愛しのパンチングマシーン

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愛しのパンチングマシーン

 パンチングマシーンが壊れてしまった。高校三年生のときだった。

 商店街にある電光掲示板の文字が取れかけのゲームセンターにその筐体はあった。店自体は古くても基本的には新しい筐体が入っている。だがその歴史ゆえにいくつか古い筐体も残っている。その一つがパンチングマシーンだった。

 画面に流れる一、二、三位は俺の記録だった。いつだってどんなに強いパンチでも受け止めてくれたパンチングマシーンは、もう起き上がらない。赤いパッドは倒れたまま。赤い俺の拳も握られたまま。

「古い機械だったからねぇ。こんなに殴ってもらえたし、最後もパンチで逝けたんだから喜んでるよ」

 パンチングマシーンを壊してしまったことを謝った俺に、店長のじいちゃんはそう言ってくれた。

 修理が出来ないということは以前に聞いていた。古い機械だから、メーカーに部品が残っていないのだそうだ。

『優しく扱ってほしい気持ちもあるが、やはりパンチングマシーンへの敬意として思いっきり殴ってほしい』

 じいちゃんがそう言ったから、俺は敬意を持って頻繁に通っていた。

 初めてパンチングマシーンに出会ったのは、たまに会う従兄弟にゲーセンに誘われたときのことだった。俺は肩幅があって小学生のときには野球でピッチャーをしていたから、いい記録が出るんじゃないかと従兄弟は百円を筐体に滑り込ませる。言われるがままに手にはグローブを付け、パッドに狙いを定め、腕を振りかぶる。指に衝撃、遅れてパッドが倒れる音。確かに投球のイメージとどこか近いものがある。点数は91点。中々いい線いったんじゃないかと思ったら、記録は七位だった。

「すげぇ!!これなら次会うときまでには一位も取れるんじゃね? よろしくな!」

 よろしくな、ってなんだよ。そう思いつつもパンチングマシーンは楽しかったから、それから暇さえあれば通うようになった。次に従兄弟と会ったとき俺は三位には入っていて、それから半年ほどで一位も取れたのだった。

 パンチしたときの爽快感が好きだった。友人に力自慢をするときも受験へのストレスが溜まったときにも、俺はパンチしに行った。

 退屈な日常も淀んだ気持ちも全て浚っていってくれたパンチングマシーンだった。いいパンチングマシーンだった。お前のことは忘れない。



 大学一年生になり、最初は慣れない環境に困ることもあったがしばらくすればなんとなく慣れてきて、いつもいる顔ぶれも覚えてきた。

 必修の授業でいつも近くの席にいる奴が頬にガーゼを付けていた。身長は高かったが、体格はそう大きくはない。大勢で騒ぎたいタイプでは無いようだが、話し掛ければ気さくに話してくれる奴だった。

 そいつはなぜかいつもどこかしらを怪我している。しかし、六月頃から怪我をすることが無くなったらしく、その綺麗な顔がガーゼで隠れることは無くなった。その頃にはそいつと授業の話や世間話くらいははする仲になっていた。

「傷全部治ったんだ。良かったな」

「うん……」

 煮え切らない返答をされる。殴られないことが良いことじゃないことがあるなんてことが、当時の俺にはあるなんて考えもしなかったから思わず首を傾げる。

「傷が無いとダメなのか?」

「恋人と別れたから、怪我をすることが無くなったんだ」

「暴力を奮う恋人と別れられて良かった、っていう話では無さそうだな」

「殴ってくれないと、愛されてるように思えないんだ」

 話を聞けば、子どもの頃には両親からからDVを受けていたそうだ。

『あなたのことを愛しているから殴ってるのよ!? 感謝しなさい!』

『そうだぞ。お前のことを思ってやってるんだ。歯くいしばれ!』

 そう言い聞かされながら殴られて育ってきたせいで、変な刷り込みが入ってしまったらしい。彼曰く、『愛は暴力で出来ている』。

「殴られると『愛されてるんだな』って実感できるんだよ。けどみんな途中から殴ってくれなくなるんだ。俺のことを本気で好きになったら、みんな『大事にしたいから』って殴らなくなるんだよね。俺のことを思ってくれるなら、もっと殴ってほしいのに」

 だから、いつも彼から別れを告げるのだという。

「お前殴ってくれる? ……そんなことする訳ないか。忘れてくれ」

「いいよ」

 俺は拳を握る。もう一年近くパンチを繰り出していないが、いつも通り殴れると思う。

「俺とお前、結構相性いいと思うんだよね」

 俺は何かを殴りたい。お前は誰かに殴られたい。

俺は腕を振り上げる。

こいつは真っ直ぐに目を開いてこちらを向いていた。好物でも見付けたときみたいに、俺のことを、俺の拳を、待っている。殴る直前、嬉しそうに微笑んだ。

 何かを殴ったときの久々の手の痛みと共に、殴られたそいつは飛んで行く。

「殴られて嬉しそうだなんて、気持ちわる」

「……手加減、したよね? 手加減しないで。もっと殴って。もっと痛くして。俺のことを思ってくれるなら、もっと殴ってよ」

「実は俺さ、パンチングマシーンが無くなったから困ってたんだよね」

 俺はこいつを殴ってるんじゃなくて、頬に手が吸い寄せられているだけなのかもしれない。そのくらいこいつは殴られる才能があった。俺は新たなパンチングマシーンに出会えたという訳だ。

 それからそいつは俺の家に殴られに来るようになった。思い切り殴って、その後は介抱してやる。「痛くなかったか? けどお前のためにやってるんだぞ?」そう言いながら、頬にガーゼを張ってやる。手のひらでガーゼに触れると、目の上を青くさせたそいつがこの上なく嬉しいとでも言うように笑った。俺は嬉しくなって、ガーゼの無い頬を張り倒した。

 歪な関係ではあったが、家から出てしまえば一緒に遊びに行くことも、ちょっとした旅行に行くこともある仲になった。端から見れば、仲のいい友達に見えたに違いない。

 大学二年生になった。こいつと会って大体一年くらいが経っただろうか。

 いつものように俺の家に来たそいつは「見てほしいものがあるんだよね」と言いながら俺に背を向けた。不意打ちで振り返り様に殴ったら、思いの外吹き飛んでしまった。そのままテーブルの角で後頭部を打つ。ヤバイかも、と思ったがもう遅い。びくりびくりとヒクついて、細かく痙攣したかと思ったら失禁してぐったりとしてしまった。

 ──またパンチングマシーンが壊れてしまった。

 こんなはずじゃなかった。もっと長く、それこそ寿命が来るまで殴れるものだと思っていた。部品は無くても人間は時間が経てば傷が治るからいいななんて思ってたのに。

 こんなことになるなら大事にしたら良かったのだろうか。けどそうしたらこいつは離れていっただろう。どうしたら良かったのだろうか。

 殴られる直前までいた場所にはケーキの箱があった。あいつはこの箱を取り出そうとしていたのだろう。潰れた箱を開けると、ベリーソースのたっぷりと掛かったケーキと、真っ黒なザッハトルテが入っていた。プレートが付いているようだが、ベリーソースと生クリームにまみれてなんて書いてあるかは読めない。

 ケーキ? 一体なんのお祝いだったのだろう。誕生日でもあるまいし。記念日とかそんなものは無いはずだし。俺達は付き合ってるわけでもないんだから。

 ゲーセンのじいちゃんの言葉が思い起こされる。

『古い機械だったからねぇ。こんなに殴ってもらえたし、最後もパンチで逝けたんだから喜んでるよ』

 なぁ、喜んでる? 伸びきった舌を出してる顔は何考えてるのか俺には読めないけど、喜んでるといいな。俺はね、あんまり喜んでないよ。

 殴りたいというこの欲はこれからどうやって昇華すればいいのだろう。パンチングマシーンも人間も壊れてしまう。壊れなくて殴りがいがあるものはあんまり多くはないのだ。こいつの部品がメーカーにあるならいいけど、そんな訳もないしな。

 新しいパンチングマシーンはすぐには見付かりそうにない。

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