。玲の考えが全く分からん。俺の事が嫌いじゃなかったんじゃないのかよお前は……。


「ねえ……そんな見られても困るんだけど」

「わ、悪い」


 物珍しそうに見ている俺が癇に障ったか、赤信号で足を止めた玲は俺の方へ少し視線を寄せて言った。しかし完全にその瞳が俺を捉えることはなく、すぐにあらぬ方向へ向けられる。目の動きは微かなもので、物理的な距離にして1㎜にも満たないその挙動は玲の意志とは関係無く無意識下で行われていて、或いは膝蓋腱反射の一種だと説明されても何の障り無く納得できてしまう程度の、本当に僅かな反応だった。

 でも如何せん、不仲なりにも兄妹だからこそ分かる。

 その動きからして玲の怯えが分かる。

 俺とどう接すれば良いか分からない、何を話題に載せるべきかも分からない。俺と玲の間を塗り潰す空白の数年が互いの空気を錆びつせ、歪なものとしている。

 

 きっとこの場の正解は玲と一緒になって黙っていることじゃなく、俺から兄貴なりに話を振ることだ。

 しかし口が思うように開かない。

 玲の様子がおかしいことで、俺まで口が重くなっている。 


 玲がこんな風になった理由は考えるまでなく、99%の確率で、全ては『兄妹契約』が原因だ。


 玲はこの言葉をどういう意味で使ったかは明言しなかった。俺と冬佳なら理想の兄妹の追求が軸としてあるのだが、玲は当然そんなものに興味はないだろう。字面上じゃ同じ兄妹契約という言葉だが意味は確実に異なっている。

 しかし何となくその意味合いは推察できる気がする。

 きっと昔のように、或いは世間一般的な兄妹になろうという想いが意外なことに玲にはあったのだ。そうとしか考えられない。


 でも何故玲はわざわざ兄妹契約などという言葉を使おうだのと考えたのか。そこに関しては全く以て傾げるしかない。

 そもそもだ。

 俺と冬佳が一般的でないその関係性を定義付けるように使っているその単語を、実の家族である玲が使うのはお門違いに思える。契約も何も俺達は本当の兄妹で、それは戸籍謄本だの住民票だのを取り寄せればすぐさま証明可能な厳然たる事実である。契約を結ぶまでも無い。


 加えて分からないことと言えばもう一つ───。


『私の時は即答で冗談で茶化して考えることすらしなかった癖に……!』


 ───さっきはつい断定せず曖昧に溶かして家族愛として解釈したが、結局あの言葉はどういう意味だったんだ?

 中学一年生の時、思い返せば玲からそれっぽい言葉を投げ掛けられたような気がする。それは玲に言った通りの話で、まだ中学進学したてのふわふわとした時の思い出だ。当時は気恥ずかしくなって誤魔化して、考えないようにしていたような記憶も僅かにある。更にあの頃は我ながら思春期真っ盛りと重なり合った時期で、女の子という男とは対局なる存在に羞恥心を覚えて、異性という存在を例外なく避けていた時期でもあった。

 あれが仮に兄妹愛じゃなくて、玲からの愛の告白だとすると…………俺はとんでもないことをしたんじゃなかろうか?


 過去を思えば思うほどより俺の口は重くなっていく。玲からすれば避けられた感じたことだろう。どの口が妹が好きとか何だと語ってるんだよ俺は。

 視界一杯に夜の帳が下りた暗色のコンクリートが広がる。

 これで理想の妹が欲しいだとか、理想の兄貴を目指すだとか冗談だろ。笑っちまう。これが事実であるならば俺は何一つ玲を知らぬまま、のうのうと生きてきたことになってしまう。

 忘れ去られた井戸の底から忸怩たる感情が溢れ出ては今まさに胸中を占拠しようとした時、玲が夜の街を指差した。


「店、あそこにしない?」


 その言葉に顔を上げて確認する。

 細く白魚のように伸びた指が示したのは横断歩道を渡った先、駅前の古色蒼然とした雑居ビル二階に入ったイタリアン店だった。毎日登下校のたび目にはするものの入ったことは一度も無い。いや、どちらかと言えば左隣にある昭和の香り漂う奥ゆかしい文房具屋や、はたまた右隣にある最近じゃあまり見ない鮮魚専門店の魚を捌く手際に目を惹かれて、ちゃんと確認したことが無かったとも言える。良く言えば市外の人間は初見だと中々見つけられない隠れ家的な店なのだ。


 ファミレスやファーストフードみたいな賑やかな場所に行く空気でもないしな。玲にしては妥当な選択だ。


「ああ、そうしよう」

「決まりね」


 玲が無感情に相槌を発すると、信号機の光が青く灯った。

 





★───★






 こう言っては失礼かもしれないが古臭さが抜けない外観と違い、店内はモダンで清潔感なのは意外だった。詳しくはないがきっと渋谷の道玄坂にある喫茶店はこういう感じなのだろうという想像と近い範疇にある内装に思わず一瞬店内に入るまいかと怯んでいると、その間にトテトテと玲は入店してしまった。俺の知らない玲を見ている気がしてやっぱり面妖な気分になった。狐に摘ままれたような、それか狸に化かされたような。ともかく現実感が若干失せている。


 席に案内されるとメニューが開いた状態で置かれた。

 メニュー表の1ページ目からして産地直送を拘りにしているという旨の記載があって、何だか嫌な予感がしたが、2ページ目以降を開くとすぐに予感は確信に変わる。

 高い。

 いや、アルバイトをしている以上払えない金額じゃないが、意外にもちゃんとした本格派プライスだ。

 それは玲からしても同感だったみたいで、あれだけ避けられていたアイコンタクトがこんな机上で成立した。


「アンタさ……」

「今日は俺が払うからどれ頼んでもいいぞ」

「まだ何も言ってない。あとこれくらい自分で払えるから」

「今日は兄妹契約記念日だろ。だから俺が払う」

「意味分かんないんだけど……」


 だろうな、俺も意味が分からない。

 まあ言葉に意味は無いが見栄はあるんだよ、兄貴って見栄が。

 俺のそんなプライドを察したのか、察さずともまた下らないことを考えているなと思われたのか、兎も角としてその結果は影響なく溜息という形で玲の口から漏れた。

 長い睫毛が一度ぱちくりと上下に動く。


「分かったわよ……奢ってあげられる。その代わりにここでのお金を後になって要求して来ないでよね、ウザいから」

「やんねえよそんなこと」

「そ、ならいいけど」


 興味なさげにメニュー表を見る双眸はあまりにもフラットで、やっぱり玲の心の動きを読み取れない。

 一つしかないメニュー表を横向きにして、玲と共有しながらメニューを確認する。時折ページを送るときだけ確認のために声を掛けた。


 まあ……正直あんまり悩む余地は無いんだよな。

 財布事情的には2000円以上のものを注文する気はないし、ぶっちゃけ俺は高尚な舌も持ってないから味が分かる方じゃない。そうじゃなくとも玲がいるから若干緊張して味なんて大して分からないだろうし。合理的に考えればここは出来るだけ安めに収めるべきだ。

  

 一分ほどの沈黙を挟んで帆立パスタに決めた。お値段1600円弱也。これでも最安の商品である。財布へのダメージが地味に痛い。


 玲も決めたようで思わず顔を見合わせる。ちょっと気まずい。

 店員に注文をする段階になって、玲も俺と同じく帆立パスタを頼んだことが分かった。


「値段とか気にしなくていいんだぞ」

「気にする。幾らアンタとは言えお金が絡むんだから少しは気を遣うでしょ」


 思わず口を出せば、玲もまた普段と異なる口に鍵が掛かったような硬い語調で答えた。

 遠慮なんて妹からもっとも遠い感情だと思っていたが……。


 注文を終えると玲が静かに切り出す。


「それより先に言っとくことがあるんだけど……」

「なんだ? ……兄妹契約についてか?」

「そんなことよりも大事なこと」


 言外に玲にとって兄妹契約という単語は付け替え可能なラベルでしかなく、その単語自体はさして重要でないと俺は理解する。道理で具体的な話が無いわけだ。


 つまり次に話す言葉が玲の本題。

 ガワではない本質。

 玲の本心。

 そう思い俺は礼儀正しく聴く姿勢を整えて玲の言葉を待った。

 浅い呼吸を一度すると、桜色の唇が戦慄く。


「私、アンタの事が好きなわけじゃないから。それだけ勘違いしないで」

「…………は?」

「だからその……異性として見てないって言ってるのよ!」


 虚を突かれた俺はきっと間抜けな面を晒した。

 だってそうだろ。

 妹からそんな注釈を投げ掛けられるなんて考える兄貴が何処にいる?


 だが、唖然とする傍らで安心するもう一人の自分もいた。

 ライトノベルの中なら良いさ。主人公は良い感じに据え膳据わっていて、妹から告白されれば忽ち妹を異性扱いして猫可愛がる。だが16年だ。俺は玲のことを生まれてこの方、16年に渡って家族として付き合っている。そんな簡単に割り切れるほど家族としての縁は浅くない。


 だから本当にほっとした。

 最低な反応かもしれない。でも嘘偽りない俺の感情だ。

 ただでさえこうやって仲睦まじく外食を交わすことすら緊張して変な感じなのに、そんなカミングアウトをされた日には俺は玲と真っ向から向き合える自信が無い。


「……ほっとしてるって顔ね」

「し、してねえよ!」

「別にいいけど」


 俺の表情を見るなり玲は心を読んできた。ジトリとした視線が堪らず痛い。

 少しして、玲はふ~んと口弧を上げた。

 頬を薄紅に染め、指を唇に当てると瞳に揶揄うような好奇の色を滲ませる。


「妹相手に本気で告白されると思った?」


 悔しいが、凄まじい美少女っぷりだ。さながらアイドルのような素振りに思わず怯んでしまった。

 だが妹だ。

 ギリギリのところで言葉を返す。


「……んなわけないだろ。俺は兄貴だぞ」

「その返答は意味分からない。キモい」

「キモくはないだろうが」

「たかだか11カ月先に産まれただけの分際で何でそう粋がれるのか知りたいんだけど」

「おま、兄妹契約ってのは何処行った?」


 まるで普段通りの罵倒じゃねえか。こういうのは止めるって意味で兄妹契約って言葉を持ち出したんじゃねえのかよ。


「兄妹契約があってもアンタがキモくなくなる訳じゃないし」

「お前なぁ……」

「それにこうした方が私達っぽくない? 違う?」


 そう言って玲が小首を傾げて見せる。

 ……反論出来ない。その通りだ。思ってみれば玲が普段みたく毒舌を使ってこないからこそ俺は妙な雰囲気を感じていたのかもしれない。

 憎たらしいほど気遣いの出来て容姿の良い妹から目を離して、俺は話題を変えてさっきからずっと気になっていたことを聞くことにした。


「なあ、結局兄妹契約って何なんだ?」


 玲は目をパチパチとさせてから、答えた。


「それはま、今のアンタには言ってやらない。私だけのナイショだから」

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